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glass.clash  作者: 新月 雫
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3章

俺の実家のある桜木町(さくらぎまち)について軽く説明をするとしたら、遠野町よりは近代的で自然が少なく、市とまではいかないけれどちょっと広い町だ。

 幼い頃は別の所に住んでいたような気もするけれど、たしか遠野学園に転入する少し前に引っ越してきて、馴染みがあるようでないけれど、いまはここが帰る場所。

 歩きながら考えることは、組織との戦いについてのこと。これを、母さんに話しておくべきなのか……明を助け出して、本当にもうそれで終わりなら良いんだけど、まだ何かがありそうな気がするのだ。それで、全部話して、これからも戦い続けることを伝えた場合、どんな反応が返ってくるか……さすがにそれは、怒られるだろうか?

 自分自身がそこまで強くないことはわかっているつもりだ。でも、戦うつもりでいる。

完全に妄想の範疇だけど、組織の奴等が俺の実家を調べあげていて、母さんが巻き込まれてしまっていたらどうしよう。それで、偽物なんかとすり替わっているとか、本物だったとしても、操られていたら?

 この夏休みは、帰らない方が良かっただろうか。

 ほんの一瞬でもそんな考えが出てきたところで我に返って足を止める。

ばか言え、家族で過ごす時間は正直楽しみに……。

「百々?」

 不意に名前を呼ばれたような気がしてついでにこれまで湧き上がってきたいろんな思考を振り払うのもかねて、きょろきょろと辺りを見渡す。

 ひょっとしたら空耳か、あるいは近くに同じ名前の人物……いいや、見渡した限りでは俺くらいしかこんなアクションをとっていないように見える。それに、聞こえた声にはだいぶ久しぶりに感じる懐かしさがあって。

「……母さん?」不思議なことに、そう声に出したら、すぐにその人物の姿を見つけることが出来た。

 母さんは買い物帰りなのか、手提げ鞄を肩にかけて、こちらをみている。

「やっぱり、そうなのね!」

 そして、そのまま此方に駆け寄ってきたと思ったら、

「……もう、帰ってくるのならちゃんと連絡をしなさいって言ったでしょ」次の瞬間には抱きつかれていた、

「か、母さん、苦しいよ……」

 ぎゅうぅぅと、それはもう強い力で。

 あと、まわりに人がいないわけでもないし!恥ずかしい!

「あっ……ご、ごめんなさい」

 そうして、やっと解放されて一緒に歩いて帰ることになった。

「ところで、店はいいの?」

 俺の実家はアンティークショップ兼喫茶店で、いくらあまりお客さんが来ないとは言え、それなりに混む時間帯だってあるわけで……それとも今日は定休日か?

「アルバイトくんに店番を任せてきたの。これでも急いで済ませてきたのよ」

 定休日ではないらしい。いや、それより、

「アルバイト……くん?」

 くんがつくからには、男の人なんだろう……って、そんな問題じゃない。

 アルバイト!?

「えっ」

「どうしたの?」

「い、いや、びっくりしただけ」あまりお客さんなんて来ないのに変な人もいるもんだな……という本音は飲み込んでおくことにした。

「よく働いてくれるのよ」

 微笑みをうかべられてまで言われては、なんとも言えなくなる。

 じゃあ、家に帰ってもすぐには二人きりの話は出来ないのか……。

「あのさ、母さん」

 それなら、今言ってしまえばいいんだ。

「んー?なに?」

「その……」

 駄目だ、家族が相手にも関わらず緊張してきた。

 だいたい、どうやって切り出せばいいんだよ!

 さっきまで考えていたのか言うか言わないかで、そうだ、切り出し方までは考えていなかったんだ!

「……父さんの好きな花はなんだったかな」とっさに出てきた言葉には自分自身でも困惑したけれど、このことも確かに聞かないといけないことだった。

「もしかして、お墓参りに行くの?」

 今まで帰省してもこんなことは言い出さなかった気がするから、こうして驚かれるのは不思議なことじゃない。

 つい最近まで、ある意味存在そのものを忘れていたのだから。

「その、高等部に入ったし、いろんな報告もしたいしさ」

「それは、私にも話せる?」

「えっ?」

「ううん、なんでもないの」

「あ、そ、そう」

 会話につまりかけた頃に、丁度家についた。

 すぐには入らずに、それとなく不自然にならないように窓から店内の様子をうかがう。レイアウトは変わっていない。それはともかくアルバイトをしている人物はここからは見えなかった。

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」

 母さんは小首をかしげてから、先に店の中に入っていく。

 自分の家なのに、ほんのすこし緊張しつつ、店のドアを開けた。

「た、ただいま」

「おかえりなさい」

 やっぱり、こうして言葉が返ってくるのは嬉しい。

 でもアルバイトの姿が見当たらない、

「そうだ、海くーん」

 はたと思い出したように母さんはキッチンの方に呼び掛けると、黒いエプロンをつけた茶髪の男が出てきた。

「えっと、はじめまして。神条海です」

 人懐こそうな笑みと共に自己紹介されたので、

「あ、どうも……海さん?」

 海と名乗る人物は、大人っぽいと言えば大人っぽくもあり、それでいてまだ学生のような雰囲気もかもし出している。

「よろしくな!」

「こちらこそ?」

 もしこいつが組織の手先とかだったらどうしようという不安が頭をよぎって、差し出された手をとることが出来なかった。

 さすがに、考えすぎかもしれないけど。

「母さん、荷物を置いたら父さんのところにいってくる。花は何が良かったんだっけ?」

「あっ、そうね、今の時期には売っていないお花だったから……あなたの選んだものなら、どれでも嬉しいと思うわ。気を付けていくのよ」そう言いながら、母さんは久しぶりに頭を撫でてきた。

「もう、子供扱いしないでくれ」

 しかも、よく知らない人がいたから、さらに恥ずかしくなって、早足で自分の部屋へとむかうことにした。

                *

――同時刻のどこか。

 鉄製のやけに重たい扉を開けて部屋に入るや否や、仮面の男から渡されたのは分厚い灰色のファイル二冊だった。

 おいおい、下っ端にこんなもん渡していいのかよと、俺は苦笑をこぼさずにはいられなかった。

「リーダー直々になんて冗談はよして下さいよ。なんかの間違いでしょ?」

 推測する限りでは、個人情報が数名分表記されているはずだ。

「朝霧クンの働きは見事だからね。それを見ていなかったら頼まないさ」

 相手の表情はわからないけれど、雰囲気から察するに、どこか楽しそう。

 この目の前にいる男は、能力を持たない人間を根絶しようとする為にこの組織を何十年も前に立ち上げている。

 見た目が若いまま変わらないのは、俺と同じで能力の反動らしい。

 資料とリーダーを交互に見やると、

「下のファイルは、病院で保護をしている者達の資料、それから、上のファイルはこの組織の裏切り者とその家族の資料だから」

機械のように淡々とした言葉を返された。

「ははぁ、つまりは殺しですか……それなら、病院にいる奴等の資料はいらないのでは……」リーダーが裏切り者と言う単語を口にするということは、だいたい察しがつく。

「知っておいて損はないだろう?」

「まぁ、そうですね」

 ひとまず頷いて、裏切り者がどんな人物かを確認する為に片手で資料をぱらぱらとめくっていく。

「なっ、これは!」ある情報を目にした瞬間、ページをめくる手を止められずにはいられなかった。俺にとっては、かなり重要な情報だ。

「どうした?」

「すげぇや、美人だ!」そう声をあげたら、リーダーの呆れたようなため息が返ってきた。

「えっ、リーダーこんな美人雇ってたのかよ、殺すの勿体なくね?殺すけど」

「……言い忘れてた。そいつを始末するのはお前の仕事ではなくて」

 テンションががた落ちした、それなら何故見せたリーダー!

「もう三ページ程めくった先にある、そいつの子供の方ね」

 しかも子供いたのかよ!

 いや、ついさっき渡されたし、速読スキルがあるわけではないからパラ見した程度でまぁ仕方がないことだ。

 言われた通りにページをめくると、

「女の子だと!?」

 さっきの人物にひけをとらないくらいに、いや、十分に受け継いでいる美貌だと!

「……ね、読んどいて損はないでしょ?」

「やります。俺、本気出して殺します!」

数秒ほど呆気にとられたリーダーは、ひとつ咳払いをしてから無言で部屋を出ていった。

 俺は息を吐いて、意図的に表情をなくしてから、部屋を出てなんとなしに指を鳴らした。

                   *

 自分の部屋に荷物をおいてから出かける準備を整えて、ふと母さんの部屋に立ち寄る。そこでまず視界に入ったものは、机の上に置かれた二羽の青い鳥の硝子細工だった。

「これ……」

 能力が使えることを知って、一番最初に父さんと母さんにプレゼントとしてあげたものだった、と思う。大きい鳥とその一回り小さい鳥。今は手で握れるけれど、幼いころは自分で作ったものでも大きく感じたんだっけ……。

 近くには、母さんが作ったと思われる硝子の写真立てが置いてあって、家族三人で写ったものが飾られていた。

 草原とも花畑とも言える綺麗なところで、みんな笑っている。

 いつ撮ったのかまでは思い出せないけれど、懐かしさがある。

「あら?」

 振り向くと、いつの間にか後ろには母さんがいた。たまに足音もなく歩いてくるから、こっちはかなり驚いて、持っているものを落としそうになった。

「お墓参り、行かないの?」

「行くけど、その……父さんがどんな顔だったか気になってさ」

「そう」

「それと、まだこれ、飾っていてくれたんだ」

 そう言ってさっきのガラス細工を指すと、母さんは微笑んだ。

「だって、あなたがはじめて私達にくれたものだから。しまっておくのは勿体ないわ」

「母さん……」

「ほら、お墓はここから少し離れた遠いところだから、早めに家を出ないと、遅い時間になっちゃう」

「……そうだね。行ってくるよ」

「ええ、いってらっしゃい」

                   *

 どこかのとある病院の個室にて。

 俺、統堂瞬は双子の兄の(しゅう)と何年も入院生活をしている。

 いつからそうなったのかはよく覚えていないけど、気が付いたら17歳。

 勉強とかの成長過程において必要な知識は、この病院の大人(看護士でも医者でもない、よくわからない人達)が教えてくれた。

 それに、外の世界を全く知らない訳じゃない。

 必ず一緒についてきてくれる大人さえいれば、簡単に外を歩く事とか、色々できる。

 不思議なことを一つあげるとしたら、家族が来てくれないことかな……。忙しいにしたって、何年も来ないなんて……。

「瞬は今、なにかを思い出しているな?」壁によりかかるようにしてこちらを観察するように見ていた秋が口を開く。

「うん。回想……みたいな感じ。ちょっと違うかも」

「俺達のせいで父さんと母さんは死んでる……なんて言ったらお前はどうする?」

 ある程度お互いの考えていることがわかるのか、秋は窓の外に視線を向け、俺の回想の一部を否定するようなことを言う。

「いつも同じことを言うから覚えたよ、そんなことはないって」

「俺達は、多分どっちかに騙されてるような気がするんだ」

「そんなことは無いと思う」

「なんでそこまで言い切れんだよお前」もろに馬鹿にしたような口ぶりでも、秋も似たような考え方をしているのかもしれない。

 俺達の違いと言ったら、能力くらいだろうか。

 でも、俺自身はどんな能力を持っているのかはわからないでいて、もしかしたら、能力があるのは秋だけかもしれない。

「まーなんだ……俺はお前だけには嘘はつかないから、信じてくれ」

「うん」

「話は変わるが、今日は満月なんだろ。なにかお前自身に変わったことはないか?」

 変わったこと……満月の夜の夕方に、毎回の同じことを聞いてくるような気がする。

「それは……とくには……」いいかけて突然、心臓が急に強く脈打ち息がつまった。

「瞬!?」

 つまったなにかは、心臓から上がっていき唐突な頭痛に変わる。

 フラッシュバック――映像として、建物の崩壊と、瓦礫の中に埋まってしまった自分を、見つける誰か。あれが誰だったのかまでは思い出せないけれど、少なくとも、自分がこの病院に来た経緯みたいなもので……。

「なぁ、おい瞬!?」

 呻きながら、ベッドにうずくまる。こうして大人しくしていれば頭痛と映像はすぐに――消えない。

 呼吸だって、激しい運動をしたわけでもないのに乱れ始めていく。辛い記憶の再生はやまない、情けないくらいに涙がこぼれて、つめたい汗が背中を流れていくのが知覚できる。

「また発作か?」

 いつの間にか朝霧が現れていて、薬の入った袋と水を渡された。

「秋の方は起こらないのに、どうしてお前ばかり起こるんだろうな」

 薬を口に入れ水で押し流すと、すぐに重い眠気が襲ってきた。

「そりゃ、俺は薬が嫌いだからさ。こんなの飲んだらもっと悪くなりそうで」

「そうか、偉いな」

 秋と朝霧がなにかを話しているけれど、それだけのことで……まだなにか話してるようだけれど、ただねむたくて……あとで聞けばいいかと、目を閉じる。

                   *

 やかましいくらいの蝉の声と青い空の下、夏の花で組み合わされた花束を買って、墓地まで歩いてきた。

「久しぶり、父さん」

 墓の上に花束をあげて手を合わせる。

 この暑さでは、花はすぐに萎れてしまうだろう。

「ごめんなさい」

 ずっと忘れていて。

 言葉に出して謝ってみても、墓の中にあるのは骨くらいで、父さんに届いたとは言えないだろう。

すっきりするわけがなく、その逆のもやもやした思いが心の中にたまって、静かに沈んでいく。

 忘れていたことを謝るのは、何かが違う気がして、でも、それ以外の理由は浮かんでこなかった。

 少しの間空を見上げて、またすぐに視線を墓石に移す。

 母さんには、墓参りのときにいろいろな報告をしてくると言って家を出てきたけど、組織がらみの事なんてこんな所で話して……そうだ、もしも近くに幽霊としているとしたら、ただ思い出すだけでも、伝わるかもしれないな。

「父さん、俺は組織と……ええと。なんつうかさ、母さんの方を見守ってくれ」

 報告ともなんとも捉えられない、いやに歯切れの悪い言葉を選んだと思う。

「まだ上手く言えないから、次はちゃんと話せるようになってから来るよ……」

 少し寄り道をしてから家に帰って、夏休みの前にあったことを、ちゃんと母さんに話そう。

                   *

 一月ほど前にあの子の身の回りで起きたことを、私はほとんど知っている。きっかけそのものが誰かの意図で引き起こされたことか、ただの偶然なのかは推測しかねるけれど……どちらにせよ良くないことなのかは確かだ。それと、あの子が静琉くんのことを話題に出したのは、星火先輩に記憶と能力の一部を封印してもらっていたのがどんな形であれ解けたことを意味している。

「白雪さん?」

 夏休みにあの子がここに帰ってきたときはほっとしたけれど、どこか嫌な予感がするのは、一月ほどなにも無かったからなのかもしれない。

「あのー……」

「えっ、はい!」

 見ると、海くんが不思議そうにこちらを見ていて、

「どうしたんですか、ぼーっとして……違うな、急に暗い表情になったって言うか」

「ごめんなさい。少しだけ、考え事をしていて、何か用事?」

「いや、用事とかはなくてですね……だから謝らないで下さい。俺の方こそ考え事の邪魔をしてしまってすいません」

「気にしないで」そう言えば、霧夜先輩が海くんを連れてきたのも同じくらいか……。

「もし、その考え事が悩み事とかなら、あまり思い詰めないで下さいね」

「ううん、今日の夕飯のことよ。百々が帰ってきたから、いつもよりずっと美味しいものを作らなくちゃって思って……あなたも食べていく?」

「えっ、夕飯?」

 料理の内容で、そんなに暗い顔するかな。とでも言いたそうな表情、

「そ、そんな、悪いです、いつもご馳走して貰っているし……じゃなくて、親子水入らずを邪魔しちゃ駄目かなーって、いや、駄目です!」

「ふふっ、それもそうね……」

「それもそうって、もー白雪さんてば……」

 笑い返そうとしたときに唐突に感じたのは、音を消して這い寄る蛇のような気配。近くにくるまでは全く持って気が付かなかった! こうして気配をうまく消せるのは、相当な戦闘の経験者……あるいは、幹部の誰かか……誰であっても敵であることに違いはないと、そこまで考えて、私は内心舌打ちをする。

私はいつでも迎撃できるようにとガラスで剣を作り出し、店の出入り口の斜め前に移動する。

「……ねぇ海くん、あなたは裏口から逃げるか、ここに残って隠れているかを選びなさい」

ドアはあっさりと両断された。

「俺も戦います!」その口ぶりからして、彼に逃げるなんて選択肢は最初からなかったみたいだ。

「使って、でも、危ないならいつでも逃げて良いからね」

 ガラスの剣をもう一本作り出し、海くんに投げて渡す。彼が持つと耐久の面で少し劣るかもしれないが、無いよりはいいはず。

「白雪さん一ついいですか?」

「なに?」

「ブースト、それが俺の能力です」

「教えてくれてありがとう」

 その直後、水の球体が窓の硝子を割って侵入、床を濡らす。割れたガラスの破片が床に散乱して、球体から液体に戻った水が、室内に霧を発生させる。

まだ視界は確保できる程度だが、霧を発生させた目的は視界を塞ぐことではないだろう。その中に、靴音を響かせてやって来たのは、夏らしい白いワンピース姿の可憐な少女だった。

「えっ」

 海くんは呆気にとられている。この状況に幼く見える女性が現れたから、当然の反応か。

「見た目に騙されないで!」

 涼華院(りょうかいん)アクア。人形がそのまま少女になったかのような容姿とは裏腹に私の元上司だった人物である。

「もーっ!あたしは騙してなんかない!」リス並みに頬を膨らませる仕草と、いかにもわがままそうな口調でアクアは不満を述べる。

 彼女の左手に握られていたペットボトルから、先ほどの水の球体も、彼女の仕業であることがすぐに察することが出来た。

 返答せずに、私はアクアに近付いて斬りかかる、しかし、いきなり現れた人物によってそれを弾かれてしまい、後ろに飛ぶ。

 夏なのに長袖の黒いロングコートを羽織った銀髪の女性、仮面こそつけているものの、見間違えるはずがない。

「いきなり狙うってよそーは出来たからね。セイカを忍ばせといたの……ほんとはクウガがよかったけど」いたずらっ子のような笑みを浮かべるアクアの言葉で、確認はとれた。

「……あなた達は、この人に何をしたの?」

 星火先輩は、自ら組織にいくような人ではない。

 だから、なにかしら罠をつかって捕まえた……それほどあっさり捕まるような人ではないと思っていたけれど、この考えの方が現実に近そうだ。

「うーんとねぇ、ほんとーは内緒なんだけど、ゆきちゃんだから教えてあげる」今度は勿体ぶるように言って、「ゆきちゃん、八重姫はしってるでしょ?」

 八重姫……彼女にはあったことこそないが、その単語だけで十分だった。

「こんな人を操らないといけないなんて、組織も堕ちたわね、もとから腐ってるけど」

「どういう事ですか白雪さん!」

「海くん、星火先輩は見ての通り敵……になってしまっているの。今はね」

 私達が、先輩をもとに戻せるような保証もないけれど、何をどうあがいてもこの窮地から生き延びなければいけない。

                  *

「あぁぁぁぁぁ八重ぇぇぇぇ、八重、八重、八重がいない!どうしよう、悪い虫がついてたらほんとどうしよう、ねぇ、ねぇどう思う!?」

 俺は、切り取り線でもできそうなくらいの沈黙と、何回ついたかわからないため息を返す。

 どうしてこうなったのか、この状況を整理してみよう。

 まず俺は、墓参りを終えて町を歩いていた。

 そうしたら、この黒髪の男に後ろから腕をつかまれて、ただ振り向いたらいきなりなんか泣かれはじめてしまって……誤解をうけないように言うと、決して睨んだわけではない……と思う。

 そんなこんなで目立つので、近くの公園のベンチに座ったのが現在である。

「あの、八重というのは一体……」

「八重は八重だよ!」

 わかんねぇよ!

「すっごくかわいい俺の妹で、蝶よ花よと育てた箱入り娘だ!」

 シスコンか……通っている学校にシスコンブラコンはいるからさすがにおどろ……あいつらはこんなに取り乱さないだろう。なので驚く。

箱入り娘で妹ってなんだよ。ずっと箱に入れとけバ……。

咳ばらいを一つ。

いまなにもなかったぞ。バカとか、そんな言葉はおもいつかなかった。

「じゃあ……妹がいなくなったってことか?」

「そう、そうなんだ!久しぶりにお兄様と買い物をしたいっていわれて、とてもうれしくて、でも、ちょっと目を離したすきにいなくなっちゃったんだ!」

 確認してみると、男は首を赤べこ並みに振り、力強く話を続けた。

 で、なんで俺の腕を掴んだのかを聞いて良いものかどうか……会話は成立してるから大丈夫かな?

「あの」

「八重が、八重がいないぃぃぃ、危ない目に遭ってるかもしれないのに、危ない目に遭わせた奴等は総力をあげて全員ばらして燃やして殺したりするくらいはできるけどぉぉぉぉ!!」

「だったらさっさと探せ、なんで俺の腕を掴んだ」

「後ろ姿が八重に似てたから。でも、八重の方がもっと髪が長いし、かわいいし、背も低いなって……それと、睨んだりなんかしないし、きっとお兄様って言ってくれるし、かわいいし!」

 男から視線を外して、近くの噴水を見る。

 リクとノイズより重症……あいつらも十分重症だから、さらにそのワンランク上くらいか。

 一緒に探すという選択肢が現れないのは、なんだか疲れそうだからという理由がある。

「携帯で連絡は?」

「えっ、けい……たい?」

 もう一度男は携帯と繰り返す、もしかして、

「携帯、持たせてないんだ」

 あっ、やっぱり!

 これは打つ手なしだなー……妹何歳だよー聞きだしてない情報だけどー。

「だって、悪いサイトに繋がって……変な知識をつけられたら嫌だし」

 ……フィルタリングって知ってるか?

 危ないことを全部防げているのかは、いまいちわからないけどな。

 沈黙が流れる、でも正確に言えば男の方はぐすぐす泣いていて沈黙とは言えないのかもしれない。

 ベンチから立ち上がってダッシュで去るかを本格的に検討しようと思ったとき、公園に赤い髪の男が入ってきた。

 なかなか特徴的……というか、誰かに似ていたから、ついその男の行動を見ていると、こちらに気付いたのか近付いてきた。

「あれ、薫くんじゃん」

 そして、にこやかに隣に座っている男に話しかける。

「……えっ、朝霧、どうしてここに?」

「そっちこそ、なんで女の子連れてんの、ナンパでもした?」

「八重がいなくなって……後ろ姿が似てたから」

 会話から察するに、朝霧と呼ばれたこの男は友人か知り合いのようだ。

「ああ、八重ちゃんなら一人で歩いてるのを見つけて帰したから」

「えっ!八重、転んで怪我とかしてなかった?大丈夫?」

「うん、無事」

「じゃあ俺も帰るよ、じゃあね朝霧、それと、君も!」

 薫はベンチから立ち上がり、ジーパンのポケットから透明な結晶を取り出すと、ふっと消えた。

「まったく、薫くんは心配性だなぁ」

 先ほどまで明るそうな表情を浮かべていた朝霧だが、急に冷めたように呟いてから、また明るいような表情を浮かべてこちらを見た。

「君には迷惑をかけたみたいだね」

「いえ、そんなことは……」ないわけじゃないものの、素直に頷くのもどうかしている。

「あっ、そうだ」朝霧はなにかを思い出したようにどこかに駆けていった。

 俺はベンチから立ち上がり公園の出口に向かって歩きだす。

「あっ、待って!」

 振り返ると、さっきの場所に戻ってきた朝霧が何かをこっちに向かって投げてきた、

「?」

 キャッチすると、缶ジュースであることがわかって、

「それ、お礼だからー!気を付けて帰るんだよ、百々ちゃん!」

 ぺこりと会釈をして、公園から出る。

 ……どうしてあいつは名前を知っているんだ?

 俺は、自分から名乗るようなことはしていないのに。

               *

「そろそろお話も終わりよ、さよなら」

 その一言が合図だったのか、星火先輩は音もなく近付いてきて、闇の剣を軽く振る。しかし、それだけの動作で彼女は重い一撃を繰り出すのだ。

 私は、手にしているガラスの剣の強度を補正しながら、その一撃を受け止めて押し返して距離をとり、呼吸を整える、闇でできた物質は一度受け止めるだけでも、気力と体力を奪い取られていくのかとても疲れる。

 ふと、海くんに視線を向けると、彼はアクアと交戦していた――と言っても、ほとんど彼女の操る水の刃に弄ばれていて、身体中に切り傷が出来ている、ように見える。

 霧による視界の悪さもあって、よく確認ができない……今回は本当にただの霧だけ?

 気をとられていた隙に、星火先輩は飛びかかってきて私を押し倒す。

「うっ……」

 背中と頭を床に打ち付け複合された痛みと、視界がぼやけ、冷たい手が私の首を押さえて、徐々に力が込められていく。

 先輩らしくない殺し方を――いや、まだ、なにか出来ないか――手はまだ自由が効く、それならまだ能力を使える。

 操るのは、熱で溶けた状態のガラスだ、まずアクアの足元にそれを出現させて、そこから徐々に這い上がるように侵食させていく。

「きゃぁぁぁぁ!!」悲鳴、焼ける音と匂いがして、不快だったのである程度を焼き焦がし終えてからすぐに出現させたものを消した。

 首を締める手が緩まり、唐突に入ってきた空気にむせる。私の体が軽くなったことから、星火先輩はアクアのもとへむかったのだろう。

「今……なにが」 起き上がると、海くんはアクアに視線をむけたままこちらに駆け寄ってくる。

「……星火っ……あいつらを……やっつけて!」

 服や体の一部が焼けたアクアは、こちらを睨み付けながら星火先輩に命令した。喉を焼き切っておけば良かったかもしれない。

 無数の闇の剣が、星火先輩の背後から現れ、一斉に掃射された、避ける場所は与えられない。

 死ぬことを覚悟して、きつく目を閉じた。

 しかし、何故かその時間はやってこない。

「?」

 目を開けると、剣はすべて私たちを貫く直前で止まっていて、最初から存在しなかったかのように、ふっと消える。

「……星火先輩?」

「うぅ……ぅぅぅ……」先輩は頭を抱えてうめき声をあげ、苦しみ始めていた。

「つぎは……次は殺すわ」悔しそうにアクアは言うと、次の瞬間には二人ともいなくなった。

 私はその場に倒れ込む、ここ最近現れる、能力を使った際に現れるデメリットだ。

「白雪さん!?」

「星火先輩がいたことを……早く伝えて」

 目が覚めたら、店の片付けもしないといけないな。百々は無事だろうか、帰ってきたら色々話さないと……なんて思いながら、私は意識を手放した。

               *

 夕方になりかけている河川敷の付近を歩けば、涼しい風がふいてくる。

 星火が消えて一ヶ月と少し、おそらく組織に囚われている……だけなら良いんだが、リクやノイズみたいに操られている可能性が高い。何故なら、あいつのような特殊な存在を放って幽閉しておくような組織ではないからだ。

 手掛かりがちっとも見つからないのは、おそらく偽装を扱う能力者が関連しているか、それではない能力者によって綿密に隠されていることが推測でき……。

「あれ?……霧夜さん?」

 声の下方向を振り返ると、髪の長い女の子がこちらに走ってきた。

「百々ちゃんか、久しぶりだね」

 しかし、彼女は途端に不審げな表情を浮かべながらこちらを凝視してきて……何か顔についてるか?

「そう……なるんですよね?」

「どうかしたのか?」

 百々ちゃんは後ろをちらと振り返り、そしてまた俺を見た。

「二つ三つ質問良いですか?」

「差し支えない程度なら答えるよ」

 軽い沈黙、百々ちゃんの気まずそうな表情……何か聞きづらいことなのだろうか。

「あの、ノイズ以外のシスコンの知り合いはいますか?」

「いないな」気づけば、ほぼ無意識に即答していた。

「それから、赤い髪に染めたいと思ったこととか、染めていたことは?」

 赤い髪……嫌いな人物が頭をよぎったので、二つ目の質問には、思わず顔をしかめそうになった。

「それもない」

「変なことを聞いてしまってごめんなさい……さっき、霧夜さんに似ている人と会ったので……つい」

 俺と似ていて、赤い髪……。

考えたくないがこの子は、朝霧に会ったということか……?

「いや、まさかな」

「えっ?」

 そうだ。なにか起こっても大丈夫なように、この子にはお守りになるものを渡す必要があったな。

 でも、それは同時に、彼女をある意味餌にして、組織の手掛かりをつかむことが出来るかもしれないという考えに……繋げてはならないが繋がる。

「百々ちゃん、手を出して」

「はい?」

 俺はその手の上に手をのせ、光の能力で彼女の瞳の色と同じ赤に近いオレンジ色の石のついたブレスレットを作り出した。

「えっ」手を離すと、いきなりのことに驚いたのか、百々ちゃんはしばらく俺とブレスレットを交互に見た。

「君にあげるよ」……本来なら明ちゃんを救出した後に音経由とかで渡していれば、特に違和感なんて現れなかったかもしれないが、まぁ。いいか。

「じ、じゃあ、ありがとうございます……」

 様子を見ていると、彼女は恐る恐るブレスレットを右手首につけた。とても似合うよと言おうとして、「霧夜さん、貴方は何者なんですか。明とも関わりがあるみたいだし」

 質問を切り出される。

「んー……」

 答えづらいが、明ちゃんの名前を出されると答えないとか。

「正義の味方……だな」

 時間が止まったわけではないが、止まったように錯覚するようなちょっとした沈黙と、何とも言えないものを見るような百々ちゃんの表情。

「じゃあ、俺、帰ります。素敵なものをありがとうございました」

 今のは聞かなかったかのように、ぺこりとお辞儀をした百々ちゃんは、きびすを返して歩いていき、俺はその姿を見送った。

「気をつけて帰るんだぞ」

「あー、やっぱり兄弟だなぁ」

 背後から響いてきたその声に、全身が総毛立つ。

 たった一言声を出しただけでも俺をこれほど不快な気分にさせる奴は、あいつ意外にいない。

 まず、能力を封じられる前に、俺は光の空間から刀を抜き身の状態で取り出して、振り向き様に斬る。

「おお、怖い怖い」

 喉元を捕らえたつもりだが、避けられた。

殺すつもりで斬りかかったにもかかわらず、そいつはへらへらと笑っていて、俺は舌打ちをした。

 繰り出す斬撃はことごとくかわされる。

「……死ね!」

「別にお前を殺しに来た訳じゃないんだけどなぁ」パチンと指の鳴る音、その直後に、仮面をつけた黒いスーツの集団が現れた。「まぁ、いいや」

 この集団を引き連れていると言うことは、こいつは組織に所属しているということ……ああ。そうか、そういうことか。

 組織の情報が探れないのもつまり……。

 数秒で結論を出している間に取り囲むように、スーツの集団は一斉に襲いかかってきた。

 今すぐにでも朝霧に斬りかかりたいが、先にこいつらを片付けてしまおう。攻撃させる隙は与えない!

その場からは動かず、着実に急所を斬って倒していく、全てを動かないものにするまでには時間はかからなかった。

「霧夜は仕事はやいなー」朝霧に勢いをつけて斬りかかったが、またも紙一重で避けられる。

「でも、もっとまわりに気を使った方がよかったかもね」わけのわからない一言、その後、なにかの合図のようにパチンと指が鳴る音がした。

 でも、自分には何も変化はない。

「わかりづらいみたいだから言うけど、さっき見送った子を殺すつもりだったんだよ……って、あんまり驚かないのかー」

 なおも笑みを浮かべながら言う朝霧に、

「そんな気はした。で、百々ちゃんをどこに飛ばしたんだ?」

 刀を振り下ろしながら問う。

「さぁね、でも、助けに行かないと死んじゃうよ」

 場所なんてわからないだろうけど、と朝霧は手を振って消えた。

 朝霧が消えた直後に、ポケットにしまっていた携帯が鳴る。

 ――着信は、海からだった。

                 *

洗脳の途切れかけているセイカになんとか指示を出して闇の空間を移動する。能力で火傷の痛みを軽くしてはいるがそれを完全に取り去ることは出来ず、感情的か生理的などちらともつかないような涙がこぼれた。

 拭おうにも両腕は焼け落ちてなくなっている。

 組織の医務室の寝台に身を預ける。

 回復にどれほどかかるのか。

 わき上がるものと言えば憎悪。

 悔しくて悔しくて、次は、いや、いますぐにでもここまでおいつめたあの二人を殺しにいきたくてたまらない、殺す、殺してやる。

 目を閉じようとしたとき、「派手にやられたね、大丈夫?」

 いつの間にか現れたそいつは、こんな状況にもかかわらず呑気に、それはもう腹の立つくらい気さくに話し掛けてきた。

「…………朝霧」

「星火の洗脳のほうは、俺がなんとかしとくからゆっくり休んでよ」

「そう」気だるく言葉を返して目を閉じた直後、

「それでさ、ちょっと能力頂戴」反応を返す間もなく、胸に激痛がはしり、思わず目を見開くと、心臓のあたりには小刀が突き刺さっていて、それを確認した直後に朝霧はそれをわざとらしくゆっくりと引き抜いた……ようにみえた。

「じゃ、オヤスミ」

 なんて……最悪。

                 *

薬の副作用なのか、そもそもの効果なのかで俺は眠っていて、目が覚めたら、いつもの天井を見ていた。

 そして、その天井に急に黒い穴が現れ、自然と俺の上に女の子が落ちてきた。

 もしかして、まだ夢の中?

「……ここは……何処だ?」

 なんかやけにリアルな質感してるんだけど。

黒髪ロングストレートに、赤に近いオレンジ色……朱色だっけ?の瞳……そこまではいい。二次元にいれば最高の特徴をしているし、女の子が急にベッドで寝ている俺の上に落ちてくると言う今のシチュエーションにも申し分はない。

 でも……どうして服を着ていないんだろう?

 これなんてエロ……最近はギャルゲにも、ライトノベルにもあるっけ。

 どうしてこうなった。

「なっ……ちょっ、おい!?」

 腕を伸ばして、抱き寄せてみる。タオルケット越しだから、女の子の柔肌的なものに触れることができるのはこの方法しかないし……あれ、触った感じでは服を……着てる?

 体温、髪の毛のさらさらした感触、甘い花の、ずっと嗅ぎ続けていたら蕩けるような良い匂いがする。それに、対面するようになっているから、もちろん胸の感触も……やわらかい。

「……これ……夢、じゃない?」そこまで確認して、ようやく認めることが出来た。

 ほんの少しばかり時間を要したのは寝起きのせいだろう。今の俺はラノベの登場人物並みにいろいろと鈍い。まだ考えないといけないことはあって……ああ、そうだこれは、もろにセクハラ。

認識した瞬間から顔が真っ赤になっていく。

「離せっ!」女の子に頬を叩かれ、腕を離した。

 その衝撃かはわからないけど、女の子の体には急に服と、ブレスレットが現れる。

「ちょっ」さらに、喉元にどこから取り出したのかわからないけど、いきなり女の子の手元にはナイフが握られていて、それを押し当てられた。

 そのナイフには、不思議なことに金属らしさがない。無色透明……これはもしかして、ガラス?

「殺す前に聞く、ここは何処だ」

 女の子は俺を睨み付けながら低い声で言う、なにか答えないと、いや、答えても殺される!

「あっ、えっ、違う、俺は敵じゃない!」なんだったら、画面のむこうの世界を救ったことなら何回かあるし、さらに言うなら画面のむこうの女の子を凌辱したことだって……あ、ちょっとダークサイド入ってた!

「質問に答えろ」なおも低い声で、可憐な見た目とは裏腹に男みたいな話し方で脅される。

 この子は本当に何者なんだ……さては、口調的にも二次元から来た刺客とか?

「び、病院ですっ!」

 声が裏返った、俺は今、じゃなくて、さっきから、三次元の女子と話している。

ハジメテがこんな会話なんてないよ、あんまりだよ!

「病院?何処の?」

 女の子の体制的には逆レイプ調の騎乗位状態で、絵にしたらとてもおいしいのかもしれないけれど、繰り広げる会話は若干命のやり取りです本当にありがとうございます。

「わ、わわわわかりましぇん!」

 舌打ちされた。

「……殺す」

 そして、無慈悲なまでにナイフは振りおろ……

「起きたかしゅ……えっ」されそうになったところで、秋が来た。

「……取り込み中だったみたいだな、すまん」

「違う!秋、違うから!」

 今の状況的に、弟の命の危機なんだけど!助けて秋!

「……同じ顔が二人?」

「一卵性の双子って奴だ……で、俺の弟はお前になにかしたのか?」

 秋は近付いては来ないものの、女の子に話しかける。俺に触られたことなんて言えるわけがない女の子はまた舌打ちをして、俺から降りた。

「お前は、この病院の場所がわかるか?」

 どうして、さっきから病院の場所を聞くのだろう?

……あっ、そうか、唐突に何処かから落ちてきたから帰る為に聞いているのか。

「……知らないが、出口は一階だ」

「そうか」女の子はまたも不愛想に答えてから秋の横を通り越し、部屋から出ていった。

 戸が閉まった後、俺は起き上がって秋に近づく、

「なんだったのあの子」

「いや、お前はなにをやってたんだ?」

紅潮していたのは収まりかけていたのに、また顔が赤くなっていく。

 言えるわけがない、とても。

むしろどう説明したらいいのか、女の子の姿が裸に見えたことなんて、透視のできる能力者じゃあるまいし。

「まぁ……言いたくないならいい」

「……うん」

「変なこともあるもんだな」

「そうだね」

 少なくともお見舞いに来たわけではなさそうだし、じゃあ、ワープ能力に最近覚醒したばかりで力の制御がうまくいかなくてここに来ちゃったとか?

 それにしたって、ドジっ子にもほどがある。

「ところで、秋は何しに来たの?」

「そろっと起きるかと思ってな。話し相手もお前ぐらいしかいねぇし」

「そう」

 そんなやり取りをしていたら、パタパタと廊下を走ってくる音が聞こえて、また部屋の戸が開いた。

 駆け込むように入ってきたのは、さっきの女の子と黒いコートを着て仮面をつけた女性とも男性ともつかない人物。

「はぁ……はぁ……」

 息を切らした女の子は、自分の足につまずく。

仮面をつけた人物はどこからともなく出現させた黒い剣を躊躇なく女の子に振りおろした。

 きっと、あっさりと彼女を両断するのだろう。

「……っ!」見ていられなくて、とっさに目をつむると、なにかが破ける音がした。

 ……でも、本当にそれだけのことで、血の匂いはしない、生でグロいものを見ることになるのは怖いけど、このまま……俺達も銀髪の人に殺されるか。

 ゆっくりまぶたを上げる。秋も同じく目を瞑っていたらしかった。

 不思議なことに、さっきの剣を持った人はいつの間にか消えていて、代わりに、服の破れた女の子がいて、しばらく呆然としていたと思ったらゆっくりと立ち上がった。

 目立つような外傷は見当たらない。

 夏の服だから生地は薄めで、その分破れやすいのだろう。

……って、服を破かれただけ!?

 なにこの深夜アニメみたいなノリ。

 超展開乙な件について。

 女の子はまたこの病室から出ていこうとする。

「待って!」腕をつかんで、俺はそれを引き留めた。

とりあえず、今俺達がわかる女の子の情報で一つだけ確かなのは、仮面をつけた黒い人に追いかけられているということ。

 この後、なんて言葉をかけたら……秋の方を見ると、思いっきり視線をそらされた。

「あの……け、怪我がなくて良かったよ」切り裂かれた服以外は。

 こうして少しでも相手を心配していることが伝われば、俺達が敵ではないと言うことを証明することが出来るハズだ。

「……なんなんだよお前ら」女の子の表情は険しい。

……そんなに簡単には警戒を緩めてくれるわけがないから当たり前の反応なんだけど、どうにかわかりあえないかな?

 こうしてみると、ギャルゲとかの主人公ってコミュ力高くね?

「少なくとも、君の敵なんかじゃない……そうだよね秋」言いながら、つかんでいた女の子の腕を離す。

「この女は俺達の敵かもしれないだろ」

「そ、そんな言い方」

「……今の状況からしたら、確かに疑われてもおかしくはないな」

「き、君まで!」

「俺はあいつから逃げないといけない、だから、お前らに話すことはない」

 厨二病並にかっこつけようったって、そうはさせるか!

「でもさ、逃げ方がわからなくて、この部屋に戻ってきたのも事実でしょ?」

「……っ」

 問いかけただけだけどさらに睨まれて気まずくなったので、秋の方に視線を移すと、呆れたような表情でこちらを見ていた。

「じゃあどうするんだ瞬、あいつから逃がすのか?」

 ……どうしたいとか聞かれても、そんなことを決めてまで話していなかった!

「じゃあな」

 だいたい、戦う術とか……護身程度に朝霧から習っただけで、あの銀髪の人に通用するかとか……相手は能力者だから難し……ん?

「……朝霧?」

「が、どうしたんだ?」

「あの人ならなにかわかるかもって……思ったんだけど女の子は?」

 女の子はいつの間にかいなくなっている、

「また部屋から出ていったぞ」

 どうして止めなかったんだよ!

 ああ、どうせ止める理由がなかったからとか言われるだろうから、黙っておこう。

「とりあえず、朝霧と連絡をとれば良いんだな?」

 頷くと、秋はポケットから携帯を取り出して電話をかける。

 しばらく待ってみたけれど、ひたすらコール音が鳴るだけで、会話が始まる様子もなく秋は携帯を耳から離した。

「留守電につながりそうだったから切ったぞ」

「それならしょうがないね」

「なぁ瞬」

「ん?」

「俺がさっき、家族かアイツか、どちらかに騙されてるって言ったときさ、お前なんて答えた?」

「そんなことはないって、いったけど」

 秋は少しうつむいてから、また俺を見る。

「まさかな」

「どうしたの?」

「根拠はないけど、朝霧が今起きていることの首謀者だったら……って思ったんだ」

その態度から察するにどうやら言うか言わないかで少し迷っただけだったようだった。

「お前の言葉を借りるならよ、あいつに限ってそんなことはないだろうけど……」

「秋がそれを考えておいても悪いことじゃないよ。……俺は出来れば疑いたくないって思っているだけ」

 言い終えた直後に、秋の携帯が震動した。

「もしもし」

「どうした?」その着信は、朝霧からだった。

「単刀直入に聞くが、病院で鬼ごっこでもやってんのか?」

「鬼ごっこ?……ああ、お前らは、女の子を見たんだな」

「それと黒ずくめで銀髪の……多分女を見た」

「なぁ、女の子の方に触ってないか?」朝霧はなにかを知っているみたいなのが、電話越しとはいえなんとなくわかる。

 秋は俺の方を見る。

 それほど長い間見ていなかったけど、表情的に話していいかを問いかけていたので、瞬時に首を横に振った。

「いや、触ってないけど、何かあるのか?」

「触るとそいつに追いかけられるってだけさ。捕まれば多分死ぬかな」

 なん……だと!?

「じゃあ、あの女は死なないように逃げてるってことか?」

「そうなるなー」そう返す朝霧はさっきからやけに軽い調子だ。

 この人は……確実にいまの状況をゲームみたいに楽しんでいる。

「まぁ、俺も後でそっちにむかうよ。じゃあな」

「えっ、ちょっ」

 電話が切れた。

 実際は短いかもしれないけれど、長い沈黙。

「朝霧はあくまでも俺に触ってないか聞いたんだ」嘘はついてないだろ?と秋は得意げな表情を浮かべる。

「秋ナイス」 

それにしても、秋の推測がなんとなく的中しているような、いないような……。

 これからどうしようか。

朝霧が来るのを待って……待ったとしてその間にあの子が殺されていたら、どうにもならないな。

「秋、俺……」

 だってそれは、これからあの子を見殺しにすることになるんだから。

「相手は一人で、逃げてる奴が二人に増えた場合、確実に最初の標的の方を仕留めるんじゃねぇかな……どうする?」

「知らない子だけど、見殺しなんてそんなことは出来ない……秋だって、死体が転がった病院で過ごすなんて嫌でしょ?」

「お前、優しいな。さては惚れたか?」

 そこで聞くか!

「別に……」今のところ三次元に興味はないよ、と言い返すと更にからかわれそうだったから、そっと胸の中にしまっておこう。

「危ないことは確かだから、もちろん手伝ってやる……やれることは少ないだろうけど」

「まず、さっきの女の子を探そう」

「懐中電灯とか持ってくる。それと、動きやすい服の方が良いな」

俺達のいる階は電気がつくけど、下と上はつかないから無いと困る。

「うん」

                    *

 いきなり落とされた先が、どこかの病院であることはわかった。

 それと、星火はなぜか組織のトレードマークなのか良くわからない仮面を身に付けていて、俺に攻撃してくると言うことも。

 今のところ切られたのは服だけで、この状態で病院内を歩くのは……さっきのあいつら以外は誰も見かけないものの、恥ずかしい。

 視界に入ったナースステーションには、道具のようなものも何もおかれていなかった。

 近くの大部屋に入って見ると、程度にベッドや棚が有るだけで、それらには分厚い埃が積もっている。

 壁にかけられた丸い時計も動いていない。

 ということは、本来の病院としての機能はもうだいぶ昔に停止しているのかもしれない。

 天井のいたるところに何故か監視カメラがある。赤いランプがついていることからこれは動いているのだろう。

 このカメラの目的はさっき会った二人を監視する為に用意されている……と考えるのが今のところは妥当だろうな。

 あの二人は、組織の下っ端にも見えなかったし、かといって好き好んで病院に住むような人間にも見えなかった。だから、おそらくはなんらかの理由で組織に捕えられているのだろう。

 ここまで考えられるのは、さっきの会話として聞き出した情報でも、なにも知らないみたいだったから、と言うのもある。

 そもそも、人を操る能力者が組織にいるから、病院で暮らしていても不都合が起こらないように細工が施されていてもおかしな話じゃない。

 手にしていたナイフを一つのカメラに向かって投げて壊し、大部屋から出る。

ふと、もう一度ナースステーションのカウンターに目をやるとたった一枚だけパンフレットが置いてあった。さっきは無かったから、誰かがいつの間にか置いたのだろう。

 誰が置いたのかはともかく開いてみると、病院の名前や場所は黒いインクで雑に塗りつぶされていて、場所的な情報は得られないままパンフレットを見ていると、唯一各階の簡単な見取り図だけは塗りつぶされてはいなかった。

 どうやらこの近くにはエレベーターがある。

見取り図を頼りに歩いて、エレベーターの前まで付き下の階に行く為のボタンを押してみる。

でも、なにも反応しなかった。

 使えたとしても、乗っているときにあいつが現れたら逃げ場が無い。

 自分の持ち物を確認しようとして、腕につけたブレスレット以外はなにも無いことに気付いた。

 おかしいな、携帯とか、財布とかを無くすなんて……探そうにも……ああ、そもそもそんなことには気がつかなかったことにしよう。

 きびすを返して階段室の方へむかい、扉を開け、今にも切れそうな蛍光灯に照らされた窓の無い薄暗い階段を降りる。

 この病院の階段室は一階ごとに位置が違う、普通なら一階まで繋がっているのに……。

 階段を降りながら硝子で剣を作り出す。本来なら両手で持たないと持ち上げられない大きさの物でも、自分の能力で作り出すことによって片手で容易に持ち運ぶことができるのだ。

 階段室から出ると、いきなりぞわりと背筋が冷たくなって、身体が震えた。

 先ほどいた階とは違って、不気味だ。

非常口の場所を示す緑色の蛍光灯はついているが、ほとんど真っ暗な状態だったから。

 人感センサーで勝手につくのかと思って歩いてみても、一向に電気はつかない。

 この暗闇の中で電気のスイッチを見付けることは不可能に近いし……そうだ、緑色の明かりを頼りに、非常口まで行って、そこから外に出られるのか、確かめてみよう。

 そんなこんなで、非常口の扉の前に立つ。まずはドアノブを押したり引いたりの正攻法で……鍵なんてかかっている様子はないのに開かない。

 非常口は硝子ではない材質(金属類)で出来ているから操ることも出来ない。

 本当に?

 電気のスイッチを探すことはあっさり諦めたけれど、なにかできそうな気がする。

 例えば、非常口の材質を硝子に変えてしまうとか……今までの俺ならやれなかったけれど、そのやり方を思い出した今ならできるはずだ!

 早速ノブに手を当てて、そこから非常口全体の材質を硝子に変えた。

 後は、開くだけ……

「えっ」

 しかし、非常階段のあるはずのそこには何もない。

 どうしてもここから出るとしたら、夜風を受けながら落下を選択するしかないだろう。

 ため息をついて、不用意に開けられないように、扉ではなく窓に変えた。

 一階まで階段を下ろう。

まぁ、ここを脱出しても元いた所に戻れるかわからないけど。せいぜいあがいてみるか。

                 *

 あいつのお人好しには困ったものだ。

同じ見た目をしていても、全く性格が違う。

 でも、これに付き合う俺も十分……血は争えないか。

「あー面倒くせぇ」

 階段で瞬と別れた、あいつが下の階を探して、俺は念のために上の階を探すことになっている。

 けれども、上に行くなんてよほどの馬鹿じゃないかぎり有り得ないな。

 懐中電灯で足元を照らしながら廊下を進む。

 あの女がこの階にいてもいなくても、何か武器になるものも調達しておく必要がある。

 咄嗟に用意したナイフ一本と救急セットだけでは心もとないし、合流したら瞬にも渡してやるか。

 普段は入っちゃいけないけど仕方なく手術室の扉を開けてみる。いくら節電って言ったって、暗いのはあまり好きじゃない。

 なんとなしに手術台を照らすと、懐中電灯の明かりに何かが反射して光った、近付いてみると、細い鎖のついた銀色の蓋の無い懐中時計が置かれていて、俺はそれを手に取った。

 秒針が動くことから壊れていない。他に特徴があるとしたら、文字盤の12に金色の石が嵌め込まれていることぐらいか。

 こんなものがどうしてこんな所に?

 誰かが置き忘れた、にしては不自然だし……それに、はじめて見て触ったハズなのに、とても懐かしく感じるのはどうしてだろう。

「……母さん」

 瞬の頭痛とまではいかないけれど、何か昔のことを思い出そうとすると息が苦しくなる。

 時計についているこの細い鎖は首からかけるための物だった気がするし、実際、長さ的にもそういう役割だろうな。

 どうあれ、この時計はこんなところに置いていってはいけないと思う。

 時計を首から下げると、不思議なことに息の苦しかったのが一気になくなった。

「そうだ、刃物……」

 武器については、瞬も似たようなことを考えていたりして……まぁ、多く持っておいて損はないよな。

                *

 また星火が現れて、追いかけてきた。

 先のよく見えない暗闇の中でもすぐにわかったのは、空気が変わったから……と言えば格好はつくけれど、実質攻撃されるまで気が付くことが出来なかった。

 走って逃げて、それでも追いつかれるだろうから、立ち止まって斬りかかってきたのを剣で受け止めて迎撃する。何度か切り結んでしのげたものの、次の瞬間に闇は両腕と剣を包み込み、体が宙に浮いて、次の瞬間には壁に叩きつけられていた。

 動けない、脳が揺れて視界もすこし霞む、目を閉じると星火が近付いてくるのがわかった。

 いくら操られているとはいえ、こいつならその場から一歩も動かずに殺すことなんて容易な……思考は、どこかに走った激痛によって断絶された。

 目を開くと、左腕には腕に鋭く尖った闇のナイフが刺ささっていた、ように見えた。というのも見たら即座に消えうせたから。

 なにがどこに刺さろうがいたいものは痛くて、瞼を閉じる。

情けないくらいに声をあげて、生理的な涙をこぼしながら、その場を転がる。殺されるんだろう。違いない。

あきらめるための時間でも作ってくれているのか、そんなにあいつは気の長い奴じゃないだろう。なかなか殺されないな。

ゆっくりと目を開けると、星火の姿はなかった。

まるで、はじめからそこにいなかったかのように。

「……なん……だよ……殺せよ!」

 かすれた声で悪態をついて、暗い天井を見る。

 ――俺は、こんなところで何をしているんだろう。足がある限りは、立って歩くことが……でも、それになんの意味がある?

 このまま、目を閉じればまた殺しに来てくれるかな?

それとも、この怪我の出血で……死ねるか?

生きたいのか、死にたいのか、どっちだよ。

今はどちらかと言えば死んでもいい気分だ。

 そうだ、思いついた。今すぐにでもガラスの破片を作り出して、自分で自分を殺したらいいじゃないか。

 そうだな、そうしよう。さよならだ。

「……大丈夫?」

 声が聞こえた。自暴自棄な間に星火じゃない誰かが近づいてきたことに、気が付かなかったらしい。幻聴と疑おうにも、それが聞こえるほど弱ってはいないだろう。体を起こす気力がない。

 そいつのもっている懐中電灯の光は直接目に入っていないものの、少し眩しくて目を細め、質問には答えないでいると、温かい手が俺の左腕に触れた、

「やめろ……」

 それを振り払おうとしたけれど、うまく力が入らなくてやめる。

 むなしく抵抗したつもりだったが、いつの間にか消毒液みたいな液体を塗られ、されるがまま、やけに手際よく包帯を巻き付けられた。

「えっと……まだ君の名前を聞いてなかった」

 しばらくしたら、緊張しているかのような、早口でどこか上ずった声でそう訊ねられる。

「さすがに……教えてくれない……よね。」

「百々……那由多百々だ」

 名乗ることにした。

 それから少しだけ間があって、

「俺は、統堂瞬……秋と一緒にいると見分けがつかないから、髪を後ろで一つに結ってる方だって覚えてくれればいいいよ」

「そうか……お前は瞬か」

「う、うん」

 なんとか立ち上がることができる程度には回復したような気がするので、体を起こす。

「ありがとう」聞こえるか聞こえないかの声でつぶやく。

 そのまま立ち上がると、少しふらついた。左腕は痛いが、腕を怪我しただけだから歩けるだろう。

「そうだ……名前の文字も教えてくれ」

 携帯を差し出された。

 他人の携帯は使いづらかったものの、何とか名前を打ち、瞬に返す。

「じゃあな」そして、短く別れを告げて立ち去るつもりだった。

「待って」右手をつかまれる。

「……えっと、その、も、百々が、俺達を巻き込みたくないのは良くわかった」

「わかったのなら……」

「でも、君は一方的すぎる……さっきだって、伝えたいことがあったのに、勝手に行っちゃうし」俯きがちに瞬は言う。

さっきと言うのは……ああ、部屋から出たあのときか。

「伝えたいこと?」

 瞬は顔をあげて、辺りをきょろきょろと見渡してから、「君は、朝霧って男の人……知ってる?」小声で訊ねてきた。

 朝霧……この病院に来る前にそんな名前を聞いたことがある、「ああ、一応は」

「さっき電話したら、朝霧は、今のこの状況を知っているみたいなんだ」

 こいつは、なにを言っているんだ?

 やっぱり、こいつも組織側の人間……いや、明確な根拠はないけど、それはないな。

「……じゃあ、星火を操っているのもそいつなのか?」

「朝霧はなんでも出来るから、多分……それと、後で来るとも言ってた」

「ここに?」訊ねると、瞬は小さく頷き、

「い、いざとなったら盾くらいにはなるよ」

 一階までついてくるつもりなんだろう、薄暗くてお互いの表情はよくわからないけれど、盾って……言ったのか?

「あっ、えっと、だって、俺も秋も能力使えないし、だから……でも、秋はそんな風には思わないからやっぱり俺が……はっ!」

 言葉だけかもしれない。

けがの手当てだとか、盾だとか俺はこいつにそこまでしようと思われるようなことはなにもしていない。でも、わざわざ追ってきてこんなことを言うんだから、ある程度の覚悟はしているのだろう。

「……案内を頼む」

 まったく関係がないのに、どうしてここまで言えるんだこいつ。

「でも、本当に嫌になったら逃げてくれ」

「うん……わかった」

 その後、特に会話もなく廊下を歩く、懐中電灯の明かりと瞬の案内があるからか、さっきの階より早く階段室の前に来れた。

「秋に連絡しておく」瞬は携帯を取り出し、カタカタと音をたててメールを打ちこみ、パタンと携帯を閉める。

「あれ?しまわないのか?」

「うん」

 扉を開けると、待ち伏せていたかのように星火が立っていた。

               *

 マナーモードとはいえ、携帯が鳴る。

 開くと、瞬からメールが来ていた。内容としては、さっきの女を見つけることが出来たことと、そいつの名前はナユタモモと言うことだった。

 肝心の居場所についてはかかれていなかったけれど、下に降りていけば会えるだろう。

 廊下を歩いていて、光がこぼれている個室を見つけたので調べることにした。

 引き戸に手をかけて部屋の中に入ろうとしたとき、静電気にしては強すぎる電流が流れる。

 重たい石の破片――瓦礫が俺と瞬の体の上に乗っていて苦しかった。

 意識を手放す前に紫色の髪の男は、俺たちの父さんと母さんを殺したと、にこやかに言っていた。

 次に目が覚めたらこの病院にいて、紫色の髪の男に言われたことなんて忘れてしまっていた。

 電流の流れている間か、流れた直後かは判別がつかないけど、この短い時間に、たくさんの情報が頭の中で回り、がくがくと身震いがした。

 これは、妄想か?

 そう考えてみて、すぐにそれを否定する。なんでこんな変なタイミングで思いつくことがあろうか。やたらと現実的だったし、

 俺自身の、記憶か?

 ただドアノブから電流のようなものが走っただけなのにどうして記憶が湧き出てきたのか。雑で突発的すぎる。あまりにも現実味が薄い。薄いのにあっさり受け入れようとしている自分がいることにも動揺している。

 落ち着け、瞬く間にみえたものの全ては事実だ。いい、受け入れてやる。

瞬く間に知った事実に対する気持ちは多少無理矢理だが整理をつけた。

いま首から下げている時計は母さんの形見ってことだな。

それから、だましていたのは両親じゃなくて、俺たちの面倒を見てきた周りの大人……ってことになるんだろう。

 記憶の証明のために、自分の能力を確認してみよう。

 ポケットに入れていたメスを投げる、能力が使えれば時間を止めたり、加速や減速をさせることが可能だろう。

 しかし、投げたメスは停止も加速も減速もせず床に落ちた。

「つかえねーんだ……」

              *

 俺は階段室の近くにあった個室に隠れていた。

 隠れることが出来たのは、二手に別れたから……ではあるものの、星火は何故か瞬の方を追いかけていったのだ。

 ここにずっといるわけにもいかない。瞬を探して、また案内してもらおうじゃないか。死んでいるかもしれないし、うまく逃げられたかもしれない。特段心配しているというわけではないが、なんにせよ見つければ確認できる話だしな。

 個室から出て廊下を駆け出そうとしたとき、足音が聞こえてきた。

「……瞬か?」

 わざわざ星火が戻ってくるとも限らないし、俺は音のする方へ近付いていくと、懐中電灯の光が見えてきた。

「見つけた」それは男の声、瞬でも秋でもない。

「……朝霧」

 事情を知っているであろう人物ではある。

 けれど、体はほぼ反射的に後ろに下がっていた。足を伸ばせばすぐに近寄れる程度の距離だから心もとない。

「やっぱり、かわいい女の子に名前を呼ばれるのは嬉しいなぁ」

硝子で刃物を作り出そうとして、違和感に気がつく。

いつもなら、手の中にはもう硬くて冷たいガラスの感触があるはずなのに、それはいっこうに出現しない。

「……っ!」

 能力が、使えないのだ。

 さっきまでできたはずなのに、どういうことだ!?

「どうしたの、睨むだけじゃ殺せないよ」

 こうなったら、逃げ……いや、そうしたら瞬を見捨てることになってしまう……それなら、時間を稼ぐ?どうやって?

「アンタが、事情を知ってるんだろ」問いかけるが、それほど時間稼ぎにはならないし、知ってもきっと……

「うん。知ってる」

 朝霧はやけに楽しそうな表情のまま何もしてこない。

「どうしたの?睨むだけじゃ、俺は殺せないよ?」不意にパチンと指を鳴らす音が響いて、いきなり秋と瞬が目の前に現れた。

 二人は床に膝をついて肩で息をしていて、近づこうとするといつの間にか俺の後ろにいた星火に、闇で体を拘束されたというよりは、闇の帯が身体中に突き刺さる。でも、不思議と痛みはなく、頭がぼんやりとしてきた。その感覚は、眠気ともだるさともつかない、例えるなら高熱にかかったときのようなもの。

「おい朝霧、その女をどうすんだよ」睨み付けながら秋が問いかける。

「どうするもなにも、殺すんだけど」あっさりと軽い口調で朝霧は答える。「リーダーに頼まれてるし」

「……そんな!」

 徐々に、浸蝕でもされるかのように視界に黒いもやのようなものがかかってよく見えなくなってきた。会話が、ノイズとも、規則的な機械音ともとれないなにかに聞こえてくる。

 ――この感覚を、覚えている。

「じゃあ、ただ殺すだけならどうして俺たちにわざと会わせたりしたんだ?」

「それは、お前らも殺さないといけなくなったからさ」

 腕に針で刺されたときの微かな痛み、見ると点滴の薬品を流す管がついている。ように見える。

「百々……?」

 混沌とした聴覚情報から、自分の名前と似た音を拾い上げる。

「朝霧っ!百々に何をした!」

「さて、なにをしたでしょう」

 麻酔のように気が遠くなって、全身を貫くような痛み。

 声を上げることはできなかった。

                 *

 動けないように拘束されていた百々は突然床に倒れて、血の独特のにおいが広がって、赤黒い水たまりが床を侵食するのが見えた。

「急所は外したけど、放っておけば死ぬかな」

 ――じゃあ、次は俺たちが殺される番?

「てめぇ!」

 秋は朝霧に掴みかかろうとして、逆にあっさりと床に組伏せられて、喉元に短刀を押し当てられてしまう。

「秋!」

 近付こうとして体が動かないことに気が付く。見ると、さっき百々を縛り付けた影が俺に巻き付いている。気付いた途端締め付ける力が一気に強くなって、圧迫感と自分の骨が軋む音が聞こえてくる。

 思考だけが勢いよく回る、現実から逃げるために、どうにかするために。

もし自分が能力者ならまだなにか出来たかもしれないし、出来なかったかもしれない。それでも、能力者だったらよかったのにな、俺は二次元みたいに一発逆転型かな?

違うか、どうしたって、現実なんて土壇場で覚醒なんてしないように出来てるんだから。

「……やっとわかった」

 無駄な思考を働いていたら、誰かの声が聞こえて、いきなり視界が白く染まるように明るくなった。これは比喩じゃなくて本当に起こったことで、俺の拘束も解けていた。

 目がチカチカしてよくわからないけど、なにかが起きた。俺の能力……ではないし、秋のものでも無いような気がする。

 金属と金属のぶつかり合うような音が聞こえて、

「霧夜か」朝霧がどこか親しげに言ったのは、こんな状況だからいきなり現れた人物の名前だろう。

「久しぶりだな……なんて、言ってもわからないか」

 霧夜と呼ばれた人は、誰かにそう言う。

「撤退だ」

 そして、いつの間にかやけに明るい、白一色な場所に俺達は移動していた。

「ここ……どこだ?」

「わからない」

「……そうだ、後でお前に話さないといけないことがある」

 少し間を置いてから秋は言った、

「話さないといけないこと?」

「大事な話だ」

「そう」

真っ白な部屋に二人で座り込む、特に会話はない。俺はポケットをまさぐってUSBメモリが二つ入っていることを確認した。よかった、ちゃんと有る。

 百々はどこに行ったんだろう。さっき、どうなったのか良く見ていなかったけど、朝霧曰く放っておけば死ぬ状態で……。

「……ごめん」

「なんで謝るんだ」

「なにも……できなかったから」

 秋に溜め息をつかれた。呆れているんだ。

「生きてたら直接謝ればいいじゃねぇか。俺に謝るな馬鹿」

 しばらくして、何処からともなく朝霧に似た男が現れた。ここがどこかも良くわからないのに、変な感じ。

「君達は、統堂秋君と瞬君だな?」

 名前なんて名乗っていないのに、どうしてわかったんだろう。

「そうだ……ちなみに、俺が秋でこっちが瞬」言葉につまった俺とは対照的に、やけに落ち着いた態度で秋は答えた。

「生きていて良かった」男は、どこか安堵したように小さく呟いた。

                  *

 目を覚ますと、私は暗い部屋の布団に寝ていた。何か悪い夢を見ていたような気がするけれど、よく思い出せない。

――今は何時?百々は帰ってきているかしら?

 早速部屋から出て、真向かいにある百々の部屋のドアを開けたけれど、百々はいない。次は階段を降りて、下の階にあるリビングやキッチンを見てみても、その姿は見当たらなかった。玄関の靴を見る限りでも、やはりいない。もしかしてお店の方にいる可能性も……そうだ、あんな状態なのはなんて説明したら良いのか……いつか言うつもりだったから、この際話してしまおう。

 お店の方に向かおうとして靴を履き終えた直後、いきなり玄関の扉が開いて、私はかたまる。

 扉を開けたのは霧夜先輩と星火先輩にそっくりな男の子だった。

「……誰?」

「あなたが白雪さんですね?」

 確認系の質問に、首を縦に振る。

「すいません、夜分遅くに……俺は霜月リクです」

「あなたの……目的は?」

「お店の片付けの手伝いと、報告です」

 少し唐突に切り出した質問に、リク君は淡々と答えてくれた。

彼の言う報告とはなんだろう。

「あなた達が組織の襲撃を受けている間に、百々さんも似たような状況に陥っていたこと……だそうです」

「百々が!?」

 気がつけば、リク君の方を凝視したまま、動けなくなる。呼吸も、瞬きも止まっていた。

 どうして……どうしてなんて問いかけなくてもわかってるハズだ、この事の責任は私にある、だから結果的にそうなったって事になって……。だから、私のせいだ。違う、こんな思考はとにかく片隅に追いやって、

「……百々は、生きてる?」

「はい」

「会わせて」

               *

 暗闇と光。

汚い色だったり、綺麗な色だったりが混ざる、よくわからないぐねぐねした所に、俺は立っていた。

立っている。という認識すらもあやふやになりそうでならないし、もうなりかけている。じゃあ、ここに存在するといった方が何よりも正しいだろう。不安定で、長居はしたくないと思った。

 目の前にはさっきからいたようでいなかった、自分とそっくりな人物がいた。違うのは性別と髪型くらいで、それすら気にならない程にそっくりだ。

「ああ、お前は……一応は俺か」

 そっくりなそいつは、驚いたようで驚いていないような様子。表情的には俺を睨んでいて、でも、何故か敵意は感じなかった。

「なんの用だ」

「単刀直入に言えば、これ以上の改編はさせないって使命をお前に言いに来たんだ」

 全く持ってこいつの言葉は飲み込めない、改編とはどういうことなのか。

「世界は一度改編されていて、その影響をくらったのも俺達だ……本来、改編なんてされないのに、した奴がいる。誰かわかるな?」

「わからない」

 舌打ちされた。

「能力者だけの世界にしようとしている奴だよ、そいつが一度目の改編で能力者と俺達みたいな能力を持たない奴の割合を半々にしたんだ」

「おい、俺は生まれたときから能力者だぞ。記憶だってある」

「その記憶を続けたいなら、そいつを殺せ。いいな」 

色々と考える必要があるはずなのに、その時間は設定されていなかったのか、視界がまたぐねぐねどろどろして、男の姿をした自分もその中に混ざるように消えていってしまう。

 そいつって誰だ?

 真っ暗闇になると、見たことも考えようとしていたことも全て消えた。

                  *

 俺達は霧夜さんがいつの間にか用意していたホテルの一室にいた。

 病院のものよりふかふかしたベッドに向かい合うように腰かけて、秋が話したことはありふれたライトノベルや漫画みたいな内容だった。

 だって、自分達はついさっきまで入院していて、いきなり可愛い女の子が現れて、それがトリガーになったのかはわからないけどスタイリッシュに退院した。何を言っているかわからねぇとは思うが(以下略)

 ともかく……別行動をしていた秋は、封じられていた記憶を取り戻して、それを俺に話している。

 さっきの言葉を言い換えると、俺達そのものが現実的じゃないみたいだ。

「なんとか飲み込めそうか?」

「秋は話を作るの下手だから、嘘じゃないって思う」

「お互いに嘘はつかないって約束してるからな」

「それも踏まえてるよ」

 何度か経験した沈黙。

お互いに疲れているのはよくわかる。でも、横になって休む気力がわかないんだ。

「秋は、能力について思い出した?」

「時間操作。母さんと同じ能力……みたいだ」

「えっ」

 時間操作って、時間を止めたり、加速させたり、過去にいったり未来にいったりなあの?

「多分、お前の想像したようなのであってるけど……過去には戻れないみたいだ。でも、壊れたものは生物以外なら直せる」

「……充分チート。その反動とかは?」

「疲れて眠くなる、らしいな」

 表現が曖昧なのは、思い出したけど使っていないかまだ使うことができないということなんだろう。

「さすがに、俺の能力までわからないよね」

「人狼……父さんと同じ能力だったぞ」

「人狼って……」

「反動は月の満ち欠けに左右されてて、新月の時はただの人間に……ん?」

「どうしたの?」

「お前はたまに頭が痛くなることあったよな?」

 能力の説明をしていたのに、いきなりどうしてそんなことを聞くんだろう。

 でも事実だから頷く。

「それ……実はお前自身の能力のせいだったんじゃねぇかな」

「なんで?」

「狼男って、満月には不死身で、そうで無いときはどんな怪我をしてもすぐに治るんだろ……。じゃあ、身体を治すって、もしかしたら記憶がないことも不都合のうちにカウントされて」

 そう言われると、納得できそうだ。怪我は体にとって不都合なことだし、それをなくすために回復力が早いのは当たり前のことで、まさか記憶まで対象だったなんて驚きだけど……そこはそれ、人智を超えたような存在だからって超理論でねじ伏せることが出来ちゃうのか。能力者すごくね?

「じゃあ、頭が痛くなったときに必ず薬を飲まされたのは、思い出されることが不都合だったからってことだね」

「そうなるんじゃねーの?」

 一通り話終えたような気がしたから、俺と秋はほとんど同時にベッドから立ち上がった、

「なんだ?」

「なに?」

 そして、やっぱり同時にお互いに問いかけて……。

「ふふっ」

「おかしいか?」

「……少しだけ」

「ああ……そうだな」

 お互いに笑ったから、張り積めていた空気がほんのちょっと柔らかくなった。考えたり話し合ったりしないといけないことがまだ沢山あるけど、休憩だって必要なんだと思う。

                *

 私の友達は、光の空間にポツンと置かれたベッドの上で眠っていた。

 その側には点滴のパックがぶら下がっていて、身体には包帯も巻かれている。あまりにも肌が白いから、死んでいるように見えて焦ったけど、呼吸をする音が聞こえたから大丈夫みたいだ。

「今度は、私が助ける番だよね……百々が眠ってる間には片付けとく」

 あまり長くいても、まだ目覚めないらしいから、ほんの少しでも私に出来ることをやろう。

 夏休みはまだあるけれど、またぼろぼろにならないとも限らないし。私自身も元気なうちに……。

「宿題、百々の苦手な科目をやっとくよ」

 社会関係が苦手なのはよく知っている、歴史とか公民とか特に。それ以外はやけに成績が良くて、さくさく解いちゃうから、やらなくてもきっと大丈夫だろう。

「……ふっ」

 眠っているけれど、百々は笑ったような気がした。でも、息を短くはいただけかもしれないな。それに、いまいち素直じゃないから滅多に笑うような友達じゃないし。

「じゃあ、またね」

 私は光の空間から出ようと思った、もともと明確な出入り口はないから、入るときは霧夜さんに聞いて入れて貰って、出るときは出たいと思うだけで……こんな風に、自宅の私の部屋に戻ってくることが出来るのだ。

「……さて、やりますか」

 椅子に腰かけて、シャーペン片手に白雪さんから受け取ったプリントを広げる……やってあった。

「あれ……もしかして学校で片付けてた?」

 良かった……って、言っていいのかな。

 私の出来ることがなくなったわけだけど、いや、本来こうあるべきだから、これで……良いんだよね。

               *

 どこかの、見知らぬ白い天井を見た。

 立ち上がると赤いビー玉と透明なガラスの破片が床一面に広がっていて、目の前には艶々とした黒髪の少女が立っている。

 虚ろで光がないけれど、夕日のような朱色の瞳まで似ている。

 もっと簡単に言えば性別以外は自分とそっくりで、きっと、俺が女だったらこんな見た目なのかもしれない。

「お前は、俺か?」問いかける。

 赤い靴をはいている彼女はそれには答えず、俺から少し距離を取るように床を歩く。

 破片がさらに細かくなる音と、ビー玉が転がる音がした。

 俺は裸足だから、歩いたらきっと破片で切ってしまう。だから、彼女が何をするのか見ていることにした。

 立ち止まった彼女は、虚空に手を伸ばす。

 空間から引っ張り出すように/最初からそこにあったかのように――透明な死神の鎌に触れて、形をつけるようにガラスで具現化する。

「きっと、そうだ」

 凛とした声で、彼女は答える。

 ヒラヒラと赤い花びらが舞ったように見えた。錯覚だ。

 息を飲む。

 酷く美しくて、切なくなるような儚ささえ覚えて、見とれているうちに、俺は狩りとられるように胸を貫かれていた。

 彼女は/改変された世界の自分は今にも泣き出しそうな表情。

 俺は/改変される前の世界の彼は穏やかな気分だった。

 彼女は鎌を引き抜く。

 俺は足元からガラスの破片になって、そのまま床に崩れ落ちた。

               *

 どこかをさ迷っていたような、いなかったような。

 良い夢も悪い夢もぐるぐると混ざりあっていて、混沌とした所を俺は歩いたり走ったり這ったりしていた……かもしれない。悪い夢の比率の方が高かったのか、体が重たい。重たくて、また眠ろうかとも考えたが、それでもなんとか身を起こす。

「どこだ……ここ」

 自分の声が風邪をひいたときのようにかすれていて、思わず喉を押さえた。

 場所としては、一度来たことがあるような所……?

「母さん?」

 右を向くと、椅子に腰かけて壁に寄りかかるように母さんは眠っていた。

「……ん……あっ!」

 声に気付いたのかそうでなかったのか、母さんは目を覚まして、ぼんやりとこちらをみると、

「……百々!」抱きしめられた。

「ごめんね、百々」

「……母さん?」

「起きてすぐに悪いけれど、私は、あなたに隠していたことがあるの」

「それは……俺にもあるんだ……俺だって、話さないといけない」

 抱きしめてくる力が強くなったような気がして、俺も母さんの背中に腕を回した。いまいち力は入らないけど、それでもと思ったんだ。


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