2章
起き抜けのぼんやりした状態で部屋の中を歩き回る、ふと視線をテーブルの上に向けると一枚のメモと6個入りのレーズンパンの袋が置かれていた。メモには、欠席のための手続きを済ませたという内容が記されている。
――欠席の手続きと、これを書いたのは誰だ?
そんなことを考えながら袋を開け、パンに手を伸ばすその前に軽く水を飲んでからパンをふたつもそもそと食べて、少しばかり雑に朝食。その後、整容と更衣の諸々をすませる。
ショートパンツに合わせて履いた太ももまでの長さの黒いソックスが下がりやすくなってきているみたいだから、そろそろ新品を買わないといけないことに気が付く。
特に意味もなく伸ばした背中の半分くらいまである髪も、夏に向けて結ったりするためにゴムを買わないと……意外と無くなるものなんだよな。あと切れたりなんかもするし……なんだったら、今日中に調達しても?
自室から出て、目の前にある明の部屋を見に行く。ドアを手前に引いてみると、鍵がかかっていなかった。そういえばいつもかけている様子は……それで何となしに部屋に入った俺も俺だけれど、室内にはやはり誰もいないことにため息をついた。
これは、なんのため息なのか。
自分の力量不足を恨んでいるから?
もし、あのときそのまま真っ直ぐに帰っていたら……?
――規模こそわからないけれど、なにかが起こっているなんて、言われなくてもわかっていたことじゃないか。
思考の渦に飲まれかけたとき、どこかからからひんやりとした風がふいてきて我に返る。
どうやら窓が開いていたらしい。雨がふきこまないような構造になってはいるけれど、窓を閉め、部屋を出た。
今は明を助け出すために、少しずつできることをやっていこう。
階段を下り、外に出たものの、町内のどこを見たら良いのか……とりあえずは、大通りを目指して歩く。
『遠野町大通り』なんて名称こそついているものの、過疎化によってあまり人も車も通らない。
それでも、時間帯によっては、それなりの交通量だろう。
「あっ、那由多」
すれ違い様に声を掛けられた。やけにタイミング良くそいつは現れる。
通勤中なのか、いつもの白衣は羽織っていない。
「おはよう……ゴザイマス?」
顔をしかめずに、なるべく普通に挨拶をしてみる……つもりだったけれど、ぎこちない。
さすがに朝から心は読まないだろうし、なにせ手続きがされているわけだから……
「その服装だと、今日は休むんだな」
「そんな所だ、じゃあな」
会話を切り上げて通りすぎようとしたら、肩を掴まれた。
「待て待て、自殺はしないな?」
「当たり前だろ、明が拐われたんだから」
「は?」
……今、とんでもない失態をしたような……いや、確実にやらかした!!
「拐われた?」
「後日話す!」
振りほどこうにも、掴む力が強くなった。
ここで観念しようものなら、確実に学校に戻される!
「じゃあ、後日だな……今は行け」
しかし、すぐに手は離されてほんの一瞬だけ険しい顔になった保険医は空間転移をして一瞬で消えた。
あっさりと解放?
それにしても、なにかを察したようにも見えたが……口頭で説明する必要がないから、あのときに記憶を読んだのか?
少し腑に落ちないけれど、本当に後日の説明でいいだろう。
そのあと、部活動の朝練目的であろう生徒(大方は運動系と推測される)とすれ違う、何人かは同じクラスの者だったので少し驚かれたけど、特にお互いに何も言わずに、ただ軽く手を振ってすれ違った。
自分以外は、なんの代わりのない日常風景……うらやましいとかそんな感情こそ持ち合わせないけれど、何となくそんな風に思った。
そして、早すぎず遅すぎずぐらいの歩きで大通りを抜けて遠野駅についた。
この町を含めた周辺地域の電車は、一度乗り過ごすと一時間程待たないといけない程度に本数は少なく、やはり過疎化の影響で……そんなところによくも大きな学園を創設したよな。昔は栄えていたのかもしれないけれど、今は見る影もないって、こういうことを言うのだろう。
駅の中にポツンとたっている自動販売機で、眠気覚ましの苦めの珈琲を買おうとしたが、ナタデココ入りドリンク以外は売り切れていたので断念した。
滅多に駅に近付かないけど、珍しいこともあるものだと、しばらく見つめ、流石に、朝からナタデココ入りは買わないけどな。
「百々ちゃんだな?」
駅を出ると見知らぬ長髪の男に、声を掛けられた。
特徴としては、前髪に可愛らしいクローバー柄のピンを二本つけている所だろうか。
しかし、決してオカマのようなそれっぽい雰囲気では無く、親しげだけれど、どこか隙が無い訓練されている何者かの雰囲気。
「怪しい奴じゃあない、昨日、音に会っただろ?」
こちらの沈黙に、男は困ったように人差し指で頬を掻く。
音さんと言うことは、
「その旦那さん……ですか?」
少ないヒントではあったものの、戸惑いながらも答えると、男の表情は途端に明るくなった。それと、お兄さんにしては似てないし。いや、エコのお父さんと言えばよかったかもしれないが、
「そう!そうだ!」
超嬉しそうなので、これで良かったようだ。
反応的にはおそらく愛妻家なのだろうと推測される。
「一体、要件は」
エコが怪我をしたから、駆け付けたのだろうか……?
「今日は一日、百々ちゃんと行動を共にすることになった、よろしくな」
「は?」
ちょっとまて、何でそうなる。
出会って五分も立たない相手と?やけにフレンドリーだな!?
いや違う、時間とかそういう問題じゃない、ツッコミどころが多すぎて思考が追い付かねぇ!
普通なら、娘の所に行くだろう!
「そうだ、名前言ってなかったな。斬だ、文字は斬鉄剣の斬な」
「いや、そういう問題ではなく……なんで?」
「俺もよくわからん、とりあえず。今日一日、百々ちゃんの護衛らしい」
俺があっけにとられている間、斬は呑気に手首につけていたゴムで、後ろの髪を結う。
「わかんないのかよ」
「ま、俺としてはノイズの手がかりも探したかったから、丁度いい」
ノイズの手がかり……それは、明を探し出すことにも繋がるということで、断る要素はどこにもない。
「じゃあ、今日一日お願いします」
それと、1人であてもなく歩くよりは、何か知ってそうだし。
「おう!」
差し出された手を握り返すと、斬さんは途端に真剣な顔つきになった。
「む、能力で武器を作って使っているな……筋肉がついてなくて細いのもそういうことか、聞いた情報だと硝子だが、無効化されたときに、武器の強度を維持できなくなったらどうする?」
そして、手は離されることなく、斬はなにやらぶつぶつと……分析のようなものを独り言のようなものを呟きはじめた、
「あの」
「……ああ、すまん、職業病が出ちまった」
こちらが声をかけると我に返り、手を離した。
「いまのは?」
「手を握ると、その相手の武器や戦い方までがわかってな、つい……」
なるほど、触った相手の記憶がわかるとかそういう能力か。確かに探し物をするのには、もしかしたら頼もしい人なのかもしれない。
「もっとそいつに合った武器を作りたくなる」
……武器?
作るっていうからには、職人か何かだろうか。なんとなくだけど、商人ではないことは確かな気がして……いまはええと、もっといろいろ突っ込むべきところが……。
「今度作らせてくれ!」
「えっ……ああ、はい」
輝いた目で言われると断るにも断れず、首を縦に振ってしまった。
武器形状の硝子を出す方が、持ち運びの面ではとても楽なんだが……。
「……行きませんか?」
「そうだな、とりあえず拠点を探すぞ百々ちゃん」
拠点と言う単語を聞いて首をかしげる。
そもそも、この町に有るのか?
「本部じゃねぇけど有るってのが、俺の勘」
「はい?」
勘。天啓だとか、インスピレーションとも言われるそれは、この世で最も当たるか当たらないかわからないくせに、この先どうなるのかが決まるものである。
「あ、呆れたか、ちゃんと保証はあるよ。それは最近起きている事件がだいたいこの町かその周辺だからさ」
「事件……死体の山の事とか?」
斬が歩き出したので、その後ろをついていく。
「それ、星火がやったから、事件じゃねぇよ」
後ろ姿で表情はわからないが、わりとさらっと言われた。
星火というのは、昨日(正確には一昨日)はじめて会った霜月兄弟の母親で……いや、いまはそんな基本的なことを遡っている場合じゃない。
「事件じゃないって、沢山人を殺ったのに?」
「そんなことはいつものことなんだよ。あいつと霧夜はだいたい先の方を読んで、なんでもやる」
質問の答えになっていないものの、それ以上を聞いて良いものなのかはわからず、結局黙っていることにした。
「じゃあ、事件というのは?」
「能力者がそうでない奴を襲う事件。今のところは死人こそ出て……」
言い切ろうとして、斬さんは言葉を切り、それから会話はなくなる。そうしてついていった先の駐車場には、白いセダン型の車が一台。
さすがに名前まではわからない。でもやたらと高そうなのは何となく察することが出来た。
「あれが斬さんの?」
「社長だしってことで、まぁ、適当に見繕ってもらった」
適当にって……社長って単語も聞こえたんだけど、社長。
「……あんた、何者だよ」
小声で言ったつもりだったが、斬さんは不思議そうにこちらに振り向く、
「さっき自己紹介したけど、なにか足りなかった?」
「いえ、こっちの問題です」
特に意味はないと思ったのだろう、斬さんはそうかと頷いて、車まで歩いていきそのトランクを開ける。
その様子からは車で移動はしないことが明らかで……取り出されたものは、艶のある黒い鞘に赤いお札が一枚貼ってある日本刀、それを腰に吊るしてトランクを閉めた。
「今度こそ、行くぞ」
「はい」
返事こそしたものの、この町内は広い。
*
時間の経過によって、そんなこんなでという言葉が似合うくらいに半日ほど町内を歩いていた。
それっぽい建物はちっとも見当たらず、あっさり見つかるものじゃないと言うことを痛感した、
「この町、高い建物無くね?」
休憩がてらに入った食堂で、蕎麦をすする斬さんに、
「気になったことがあるんですが……あの、なんで能力を使わないんですか?」
聞いてみることにした。
会ったときに武器を推測する程度には鋭い、触ったものの記憶を読み取ることが出来る能力は、なぜか最初の出会い以降はそれを使っているような様子はなかった。
「え、能力?」
切り出したものの、何故かきょとんとされる。
「朝に会ったとき、俺の武器を言い当てていたじゃないですか」
「それは……その、非常に言いづらいんだけど……能力ではないんだ」
「えっ」
じゃあアレは本当になんだったというのか。
「最初に言ったろ、職業病の類いだって……単純に経験を積んだから出来るんだ。確かにそんな能力をもっていたら便利だったんだけどな」
しょくぎょうびょう。
いや、単純に経験積んでるにしたってそんなことが出来る人間なんて今の今まで見たこともなかったし聞いたこともなかったぞ!?
俺は危うく、持っている箸を落としそうになる。
これで本当に拠点見つかるのか?
「ほかに高いところは山くらいしか思い当たらないし……山行きましょう!」
それは、止まりかけた思考が何とか動いて(無理やり動かしただけかもしれないが)とっさに思い付いたこと。一度くらいは調べておいてもいいかもしれない。
「確かに、まだ行ってなかったな」
「ところで、敵について何か知っているんですか?」
「あーそれな、ある程度規模のある組織ってことくらいしか知らねぇ」
なるほど、これがアバウト……こんな人間に遭遇したことは……無かったわけではないけれど、マジでこんな同行者で大丈夫か?
と思ったが半日一緒に過ごしておいて今更か。
「あ、はい」
そして、場面は切り替わり、山である。
正式な名前はあるはずだが、山は山だと思う。
途中まで車で登り、そこから適当な山道に足を踏み入れた。
花粉のもとになる杉やけやき、それから紅葉まで、森林浴目的で行ったら充分にリラックスできそうな所であり、この山に関する豆知識として、頂上付近には戦国時代に城があったということが記されている石碑がある。
山道に足を踏み入れて1分と立たないうちに、斬はいきなり鞘から刀を抜くと、近くの笹を斬りつけた。
綺麗に縦真っ二つに斬れた笹を見たけれど、とても道を塞いでいたようには見えなくて、何故斬った……?
「……ここは、空気が違う」
刀を納め、あたりを見渡しながら、斬は今までとは違う緊迫した口調でつぶやいた、
「なんてな、こんなセリフ言ってみたかったんだ」
――と思ったら、少年のような無邪気な笑みを浮かべて振り向き、そのままもと来た道を歩いていく。
「えっ、まだそんなにたっていませんよ?」
その背中を追いかけようとした時に、なんの前触れもなく強い風が吹く、
「考えても見ろよ、山を歩くのに適してない服装だ。こんなことで怪我をしたら痛いし、手がかりなんて見つかるわけがねぇじゃん」
帰るぞとたった一言。
そんな理由で探索をやめるなんて、とても腑に落ちない。
まだ何かあるはずだと、斬とは逆方向に進もうとしたとき、それを阻むかのようにまた風が吹いた。
「ほら、風向きも悪いからな。行くぞ」
声こそ明るいけれど、この風は……!
「後は、少しだけ大人に任せてくれ」
申し訳なさそうな声と共に、口許に甘い香りのする布が押し当てられる、これを吸うのは、
「手刀は、女の子だからやれなかったんだ」
唐突な眠気に抗えず、俺は瞼を閉じる。
*
――あれ、眠らせたもののどうしよう。とりあえずは運んで、車の後ろの座席に寝かせる。
そして、車から出て霧夜に電話を掛けると、3コール以内ですぐに出てくれた。
「霧夜ヘルプ!」
『は?』
そうだ、ここまでの経緯を説明していない、いや、する時間が勿体ない!
「遠野町の山にそれっぽい場所見かけて、百々ちゃん寝かせたから!」
『埋めた?』
「埋めてない!違う!ノイズ達の手がかり見つけたからすぐに来い、すぐに!」
『ああ、わかった。山って石碑のある所だろ、今から向かう』
電話が切れると、とんとんと背中をつつかれた。
車の中を見ても百々ちゃんは眠っている。
「来たぞ」
「早くね?」
振り向いてみると霧夜がいて、若干不機嫌そうに俺を睨み付けている、正直怖い。
「そりゃ、すぐ来いって言われたからな」
「そんなに、説明下手だった?」
「いや、食堂入る辺りから見てたんだけどさ」
それ……だいぶ最近のことだな、って……
「どういうことだよそれ!なぁ霧夜!答えろよ!」
もっと早く合流してくれよ!どう振る舞えば良いかかなり迷ったんだぞ!
俺は思わず霧夜の両肩をつかんで、がしがしと前後に揺らして問い詰めていた。
「おいやめろ……とりあえず、山から出るぞ」
「あっ……そうだな」
ここに長居は無用だった。いや、無用というよりは、一時退却に近いか。
「あるんだろ、この奥に」
霧夜の見据える先には、建物こそ見当たらないものの、
「間違いはない」
「こういうお前の勘は、当たるからな」
そういう霧夜の表情がポーカーフェイスそれに加えて喜んで良いのかようわからん言われ方に、苦笑を返す。
「……いや、やっぱりあんま嬉しくねぇわ」
*
「私はね、大切にしていたぬいぐるみを糸のかたまりにしちゃったことがあるの」
それは、放課後に空き教室で雑談をしていたんだと思う。
こんな風に明が唐突に話題を切り出すのは、いつものことで、
「思い出してみたら、それが能力に気が付いたきっかけだったかも」
俺はただ黙って聞いている、
「でも、ぬいぐるみが糸になったのは寂しかったなぁ……ねぇ、百々はどうやって自分の能力に気が付いたの?」
「うーん……よく覚えていない」
ゆっくり思い出す時間があれば、もしかしたら話せるかもしれないと言葉を濁すと明は、
「まぁ、そんなものなのかもね。なにかのきっかけで唐突に思い出したから話しただけ」
「その後、ぬいぐるみはどうなったんだ?」
「直し方を知らなかったから、お母さんに言って直して貰った……でも、それが気に入らなくて、ほら、子供の頃って同じでも少し違うとこれじゃない!っていって泣きわめくでしょ……ぬいぐるみは救われなかったね」
そして、会話は途切れて、二人で赤ともオレンジ色とも言える空に染まった窓の外を見た。
「帰るか」
「思い出したら聞かせてね」
「ああ。多分な」
そんなところで、目が覚めた。
起きた直前はやけに鮮明に覚えていても、一日過ぎてしまえば忘れてしまうのが夢。自分の能力に気が付いたきっかけは、まだ思い出せないでいる。
いつの間にか寮の自室に帰ってきて、服も着替えずベッドで眠っているという事態に混乱するまでに、さほど時間はかからなかった。
慌てて時計を手繰り寄せると、日付こそ変わった直後なものの、まだ夜は明けていなくて、改めて眠るための準備をしよう。
*
山は昼間に足を踏み入れた時よりも、シンと静まり返り、不気味さを増していた。
枯れ葉の積もった地面は歩く度にかさかさと音がして、肌に張り付くような生ぬるい風が斬と霧夜の頬を撫でる。
「今は闇が見張っているな」
前を進む霧夜は、気付いた事を感想のようにいう、
「へぇ、リクも一緒に操られてんのか」
斬は二メートル程ある刀を肩にかけながら、霧夜の後に続く。
「霧夜よ、なんでリクとノイズが一緒に帰ってんだ、デートでもするつもりだったのか?」
「は?」
「二人仲良く操られるとか、駆け落ちか?駆け落ちなのか?」
霧夜的には「違うからな!」とツッコミたい所だったが、ここはある意味単純と言える斬の持ち味を引き出そうと考え、
「そうなるな」
肯定する。
「わかった、さっさと拠点を見つけちまおう、あっちだ」
霧夜はニヤリとした笑みを浮かべたが、斬は気が付かないでそれを通り越した。
そして、二人は建物がひとつ建築できそうな程度に広いところにたどり着く。
「ここだな、広いのに風通しが悪いから絶対ここだ……魔眼は使わないのか?」
「調節が上手くいかないからちょっとな」
魔眼とは霧夜の持ちうる能力の一つで、とても強力ではあるものの、扱いこなせてはいないらしい。
斬は鞘から刀を抜いた。
「確認するぞ。建物は壊さずに、取っ払って二度と細工できないようにすればいいんだな?」
「ああ」
霧夜は後ろに下がり、その様子を見守る。
「言いたいことはただ一つ」
刀を振り上げて、
「娘を、かえせぇぇぇぇぇ!!」
力一杯叫んで振り下ろす、ただそれだけ。
「……本当は、駆け落ちじゃないんだ。あと、もうちょっと静かにやろう」
霧夜は霧夜で、けしかけたことをほんのり後悔した。
何もない筈のところに裂け目ができ、黒い破片が割れた窓ガラスのようにふってくる。
斬は咄嗟にそれを刀で薙ぎ払い、霧夜は光を集結させた刀で消していくと、目の前には三階ほどある長方形の灰色の建物が現れる。
「ノイズがリクになにされてるかわかんねぇから行くぞ!」
斬がまっすぐ進んだ先に、霧夜は落とし穴のように光の空間への入り口を貼り、見事に落とす。
「しばらくは能力の細工も効かないんだ、だからまだ早い」
*
昨日と同じく早めに起きる、また、あの山に行って一人で探すために。
つーか、絶対になんかがある。間違いない。
ベッドに腰かけたら、唐突に、白い天井からひらひらと紙が舞い降りてきた、
「えっ」
足元に落ちたそれを拾い上げると、昨日と同じ字体(慌てて書いたようにも見えるが)で、『今日はソラとエコと学校に』と書かれている。
行動を観察されている?
誰に?
昨日は音さんが書いたのかと思いきや、そうではないかもしれない。
逆らったらどうなるのだろうと好奇心が沸いたものの、保険医に説明もしないといけないし、メモに従うことにした。
……エコとソラの二人は、どこまで知っているんだろう?
「今日はパン無いんだな」
もう一度天井を見上げて呟く、パンの袋が降ってくるかという淡い期待。
待ってみたものの、一向に落ちてくる気配はなかったので、Tシャツを脱ぎ、ハンガーにかけていたシャツに手を伸ばして仕度を始めた。
昨日は結局、買おうか考えていたものを買えなかったな……いや、機会はいつでもあるから、そんなに焦ることじゃないし、本来の目的でもなかったわけだから、いいんだ。
拠点に乗り込むとしたら、服装は動きやすい方がいいな。どっちにしろ汚れるか、破けるかしそうで……破ける……明が怒るかな?
着替えを済ませてから、顔を洗ったり歯を磨いたりしたのでワイシャツの袖の部分が濡れた。
まぁ、夏も近いし多分すぐに乾くだろう。
色々ぼんやりと考えていたら、呼び鈴の鳴る音がした。
俺の部屋を訪れる人間は大体ノックをするから、滅多に使われない機能で、びっくりしたせいで少しだけ心拍数が上がる。要するにドキッとしたのである。
誰か予想がつかないので、ドアについている小さな覗き穴を見ると、黒髪と銀髪の二人が立っているのを確認……こんな二人組の知り合いは他にはいない、エコとソラの二人だ。
「どうした?」
ドアを開けると、二人はほっとしたようにこちらを見た、開けてくれないとか思われたのかもしれないが、さすがにそんなに非道じゃない。
「おはよう百々、あのね、朝ごはん一緒に食べない?」
エコが言う、いつもなら明がそんなことを言って迎えに来てくれるから少し懐かしい……まだそんなに長い時間はたっているわけではないけれど、おかしなものだな。
「昨日の捜査、どうだったんだ?」
次にソラが聞いてきた、捜査なんて刑事ドラマとかその辺で出てくる言葉なもんだから、ずいぶんと大袈裟な単語だ。でもまぁ、あながち間違いではないか。
「その事は昼休みで良いか?保険医にも話さないといけないんだ。あ、それと、二人はどこまで知っているんだ?」
「とりあえず私の部屋に来て」
おそらく、エコの部屋によってから食堂にむかうということだろうか。
「わかった、鞄とか持って来る」
「待ってるぜ!」
とは言っても、教科書類はロッカーに全て入れてあるから、体育がない限り荷物は軽い鞄が一つ。
それを持って数秒で部屋の外に戻ってくると、
「はやっ」エコには驚かれて、
「わかった、置き勉だな!」ソラは察したような反応が返ってきた。
今日は起きたのがたまたま早かっただけで、これが寝起きの状態なら、もっと時間がかかる。というか、呼び鈴にすら気が付かないで眠っている自身がほんの少しだけある。
「行こう」
ソラとエコの二人は、不意にお互いの顔を見合わせて微笑んで頷きあうと、先導するように俺の前を歩きはじめる。エコの部屋は俺や明と同じ階にあってそれほど遠くない距離だけど、二人が仲良くならんで歩く姿は微笑ましい。
「あいつらが溺愛するのもわからなくはない」
一歳だけ年が離れていたとしても、妹や弟は可愛いものなんだろう、少しだけ羨ましく思う。
「何かいった?」
エコが振り向いて聞いてきたけれど、なんでもないと首を横に振る。
気が付けばもうエコの部屋の前まで来ていて、まだドアを開けていないけれど、心なしかなんだか良い匂いがした。
エコが部屋の鍵を開け、俺は招かれるようにその中に入ると、キッチンスペースのコンロには鍋がおかれていて、部屋の可愛らしい白い机には、卵焼きをはじめとした朝食らしい朝食が三人分置かれていた。朝食をこの部屋で食べるらしいな。
「全部エコが作ったのか?」問いかけながら、一つだけ割り箸が置かれていたので、そこに座る。
「そうだよ!あと、お弁当も!」
味噌汁の入ったお椀をお盆にのせて運んで来たエコは、机の上にあったオレンジ色のバンダナでくるんだお弁当箱を差し出してきた、
「えっ?」
「いつもみたいに、お姉ちゃんの分も作っちゃって……今日だけ、貰ってくれる?」
そして寂しそうに言って、ハッとした表情になる。
「あ、あのね、朝ごはんはちゃんと三人分最初から作ろうと思って作ったし、百々や明の分のお弁当も、また機会があったらちゃんと作るから……だから……」
「そうだな、今度は四人で食べよう」
今はこんなことくらいしか言えなくて、これ以上の良い言葉は思い付かなかった。
「……うん!」
「エコ、百々、早くしないと冷めちゃうよ」
そんなやり取りを見ていたソラが箸をもちながら言う、
「それに、兄さんやノイズ姉を入れたら六人だぜ……いただきます!」
俺も、エコの方を見て手を合わせた。
「いただきます」
「えっと、召し上がれ」
*
その日の昼休み、お弁当を食べ終えてから、三人で保健室にむかおうと、廊下を歩いていたときだった。
「あっ」
階段に腰かけて、購買のビニール袋をぶら下げた保険医と鉢合わせ、なんだかまずいもんを見られたなみたいな、そんな複雑な表情を浮かべていた。
「先生、ここ……階段ですよ?」
ソラが不思議そうに言うと、
「その……保健室に生徒がいるんだ。でも、おっかなくて入れん」
保健室の責任者のハズなのに、お前は一体何をいっているんだ。
幽霊にしてはまだ昼間だし……。
「おっかないって、なにがあったんですか?」
エコが聞いても、保険医は気まずそうに明後日の方向に視線をそらして首を横に振る。
いや、もしかしたら、なにがあったかじゃなくて、何が起こっているかと言う方が質問としては適している……かもしれない。
「購買で買い物済ませて、なんとなく保健室に誰か入ってきてる奴がいないか確認したんだ……そしたら、アベックがさ……」
あべっ……なんだそれ。腕を組んで首をかしげると、
「あ、男女の二人連れのことな……女の方が病んでて怖い。戻りたくない」
「病んでるなら治さないと!」
ソラが保険医に近づいて腕を引っ張ったものの彼は動こうとしない。
「そういう病んでるじゃないんだ……」返す言葉も弱々しい。
「エコ、体調不良のフリをして追い出しに行こうぜ」
こんな階段で情報交換兼報告をしても、誰が聞いているかわからないから、万が一何かあったときに速攻で気絶させてくれるエコを誘ってみることにした。
「そ、そうだね」
「任せた。俺はそ知らぬ顔で戻るからな」
「先生も行こうぜ」
「どうしても?」
「当たり前だろ!行くぞ!」
と言っても、この階段をのぼってすぐの所に保健室はある。
引き戸の前に立つと女子のものらしいわめくような高い声と、何かを投げつけたのかそれがどっかにぶつかるような音が聞こえてきた。
三人の方を見ると、示し合わせたように頷く。
確かに、ヤバイかも?
これは早く踏み入った方がいい奴だな。
俺、一番最後にはいるからな!!
そんな、アイコンタクトとジェスチャーによるやり取りのあと、一応踏みいる前に引き戸を少しだけ引いて中の様子を見ることにした。
「先輩……どうして、どうして私じゃないのですか?ねぇ、答えてくださいよ」
さっき聞こえてきた声の正体である少女が見える。まぁ、少女なんて言っても、学生は大体少女と呼ばれるわけで、その少女は抑揚のない言葉で誰かに問いかけていた。
「ああ、でも、たった今死んでしまったのだし、答えることは……」
今、死んだとかまずい単語が聞こえたんだけど!?
――保険医よ、殺人事件起こったぞ?
後ろを振り向くと、めちゃくちゃ青ざめながら早く開けろという保険医によるジェスチャー。
まだ死んでいないかもしれないので、勢いよく開ける。
「そこま……えっ……?」
胸にナイフの刺さった男子生徒が倒れていた。
女子生徒は教師用の丸椅子に腰かけてそれを見ていて、こちらに気が付くと我に返ったようにすぐに立ち上がり、こっちをみた。
「あっ、ごめんなさい……もう用事はすんだので。それ、好きにして良いですよ、失礼しました」
そして、何食わぬ顔で死体を残し、俺達を通りすぎていった。
誰もしばらくその場から動けない、いや、動けるはずがない。
見事な殺人現場である。
サスペンス的な場面に実際に出くわすのは、これが初めての体験だろう。
「あー……痛かった」
しかし、唐突に死体はしゃべって、ナイフの刺された所を見るように頭を動かして、自分でナイフをひっこ抜いた。
保険医が我に返ったように男子生徒に駆け寄って訊ねる、
「おい、大丈夫か!?」
「ぼく不死身なんで大丈夫っす、刺されるといたいけど」
やけに明るい声で男子生徒は言って、血に染まった制服のまま、保健室から出ていった。
「……俺の保健室を事件現場にしないでほしい」ほとんど涙声の保険医に、ひとまず声をかける。
「なんにせよ、出ていったから、いいんじゃねぇの?」
辺りを見渡してみても血痕らしきものはどこにもない、
「あ、あんな能力もあるんだね?」
「そ、そうだな」
エコとソラはそのまま保健室の前に立ったまま。
「……早く入って情報を交換しよう」
「なんで那由多はそんなに冷静なんだよ!さ、さ、殺人事件だったんだぞ!?犯人目の前でにげていったけど!!」
震えた声で保険医が言う。
そこまで冷静ではないと思うけど……いや、慌てたところで、もう解決したことだし。
「推理もなにもしてねぇのに!?」それは、まぁ、必要なかったしな。
――それから俺は、昨日起こったことについてをかるくまとめて話す。
「――で、ソラやエコは昨日どう過ごしたんだ?」
「母さんと音さんが来て怪我を治してくれたよ。遅刻はしたけど学校に行った」
なにか詳細な説明とかされたのかと訊ねると、
「お姉ちゃん達は、悪い組織に利用されているみたいなことしか……どんな組織なのかまでは教えてくれなかったよ」
「アバウトだな」
保険医はタバコをくわえて、我に返ったようにそれを戻した。
「ほんとはこんな事に俺達を巻き込みたくなかったのかな」
ソラが言ったのを最後に長い沈黙。
確かにそうなのかもしれない、でも、目の前で家族と友達が拐われたのは変えようのない事実で……。
「教師的な立場としたら、この事を報告して職員会議でも開いて、多分少数精鋭で行く流れになる……けど、お前らに任せる」
沈黙を破ったのは保険医だった。
「任せるってのは、この学園にいる大人は面倒なことが嫌いだからさ。いじめとかそんなの以外は」
俺はもとから頼るつもりなんてなかったけど、説明くらいはしといた方がいいと思っていた程度で……。
「ほらな、お前らはやっぱりそうなんだよ。行って来い、でも死ぬなよ?」
昼休み終了を告げるチャイムが鳴り、これ以上話すこともないので、保健室から出ることにした。
*
昼休みに情報は交換した、そのあとは授業間の十分休みに話し合って、たった三人で行ったって返り討ちに合うだけだと結論がでた。
――時間は放課後になる。
三人で帰る気にはならなくて、二人と廊下で別れた後下駄箱を開けると、メモ用紙が入っていた。
「またこれか」
名簿番号だけなのによく入れることができたなと思いながらメモを読む。
『夜、18時半に遠野公園自販機前へ集合。武器と動きやすい格好で』
朝に見たのと似たような筆跡から察するに、同一人物が書いたものかもしれない。
日付こそかかれていないものの、今日の夜だろう。
今までこのメモについては、疑うことなく信じてきたものの……
「実は罠……なんて疑ってもな」
「罠じゃないよ」
「わっ!?」
いつの間にか、ソラが隣に立ってメモを覗き込んでいた。
「だってこれ、父さんの字だもん」
……父さん?
「そ、そうなのか」
こいつがそう言うからには、嘘ではないんだろう……ほんの一瞬でも疑った自分がバカみたいだ。
「聞くが、お前の親御さんは……何をしている人達なんだ」
「わかんない。けどすっごく強い」
「……アバウト」
「ソラー、私のロッカーにもメモが入ってたよ」
エコがメモをヒラヒラさせながらやってくる、
「メールでも良かったのにね」
知らないアドレスからきたら、多分スルーしている自信があるとは言わないでおこう。
*
同じく放課後の保健室、この教室の責任者である彼は、今日分の書類をまとめ、整理していた。
作業の終わりが見えてきたころ、昼休みに話した三人の生徒の決意が玄関の方から飛んできて、作業の手を止め、何とはなしにそちらの方向に振り向く。
それとほぼ同じくらいのタイミングで、誰かが廊下を走ってきて、勢い良く保健室の引き戸を引いて、ばぁんと衝突するような音が保健室内に響く。
「理事長せんせっ!!」
息を切らしながら入って来たのは、寮の管理を担当しつつ秘書として彼を補佐する女性である。特徴としてはストレートの金髪に紫水晶を嵌め込んだような瞳をしていて、メイド服を身にまとっている。
「待て待て、今俺保険医だから、理事長じゃないからな」呆れたように彼は言葉を返した。
「でも、でもですよ!事件です!事件なんです!」
つかつかと納谷にむかって歩く度に胸元が揺れ、ついそっちに視線をむけることに集中しそうになって、彼は慌てて書類に視線を戻す。
「生徒と組織のことだろ?」心を読まなくても答えることができた。「アンナよ、それはもう話さなくていいぞ」
「えっ?」
「多分、今の問題は今日から明日にかけて解決するからな」
特別は根拠も無いけれど、理事長兼保険医の男は笑みを浮かべてから、再び作業に戻る。
*
決められた時間の五分ほど前に俺達は公園に到着して、適当に雑草の生えまくった敷地内を歩く。
ある意味緑豊かな公園だな?
遊んでいる子供はおらず、なんとなくブランコに腰かけることにした。
腰かけた状態で雑草の方に目をやると、多分白詰草が見えて、
「エコは、花で冠とか作れるか?」隣に座ったエコに話題を振ってみる。
「うーん……小さい頃は作れた、と思うんだけど。忘れちゃったかも」
「そうか」
空を見上げれば夕日の薄いオレンジと濃い目の青い色が混同していて、なんとも言えない。
「ねぇ、どうして能力者だけの世界にしようなんて思ったのかな?」
エコは問いかける。
「それは、能力者が能力を持たない人間を嫌いになったからさ」それに答えたのは俺でもソラでもなく、「今でこそ仲良くしているように見えるが、昔は酷かったんだぜ」
どこからともなく現れた星火は、どこか遠くを見ながら言う。その表情は前髪で隠れていてうかがい知れない。
「ほんと、良い時代になったよ……なんて、あーこれ、大人になったから言えるんだな」
良い時代か……今でも能力者を嫌う人間はいると、そんな内容を授業で習ったし、習わなくたってわかるときはわかる。
「さて、俺はこんな話をしに来たわけじゃない、行くぞ!」
星火が指をぱちんと鳴らすと、まばたきくらいに一瞬で柔らかい土の上に尻餅をついていた。
マジで一瞬だったし、心の準備のようなものはしていたけれど整理がつかねぇぞ!?
ええと、その、なんだ、立ち上がってあたりを見渡して確認する。
――この場所に俺は来たことがある。てか、昨日の今日だから、そのことを忘れている方がおかしい。
「母さん、ここはどこだ?」
ソラとエコは土をはらいながら立ち上がり、不思議そうにしている。
「どこって、山さ」
「ここは、俺が昨日来たところだ」そういって俺は硝子で大鎌を作り出す。
「そうそう、結局ここにあったんだよ。お手柄だな小娘」
こちらにむかって足音が聞こえて来た。一人二人のそれではなく、もっと大人数。俺たちは身構えてこちらまで十分に近づいてくるのを待つ。見えてきたそいつらは、夜に馴染むかのように黒いスーツから身長、髪型、顔全体を覆うような仮面まで、すべて同じ格好をしていた。
「なんだ、あいつら」
「気持ち悪いだろ、でも大丈夫。殺せばすべてがお揃いに見えていたのが全く違っていることがすぐにわかる」
集団に近づこうとして俺は一歩踏み出すと、不思議なことにかつんという足音が響く。見てみると、山独特の柔らかい地面から黒い地面に変わっているではないか。
「エコ、まだ無駄玉を撃たなくて大丈夫だ」
「あっ、はい」
黒い地面はスーツの集団全体の足元をあっという間に侵食し終えると、いきなり槍へと変わり、それらを全て突き刺した!
それでも、急所が外れてすぐには死ななかった奴もいたのか、苦しげな声が上がると星火は、
「きひひひひっ!」
口許を歪ませて、嬉しそうに笑い声をあげた。
「……悪趣味な殺し方だな」
「俺、ちょっと直視できないや」
振り向くと、ソラとエコは顔を背けている。
「あ、すまん。久しぶりだからつい」
なんの悪びれもせず、星火は指をぱちんと鳴らした。すると、大量の砂が枯れ葉の地面に落ちるときのざぁぁぁと言う音が聞こえ、また振り向くと、先ほどまでのスーツ集団も、それを突き刺していた槍も無くなっていて、その代わりに、それらがあった部分は、全て赤い砂が絨毯、あるいは一本道のように降り積もった。
「時間ばかり割けないしなー。じゃ、行くぞ」
星火はその上を先導するように歩く、これは……死体の上を歩いていることとかわりないことになるが、歩かないわけにはいかない。
「母さん、全部いなくなった?」
「そんなあっさりしてるわけがねぇだろ」
山なのに海の砂浜の上を歩いているようで、少し歩きづらかったが、それほど長い距離ではなかったようで、すぐに三階建てのビルが見えてきた。
「どうしてこんなところに?」
少し驚いたようにエコは言うが、それについて星火はなにも答えず、闇で作り出した大剣で扉を……。
「そうだ小娘、お前は覚えていないことはあるか?」斬ろうとした寸前の所で止めて、唐突に問いかけてきた。
……覚えていないこと?
なにか、あったか?
「まぁ、答えられるわけが無いよな。でも、謝っといてやるよ。すまなかった」
「どういう意味だ?」
「後でわかるさ」
もう一度問いかける余地もなく、扉はかなり強引に切り裂かれ、その破片は床に散らばる、サンダル履きとか裸足とかならもれなく足を怪我するに違いないとか、くだらないことを考えつつ、建物内に足を踏み入れる。人感センサーなのか、薄暗くてよくみえなかった建物内の照明が点灯していき、明るくなっていく。
――ということはこの階には誰もいないと言うことになるか。待ち伏せをされている可能性も疑ってみたが、目の前には登るための階段しかない。
「これ、もしかして……罠?」
「そうだな」
エコの呟いた言葉に、星火はあっさりと答え、俺は顔をしかめた。
「でも、リク達はこの建物にいるから。乗っからないわけにはいかないだろ?」
「そんなのでいいのか母さん」
「ああ。どうなろうが勝つのは俺達だし」
……なんつーやり取り。
いや、星火がいなければさっきの集団相手に消耗することになったりして、最悪ここまで来ることはできなかったかもしれない。
「……階段、上がればいいんだな」
その後、淡々と階段を上り、また自動でついた照明に照らされた大きめの扉を開く。
そこはどこかのステージのように広く、部屋の中央には2人分の影が見えた。
目を凝らしてみれば、ソラにもエコにも見覚え……いや、馴染みの有りすぎる2人は、人形のようにこちらを見据えていた。
「やはり、下の奴らじゃ足止めにもならないか」
それは、冷たくただ起きたことを再生するかのような感情のこもってない男の声、
「当たり前よ、なんたって星火さんがいるし、此処まで来るのは簡単よ」
次に聞こえてきた女の声にも、なんの感情もこもっていないように響く。
「兄さん、ノイズ姉!目を覚まして!能力が無い人間を襲うなんてこんなの間違ってるよ!!」
ソラが声を上げて言っても、
「何に目を覚ませと?俺達は正常だ、能力が無い人間に生きていく価値は無い。殺して当然だ」
リクは淡々と言い放ち、言葉は届かなかった。
「残念だがソラ、リク達の洗脳はかなり強い。こればっかりは気絶させて音の所に行かなくちゃ治せそうにねーよ」
星火は残念そうにソラの頭に手を置いて言った。
「……明は何処だ!」
言い方が荒くなる。
ソラとエコには悪いが、俺の目的はリク達じゃない、明なんだ。
ここまで来たのだから、一刻も早く明のところへ行きたいのに!
「明……ああこの前連れてきた奴か……そいつなら上の階にいる」
リク達が後ろの階段をちらりと見やる、
「あの先に……」
「やけに素直に教えてくれるじゃねーか」身構えた俺を制するかのように星火は前に立ち、どこか不敵に尋ねる。
「別に教えたところであなた達を行かせる訳では無いので」
ノイズが無感情に、でもあざ笑うかのように答えた。
「それはどうかな」
次に星火は指をパチンと鳴らすと、黒くて丸い影のようなものがリク達の後ろに現れ、中から無数の黒い剣が飛び出す。
リク達はそれに気づき、雑作もなく左右に避ける。
「今だ小娘!」
もう一度指の鳴る音が聞こえたときには、後ろを振り返る間もなく黒い腕のようなものが俺を掴み空間に引きずり込んで、次の瞬間には階段の前にいた。
階段の前の空間に繋がっていたのか?
これで、先に進むことが出来るけれど……
「さっさと明連れ戻してこい」
振り向いたら、星火がニッと笑いながら言っているように見えた。
「……ありがとう」
そう呟いて、階段を駆け上がろうとしたとき――
「行かせるか!」
リクの声と共に、氷の鎖が俺に向かって飛んでくる、
「それはこっちの台詞だよ兄さん!」
その氷の鎖をソラの投てきした剣が叩き落としてくれた。
「さて、戦闘開始だ!」
*
掛けるように階段を上がりきると、一階に入ったときと同じようにいきなり明るくなった。
しかし、おかしなことに、黄色い壁の両サイドに手すりのついた広い廊下が真っ直ぐ続くだけで、扉は見当たらない。
「そんな……」
下に戻るために階段を降りようと振り向いても、そこは壁に変わっている。
両手で叩いてみると、確かに壁の感触。
逃げられない。
違う、逃げるな、逃げるつもりもない。
廊下は続いている。閉ざされていても進んでいい方向は決まっている。
だから前に進めばいいだけなんだ。
壁に背中を預けて、ゆっくり息を吸って、吐く。それでもちっとも気持ちは落ち着かなかった。
歩きはじめると、何も音のない空間に唯一自分の足音だけが響く。下の階で戦っているであろう音は聞こえてこない。
対して進んでいなくても、廊下の終わりは見えず、このまま、ずっと歩き続けるのか……そう思った時だった。
コツコツと、不意に聞こえて来たのは自分のものではない足音。廊下は真っ直ぐでも、その姿は見えない。
俺は立ち止まって足音の主を待ち構える、こいつさえ殺してしまえば、明のもとにたどり着けるハズ。
そう感じたとたん何かが此方にむかって飛んできた!
それは、十字の形をした鈍色の無数の杭に見えた。
「――っ!」
幾つかは鎌で叩き落としたものの、全てを落とすことは出来ず、頬と左の脇腹をえぐった。
カランカランと床に落ちた金属の音。
乱れた呼吸、でも傷はそんなに深くはない。
鎌を大剣に変えて駆け出すと、また杭が飛んできて、今度はすべて叩き落とせた。
杭を投げてきた人物は、黒髪でやはり黒いスーツと、血のように赤い仮面をつけていた。
さして驚く様子もなく、仮面で隠れていない口許は笑みを浮かべる。
「明のもとへ行かせて貰う」
間合いを十分につめて、剣をほぼ垂直に振り下ろす、
「なっ!?」
しかし、剣は男をすり抜けて床を傷付けただけ。
後ろに飛ぶ、幻影は此方を攻撃することができるけれど、その逆は出来ない。
もし、こいつそのものを硝子にすることが出来たら?
いや、それは、なぜか俺に出来なくて……。次の瞬間、殴られたわけではないのに頭が痛くなる。
持っていた剣を落としてしまい、それを拾おうにも身体が動かない。
まぶたを閉じると、映像のような……これは……記憶の一部か……?
足元には水溜まりが唐突に現れる、拘束するように植物の蔦が体に絡み付く、目の前の男は、動きが止まったことを見逃さなかったのだ。
うめき声をあげると、次の瞬間拘束は解放され、代わりに頭まで水の中に……先ほど負傷した脇腹が痛む、対照的に、頭痛は急に収まり酸素を吐き出して水を飲み込む。もがいても水、水、水、視界は目を開けていても真っ暗で――。
*
小娘を先に行かせたし、まぁ、予定通りだな。
後は……と、睨むようにリクとノイズを見据える。
「あの二人を捕まえれば終わりだ」
黒い空間を辺りに撒き散らして、同じ色の鎖をリク達目掛けて飛び出させながら、思考を進める。
「あーやっぱりソラ達も小娘と一緒に行かせれば良かったかなぁ……」口に出して言ってみたものの、これが終われば過程なんてどうだっていいな、みんな一緒だ。
「いやいや、案外そうでもないかもよ」
新しい声が響いた直後、リク達に向かって飛び出させた鎖が、霧のように消えてしまう。
「あーあ、最悪」何が起きたのかはすぐにわかって、なげやりに悪態をつく。
「母さん、いったいどうしたの?」
心配するようにソラがたずねてきた。
「あれっ?霧夜さん……にしては、髪の色と何か雰囲気が違う」
エコが首を傾げながら言うと、突如リク達の後ろから現れた霧夜に似た顔をしている赤髪の男は、
「え?霧夜に見える?マジで?」
子供がはしゃぐかのように嬉しそうに反応した。
こいつのこの飄々としていて本性の読めない性格は相変わらずであり、
「見えるか馬鹿が、ふざけるのもいい加減にしろよ朝霧」
そのことにイラつきながら、男の名前を呼ぶ。
「おいおい怒るなよ、冗談だから」
「それよりどうして此処にいる、お前は……っ!?」
いつの間にか目の前に移動してきた朝霧に俺は勢いよく蹴り飛ばされる、
「あーそれはな、俺此処で働いてるんだよね」
後ろの壁に激突――間近で止まり膝をつく。
さらに最悪なことに、今のでソラ達から引き離され、舌打ちする。
「悪い悪い。痛かったか?いやーお前相手だから、つい手加減するの忘れてたわ」
なんの悪びれもなく、朝霧はとても楽しそうに笑いながら言った。
「あの母さんが……押されてる?」
ソラが何かをいったように聞こえたが、よくは聞こえなかった。
「ソラ危ない!」
「うわっ!!」
そして、向かって氷の刃が飛んできたのを、エコの声で気がついたのか、なんとか避けたのを視界に納めた。
「やはりこっちの力では分が悪いか」リクが氷の刃を造りながら淡々と言う。
「なら私が前衛に出るから援護してよ。それなら出来るでしょう?」
「……いいだろう」
「二人とも、覚悟はいいかしら」
リクとノイズから発せられる殺気、
「これはマズいな」
「そうだね」
今のソラとエコでは、どうみても絶体絶命と言える。
「ちっ、リクの奴二つ目の能力に切り替えやがったか」
「まぁ、闇だとお前が回復しちゃうしね」
「それにしても、お前の能力マジウザいんだけど。能力無効化とか……能力者の敵だな」能力で作った物は攻撃も防御も打ち消されて、アイツへのダメージらしきものは何一つ与えられないのだ。
「この能力はある意味サブなんだけどね。今じゃメインぽくなってるわ」
能力無効化がサブ?
アイツ2つもしくはそれ以上能力を持ってんのかよ!
ほんとめんどくせぇ奴だな!
「相手限定の無効化だから。俺は能力使えるんだよね」
そう言いながら、一歩また一歩と近づいてくる、
「なぁ、霧夜なんかやめて俺にしない?霧夜より強くてかっこいいよ」
「冗談もほどほどにしとけよ……」
能力が使えるようになる距離まで短くかけて前後左右から闇の力で作り出した武器達がいっせいに朝霧に向かう。
「こんな攻撃俺には効かないの知ってるよな?」
朝霧は指をパチンと鳴らすと、闇の武器達は音もなく消える。
「ああ、攻撃出来なくても逃げることはできるか」
*
吐いた空気は泡となり、戻って来ない。
――遠退いていく意識、やって来たのは無意識の領域で、すぐに心の中や身体を乗っとって脳に蓄積されていたほぼすべての記憶の再生を開始した。
幼いころの自分がいた。
挟まれるようにしてお父さんとお母さんと手を繋ぎ、嬉しそうに歩いているところが見えた。
場面が切り替わって、少女は花に触れている。
すると、その花は形を保ったままガラスなっていく。
それから、なにもないところから好きな色と形のガラスを出せるようになっていく。
能力がうまくつかえて、お父さんとお母さんは喜んでくれて、誉められたりもして、それがとても嬉しかったから少女は笑う。
でもある日、ふとした拍子で、仲良くしていた子犬をガラスに変えてしまう。
あたたかかった子犬が、冷たく固く無機質に。
その事があって、子犬は苦手になった。
それ以外は、たくさんのものをガラスに変えて、みんなが嬉しくなってくれるような形のガラスを出して……。
気が付けば、暗い天井を見るだけの生活に変わっていた。
縛り付けられているわけではなく、体が動かなくなったのだ。
お父さんとお母さんはそばにいない、けれど白い服の人たちが現れて、腕や足にチクリと針を刺す。
そうしていなくなっていく。
少女はみんなの、誰かのいる世界から、たった一人の真っ暗な世界へ逝く。
――でも、そんなことをよしとしない人がいた。
その誰かが優しく少女の頭を撫でて、少女の代わりに死ぬ。
怖いところからいつの間にか抜け出すことはできたのに、今度はお父さんが眠っている。
お母さんに聞いても、悲しそうな顔。
真っ黒な服を着せられてから、お父さんに声をかけても起きることはなくて、どうしてなのかわからなくて、それがとても嫌で、少女は家を飛び出して、ずっと遠くまで走って、走りつかれた時、足を止めて空を見上げていた。
同じ真っ黒な服の人、でも髪の毛は銀色で……そのあと、少女は触れたものをガラスにすることと、お父さんのことをすっかり忘れさせられてしまった。
*
「うわぁぁぁっ!」ソラはエコをかばうように、ノイズとリクの二人分の攻撃をうけていた。
「ソラっ!」
「一人で能力も使えない子は、黙って見てなさいよ」
「きゃぁっ!」
しかし、次の瞬間にはノイズの斬撃がエコに当たり、傷を作る。
「エコっ!」
「お前は、こっちに集中しろよ」リクはノイズの援護をやめて、氷の双剣を造りソラにむかって斬りかかる、
「うぅ、いたっ」
「エコ……あなたって本当に使えない子よね」
その場にへたりこんでしまったエコに、ノイズは近づく、
「誰かに触れていなければ能力が使えずソラだけに戦わせて、一人だと自分すら守れないなんて使えない子……本当に私の妹かしら?」
何も言い返せなくなるような、言葉による攻撃をしながら。
「おね……っ!」
そして、ノイズはエコを蹴り地面に倒れさせた、エコの目には涙が溜まっている。
「あら、図星をつかれたら泣くの?泣いたら誰かが助けてくれるとでも?でも残念。今あなたを助けてくれる人は誰もいない」
ソラはリクで手が離せないし、星火さんは朝霧と戦っていて誰も助けなんて来るわけがない。
本当にそうかな?
「悪いな、助けてやれるんだなこれが」
「なっ、きゃっ!」
突然、地面から伸びてきた闇の鎖がノイズに巻きつく。
「何で……あなたがっ……朝霧さん!」拘束されたノイズは朝霧を睨みながら言うと、
「ごめんねー、逃げられちった」
特に悪びれた素振りもなく、朝霧は笑いながら返した。
「星火さん……私っ……」
「話は後だ、これでもかなりヤバい、全く持って余裕がない!だからっ……」
エコを抱え、ソラの相手をしているリクを蹴り飛ばして引き離し、ソラを掴む、
「お前ら逃げるぞ」
「何でだよ母さん!」
「……お姉ちゃん達が目の前にいるのに」
「うるせー!相手が悪いんだよ!朝霧さえいなければ……」
「俺が何だって?」
後ろから朝霧の声がして、
「逃げられちゃ困るんだよ、特に星火」
首を絞められた。
「……っ!」
呼吸が出来ず、意識が遠退いていく!
「正直捕まえられるとは思ってなくてさ。そのかわりにと思って、お前らの子供と斬達の子供引き入れてみたけど……まさかこんな簡単に捕まえられるとはなー」
そうか、やっぱり……罠だったんだな。
「まぁ、こいつさえ手に入れば、良いか」
*
――早送りの映像を見ていた。
忘れていたことは、確かにあって、どうしてそれを、忘れていたのだろう。
それは、覚えていてもよかったこと、違う、覚えていなければいけなかったことなのに!
ああ、でも、思い出しても……遅いのか。
無意識を超えた、悪夢より暗い世界。
ガラスの破片が花弁のように舞うところ。
こっちも見ないといけないようで、
記憶の中の幼い姿をした俺が、今の俺に視線を向けて首を横に振る。
『それはまたこんどにしよう』
「!」
映像を見終えて、今の俺の思考する言葉だけが暗闇を行き交う。
ああ、父さんに会えるかな?
どうしても謝らないと……。
わたしが、殺したのを謝らないと。
「――!――っ!!」
思考はすぐに雑音に遮られて、雑音?
音が聞こえる?
幻聴かもしれないようで、でも、もう聞こえないようなところまで来たんだろう?
どうやらそうではないらしい。
体を揺さぶられるような感覚があった。と言うことは、俺はまだ生きているのか?
でも、自分はいつ、水の中から出たのだろう?
ゆっくりとまぶたを上げる。
眩しい。
天井を見ているから、俺は今、仰向けなのか。
「百々ちゃん……よかった」
この男は誰だ?
直感的には、さっきまでの仮面の男……ではないと思う、どこかで見かけたことがあるような気がするのだ。
体を揺すっていたのもこの男だろう。
「起き上がれるか?」
言われるまま体を起こすと、濡れた衣服が体に張り付いて気持ちが悪い。
「あんたは……誰だ?」
それは、俺が溺れていたことの証明のようなもの。
そして、なぜか普通に話すことができている。
「ああ、すまない。俺は霜月霧夜。外からこの階まで移動してきたら、君が倒れていたんだ」
見覚えのある理由はそれか!
「それで、慌てて君の気管に入った水を殺した」
「……?」言っている意味がよくわからない、水を殺すとか特に。何故霜月一家はこんな人間ばかりなのか。
「ええと……まぁ、死にかけていたから、能力であれこれとそうならないようにしただけの事さ」
負傷したハズの脇腹に手をやると、ただ服が切れているだけで何もなくなっている。
「とにかく、明ちゃんを助けにいくぞ」
手すりに手を伸ばして立ち上がり廊下を見渡すと、先程までなかった扉の無い部屋が出現している。
俺は駆けてその中へと入ると、白いパイプのベッドの上で横になっている明がいた。
「えっ」
もしかして、死んでいる?
あわてて近付くと、胸が上下しているのが見えて生きていることが確認できた。
「よかった、ちゃんとお守りは作用していたんだな」
霧夜が少し遅めにやってきて、お守りとはなんのことなのか。
「君の硝子に触れればすぐに目覚める。なんたってそれが本人の希望だったから」
「俺が来なかったらどうなってたんだよ、それ。あんたがいなければそうなっていたぞ」
「そりゃ、作った俺が起こすことも出来るようにしているさ」
ビー玉程の大きさの透明な硝子を作り出して、明の手に握らせると、その直後に明は目を覚ます。
「……おはよう。ああ、こんばんは……かな?いつだろいま」
元から寝起きははっきりしているから、いや、それでも少し驚いたけど。
なんて声をかけたものか。
「……久しぶりだな、明」
「そうなるね」
体を起こして、軽く伸びをする明を見ていたら、くきっと間接の鳴る音が聞こえた。
「うわ、体かたっ!」
「そりゃ寝てたんだからそうな……くしゅん」
「なんでずぶ濡れなの」
「さっき溺れたんだよ、死ぬかと思った」
「プール的なやつ?」
「いや」経緯的にはあながち間違いでも……いやどうなんだこれ。
「だよね。なにもないわけがないもん」
「ああ」
「私が言わなくてもわかるとは思うけど、これで終わりじゃないよ」
これから、さっき思い出したことを整理していかないといけなくて、明さえ帰ってくれば日常に戻れる訳じゃないのだ。
「そうだな」
頷いた直後、ふわっと宙に浮いたような感覚。
よくみると、自分が今立っている床が消えて、部屋そのものも消えてっ……!?
視界は夜の闇と、皮膚の感覚は冷たい風を受容する。
明も同じ状況、それから、霧夜さんの舌打ちが聞こえた。
「建物ごと消しやがったな」
次の瞬間には、真っ白な空間に着地していた、床のわりには固くなく、落下の衝撃を吸収するような、そんな不思議な場所。
このまま目を閉じたら、気持ちよく眠れそうで……
「ここはどこだ」
体を起こして辺りを見渡すと、天井もなく壁もなく明るいだけで、目の前には明がいるくらい。
「えっと、霧夜さんの光の空間かな」
「こんな所に来るのははじめてだが、なにがあった?」
「急に私の捕まってた場所が消えたくらいしかわかんない」
他の奴等はどうなった?
何故か星火の姿が思い浮かぶ。それはなぜなのかよくわからないけれど。
*
そんなことから一ヶ月、電車のふとした揺れで目が覚めた。
あの後は、みんなぼろぼろにはなっていたものの、大きな怪我の一つもなく日常生活に帰ってきた。
また戦うことがあるかもしれないと言うことで、ノイズに稽古をつけて貰ったりもして、その時に、「あなたは……ねぇ、戦いの訓練はこれがはじめてよね?」とか、困惑気味にたずねられた。
何故そんなことを聞くのかを問いかけてみると、はじめてなのにはじめてじゃないような動きをすることを、疑問に感じたそうで……。
でも、俺がつい最近思い出した記憶には、そんな訓練をした記憶なんて、これっぽっちもなかった。
夏休みだから日数は沢山ある。
実家に戻ったら、やらないといけないことはある程度は決まっている。