1章
放課後となり、下校かあるいは部活に向かうらしいクラスメイト達と廊下ですれ違いながら教室に戻ると、友人である伊藤明が窓の外を見て顔をしかめていた。
「明」
名前を呼ぶと、隣に来るまで気がつかなかったのか驚いた顔をされる、
「百々、死ななかったんだね」と思ったら違う方だった。
「保険医のせいでな」
「だろうと思った……傘はある?帰ろうか」
首をたてにふる、そうだ……死んだらこうして帰ることはできなくなって、幽霊にでもなって学校をさ迷うことになっているのかもな。
「どうしたの?」
「いいや、なんでもない」
窓の外に視線を向けようとしてやめて、机にかけてある鞄をとる。
「そうだ、さっきの授業で言っていたんだけど、この辺に通り魔が出るって。それから……この学園の生徒で行方不明になった人がいる……ともいってたよ」
さきに教室の出入り口にたった明は、ふと思い出したように言う。
――帰り道には気を付けろよ?
あの銀髪の女の言葉をふと思い出した。
「それは気を付けないといけないな」
それから、他愛のない話をしながら生徒玄関まで歩いて、校舎を出る。俺も明も寮を利用しているから、に帰るところは一緒なのだ。
灰色の空の下、雨あしは弱まらない。
傘をさしていても、はみ出した鞄が濡れそぼっていく。校舎を出てから、お互いに特に何も話さないのはこの状態で会話をしても、雨の音で声がかき消されるから。
「……!」
何故か不意に耳に入ったのは声のような音。言い切ることが出来ないけれど声……だったよな?
それも、たぶん複数の悲鳴のようなもの。
足を止めて振り向く。
「どうしたの?」
その事に気がついた明は、こちらに聞こえる声をかける。
「悲鳴みたいな奴が……聞こえた」
「えっ?」
返した言葉がよく聞こえなかったのか、明は怪訝な表情を浮かべる。
「いや、なんでもない」
俺の聞き間違いか、あるいは幻聴みたいのものかもしれないし、少なくとも明には聞こえなかったようだった。
また今まで歩いてきた道を振り向いてみるが、ただ雨が路面を濡らすだけ。
「気になることがあるなら、戻ってもいいよ?」
「いい、後で話す。今は帰ろう」
翌日、死体の山が遠野学園の生徒によって発見される。
場所は、昨日俺達が歩いていた通学路付近にある袋小路で――共通点は、全員黒いスーツを着て、仮面をつけていたこと。
今日の学園内は、その話題で持ちきりだった。
俺は何故か、昨日廊下で遭遇した銀髪の女の顔が頭から離れないでいた。
「事件現場、見れなかったね」
昼休み、明は残念そうに呟きながら、ほぼ毎日愛飲している四角い紙パックの珈琲牛乳のふたを開ける。
「え、みるつもりだったの?」
如月エコが驚いたように声を上げる。彼女とは今年になってからクラスが一緒になり、よく話すようになった少女だ。
「しばらく立ち入り禁止とかだろ」
俺は昼食代わりのシベリアというお菓子を口に運ぶ。
この甘さは甘党なら大喜びかもしれないと、少し顔をしかめた。
「そうだよね……って、明も百々もちゃんとご飯食べようよ!」
この面子で唯一手作りのお弁当を食べているのはエコだけで、明と俺はほとんど毎日購買で買っている。そこを指摘したのだろうか?
「あはは、ちゃんと作っているエコはえらいなー」
そう言って軽く笑う明は、調理実習の際に、調味料が砂糖しか入ってない野菜炒めを作る程度には料理は得意ではないか、あるいは味覚がずれている。
「作る時間がなくてな」
そして、調理を含めた家事は一通りできるものの、朝に弱い俺。言い訳のようだけれど、明確な目的があれば何とかおきれる。
「二人の分も作ってきてもいいけど……うーん……」
姉の分と幼馴染みの分も作っているからこそ、エコは迷っているようだった。
「エコー!お弁当美味しかったぜー」
その幼馴染み、銀髪が特徴の霜月ソラが元気よく教室に戻ってきた。
「だからって、大きい声で言わなくていいでしょ!」
照れたのか、顔を真っ赤にするエコ。
「この珈琲牛乳、さっきより甘くなった気がするんだけとさ」
明はやけに真剣な顔で、俺に問いかけてきたので、
「奇遇だな。俺もこのシベリアがさっきより甘くなったように感じるんだ」
ざわざわと、クラス内から○○が甘くなったとの声が上がり始める。
「あれ?みんなどうしたんだ」
ソラが水色のバンダナに包まれたお弁当箱をエコに渡しながら、不思議そうにしていた。
「気のせいだ」
*
今日は、ソラとエコを入れて4人で帰ることになった。
朝にこんなことがあったから、集団下校という意味も少し含まれているそうで、
「お兄さんとお姉さんと帰ったら?」
「お姉ちゃん、教室にいなかったんだ」
明の問いに答えるエコ、あのポニーテールのシスコンなら真っ先に自分の妹を心配するだろうに……珍しい。
「俺の兄さんも同じだったよ」
同じくブラコンの兄を持つソラも話題に乗る。
「もしかしたら、先に行って危なくないか見ているの……かも?」
こうして集団で帰っても、襲われるときは襲われるけどな。
唐突にここから先の道を塞ぐように現れ、嫌がおうにも視界に入ったのは『能力を持たない人間のいないクリーンな世界』白地に血のように赤くて雑な文字で書かれた看板。
急にあたりが静かになった。
振り向いてみると三人がいない。
能力を持たない人間のいないクリーンな世界
無能力者には死を。
能力を持たない人間のいないクリーンな世界
非能力者には死を。
能力を持たない人間のいないクリーンな世界
そうすれば、とてもハッピーな世界
わたしもあなたもとても幸せ♪
――赤い文字は看板から飛び出て俺の周囲をぐるぐるぐるぐるまわる、歌のような雑音のような不快な呼び掛けは、視覚と聴覚を支配する。
頭がどうにかなりそうだ。
左手で頭を押さえて、俺は硝子で死神の持つような長柄の大鎌を作り出す。
――この看板さえ壊してしまえば!
両手でしっかりと握って、看板にむかって鎌を降り下ろそうとしたときだった。
「うあっ……!!」
首もとに電流のようなものを流され、体が痺れる。
しかし、倒れるわけには……これを壊さないと!
「百々っ!」
名前を呼ばれて、今度は腕に電流が走り、鎌を落としその場にへたりこんだ。
看板も、歌のような雑音のようなものも無くなる。その代わりに、目の前には心配そうにしている明とエコがいた。
「いきなり鎌を振り回すから、しかも全然こっちの言葉が聞こえなかったみたいだし!」
体か痺れて、うまく喋ることができない。
「ごめんね、強めに流したから」
エコが謝る、
「……平気だ。お前らは、あの、変な看板を……見なかったんだな?」
三人の反応から察するに、見ていないようだった。俺だけでよかったと息を吐き、近くに落ちていた鎌を消して立ち上がる、
「看板ってなんだよ」
「えっと……」
なにかのメッセージが書かれてあった、さっきまで見ていたのに、今は内容を全く思い出せない。
「別に百々のことを責めている訳じゃなくて……」
明の深緑色の瞳が真剣に俺を見つめる。
「今日はもう帰……」
――!
続く言葉を遮るように、誰かの悲鳴が聞こえてきた。
「あっちだ!」
ソラが指を指したのは、昨日俺が悲鳴を聞いたところで……。
「って、最後までいえなくなっちゃった」
「明、気持ちは十分受け取った。いまはもう大丈夫だ」
渋い顔の明、ソラとエコは先に駆け出していく。それに追い付く形でコンクリートの壁に阻まれた袋小路へむかった。
黄色いテープの前には、同じ遠野学園の生徒二人と、血で出来た水溜まりがあった。
「言ったじゃない。ただの、何の能力も持たない人間風情が調べるなんて愚かだって」
一人は、長い髪をポニーテールにした女で、
「片付けたのだから、良いだろう?」
もう一人は、刃先が血に染まった銃剣を持つ背の高い男だった。
ソラとエコは、何があったのかわからないといった表情を浮かべて固まっている。
「……お前らは、何をした?」
如月ノイズと霜月リクは、ソラとエコの家族である。
「能力者じゃない人間を殺したの、来てすぐにわかったでしょう?」
「安心しろ、お前達は殺さないから……」
にこりともせずに、ノイズとリクは答える。
「じゃあ、今朝の死体の山も?」
ソラとエコをかばうように俺と明は一歩前に出る。
二人は質問には答えず、長い沈黙が襲った。
――さっきの俺のような状態になっている?
でも、ちゃんと会話は成立しているし……。
「目の前にいる俺達は能力者じゃない奴等を守るって言ったらどうする?」
リクとノイズの目付きが変わり、二人が醸し出していた張り詰めた空気は、明確な殺意としてむけられる。
「百々はさっき、あのメッセージを見たでしょう? どうして、そんなことが言えるの?」
「メッセージねぇ、そんなのに百々が飲み込まれるとでも思ってんの?」
答えることのできなかった俺の代わりに明が話す。こういう緊迫したような場面に遭遇した彼女は、どこか楽しんでいるようにも見える。
「エコ、またさっきの電流流せるか?」
ちらと後ろをむいて、エコに確認すると黙って首を縦に振ってくれた。ソラも戦えると表情が物語っている。
冷めた目でノイズは日本刀を抜く。エコは鞄の中から、少女が持つにしては不釣り合いなハンドガンを取り出し銃口をむける。
「あー、提案。なるべく戦わないようにするから時間を稼いでね」
ガラスで作り出した長剣を握り、短い距離でリクと間合いをつめ斬りかかるがあっさりと銃剣で受け止められる、その間にソラが背後に向かい双剣で……
「おっと」
リクは振り向きざまに銃剣を横に振るいソラの双剣を弾き飛ばした。
エコは電流を帯びた弾丸を放つも、ノイズは植物の盾でそれを防ぐ。
二人はさして息を切らせた様子もないが、こちらはもう息が上がっていた。
「間に合ったよ」
明の出現させた赤い糸が、リクとノイズを拘束する。
「エコ、電流」
糸に触れたエコは指先からバチバチと火花をあげる程の電流を流す。
――しかし、次の瞬間には、なにか大きな力に凪ぎ払われ、体が宙を舞う。
そのまま、地面に体を打ち付ける。同じ音があと三つ。
「無駄なことを」
「まともにくらったら、痛いからね」
二人はあきらかに笑いをこらえている。
バカにしている意味での笑い方だった。
「でも、明の能力は使えそうだから。連れていくわ」
――明?
なにが起きているのかは、視界が暗くて見ることが出来ないでいる。
「あ……きら……」
呼ぶことはできても、体に力は入らない。
「あーあ、帰り道は気を付けろよーって言ったのにな……一足遅かったか」
新しい声が聞こえて、それは、昨日聞いた声だと言うことを思い出す。
「……っと、とりあえず見殺しにするにはいけねぇな」
――唯一、意識を手放すことはできた。
*
人形の二人組が糸を扱う能力を所有した少女を捕らえてきた。
しかし、ここにいる誰も、彼女を目覚めさせることも傷つけることは出来ないでいる。
それを、桜色の古風でそれでいて絢爛豪華という言葉が当てはまるような着物を身にまとい、かぐや姫を彷彿とさせるような美貌を持ち合わせた女性は物憂げな表情でながめていた。
――お兄様、わたしはあなたの望みを叶えるお手伝いがしたいのです。
でも、本当にこれで皆幸せになれるのですか?
いいえ、いいえ。きっと正しいことなのだから、わたしが考える必要なんて無いのよ。
「八重姫様、どうされたのですか?」
人形のうちの一人が、気づかうようにたずねてきたが、八重は答える気にはならなかった。
「妾の能力が安定していれば、あのような者を捕らえる必要は……」
言いかけて、やめる。
目が覚めたら、彼女の能力を利用させてもらうまでなのだから。
すべては、能力者だけの世界にするために。
*
嫌な夢を見たときのように、反射的に上体を起こす。
この部屋は寮の自分の部屋で、でもいつの間にここまで帰ってきていたのか、まさか、あの戦いそのものが夢……
「うっ」
身体中に走った痛みが、それを否定した。
掛け布団をはぐ。少なくとも、叩きつけられた腕や足に痣ができている。
そうだ、明は?
ベッドから降りて、部屋を出ようと引き戸を引くと、
「あら?」
開けた先には、見たことのないけれど、誰かと面影の重なる黒髪の女性が立っていてびっくりしたように呆けている。
「……あなたは?」
「駄目よ、まだ寝てないと!」
そして、慌てたように俺に言う。
「嘘……」
その表情は、目の前にいる俺が信じられないとでも言うかのよう。
「その……俺はこの通り、怪我だったら回復が早いんです」
理由は全く不明だし、たいしたことでもないからあまり積極的に話したくはなかったけれど、軽くそれを伝えた。
「そこ、どいてください」
「駄目!」
このままさっきと同じやり取りを繰り返すわけにもいかないな。
俺はため息をついて、仕方なくベッドに戻り腰かけると、女性は近くの椅子に俺と向かいあうように座る。
「あなたは誰なんですか?」
第一印象で、学生ではなく大人であるということはすぐにわかった。
「あっ、ごめんなさい……私は如月音」
如月と言うからには、三姉妹なのだろう。
「ノイズとエコの母親です」
「母親!?」
つい声をあげてしまうと、音さんはきょとんとした表情を浮かべて首を横に傾けた。
「そ、その、お姉さんかと思ってしまって……」
急に恥ずかしくなり、真っ赤になった顔を隠すようにうつむく。
「びっくりしたけど……ふふっ、少し嬉しいかも」
その笑い声に、どう反応していいのかわからない。
「もう立ち上がれるようだけど、回復はさせてもらうわね。リク君は闇を使うから、もしかしたら他におかしな作用をするかもしれないし」
また横になってくれる?と促され、言われるままベッドに寝転がると、子供の熱でもはかるように、あたたかい手が額に触れた。
まぶたを閉じる。このまま眠ってしまいそうなくらいに、体が暖かくなる。
「他の三人は?」
「三人?……二人ではなくて?」
「……そうですか」
当てられていた手が離れ、音さんの作業は終わったようだった。
「あの……ありがとうございました」
体を起こして礼を言うと、さっきよりも楽になっていた。
「いいえ、でも、無理はしないでね……」
音さんは少し疲れているようで……いや、最初に会ったときよりも顔色が悪くなっている。
「音さん?」
「心配しないで、昔からこうなるの……。星火ちゃん、少し休ませて貰ってもいいかしら」
音さんはここにいない人物の名前を口にして、息をはいた。
「悪かったな、無理いって」
影が具現化するかのように音さんの背後に現れた人物に会うのは、これが三度目だった。
「よう小娘」
星火と呼ばれたそいつは、やけに親しげに手をひらひらと振って一歩前に出た。
「あんたは、誰なんだ?」
「ああ、名乗ってなかったな。霜月星火だ、よろしく」
……この前にあったときの不気味さはどこにいった?
疑念を抱かずに入られない程度に、星火は明るく名乗る。
「ちょっ、睨むなよ。少し傷付くぞ、少し」
さっき霜月と言ったな……わかった、これは罠だ。俺を陥れるための罠だ。
「……あんた黒幕だろ絶対!明返せ!」
まっすぐ伸ばした人差し指を星火にむけ、叫ぶ。
「はぁぁぁ!?ちょっ待て、俺のどこに黒幕要素があった!」
「帰り道気を付けろよとか言われた結果がこれだろうが!気を付けようがなかったけど!」
「星火ちゃん、確かに怪しまれてもおかしくないわ……百々ちゃん、人に指をささないの」
「あっ、すいません」
音さんの冷静な指摘に我に返り、指をさすのをやめると、
「久しぶりに楽しいことがあったから、ついな。ごめん音」
小さい声で音さんに謝ると、星火はわざとらしく咳払いをして、
「結論から先に言えば明を返せって言ったな小娘。じゃあ、取り返しにいくぞ」
これまたあっさり切り出される。
しかし、この一言で星火は、先程までの出来事に多分関与していないことを十分に証明するものであった。
「その前に、お前はこの町で起きていることをしった方がいいな……」
この町で起きていること?
普段、学校と寮を行き来してばかりだから、周辺のことに関して疎くなっているのかもしれないが、危ないことなら注意とかで何かしら学園側から情報が……。
「そうだな、明日にでも町の中を歩いてみるといい……だが、制服は着るなよ?昼間に学生が歩いていたら目立つからな」
「それは放課後だと駄目なの?」
「当たり前だろ。こいつの反応を見るからに、何も知らねぇんだもん」
「これは、明達に関係あるんだな?」
わかりきっていることを確認すると、星火は「ああ」と首をたてに振った。
「わかった」
音さんに視線をむけたら、何も言わずに心配そうにこちらを見ている。
「音、大丈夫だ。こいつは白雪達に似て意外とタフだ。俺よりかーなーり弱いけど」
白雪。それは俺の母親の名前で、ということは、少なくとも、俺の両親を知っている?
決して長くはない時間だが、会話をしてある程度打ち解けた。
いまいちよくわからない疑問や謎こそあるものの、この二人は、味方なんだろう。
「音、帰るぞ。立てるか?」
「ソラ君とエコの所にまだ行ってないのよ?」
「なんにせよ今日は無理だろ? 後はあいつを呼ぶさ」
音さんはゆっくり立ち上がったもののふらつき、星火はそれを支え、楕円の姿見ほどの闇を出し、二人はその中へ消えていった。




