アタマ 2
4
「どうも、おつかれさまでしたー。」
下積み、世界に踏み入れていなかった頃は響きに憧れていた。かっこよささえ感じていたのに、生活に余裕がなくなるととんでもない。過去の自分に教えてあげたいくらいである。
「おそい!」どこかで女の人の声がする。自分もただいまが乾いてしまう前に返事をしてくれる人が欲しいものだ。
「だから、、きいてる?もしもーし」
「きこえとるよ。まってたん?」
最寄りの駅に着くと彼女が声をかけてきた。深夜も深夜、早い仕事の人は起きていてもおかしくない時間だ。
「たまたまコンビニにいってただけー」
「家の近くにもコンビニあるやん?」
「あーあそこ2時にしまるねん」
「逆に保護しなあかんくらい珍しいやつやな」
気付けば、くだけた話も平気な関係になっていた。
手紙をもらってから数日、自分は今まで、何回モテキが来たのかを高校までの友人に連絡し、ストック分の確認をするほど、舞い上がっていたものである。
芸人以前に、人間として評価してもらえることは嬉しい。正直に嬉しさを感じていた。
「思ってたのとちがう。もっと馬鹿なのかと思ってた。」と直接話すことが増えたときに言われた言葉である。確かに、何も考えていないように見えるらしい。
今まで、緊張感をもてと何度も言われたものだ。
なんちゃってポーカーフェイスも困りもので、初めてステージに立った時も、緊張と表情がかみ合わなかった。
にこにこしてるけど、要領悪い、みたいな感じのちっぽけなやつになってしまった。
「良く考えてるよね。あと人とずれてると思ってたけど、」腕を組んで言葉を選んでいる。彼女が考え事をしていると自然にしてしまう癖である。
「君の中にいろんな人がいるみたいだよね。いろんな人がいて、その中の誰かの考えを自分のものにしているというか。」
「わけわからん。俺は俺やし、そんな人間出来てへんよ。」
「人間出来てるとか言ってないし、勘違い野郎はさむいで。」
「自分も、たいがい話し方ころころ変わるから、二重人格みたいやで。」
「似たものどうしなんちゃう?引き合う何かがあったんやね。」
「それめっちゃ嫌やから。頑張って真人間になろう。」
「その前に売れて。切実に。」
冗談交じりにも気が晴れた。彼女といると会話に困ることもないのは、本当にいろんな人格が話題を提供してくれるからだろうか。
彼女の事はわからないが、自分には心当たりがある。
携帯が鳴る。ディスプレイを見るまでもない。どうせ
「また迷惑メール?最近、本当に多いね。アド変したほうがいいんちゃう?」
彼女の言うとおり、迷惑メールである。彼女にとって一緒にいる間に何度も携帯がなることで、話が途切れるのは相当の迷惑が掛かっているのだろう。
「携帯は人気者やし、負けてられへんよな。」
彼女は笑った。太陽が少し、ビルの向こうから上っているのが見えた。
5
筒井は激怒した。神田と打ち合わせていたはずのネタを、神田が把握していなかったからだ。
「ネタは寿司と一緒。まずは鮮度が大事。客に見てもらって反応を見たい。慣れてきたら、今度は革製品。使い込んで、味を出したい。俺たちの代名詞にしたい。じゃあ、忘れてきたら何になると思う?」
筒井がわけのわからないことを言うが、何ともいえない怒りを自分にぶつけていることはわかる。言葉を選ぶ。
「保存食?自信とかの」
「よくわかってるやん。いつくるかわからんものに備えるだけ。」
筒井の言うことはよくわかってなかった。ただ、いつくるかわからないものにはピンときた。
「ひとつチャンス逃してもうたと思わなあかんで。今日、誰かがめっちゃウケて、俺たちが座るはずやった椅子に座られるかもしれへん。そうなったら最悪や。」
筒井が作ってくるネタは面白いと思う。肝心なのは、演者だろう。
経験が足りないのだ、と先輩も声をかけてくれる。ただ、売れない理由が筒井には当てはまらないと自信を持って言える。こいつのネタは経験を超えるほど、自分には沁みる。
伝える力があれば、伝わる。俺は何をすればいい。
俺は筒井の為に、何をすればいい。
「まあ、今日やるネタより面白いもん今考えとるから、期待しとけよ。いつかM-1の決勝で今日のネタはやろうや。」
M-1、テレビで見るファイナリストは普段のバラエティでもひっぱりだこだ。知名度もある。
「ネタは負けてへんと思う。先に入った先輩たちが売れてるって考えようや。」
筒井はネガティブにはならない。いつも俺を鼓舞してくれる。
俺は筒井に何を返せているんだろうか。
6
先輩につれられて、体はキャバレーにいた。
「飲んでますか~?」目の前にアロエヨーグルトのCMに出てくる女優を3回くらい殴ったような女性が俺に尋ねてきた。
「甘いのでよかったら、つくりますよ~」返事もなしに、彼女がカルーアをつくる。
「私、この仕事まだ慣れてなくて~。」
「へぇ。話慣れてそうだったので、長いのかと思ってましたよ。」
「いや、まだ2か月ですよ~。その前は大学生だったし。内緒ですよ~。」と、文末を伸ばして甘ったるい口調で続ける。
「大学生?おいくつですか?自分は21なんですけど。」
「一緒だ~。今年21で、仙台から進学で来たんですけど~。地元にはもう帰れないし。」
「どうして、地元には帰れないんですか?」
「え~進学で来たのに、続かなくてやめてしまったから~。てか敬語じゃなくていいですよ~。」
「そうなんや。たしかに親には会いにくくなるやろうね。一緒一緒。」彼女にかける言葉は自分にも安心を求めるかのような確認が伴ってしまう。
「え。芸人さんですよね~。一緒に来てた人が言ってましたけど~。」
「売れてないから、芸人っちゅうよりかはフリーターみたいなもんやで。」
「たしかに~。仕事がある分私の方がマシ?なのかな?」
仕事があるだけ、自分がなにをしているかを測るモノサシになる。彼女の悪気のない言葉にも、少し敏感になってしまう。カルーアを手に取り、飲み干す。
「甘いのはすぐまわってしまいますよ~。ゆっくりお話ししましょう。せっかくであえたんですから~。」彼女もカルーアを口にして、浮いているかのような軽い口調で続ける。
「わたしの名前は「こはる」です~。以後、ごひいきにしてくださいね~。」
こはるは仙台から教員になるために教育学部のある大学に進学してきたという。この近辺の教育学部だと、そうとうのレベルだ。
「賢いのも行き過ぎると教師にはなれませんよ~。わかりすぎてしまうというのは、罪です。わからないふりをしても、子どもにはわかりますし~」
彼女なりに行き詰ったことがあるようだ。
自分にわかることが、どうして周りの人はわからないのだろう。
しなければならないことを、どうしてしなくてもいいんじゃない?と他人まかせにできるのだろう。
彼女の真面目さが生きることを難しくさせ、彼女は振り切る為に走っていたら、今の世界に来ていたという。
「お酒飲んで、お話して、何も考えないで済むので、前よりは生きやすいですよ~ただ、」
彼女は含みを持たせ、「大人同士の駆け引きになると、いろんな顔を作らないといけない苦労はありますけどね。」
小さいころは、みんな仲良しだった。みんな同じものだと思っていた。
中学くらいからキャラ付け、カースト色々と生活の中に他人評価を意識することが増えた。
自分に仮面をかぶせて、背伸びをして生きることが増えた。
大人になって、人によって考えが違うんだと思うようになった。
考えが違うんだ、いろんな考え方を許さないといけないと思うようになった。
「私の中に、もう一人の違う顔があるみたい。違う世界にくらして、違う景色を見て、違うことを考えて生きている。恋だって、もしかしたら」
「わたしは、わたしと違う人を好きになることがあるのかもしれないな、ってたまに思うんです。同じ時間を違う世界で生きているみたいな~?」
最初に会ったこはるが帰ってきたような気がした。
俺だって、俺にしか知らない俺がいるはずだ。筒井にも知られてない、筒井の大嫌いな俺がいるのかもしれない。