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コメディアン・ラプソディ  作者: 白熊統計学
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アタマ

夜のファミレスでネタを考えている。


いかにも芸人らしいなと、この世界に足を踏み入れたばかりのころは、誰かが始めた真似事ばかりの生活を雰囲気だけ自分たちに重ねていた。

「売れてるやつらはこんなとこでネタつくりなんてしてへんやろ」

こいつもまとっている空気を大切にするタイプだ。筒井圭吾がしなびたポテトをくわえながらぼやく。

「売れてる売れてへん関係ないやろ。ネタつくり言うたら、ファミレスでドリバやろ。」

「俺は、もっと舞台に立って演じながらつくりたいけどな。」

筒井にも思い描いている芸人像があるだろうし、別に否定も肯定もしない。

「それならまずは、舞台に立つためのネタをつくらなあかんな。」


俺たちは、まだ芽の出ていない芸人だ。目が出る予定は今のところ誰もわからない。

この世界で勝負をすると決めた時、自分が輝いている姿ばかり想像していた。感覚で自分は負けていない立場にいたのだ。負けていないのは、戦っていなかったからだと気付かされたのは、世界の厳しさを目の当たりにした時だった。

「さすがに初めて通帳を見たときには、何の仕事してるんかわからんくなったよな。」

友人たちが大学に進学し、サークルやバイトという本業以外にいそしんでいる姿を見たときは、何が楽しいのかわからなかった。客にちやほやされて、ネタが受けて、ライブ後に先輩や同僚と騒ぐ、俺たちの方が楽しいと思っていた。大学生に負けてるわけないと思っていた。


「お前が苦手やったゆりちゃん、覚えてるか?今、ドイツにおるらしいで。キャバクラで稼いだお金全部持って、向こうの学校におるらしい。」

なんとなく、負けた気になるよな。と筒井はまたぼやく。争っていたわけでもないのに、無意識に戦って、勝手に負けていた。負けた気になっていた。

通帳も学歴も世間的に見れば負けているのだろう。誰かも知らない審判に「無能」とジャッジをくらった気分になる。


「苦手やったから、覚えてないことにしてる。」などわけのわからない返事をしたが、元気は出ない。こういう時は

「女が欲しいとか後輩が言ってたけど、まずは舞台でウケることを考えろって感じやな。」

心を見透かされたようで驚いた。まさに今、ひと肌恋しいとかぼやいて気晴らしに風俗~の流れを巻き起こそうとしていたところだ。「お前にも言うてるんやで。」と言われているような気がした。


「お前は大丈夫や、真面目にネタ作ってたらええねん。」

絶対に売れると、筒井が誘ってくれた時からお決まりのようにかけてくれる言葉だ。呼吸することに慣れてしまっても、風俗嬢の裸に慣れてしまっても、この言葉だけは特別だ。

俺も筒井にとって特別になれているだろうか。「あのさぁ。」と思いつきで声をかける。

「風俗行かへん?」

やれやれと言いたげな顔で、「とりあえず、ネタ出来上がってからもう一回言うてくれるか?」とだけ言うと、カフェインを求めてドリンクバーに向かった。

気を紛らすつもりで飛ばしたジョークはどこに着陸したのだろうか。


風呂上りに携帯を見ると、何件かのメールが入っていた。昔は通知が来るだけでもうれしかったのに、出会いに困らなくなったのはいつごろからだろうか。


From 真奈

Title 明日


ライブあるんやっけ?終わってからでもいいから、ご飯食べに行こうよ。


彼女がいる同級生をうらやましがってた頃が一番楽しかったかもしれない。友達との放課後の思い出も今では胸にくる思い出に変わってしまった。


From 真奈

Title RE:明日


なら、ランチでいいよね?ライブは見にいかへんけど、、、

新ネタはよつくりよー


確認で疑問形が彼女の癖だ。意義を唱えると数時間面倒になる。お互い大人なのだから、うまく凹凸をハメ合わせて生きていく術を使わないと保てないものもある。

会話については自分が考える一般的な人に比べて勉強をしているほうだと思う。一般的な人とはお客としてライブに来る人々のことで、語彙を増やす努力から、オチの組み立ては

プロとしての義務でもある、と自分は考える。




自分の生きている世界を、自分と同じ人たちとそうじゃない人たちで分けるのが自分の癖だ。小学生のころは自分の家族とそれ以外、中学高校はさらに同級生、芸人になってからは芸人が仲間となり、同級生たちは違う世界へと姿を消した。

「きっと、みんなおんなじだよな。」

湧きどころが不明の罪悪感を消すために一言、口に出し目を閉じた。


ラブホにいた。本能をラブホに置いてきたから、取りに戻っただけだ。

事を済ませ、休んでいる彼女に目をやる。

「このまま、起きないでいてくれたら、気が楽やけどな。」

笑えないジョークを飛ばす。良心と悪意の境界線が曖昧になっている今となっては、何も心から笑えないのだろう。

いつからだろうか、キスをしていても興奮しなくなったのは。

「いつからなんやろな、愛情ってもんをどっかに忘れてきたんやろか。」


薄暗い部屋で携帯のシグナルライトが点滅している。筒井からだ。

ネタつくりも早々に切り上げ、俺は友人に嘘をついて、ここにいる。

「お前は大丈夫や。真面目にネタをつくってたらええねん。」

真面目さを測るモノサシなんて、ひとそれぞれだろう。

俺しか知らない最低な出来事は、葬式の涙で流してしまえばいい。

この考え方に至ってから俺は、俺しか知らないもう一人の自分を檻から出すことにした。

葬儀の涙が濁っていても、死んだ俺には関係の無い話であるからだ。


From 未咲

Title 昨日はありがとう


誕生日に会えて嬉しかった。指輪も大切にするね。

これからも、迷惑かけると思うけど一緒に頑張っていこうね。


胸に何も刺さらない。愛情を昨日に置いてきたのか。いや、もっと昔、未咲に会う前から

俺は愛情をどこかに置き忘れていたのだと思う。

未咲を裏切りながら、未咲の中に愛情を探し続けている。

裏切りの中で見つけた愛情を忘れないでいられるのだろうか。

俺は、頂点に果てた後に、いつも忘れていたことを思い出すのだ。

忘れたものを忘れていた時の事を、そして思い出したときにはもう遅すぎることも。


未咲と出会ったのは、芸人になった頃か、今よりもっと食えてなかったし、今よりもっと目が輝いていたであろうことは想像できる。

あの頃の劇場には尊敬できる先輩も多くいた。野心に溢れた同期にも恵まれて、ギラギラしていたと思う。

舞台に立つのは今でも緊張するが、今では幾つか繰り返してきた分の慣れがあり、余裕がある。しかし、当時はネタを何度も何度も打ち合わせしても舞台に立つのに恐れを抱くほど、余裕がなかった。筒井もよく「女よりも客のウケが欲しい。」と飲む度、愚痴をこぼしていた。


自信が欲しかった。とにかく笑いが欲しい時だった。公演終わりの岐路では、すれ違う人の目が気になるほど、笑いに飢えていた。すべてが冷ややかな目に見えて仕方がなかった。

筒井の作るネタには自信があったし最高に面白いと感じていた。

筒井だけが輝いて見えていた。俺は何をしているんだろう、と毎日考えていた。


「これ、読んでください!」

はじめてだった。ライブの後に女の子に声をかけてもらえたことも、活動の頑張りが目に見える形で現れたことも。

「なに、にやけとんねん。うらやましいわ。」

筒井のぼやきも耳に入らないほど、視界が明るくなった。早く手紙を読みたかった。

やっと手に届いた評価を、新鮮なうちに自分のエネルギーに変えたいと思った。

「はよ。中見て見ろよ。」


神田さんへ

ライブお疲れ様でした。これを渡そうと思ったのは、先週のことです。

ライブの後、電車に乗っている神田さんを見かけ、声をかけようか迷ったのですが、舞台で見る時と人が違うように感じてしまいました。

人を笑顔にするお仕事は大変かと思いますが、私は笑っている神田さんの方がしっくりきます。また、ライブ行きます。


今井未咲


手紙を読んで、「しっくりってこのひと。」と筒井が笑っていた。確かに、文章もふわふわしていて、冷静になると疑問も浮かぶ気がするだけに否定はできない。

冷静ではなかった自分にとって、この手紙は再び走り出すのに十分だった。

何度も何度も読み返した。今井さんの顔も何度も何度も思い返していた。

ライブの客の中に彼女を探す毎日が続いたおかげで、立ち続けられた自分がいた。


続く

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