六 執着
「そうだ。」
高原は、山添の顔を真正面から見た。
「崇、俺の耳に、まだ残っている。最後にあいつが言ったこと。・・・あいつの会社はこれからも俺に関わるだろうけれど、あいつ自身は俺にもう会うことはないかもしれない、あいつはそう言った。」
「そうなんだね。」
「おかしいよな。人殺しのことを、心配してどうする。」
「そうだね・・・」
「笑うしか、ないよな。」
「ああ、そうだね・・・・・」
金茶色の緩く波打つ髪が、風にあおられて顔にかかり、深山は軽く手で払った。
三通り所持している道具のうち、使うものは、ブレスレットに決めた。
前歯で金具のひとつを噛んで捻ると、羽根のように薄く鋭い刃先が手の平に寄り添うように伸び、輝く。
その切れ味は、殺し専門エージェントたちが最終手段として頼ってきたにふさわしい、よく手入れされたものだ。エージェントたちが、ターゲットを襲撃するために使う道具も、もちろん非常な切れ味を保つ高級品ばかりだが、それらは仕事が終われば数量を数えて回収され、厳重に管理される。
殺し専門のエージェントたちが常に肌身離さず身に着けているのは、ターゲットを殺すためのものではなく、緊急事態に自らを自分の意志と責任で処遇するためのものである。
自殺は、義務ではない。どのような場合も、彼らには、通常の社会の行政と司法に身をゆだねるという選択が、残されている。
「でも、万が一にも、凌介たちに、影響が及ぶのは、いやだから。」
深山は深夜の、人工の地面を踏みしめ、細く長い、海浜公園と呼ぶには小さすぎる、海沿いの低木沿いにあるフェンスを越えて、少し立ち止まった。
この場所を選んだ理由はふたつあった。
「凌介・・・・。あのときは、ほんとに、お前が死んだと思ったよ。あれから、ここに来るのは初めてじゃないけど・・・来るたびに、心臓が、今でも止まりそうになるよ。」
夜の空と同じ、真っ暗な海面を見つめ、独り言を言う自分を嘲笑するように、もう一度深山は呟いた。
「しかも僕に、お前を置いていけって言った・・・・。こんなところに置いておいたら、たぶん一週間くらい発見されないよ。バカな凌介。」
「そうやな。」
いつものジーパンにいつもの黒のレザージャケットを着て、無精ひげを生やした長身のエージェントが、海浜公園とは名ばかりの閉鎖的な空間で、小さなベンチの背もたれのほうに腰かけていた。
「・・・・・・」
「お前、独り言、多いで。前からそうやけど。」
「・・・・・・」
酒井はフェンス近くにいる深山に、それ以上近づこうとはしなかった。
その理由は深山にもわかった。
「今日は、恭子さんのチームの定例ミーティングやのに、無断欠勤は良くないで。」
「ごめん、凌介。」
その謝罪は、無断欠勤に対してのものではなかった。
「祐耶、お前、どうして戻ってきた?仲の悪い兄に頭下げてまで」
「自分の、してきた仕事が、中途半端だったから。なにか、なにかが終わっていない感じがしたから。」
「成功率ほぼ一〇〇パーセントのアサーシンが、か?」
「そうだよ。どうしてか分からなかった。でも、お前と組んだ、あの案件で、・・・そう、初めてお前と直接同じターゲットについて組んで、少しだけ、わかったのかもね。自分に足りなかったものが・・・。お前は、それまであんなに長いつきあいだったのに、僕は、全然知らなかったよ。あんなに、お前が、殺しが嫌いだなんてね。」
「・・・・・・」
「嫌いなのに、ずっとずっとやっていて。誰よりうまくて。なんか最悪だよね。凌介。」
「そうやな。」
「そして、僕も、・・・・笑っちゃうけど、気が付いたんだ。自分の納得のいくやり方でやったことなど一度もなかったんだって。」
「そうやな・・・。」
深山は酒井から目を離さず、微かに足を後ろへとずらしていく。
「でも、僕は・・・・それでも、阪元探偵社のしていることに、同意している。敬意と誇りを感じている。なにか自分のできることで、役に立ちたい。」
「・・・・」
「だから、戻ってきたんだよ。」
「・・・・・」
「でもね、自分のしたいことを、したいやり方で本当にするっていうことと、組織に貢献することって、やっぱり、一致できないものなんだ。そういうものなんだよ。」
さらに一歩、深山が後退する。
酒井は動かない。
「殺人を犯すアサーシンは常に自己決定権がある。それはお前も例外やない。でも、ひとつ教えてほしい。・・・お前は、どうして、俺が、あの高原警護員が苦手やと思った?」
「・・・・」
「そして、どうして、高原とハンデなしでやりあいたいと思った?」
「それは・・・・」
「答えろ、祐耶。」
酒井が、静かに、ベンチの背から体を離して立ち上がった。
「あの警護員が・・・・自分を最初から完全に犠牲にするつもりで、クライアントを警護していたから。」
「・・・・で?」
「完璧なんだ。技術も、そして、気持ちの置いている場所も。完璧な、ボディガード。」
「・・・・」
「僕が、なりたかったのは、そういう、プロフェッショナルだった。技術の完璧さ。しかもそれだけじゃない。・・・一〇〇パーセント、自分を本当に捧げることが、できること。確信をもって、全てを捧げることができること。あのボディガードと、対峙して、勝つことができるのって、そういう人間だけなんだと、思った。」
「・・・・そうやろうな。」
深山が右手を首元へ近づけた。
酒井は厳しい目で同僚を見た。
「そしてあいつは、僕のことさえ、助けた。あそこまで徹底されたら、もうほんとに、どうしようもない。・・・そういうこと。」
「祐耶!」
「さよなら、凌介。・・・ごめんよ。」
深山の右手ブレスレットの、鋭い刃先がひらめき、そしてそのまま深山は高い金属音とともに後ろ向きに倒れた。
酒井が次の瞬間、地面を蹴り、深山へ飛びかかるようにしてその両手を抑え、地面に組み伏していた。
深山のすぐわきに、酒井が投げた金属片が微かな血痕を帯びて地面に転がっていた。
深山のブレスレットの、薄羽根のような小型ナイフは、持ち主の頸動脈よりわずかに上の、耳の下に傷をつけただけで金属片にその刃を破壊されていた。
「お前、どうして分からない・・・?」
地面に押さえつけた深山を、怒りに満ちた表情で見下ろし、酒井が言った。
「・・・・・?」
「あのとき、高原が、お前を助けたと言ったな。それも、あれだけの実力を持つ高原が、まったく余裕を失った、ほとんど身代わりみたいなかたちで・・・・。なんでやと思う?」
「・・・・・」
「お前に、死んでほしくない理由があった。それは、高原が、自分よりお前が、正しいことをしたと思ったからや。それ以外に何がある?」
「・・・・・」
「高原に、迷いがないと思うか?お前より、なにか勝っていると、思うのか?」
「凌介・・・・」
「この、クソ馬鹿野郎!」
深山は、自分を見下ろす酒井の表情を見て、驚愕した。
「・・・泣いてるの?凌介・・・」
「アホなこと言うな。」
「・・・・・」
長い長い沈黙があった。
ようやく、酒井が再び、言った。
「行くぞ。祐耶。」
「え・・・」
「阪元社長が、お前の殺人を、追認した。」
「・・・・・」
「恭子さんが、半日ねばった。」
英一が会社帰りに大森パトロール社の事務所へ立ち寄ると、葛城が英一に気が付いてカウンターまでやってきた。
「こんばんは、英一さん。・・・晶生は、いないんですが・・・・」
「いえ、今日はできれば葛城さんに、お目にかかれたら嬉しいと思ったんです。」
「私に?」
「少しだけ、お時間ありますか?」
「大丈夫です。」
葛城が麦茶のグラスふたつとピッチャーを持って応接室へ戻ってくると、英一は立ち上がり改めて一礼した。
「お仕事中、ほんとにすみません。」
「いえ、茂さんが来たらやっぱり雑談でもしようと思っていましたし。」
英一はおかしそうに笑った。
「・・・河合は、いつも、葛城さんは天使みたいな人だって言ってます。」
「ええっ?」
「外見も、性格も。」
「おかしなたとえですね。」
「確かに。実際は、外見はともかくとしても・・・・中身が天使みたいな人間など、いません。」
「そうですね。」
「葛城さんだって、人間なんだということを、あいつもだんだん理解していくでしょう・・・・。迷いも、弱さも、普通に持っておられる人間なんだということを。いえ、もうわかってきていますよね。あいつは、葛城さんや高原さんを、守ろうと、してます。」
「・・・・はい。」
「できてないとは、思いますけどね。」
「あははは」
「おこがましいことではありますが、私も、少し心配しています。」
「え・・?」
「高原さんのことを、です。」
「・・・・」
英一は麦茶のグラスを持ち上げ、手に持ったまま少し沈黙した。
葛城が先に言葉を出した。
「それは・・・今回の案件のことですか?あるいは・・・」
「一般的なことです。」
美しい両目にさらりとした微笑みをよぎらせ、葛城はそのこの世ならぬ美貌に、ひらめく内側の何らかの感覚を、露わにした。
「当てましょうか?三村さん」
「・・・はい。」
「月ヶ瀬とはまったく反対の意味で、晶生が、死にとても近い人間だということ、ですか。」
「そうです、葛城さん。」
「すみません、私は、ずるをしましたね・・・。これは、当てたとは言いませんね。今まで三村さんが高原警護員についてご覧になってきたことを考えれば、当然のご感想です。」
「警護員は、もちろん、最後は命をかけて、クライアントを守る。それは当然のことでしょう。それは葛城さんも山添さんも、そして河合だって、同じことでしょう。しかし、高原さんには、そうしたことを遥かに超えた、異常なものを感じます。そして、高原さんを見ていると、月ケ瀬警護員さんについて河合から聞いたことを、思い出す。」
「・・・・」
「ふたりはまったく違うのに、結論が同じなんです。警護のとき、死を厭わないのではなく、死を希求している。それを自覚しているかどうかは分かりませんが。」
「・・・・はい。」
「月ケ瀬さんという人は、驚くような非情さを持っておられる。それは、つまり、他人との関係の拒絶であり、誰かにとっての大切な人間をつくることの拒否であり、生きることへの拒絶です。彼は恐らく、犯罪を犯す人間への憎しみだけが、生きる積極的な理由だと思います。」
「・・・・そうなのでしょうね。」
「しかし高原さんは、自分も含め生命をなにより重視し、他人との関係に深い愛情を持っておられる。しかしご自身になにか常に、ご自身の存在を許さないような、罪の意識のようなものを持っておられる。一体、何なのか、これは。」
「・・・・」
「月ケ瀬さんと違って、非常に混沌としているんです。理屈が通らないんです。高原さんは、正確に言うならば、自分を犠牲にしてでも他人を守りたいのではなくて、ご自分の存在を早く消したい。その際、なるべく少しでも他人の役に立つかたちで命を終えたい。順序がこういうことになってしまっていることに、ご本人はお気づきなのだろうかと思います。」
「・・・それは・・・・」
「なぜ自分の存在を消したいと思うのでしょう。それは、他人への、自分の能力を超えた激しい愛情です。守りたい。苦しめたくない。悲しませたくない。しかし、自分にできることがいかに少ないか。それどころか、自分の存在そのものが他人をいかに苦しめているか。だから、願わくは、自分の命をいますぐ誰かに与えて、この世を去りたい。」
「・・・・・三村さん・・・・・」
「しかし同時に彼は、人間というものを、生きるということを、なにより大事に思っておられる。そしてもちろん、自分が生きていることを必要としている人間がいることも、そういう人間を自分が苦しめたくないことも、承知している。だから、矛盾しているんです。そして、というか、だからこそ、自分が自分の生を否定しているということが、たぶんご自分ではわかっておられないでしょう。」
「・・・・・・そうです。」
「高原さんが、命知らずな行動をとるとき、もちろん必ず十分かつ説得力ある理由があります。」
「そうです。」
「だから誰も、誰一人、彼を止められないし、止める理由もみつけられない。」
「そのとおりです。」
「しかし、見方を変えることで、奇妙なことに気付くケースがかなりあるのではないでしょうか。つまり・・・なぜそれをしたのか、という問いではわからなくても、・・・・・ほかに方法がなかったのか、という問いに変えることによって、です。」
「はい。」
「そして最もやっかいな問題は、高原さんの警護の技術が超一流であるということです。そのことが、この心の置き様と一緒になったとき、どんな人間も追随できない、鉄壁の警護ということになってしまう。」
「はい。」
「それが、実際には、恐るべき矛盾と脆さでできているにも関わらず、です。」
葛城の顔は、血の気がひいたまま、しかしむしろ表情は穏やかになっていた。
英一は少し言葉を切った。葛城が、微笑した。
「ありがとう・・・英一さん。あなたは、高原を、大切に思ってくださっているんですね。そしてそれだけじゃない・・・・彼を理解し、考え、なんとかして助けたいといつもいつも、考えてくださっていたのですね。」
「・・・葛城さんほどのキャリアは、ありませんけれどね。」
葛城は、感謝と慈愛のこもた美しい目で、英一を見た。
「私には、あいつを、助けることができないんです。どうしても、できないんです。三村さん。」
「・・・・・」
「いつか、この事務所で、あなたは私をひっぱたいてくれた。あいつの指示など無視して茂さんを突入させよと迫ってくれた。感謝しています。私は、いつも、心臓が潰れそうになりながら彼を見ているしかない。けれど、自分の本当の気持ちに従ってもよい場合があるのだという、当たり前のことに、気がつくことができました。感謝しています。」
「葛城さん、私は、あなたにお礼を言ってほしくてこんな話をしているのではありません。」
「・・・・」
「私は、警護員ではない。大森パトロール社の社員でもない。高原さんはとても大切な友人だし、そして多分高原さんも私のことをそれなりの存在と思ってくれているでしょう。でも、私は、あなたではないんです、葛城さん。」
「・・・・・」
「どんな理屈も越えて、高原さんに、ただ言うことができるのは・・・ただ、生きてくれと言うことができるのは、ほぼ、葛城さん、あなたしかいないと思うんですよ。」
「・・・・・」
「誰しも、普通に生きていれば、大事な人間、好きな人間、愛する人間は、何人かいるものでしょう。しかし、そんな中でも、自分の身を分けたような、心臓の一部みたいな、存在は、そんなに何人もいるものではない。高原さんにとって、あなたは、そういう稀有なひとだと思います。」
「三村さん・・・・」
英一の表情は、決して優しいものではなくなっていた。
それは、形容するならば、突き離しながらすがるような顔とでも言うべきものだった。
「あの日、市民ホールの稽古場で木田さんを迎えに来られた高原さんを見て、胸騒ぎが、しました。とても嫌な予感がしました。私は別に予言者ではありません。今までの高原さんを見ていれば、誰でも感じることでしょう。しかしその先、だからあの人に、なにをしてあげられるか。なにもできないんです。みんな、そうでしょう。だから、私は、葛城さんにお願いをしたいんです。」
「私に・・・なにができると思われるのですか?」
「せめて、ひとつだけ。高原さんのために、たったひとつだけの、ことです。」
「・・・それは・・・・?」
英一は、ほぼ絶望に近い表情を、その端正な漆黒の両目に湛えた。
「それは、・・・葛城さん、あなたが、どんなことがあっても、高原さんより先に死なないでいただきたい、ということです。」
阪元航平は、部屋をノックしたのが誰だかわかっているかのように、少しもったいぶった返事をした。
「・・・誰かな?」
「酒井です。」
「時間かかる?」
「いえ、それほどでもないと思います。」
「・・・どうぞ。入ってくれ。」
阪元は、ドアを開け、珍しく礼儀正しく一礼して入ってきた、長身の男性エージェントのほうを見て出迎えた。
「社長、このたびは、寛大なご判断をくださいまして、ありがとうございました。」
立ったまま深々と頭を下げた酒井を、阪元はじっと見つめる。
酒井の黒髪と対照的な、そして深山祐耶と同じ金茶の髪は、少し伸びて額と耳にかかっていた。そのことが、阪元を弟にさらにそっくりに見せている。
「寛大、か・・・・。」
「・・・・」
深いエメラルドの色をした両目が、酒井の目をまっすぐに捉えた。
「あいつは、死のうと、していたか?」
「・・・・・」
「気兼ねすることはない。」
「・・・・社長。」
「ん?」
「答えのわかっている質問をするのは、社長の悪い癖です。」
「そうかな。」
「アサーシンは、通常時でも、万一しくじった場合のために、必ずその選択肢を持っています。ましてや、今回あいつは、組織のルールに明白に違反した。第一の選択肢でしょう。」
「・・・そうかな・・・。」
「そうです。」
「私は少し、期待した。あいつが、恭子さんのいいつけを、守ってくれるという、ことを。」
「・・・・・・・」
「でも、体に沁みついたものというのは、消えないものだね。呼吸をするみたいに、自らの命に、手をかける。」
「他人の命に手をかける以上、むしろ普通のことでしょう。」
「お前も、そうか?酒井。」
酒井は眼を細めた。
「その質問も、答えがわかりませんか。」
「いや。」
阪元は、酒井に背中を向け、後ろのカウンターからコーヒーセットの載ったトレーを右手で持ち出した。
そして、その左手が小さく振り抜かれ、次の瞬間には、少し身を傾けた酒井の右手に、華奢なダガーが受け止められていた。
酒井は、阪元が投げたナイフの刃先を指で挟み、くるりと回す。
「なまくらですな。」
「私は、命を仕事の犠牲にすることを、否定しているわけじゃないんだよ。」
「ええ。」
「むしろ、それは、貴い。常にそのつもりでいるべきだとさえ、思っている。」
「そのようですな。」
「私は龍川歩武の殺害は事後承諾したけれど、祐耶を無罪放免にしたわけじゃないよ。」
「処分は、十日間の自宅謹慎と一か月の業務停止に決まったそうですが。」
「そう。あいつは、反省しなくてはいけないことに、変わりはない。怒りの感情をもって殺戮をするのは、プロフェッショナルのすることじゃない。」
「・・・・・」
「でもね、同時に・・・、仕事をするときに、なにも感じなくなったら、それは職業人としての終わりなんだよ。」
「そうですな。」
「一流のエージェントになりたいなら、あいつは、迷いから自由になりたいという・・・そういう誘惑を、心から断ち切る必要があるね。」
「・・・・・ええ。」
阪元は、その異国的な両目を細め、笑った。
そして、静かにその笑みを消し、目を伏せた。
「酒井、ありがとう。」
「・・・・」
「あいつが今も生きている、その理由は、ひとつしか思いつかないよ。お前が、あいつを、助けてくれたんだね。」
「・・・・それは、俺というより、恭子さんですかな。」
阪元が笑う。
「恭子さんとは、議論はするもんじゃないと、今回しみじみ思ったよ。」
「それは真実でしょう。」
酒井は手元のナイフを、テーブルへ置く。それを取り上げ、阪元が眺める。
「それにしても・・・・・おもしろいものだと思うよ。あの変人みたいなボディガードと、祐耶が、なぜだかわからないけれど、とても特別な出会いに見えるんだよ。なにも一致するものなどないのにね。そしてこれからも、きっと、文字通り傷つけあうのにね。」
「ええ。」
「傷つけあう。完璧な技術を持つ人間が、何かに気狂いみたいな執着を持っていて、しかもそれが自分のどこから来るものなのか分からないとき・・・・なんだか悲惨な傷つけあいになるんだね。わけもわからずに。・・・・そう、その、完璧な寂しさが、人への愛情から来るものだってこと・・・・誰か、教えてあげてよって、思うんだよ。」
「・・・・・」
「教えて、あげてよ。・・・・そう、思うんだ。」
阪元は、背を向けて数歩奥へと歩み、そして部屋の壁に向かう机の前に立ち、窓ガラスから外を見た。
酒井がじっとその横顔を見つめる。
「完璧な、寂しさ、ですか。」
「無力だね。」
「・・・・我々は、祐耶を、死なせません。」
阪元が窓の外を見つめたまま、もう一度言った。
「ありがとう、酒井。」
茂がぼんやりと打ち合わせコーナーで頬杖をついていると、山添がやってきてテーブル脇で立ち止った。
「河合さん、なんだかテンション低いですね。次の仕事の話が、今日波多野さんからあるんでしょう?気合い足りてますか?」
「あはは・・・大丈夫・・・です。」
山添がその黒目がちの愛らしい両目で、茂を見ながら向かいの椅子に座る。
「三村家からの、前の仕事のことを、まだ考えているんですか?担当したのは晶生だし、もう何日も前のことだし、そろそろ切り替えないといけませんね。」
「はい・・・。俺、なんだかずっとおろおろしていただけで、全然役に立ってなかったです・・・。」
「あははは。まあ、確かに。」
茂はしょんぼりとうつむいている。
「山添さんは、波多野さんと一緒に、身の毛もよだつ任務に敢然と向かわれたというのに・・。」
「うん、確かにあれは、人生で五本の指に入る恐怖でした。河合さんが電話をくれるまでの間、警察へ向かう道中は、自分が死刑台への階段を上がっているような気分でした。」
「波多野部長は、高原さんの関係でいざというときは、なんか最近は山添さんを頼りにしますね。」
「そうかなあ。まあ、俺はけっこう、丈夫で長持ちするタイプの人間かも知れません。」
「あははは。そうですか?」
「河合さんも、強い警護員になってくださいね。あ、腕っ節のことじゃないですよ。」
「はい。がんばります。」
そのとき、山添の携帯電話が鳴った。
「はい、山添・・・・・はい、波多野さん、これからですか?・・・あ、ちょっと待ってください。」
山添が電話を中断して茂のほうを見た。
「河合さん、これから駅ビルで夕飯食おうって、波多野さんがおっしゃってるんですけど、行きますか?仕事の話はなんか延期みたいですよ。」
「なんと。」
「晶生と怜も一緒だそうです。」
「そうなんですね!山添さんも行きますよね?」
「はい、もちろん。」
茂がよく行く健全なバーが入っている駅前の商業ビルの、同じ階の居酒屋に山添と一緒に入ると、奥のテーブル席から波多野がこちらを向いて手を振った。
六人席の、波多野の隣に葛城が、向かいに高原が座り、やはりこちらを向いて笑顔で手招きしている。
「今日は半分俺のおごりだ。」
「なんですかその半分って」
「全部だと気兼ねするだろうからさ」
「いえ、そんなことは・・・・」
茂は、波多野部長や、先輩警護員たちとこんなかたちで飲食するのは初めてだった。
葛城が非常に酒に強いことや、素面のときは宴会一発芸が冴えわたる高原が飲むと寡黙になること、そして、山添と波多野が飲むより食べるほうを好むことなど、新知識を多く仕入れながら精力的に飲食した。
「おい、晶生」
高原が、一呼吸おいて波多野の顔を見る。
「お前さ、そろそろ真剣に彼女つくれよな。」
「なんですかー急に~・・・」
「結婚を前提に、ちゃんと女性とつきあえということだよ。」
「それは無理だって言ってるじゃないですか」
茂が、高原に尋ねる。
「どうして無理なんですか?」
「秘密秘密」
葛城が、まったく酔いを感じさせない、顔色の変わらぬ白い肌で茂のほうを見る。
「茂さんからも、説教してあげてください。無理だと、自分で勝手に決めてるだけなんですから。」
「そうなんですか。でも高原さん、羨ましいです。俺なんか、自分で決めるまでもなく、ぜんぜん女性にもてないですもん。」
「そうか?」
「女性を全部吸い寄せるブラックホールみたいな三村が近くにいるせいかもしれませんが。」
「あはははは。でも怜が近くにいるよりはマシかもしれませんね」
山添が、言葉をはさみ、葛城に首を絞められた。
「葛城さんは、どんな女性がタイプなんですか?」
「特段えり好みはしないですけど・・・・・人を外見で判断しない人がいいですね。」
「あっはっは」
「それから、やっぱり、・・・独りでいても、大丈夫な人、です。」
葛城の顔が、ふっと遠くを見るような静けさをその表情によぎらせた。
波多野が、軽くうなずいた。
「そうだな。」
「・・・そうですね。」
「警護員の妻は、孤独が、大丈夫であること。それは、最低条件だな。」
茂は、穏やかに頷く葛城、眠そうに沈黙している高原、そして笑顔で茂のほうを見ている山添を、順に見比べた。
波多野は、さらに色々なものを注文している。
茂はそのまま、少し視線を上げ、天井の明りのほうをしばらくのあいだ眺めた。
そして呟いてみた。
「寂しくっても、独りになっても、それでも、愛する人がいるほうが、いないよりずっと、いいですよね。」
高原が、少しだけ茂のほうを、見た気がした。しかしそれは気のせいかも、しれなかった。
月は見えないが、そろそろ東の空に滑るように上がってきているはずだった。
第十二話、いかがでしたでしょうか。
「ガーディアン」シリーズ、今後の展開はまだ不確定な部分も多いですが、
もしも、ご感想などいただけましたらとても嬉しいです。




