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二 警護

 夕方、大森パトロール社の事務室へ、葛城怜が顔を出すと、応接室の扉が閉まっており時折波多野の大きな地声が漏れ聞こえていた。

「波多野さんと話しているのは晶生?」

 近くの席にいたフルタイムの警護員仲間に尋ねる。

「ああ、そうだよ。ずいぶん長い間しゃべってるね。」

「そうか。」

 葛城は美しい目を少しいぶかしげに伏せた。彼は、大森パトロール社の誇るガーディアン・・・経験と実力豊富な警護員のひとりである。しかしその外見からはほぼそれは想像できない。その濃い栗色の柔らかな長髪も、男性とは思えない異常な美貌も、この世の天使のそれである。

 後ろに気配を感じて葛城が振り向くと、茂が続いて事務室に入ってきていた。

「あ、こんばんは、葛城さん」

「茂さん、今晩は。今日は早いんですね。」

「会社、早引けしてきてしまいました。今日は波多野さんが新しい案件を持って帰られると聞きました。葛城さんと俺のペアになるんじゃないかと思って。」

「私もそう思っていたんですが、なんだか違うみたいです。」

「そうなんですか。」

 茂はがっかりしたような、ほっとしたような、複雑な表情をした。

「・・・三村流に関することだと、葛城さんご指名になると思ったんですが・・・・」

「そのようなんですが、晶生が担当するみたいです。」

「なんと・・・。」

 応接室の扉が開き、高原が出てきて、こちらを見て手を振った。振り返り、葛城が高原に歩み寄る。

「晶生・・・新しい案件?」

「ああ。三村さんのお弟子さんだよ。今回は俺が単独で担当する。」

「珍しいね。三村家の関係で、フルバージョンじゃない警護っていうのは。」

「そうだな。」

 高原が打ち合わせコーナーに座ったので、茂はとりあえず給湯室から麦茶のピッチャーとグラス三つを持ってきて、高原と葛城のとなりに自分も座った。

「茂、三村さんから話を聞いたか?」

「はい、あいつの弟子で、今度三村流家元の紹介で大森パトロールさんへ警護を依頼する人がいるからよろしくって。」

「そうか。三村さんは、父上の三村流家元・・・三村蒼氏が、怜を指名すると思って、だとしたら河合がペアで入ると思ったんだな。」

「はい。」

「この案件、波多野さんは断ろうと思われたそうだ。」

「え?」

 高原は、そのメガネの奥の、知性と愛嬌が不思議に同居する両目に、優しい微笑みをよぎらせた。

「予算不足だから。」

「・・・・」

「長期にわたる見込みだが、クライアントが負担できる警護費用は非常に限られている。紹介は三村蒼氏だが、依頼人は警護対象の父親で、あまり予算は多くない。で、三村蒼氏の援助の申し出も断られたらしい。自分の娘の罪の責任は父親の自分がとるって。」

「今回の警護は、”出所後警護”なんだね?晶生。」

「そうだ。警護対象の木田葉子さんは、事件の前から三村流のお弟子さんだったんだけど、刑期を終えて社会復帰するにあたり、三村流は無料で稽古をつけてあげている。担当教授は英一さんだ。」

「へえー」

 茂は、三村英一がボランティアで教えているのは知っていたが、子供相手以外にもそうしたことをしていると初めて知り、やや感銘を受けた。

「そして出所後これまでに、三度の襲撃未遂があった。脅迫状などはないが、おそらく、被害者遺族ではないか、とのことだ。」

「はい。」

「警護の難易度は決して低くない。が、警護依頼人の申し出た予算では、十分な警護はできない。怜と河合のペアのフルバージョンは、もちろん無理だ。」

「晶生、お前がやるって、つまり・・・・」

「ああ。まず、一日あたりの警護時間をぎりぎりまで短縮する。夜間だけ、そして帰宅時だけにする。そして、父親が迎えに来られるときはそちらに任せる。」

「・・・でも、それだけじゃ、まだ予算不足なんじゃないか?」

「そうだね。時間あたり単価も切り詰める。」

「晶生・・・・」

 高原は、あきれた顔をした葛城の顔を見て、にっこりした。

「いつも色々お世話になってる三村英一さんに、たまには恩返ししたいからね。」

 応接室から書類を持って出てきた波多野が、打ち合わせコーナー横を通り過ぎながら言った。

「おい、晶生。警護案件について別の警護員にべらべらしゃべってるんじゃないぞ。」

「すみません。」

「・・・まあ、とりあえずだ、茂、そういうことだから、怜とお前じゃなく晶生が担当するって、英一さんによろしく言っといてくれ。」

「ははは・・・・・はい、了解しました。」



 酒井は夜の誰もいない事務室で、自席の後ろに音もなく深山が来たことに気が付き、無視して端末を操作していたが、服を引っ張られて応接コーナーまで連れていかれた。

「凌介、吉田さんがお許しをくださったよ。」

「ああ。知ってるよ、もう。」

「婚約者の男性を、別れ話のもつれで、殺害した女だ。数年の懲役の後、出所した。」

「ふん。」

「依頼人は、被害者の兄、龍川歩武さん。」

 深山は写真入りの履歴書のような人物カードを三枚、テーブルに置いて酒井に見せた。木田葉子、龍川通男、龍川歩武の三名分だった。

「なかなか、ええ男やなあ、依頼人さん。」

「兄も弟も美男子だね。」

「女性もな。」

「うん。」

「美女を、迷わず殺せるんか?」

「あははは。凌介がそんな冗談を言うなんて。」

「まさに冗談やけど、まあせいぜい気いつけや、祐耶。単独警護とはいえ、あの高原さんが通常モードで来はるんやからな。」

「ああ。楽しみでぞくぞくする。」

 酒井は大きなため息をついて、両膝の上に両肘を乗せ、少し前のめりになった。

「お前、くれぐれも・・・・暴走するなよ。特にほかのチームの仕事に便乗するんやから、迷惑だけはかけるな。」

「わかってるよ。」

「うちの会社のポリシー、わかってるな。」

「ああ。・・・実行現場では、極力”なにもしない”こと。関係のない人間たちに、迷惑をかけないこと。気づかれないこと。」

「そのこと以上に優先することは、なにひとつない。肝に銘じろ。」

「大丈夫だよ。」

 深山は、ソファーから立ち上がり、酒井を見下ろして微笑した。

「大丈夫。そして・・・・一番高原が近くにいるところで、一撃必殺で、やってみせるよ。」

 酒井は右手で両目を覆った。

「それが、趣味に走ってる、って言うんや。まあええ。成功を祈ってるわ。」



 クライアントのアルバイト先は街のはずれにある雑居ビルにある。時間まで地下の駐車場で待機していた高原は、終業時刻少し前に車で駐車場を出て、ビルの入口の車寄せに停車した。

 ここで木田葉子を車に乗せ、自宅まで送る。クライアントの仕事がある日はずっとこの繰り返しである。そして月に二回の三村流の稽古日は、稽古会場のある市民ホールまで送り、帰りは父親が迎えに来るまで一緒にホールで待つ。以上が、高原がここ一か月続けている警護メニューだった。

 一か月を過ぎたとき、波多野部長から話があった。

 警護の難易度が通常一段階上がる、あるいは逆に下がる、分岐点の目安となる一か月を迎え、より下級の、ただし二名の警護員態勢へ移行するか、さもなくば警護の早期終了を視野に入れて依頼人と再度相談しては、というものだった。

 上級の警護員である高原が短時間とはいえ低単価で毎日拘束されることは、警備会社の経営上決して良いことではないし、またいかに高原とはいえ、この先単独態勢を続けることは安全上問題があるという理由だった。

 高原は波多野に一週間の猶予を頼んでいた。

 木田葉子は、警護中あまりしゃべらないが、警護開始後二週間ほど経った頃から、少しずつ自分の話をするようになった。しかし、自分が犯した罪への贖罪への思いは特に語られなかったし感じられることもなかった。むしろ、何か頑なな確信さえ感じられ、特に高原が気になったのは、ボディガードをつけなければならないほど危険と思われる自分の身について、まったく彼女自身が無頓着に見えることだった。

 あるとき高原は、彼女に、恐怖を感じるかと訊ねてみた。

 木田葉子は助手席で前を見たまま、静かに答えた。

「もちろん怖いです。でも、私が殺したい人がいたのと同じように、私を殺したい人もいる。なんだか、それはべつに、普通のことと感じます。」

「・・・・」

「私を殺したいひとから、頼まれてそれをする人もいるんでしょう。その人が真剣で、本気だったら、きっとやり遂げてしまう。でもそうじゃないなら、きっとできない。」

「・・・冷静ですね、木田さん。」

「そんなことないですが・・・。」

 数多くのクライアントの警護をしてきた高原であるが、いわゆる”出所後警護”の対象者の傾向は大きく分ければ二つである。遺族の報復に非常に怯えるか、逆に、被害者とその遺族を包括して恨みや侮蔑の感情を抱いている者・・・つまりマイナス感情に囚われている者。もうひとつは、関係者への関心があまり感じられない者。木田は後者に属すると言えるが、しかし自分への報復を他人事のように語るところは、他にあまり例を見たことがなかった。

 アルバイトの終業時刻が過ぎ、しばらくして木田葉子がビルの一階ロビーへ階段で降りてくる。

 ロビーは狭く、車寄せに留めた車内からも奥までよく見える。高原は運転席の扉を開け、車を降りる。

 高原の左後方から歩いてビルへ入っていった女性と小学校へ上がったばかりくらいの年齢の女児が、ロビー奥の駐車場へ降りるエレベーターへ向かって歩いていたが、女児が木田葉子の前でつまづいて転んだ。

 高原の脳裏に、数日前、一度だけ木田が感情をこめて話した言葉が蘇った。

「私、母親になりたかったんです。結婚ができないというのは、やっぱり絶望的なことでした。」

 転んだ女児を、木田葉子は慈愛のこもった目で見下ろし、腰を落として手を貸してやった。高原は、木田の顔が笑顔にも関わらず抉られるような哀しさを帯びていることに気が付いた。

「おねえちゃん、ありがとう」

 女児の明るい声が響く。

 そして女児は、首にかけていた折り紙のレイから、花をひとつちぎり、木田へ差し出した。

 母親らしい女性が木田に一礼し、女児の手を引いて木田の脇を通り抜け、駐車場へ向かうエレベーターへと向かい歩き出す。

 もらったレイを見つめていた木田が、高原のほうを見て、足早にこちらへと向かおうとしたとき、女児が木田の後方で叫んだ。

「やだ!行きたくない!」

 木田はくるりと踵を返し、女児を追った。

 しかし、木田は女児に向かって数メートル走ったところで、行く手をふさがれて立ち止まった。

 同じ瞬間、女児の母親らしい女性が、振り返った態勢で、彼女と木田との間に割り込んだ人物から、その伸ばした手を払われていた。

 鋭い金属音が短く響き、銀色に光る細いナイフが床に落ち、反対側の壁まで滑っていった。

 そして、木田の前に立ちふさがった高原の、上着の胸のあたりが、ざっくりと裂けた。



「しそんじた?・・・お前、今回はマジで行ったんやろ?」

「・・・・当たり前でしょ。フルバージョンで臨んだ。完全に僕の負けだ。」

 目を丸くする酒井の視界の中で、深山はテーブルに肘をついた右手で、額を支えるようにし、悔しさを隠そうともせず宙の一点を見つめていた。 

「今の録音しとけばよかったな。人生で初めて言ったやろ、それ。」

「そうだよ。あの距離で、こっちに向かって走ったターゲットよりも早く、僕の前に到達したということは・・・・子供がレイを渡した段階で、気づかれたってことだ。」

「はっやいなあ。」

「それも、何か怪しい、とかじゃなく、一二〇パーセント、僕が襲撃者だと確信したってこと。そしてあいつは静かに距離を詰めた。一瞬ターゲットの背後、僕の死角に入って・・・・畜生・・!」

「そういうことやな。」

「小細工もきかないし、スピードでも叶わない。完敗だ。」

「まあそう言うな。文字通り、一矢くらいは報いたんやろ?」

「意味のない、一矢はね。」



 警護業務を終えて大森パトロール社へ戻った高原を見て、葛城はたちまち蒼白になった。葛城と過去の警護案件のレビューをしていた茂も、振り返り愕然とした。

 葛城が立ち上がり、高原へと駆け寄りながら言った。

「・・・晶生!そ、それ・・・・」

 高原の裂けたシャツの下に、鎖骨のすぐ下あたりを、横一文字にほぼ胸の端から端まで切られた傷に手当が施されており、シャツの裂け目には血痕がべっとりとついていた。

 高原は、病院でもらった痛み止めと車のキー、そして裏側に血のついた上着だけを持っていた。

「すごいよな。あんなスピード、今までの襲撃で一度も見たことない。俺も一瞬刃先を見失った。」

「あと数センチ上だったら・・・」

「まあこの高さは、クライアントの喉の位置とぴったり一致してるからね。クライアントが俺と同じ身長だったら、危なかったかなー。あっはっは」

「あっはっはじゃありません!」

 自席の椅子の背に 裂けた血まみれの上着をかけ、高原が葛城と茂を促しながら打ち合わせコーナーに座ろうとしたところで、波多野が給湯室からコップを持って出てきた。

「晶生、来い、顛末を話せ。」

「はい。」

 茂と葛城も、一緒に応接室へ入った。

 高原は波多野の向かいの席に座り、頭を下げた。

「すみません、襲撃の着手に至ってしまいました。クライアント宅で依頼人にはお詫びしました。警察への届け出は、明日まで考えたいとのことでした。」

「電話で概要は聞いたが、・・・犯人は、前にお前を襲った奴と同じ人物だったんだな?間違いなく」

「はい。水木学さんをあのホテルで襲撃した犯人と、同一人物です。女性に変装していましたが、至近距離で顔を見ました。」

「女児は・・・・」

「演技を仕込まれた子供です。これが、レイの花の実物です。」

 高原は痛みどめの薬と同じ袋に入れて持ち帰ったビニールケースを取り出し、女児がロビーで木田葉子に手渡した、レイの折り紙の花を出してテーブルに置いた。

 そこには子供らしい字で、はっきりとこう書かれていた。『たすけて これは ママじゃない』

 波多野はソファーの背にもたれて、天井を見上げてため息をついた。

「なにからなにまで、プロ中のプロだ。」

「はい。」

「お前、単独でこの警護案件を続けるのは、今日でやめろ。」

「波多野さん」

「反論は聞かんぞ」

「・・・・ひとつだけ、気になることがあるんです。」

 茂は波多野や葛城と一緒に、高原の言葉に耳を澄ました。



 龍川歩武が、マンションの狭い一室を改装したスナックで水割りを飲んでいると、カウンターの向こうからこちら側へ歩いてきたママが、隣に座った。

 ママは茶色の細かいウエーブのかかった髪を両肩に垂らし、足を組み、微笑む。

「龍川さん、大丈夫?」

「なにが?」

「阪元・・・探偵社だっけ、一回目しくじったんですって?次はちゃんとやれるのかしら。」

「どうだろうね。」

「なんだか、すごく上品な会社なんでしょ?周りに迷惑かけない、大人しい手口ばっかり使うって、噂。」

「それがあそこの特徴だからね。」

「うちの常連さんのヤクザに頼むほうがずっと早いわよ、きっと。」

 龍川は哀しそうな声で低く笑った。同意とも無関心とも解釈しがたい表情だった。

 その長い脚を組み直し、ママの顔を改めて見る。

「そうかもしれないな・・・・。」

「葉子さんはなんだかすごい優秀なボディガード雇ってるのね。もっと心配なのは・・・」

「阪元探偵社が、バカじゃないってことか」

「そうよ。いずれにしても、貴方のことが心配。あのね、黙っていようと思ったんだけど、私、貴方に用心棒つけたのよ。」

「俺に?」

「常連さんの紹介。チンピラだけど腕っ節だけは強いのを二~三人手配してくれた。貴方に何かあったら誰だろうとぶっ殺してくれるように言ってあるわ。」

「それは頼もしいな。」

「私は、バカな女じゃなく、頼れる女だからね。」

「そうだな。」


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