魔王様の遊戯
気まぐれに書いた短編です。歪んだ主人公でも宜しければ、お読みください。
それは本当に、なんてことはない気まぐれだった。
粉塵が舞う、凍え切った更地。
わたしがつい先ほど、瓦礫の山にした街であったものの残骸が、そこかしこに散らばっている。はっきり言って、これすらも目障りだった。
細かい欠片を爪先で除けつつ、わたしはさらに奥へと進む。
足元を見れば、そこにはもげた腕が。よくよく見ればあちこちに、人間であったものの死骸が腐臭とともに転がっていた。
わたしはそれをなんとはなしに凍りつかせ、跡形もなく踏み潰す。醜い人の血肉が凍りつき、夜の闇に煌めく様は、人間などよりもよっぽど美しく見えた。
嗚呼、でも、なんだかつまらない。物足りない。満ち足りない。
人を惨殺してゆくことは既に、わたしにとっては仕事と同じこと。機会的に、事務的に。数多の命を刈り取ってゆくことは、最早快楽の範疇からはみ出ていた。
思わずため息を吐いたときだ。一人の男が、音もなく眼前に立つ。頭を垂れるその姿に、わたしは少しだけ胸を踊らせた。
「ファノリール様。こちらのほうの制圧も、既に滞りなく終わっています」
「そう、ご苦労様」
古くからわたしに仕え、従っているアーテントが、赤茶けた液体がこびりついた軍服を着て知らせてくる。しかし今のわたしには、その程度のことなど興味の片隅にものぼらなかった。
人など脆く、か弱いもの。
魔王であるわたしをいくら倒そうとしても、彼らは一向にわたしを殺せない。
その様の、なんと哀れなことか。
御伽噺などて語り継がれる『勇者』などと言うものに、お目にかかってみたいものね、と失笑すれば、アーテントは何を勘違いしたのか、眉を寄せる。
あらあら。綺麗な顔が台無しよ?
アーテントは、わたしとは真逆の色彩を持っている。
夜羽色の髪、燃えるような、情熱的な瞳。氷の女王と謳われるわたしとは対局的な位置にある彼は、それでもわたしに仕え続けていた。
本当に、変わり者だこと。
空を見上げれば、真っ赤に燃えるような月がふたつ、双子のように顔を覗かせている。
「……嗚呼、今宵は良い夜ね」
そんなぞくぞくするほど異質なものを見て、わたしの心は震え上がる。今宵は小洒落て、夜の散歩をするのが良さそう。
「アーテント。散歩をするつもりなのだけれど」
「ついていきます」
「……そう」
アーテントはいつだって、律儀にわたしについてくる。
わたしはそれを当たり前のこととして捉え、着の身着のまま夜の散歩と洒落込んだ。
赤い月が大地を照らし、星々が夜の暗闇に彩りを添えている。
瓦解した街の、半ばを過ぎたあたりだったか。
アーテントが、わたしの前に出た。
「ぁぁああああっっ!!!」
それの数秒後に、喉の奥から引き絞ったかのような声がした。
見れば、着ている服も、体もボロボロな人間の子どもがいる。しかも、それがひとりではないのだ。
ひぃ、ふぅ、みぃ……あら、全部で五人もいるの?
誰も彼も、憎しみを込めたぞくぞくする視線をわたしに向けている。その手には小賢しいことに、どこかから拝借してきたのであろう刃物が握られていた。
どうやらその脆い道具で、わたしを殺そうとしているらしい。
憎悪にまみれたその暗い瞳にわたしだけが写っていることを知って、わたしは胸を踊らせた。これはいい。暇潰しくらいには、ちょうどいいオモチャだ。
わたしは一太刀で殺そうと剣を抜くアーテントを、片手で制止させた。
「……ファノリール様?」
「殺しちゃ、ダメよ?」
嗚呼、なんて、なんて素敵な瞳なのでしょう。
その瞳が深い憎悪から、どうしようもないくらいの絶望に打たれたときの様が目に浮かぶ。
幼くも確かな殺意を持って駆けてくるその少年に、わたしはにっこりと微笑んだ。
「良さそうなオモチャだこと」
瞬間、大気が凍った。
駆けてきた少年の希望を掻き消すために、わたしはその手と足を凍りつかせたから。
無様に倒れ伏すこともできないまま彫刻のように固まる坊やに、わたしはゆっくりと近づく。他の子たちにまた来られるのは面倒臭かったから、揃って足元を凍らせたのだけれど、まだあの目は生きているかしら。
楽しくて愉しくて仕方がない。実に愉快で滑稽。
わたしは、一番始めに殺そうとしてきた勇敢な坊やの顎を、そっと指先で掬った。
「触るな、化け物!」
「あらあら。言葉遣いが悪いのねぇ」
首はまだ動くからか、坊やはわたしの手に噛みつこうと唸り声をあげる。まるで動物のように牙を剥くその様を見て、わたしは安心した。この目はまだまだ生きている。
笑いが止まらない。久々に壊し甲斐のあるオモチャが、なんと五人。
わたしは目の前の坊やの顎を、腕力で固定させて顔を近づけた。
「随分と活きが良いこと。そんな貴方たちに、とっておきの贈り物をして差し上げるわ」
坊やの目には復讐の炎だけが、途切れることなく燃えている。どんな闇よりもなお暗い瞳には、わたしのことを殺すという意志しかない。
アーテントが何か後ろで言っていたけれど、今はそんなもの後回し。
わたしはただただ、望むものを望むままにくれそうな坊やたちに、とっておきの贈り物をくれてあげるの。
「この残虐の中で生き永らえた、幸福で可哀想な坊や。貴方に、わたしのことを殺す権利をあげるわ。遠慮なく受け取りなさい。……でも、最後の最後までわたしのことを殺せなかったなら」
そのときは、わたしの玩具になりなさい。
呪いの言葉を口にすれば、坊やたちの額に淡い青色の光が浮かび上がり、消えてゆく。
これがわたしが君たちに与えた、最高で最悪の贈り物。
酷い憎悪と嫌悪でまみれた顔をひと撫でしてから、わたしはアーテントを連れて踵を返す。
「……よろしかったのですか?」
「あら、何が?」
首を傾げて振り返れば、アーテントは押し黙った。その顔に少しだけ嫉妬の色が浮かんでいるのを、わたしは見逃さない。
でもそれを、言ってあげようとは思わなかった。
先ほどよりも軽くなった足取りを踊らせ、わたしはひとり微笑む。
「はやく、来ないかしら」
***
氷の魔王ファノリール。
それが、わたしのことを見た者たちが口々にほざく、わたしという存在の呼び名。
長い銀髪、青い瞳、そして抜けるように白い肌が、それに拍車をかけているらしい。
まぁわたしからしてみたら、そんななんの心の足しにもならないことなど、どうでもいいのだけれどね?
あれから優に八年。
人間界の半分を制圧したわたしは、ただ淡々と彼ら、『勇者』の来訪を待ち望んでいた。
「どういう了見ぞ! どうしてあの忌々しき勇者ごときが、魔王城の目と鼻の先にまで……!」
そこでわたしの思考は途切れた。
冷めた目でそちらを見れば、そこには会議の場でしか威張れない、愚かな家臣のひとりが声を張り上げている。
嗚呼、本当に耳障り。
ぱきり、と大気がわずかに凍る。
それをいち早く察知したのは、わたしの席の後ろで待機していたアーテントだった。
「ファノリール様」
「……本当に鬱陶しいわ」
まるで羽虫のようにまとわりつく彼らに、わたしは辟易する。ここで騒げるのであれば、自分が戦地に赴いて彼らを殺せばいいでしょうに。そんなこと、覚悟のない彼らには無理でしょうけれど。
まぁそれができないからこそ、このゴミどもはここで喚き散らしているのでしょうね。
流石にイライラしてきた。
仕方ないので気晴らしにと、席を立って退散しようとする。
「こんな無駄な会議をしているくらいなら、ひとつでも多くの武勲をたてたらいかが?
そのほうがよっぽど有意義だと思うけれど」
冷めきった声に、誰も彼もが押し黙る。
なんて情けない。わたしひとりに対してすら、ここまで腰の引けた対応しか取れないなんて。
それを一瞥だけし、わたしはアーテントを連れて部屋に戻った。
広々としたふかふかのソファに身を沈める。その感触で思い起こされるのは、八年前のあの邂逅だ。
「ああ、本当にもう……そろそろ来ないかしらね、アーテント?」
「それは……勇者のことでしょうか」
「もちろん」
部屋に戻って早々そうぼやけば、アーテントは少しばかり複雑そうな顔をしてそう言った。
そう、勇者だ。八年前のあの、素敵な夜に、わたしのことを殺すなどと豪語していた坊や。
彼らは今や『勇者一行』として名をあげ、わたしを殺すためだけにこの城にまで向かっている。
愉快すぎて、そのときが待ち遠しい。
彼らは今、どれくらい素敵な目をしているのかしら。
憎悪と嫌悪にまみれた、暗すぎる瞳。
執着が執着を呼んだ結果、彼らはとうとう勇者にまでなった。
その様を見るのはわたしの、今期一番の楽しみだ。
口端から自然と笑みが零れる。
するとアーテントが、躊躇いながらも口を開いた。
「僭越ですが、ファノリール様。人間の子どもなどを飼われて、どうなさるおつもりですか?」
アーテントの瞳に、嫉妬と怒りが滲んだ色が揺らぐ。
彼の瞳もとっても素敵。彼はとても強い魔族なのに、こんなにもわたしに依存している。それが凍えていた心に波紋をもたらし、心がゆっくりと震える。
それは紛れもない、歓喜だった。
控えめにと考えたのだけれど、唇はやっぱり歪んでしまう。
わたしは座っていたソファから立ち上がり、アーテントの前まで歩み寄った。
逃げようと下がる彼の顔を、そっと両手で捕まえる。
わたしの凍えた手とは対照的に、彼の体はとても温かく感じた。
「なぁに、アーテント。もしかして、貴方……勇者たちに妬いているの?」
真っ赤な瞳がゆっくりと開かれるのと同時に、わたしはその唇に口付ける。
瞬間、アーテントが震えた声をあげた。
「からかわないでください……!」
「からかってなどいないわ」
幼い子どものようなアーテントが可愛くて、ついついいじめたくなってしまう。
でもこれ以上話さないままでいれば、アーテントが怒ってしまいそうなのよ。
わたしはアーテントの柔らかい唇を指先で楽しみつつ、彼ににっこりと微笑んだ。
「わたしが欲しいのはね、アーテント。わたしのこの凍てついた心を溶かしてくれる、そんな燃えるように熱い感情をぶつけてくれる者なのよ」
わたしがアーテントを焦らし続けた理由はそれだけ。アーテントがわたしに恋をしていることなど、数千年前から知っていた。
しかしその年月分だけ、アーテントはわたしに恋をして、わたしを愛して、そして嫉妬を重ねた。
熱がこもりすぎたそれは、わたしの心を溶かしてくれるはず。
生まれてこの方十万年近く経つけれど、わたしの心は凍えたまま。
だからこそわたしが一心に望むのは、溢れるくらいの幸福感だった。
その一言でタガが外れたアーテントは、わたしの唇を獣のように貪る。息すらも飲み込むほど激しい口付けに、わたしは溺れた。
身も心も蕩けきった頃、アーテントはようやく差し込んだ舌を抜く。互いに絡み合っていた舌先から、銀色の光が零れ落ちた。
魔族は己の性欲を満たすために体を重ねるけれど、わたしはその感情そのものが凍りついているせいかしたことがない。
しかしこれからアーテントがやろうとしていることは、紛れもなくそれだった。
だらしなく寄りかかっていたわたしを、アーテントが横抱きにして寝室へと運ぶ。
「……もう、容赦はできませんが。それでも、構いませんか?」
理性を必死で保とうとしているその姿が、なんとも言えず愛おしい。
ベッドの上に運び込まれたとき、わたしは彼の理性を押し潰すために彼を押し倒した。
「もちろんよ。わたしの初めて、アーテントにあげるわ」
それが今日唯一、意識があった頃の言葉だった。
***
それから数日後。わたしの待ち望んでいた勇者一行が、とうとう魔王城にまでやってきた。
わたしはそれを玉座の間で、ゆったりと待ち受ける。アーテントももちろん一緒だ。
彼に体を三日の間貪り続けられたことは、今思い出しただけで気が狂うほどの快楽だった。
それもあいまって、今のわたしはとても機嫌がいい。
鼻歌交じりに待ち構えていると、玉座の間の扉が乱暴に開かれる。
そこから入ってきた彼らは、予想を遥かに超えるほどに美しく、そしてドス黒く成長していた。
「魔王。今日こそ、お前を討つ」
前とは違い、身の丈にあった片手剣をわたしに突きつけ。勇者は憎しみと怒りで染まった瞳でわたしを射る。
その目がさらなる絶望で彩られることが容易に想像でき、わたしの心はいつも以上に踊った。
数段高くなっている玉座から立ち上がり、ゆっくりと階段をくだる。
そのままの足取りで坊やたちに近づけば、彼らは一斉にわたしに向けて攻撃を始めた。
否。始めようと、した。
勇者の手から、剣が滑り落ちた。
賢者の手から、杖が零れ落ちた。
魔術師の描いた魔法円が、跡形もなく崩れ去った。
槍者の足元に、槍が転がり落ちた。
狩人の矢が、力なく地面に突き刺さった。
体が動かないと、全員が驚いているらしい。その目が驚愕と憎悪、そして絶望で濡れそぼるのを見た瞬間、わたしは思わず笑ってしまった。
「ふふふふふっ! 本当に、本当に可愛らしい玩具だこと! わたしがあのときに、貴方たちに何もしなかったと? そんなわけ、ないじゃない!」
なんと哀れで、なんと滑稽なことか!
坊やたちの額が、ゆっくりと青い光を帯びてゆく。
わたしが得意とするのは、凍結魔法。しかしそれの使い勝手は、それだけにとどまらない。
その気になれば心だって凍らせることができる。
そしてそれを使った相手は、なんともわたし向きな副作用を持ってくれるの。
額の光がよりいっそう強くなる。
最後に見た憎悪の瞳は、一体誰のものだったかしら。
溶けるような光の中、わたしはこれからのことを思って笑った。
勇者ごときが、魔王に勝てるはずがないじゃない。
「ファノリール様」
「起きてください、ファノリール様」
わたしの朝は、六人もの男からの愛撫によって始まる。
瞼を開こうとした瞬間、唇が重なった。
口付けはどこまでも深く絡まり、やがてわたしの中を蹂躙してゆく。
口付けがようやくおさまったのは、わたしの息が続かなくなったその辺りでだった。
開口一番に甘い口付けを贈ってくれたのは、今となってはまるで別人と言える『元勇者』から。
「あ、ずるーい。僕も」
そんな風に声をあげて耳を舐め始めたのは、未だに子どもじみたままの賢者だった。
ぴちゃぴちゃと濡れた音が、鼓膜を伝って頭を揺らす。
それを機に、ミステリアスな魔術師が、やんちゃそうな槍者が、知的な狩人が、そしてアーテントまでもが、わたしに溢れるほどの愛情を注いでくれる。
「ふふふ。くすぐったいわ、皆」
ぞくぞくと、背筋が震え上がるほどの高揚。
憎悪と執念で固められていた瞳は、今となっては恋情にのみ焦がれた暗くも甘い色へと変質を遂げている。
これこそ、わたしの魔法の副作用だ。凍らせた対象が何故か、逆転して表に出てしまうのだ。
その結果、憎悪は純粋すぎる愛情へと変わる。
今となってはわたしなしでは生きていけないであろう彼らは、わたしのことを一心不乱に満たしてくれた。
どんな虐殺でも、征服でも、平伏でも満ち足りなかった心が、嘘のように癒えてゆく。
数万年もの間心待ちにしていた感情に、わたしは彼らにも差別なく愛を与えた。
どの子もこの子も、可愛くて仕方がない。
もしも飽きたときは、そうね……一度捨ててからまた愛を囁いて、そこでわたしの魔法を解いてあげることにしましょう。
その顔もきっと、今以上に素敵なはずだもの。
六人もの男たちの愛を噛み締めながら、わたしはひとり優越感に浸る。
「――貴方たちはこれからずぅっと、わたしの玩具よ?」