表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
原発TERRORISTS  作者: 毘沙門
第三章 準備期間
7/37

準備期間 2クラッカー

                  二―1

                    

 郁は待っていた。

あれから既に一週間が経とうとしている。この一週間をどれだけ待ち望んだことだろうか。もうすぐ、あと五分でその一週間である。


郁が桐生と出会ったのは郁が中学三年の時だった。実家に隣接するビルの屋上だった。隣でありながらビルは誰が使っているのか、どのような用途に使われているのか、郁は知らなかった。ただ、その時の郁にとってそんなことはどうでもよかった。

『どうせもう僕はいなくなるのだから・・・』


郁は生まれたときから体が小さく痩せていた。運動神経の発達も遅く、体育の授業はひどいものだった。もともと極度に引っ込み思案な性格も災いして、たいして面白いことを言って周りを笑わすこともなく、当然クラスの人気者という立場ではなかった。

そんな郁はテレビゲームに嵌った。格ゲーだろうが、RPGだろうが、シューティングだろうがコントローラーを持つ両手が動いて、ちょっと回転の速い頭さえあれば、運動神経はさして必要ないこの遊びは、郁にとっては唯一自分を表現できるプライドだった。そしてその対象がテレビゲームからパソコンになるまでにそれほどの時間は必要とならなかった。ただ、郁がそれらにのめり込めばのめり込むほど周りの友達との距離は離れていった。

中学に入学するころには郁にゲームで勝てる同級生は皆無だった。中学に入っても体は小さい方で体力的にも全く他の生徒に及ばないが、理数系科目とゲームだけが得意な少年、そんな郁を同級生はだんだん疎ましくなっていった。いじめの対象になったのはその頃だった。はじめは『キモオタ』と陰口されたり、靴を隠されると言った軽度なものだった。だがそれがエスカレートするのに時間はかからなかった。郁のホームページやブログに『きもい』『ウザい』『しね』の三点セットの書き込みが乱舞した。郁がホームページやブログを閉鎖すると、今度は郁自身に攻撃の対象を変えた。相手は数人のクラスの男子だった。毎日、殴る蹴るの暴力を受けた。冬のプールで泳がされることや、誰かが捕まえてきた昆虫を口に入れさせられることも数回あった。また、月に一度の小遣いは必ず彼らに徴収された。

そんなことが二年間繰り返された。

クラス替えの度に郁をイジメる奴らは数を増した。前のクラスの奴に今度のクラスの奴が付加されるのだから当然である。同級生は誰も助けてくれなかった。まるで郁をイジメている奴らが、単におもちゃで遊んでいるかのような、そんな対応を取った。郁もまるで自分が空気であるかのように、目立たないようにしていたが、奴らはその空気をわざわざ見つけ出して遊んでいる。

学校にはずいぶん前から行きたくなかった。ただ、学校に行かなくなると郁がイジメられていることが両親にバレて事態が大事になる。そうすると、また奴らに仕返しされる、もっと酷くやられる、現に奴らはそう宣言していた。だから行くしかなかった。

中学の三年間で担任は毎年変わった。恐らく誰もが郁がイジメられていることに気付いている。でも気付いていないふりをしている。彼らにとっては何事もなかったかのように郁が卒業してくれさえすればいいのである。


ある日の放課後、奴らが体育館倉庫に連れ出した郁に言った。三船という同じクラスの一味だ。

「明日までに、俺たち全員に二万円持ってこいよ。そうしたら許してやる。」

二万円、ここにいる奴ら全員に持ってくると十八万円になる。しかし、そんなことはどうでもよかった。もともと二万ですら中学生が簡単に手にできるお金では無い。土台無理な話なのだ。しかも。『許す?』いったい郁の何を許すのだろう。郁が彼らに何をしたのだろう。ただ、空気として生きてきただけである。郁の中で何かが弾けた。

「何を?」

疑問に思ったことを聞いてみただけだ。しかし奴らには反抗と映ったのだろう。

『ごっ!』

三船が郁を思いっきり殴った。いつも受けているより若干強い衝撃を受けた郁は地面に倒れた。

「お前の存在にきまっているだろ!」

そう言って倒れた郁の横腹を思いっきり蹴り上げた。郁は数秒息ができなくなって悶え苦しんだ。

「わかったな、明日だぞ!」

そう言って三船達は体育館倉庫から出て行った。

暫く郁はその場に横たわっていた。なぜ僕の存在は誰かの許しを得なければならないのだろう。存在してはいけなかったのだろうか。涙が顔を横切って床に落ちた。普段ならこの程度のことで泣くことはなかったが、その日は何故か我慢できなかった。

 奴らに言われた金額はとても用意できない、誰かに相談しようにも先生も親も当てにならなかった。結局大人に話した時点でより過度な報復が待っている。何も準備できないまま明日を迎えれば、最初は奴らも怒るだろうが、その後は何もなかったかのように同じ毎日の繰り返しだ。少なくともより過度にやられることはないかもしれない。そうするか。でもまだ卒業まで半年以上もある、毎日これでやっていけるだろうか。何か疲れたな・・

 暫くして、郁は立ち上がり体育館を後にした。

「もう、終わらせたい・・」


何をどう考えて家路を進んだのか分からなかったが、気がつくと郁は自宅の隣のビルを見上げていた。ここから飛べばすべてが終わるかもしれない。それは今までイジメられてきた郁だが、少なくとも初めて思いついた仮説だった。しかし、その仮説はすごく具体的な良解だと思えた。そう思った郁は初めて入るビルの非常階段から屋上へ向った。未知を挟んだ自宅の向いでありながらビルは誰が使っているのか、どのような用途に使われているのか、郁は知らなかった。ただ、その時の郁にとってそんなことはどうでもよかった。


屋上からはきれいな夕日が見えた。この周辺一帯で一番高いビルだ。夕日に映る下の街がすごくきれいだった。最後の最後に誰かがこの景色をプレゼントしてくれた、そう思えた。

少なくとも、郁は神様の存在を信じていない。もし神様がいるなら郁はこんなつらい毎日を送ることが無い筈だ。だからきっと神様でない誰かが、この夕日の景色を用意してくれたんだ。そう思うと、郁はこのきれいな景色が消えてしまう前にさっさと飛んでしまおうと考えた。屋上は郁の腰くらいの高さの鉄のガードで囲われている。いくら運動音痴の郁でもその高さのガードは簡単に跨げる。


郁がガードを跨ぎかけたときだった。

「そこから飛び降りてもらっては困るんだが!」

不意に後ろから声をかけられた。郁が振り返ると男が一人立っていた。夕日を浴びたその男の顔は、いや顔だけでなく全身が赤く染まっていた。

「もう一度言おうか?」

その場で固まっている郁にその男は問いかけた。郁は対処を困ったがとりあえず跨ぎかけた足を戻した。このビルの管理人だろうか。男はまっすぐ郁の方に歩いてくる。郁は今まで取ろうと思っていた行動を遮られて茫然と立ち尽くしていた。男は郁に近づくと郁よりも頭二つ高い背から左手を伸ばし、郁のあごをつかみ、二度、顔を左右に動かして郁の顔の側面を確認した。

「また、派手にやられたな。」

郁の左頬は大きく腫れていた。殴られた時のものだ。さすがにその顔で帰れば一発で両親にもバレていただろう。

遠くから見た男の姿は赤く染まっていたが、近くで見ると白っぽいカッターシャツとズボンに身を包んでいた。

「ちょっとおいで。」

そう言って男は郁をビルの二つ下の階に連れて行った。

下の階のその男が入った部屋には十台程のパソコンとサーバらしきものがいくつか並んでいた。何かのオフィス、そんな感じだった。しかし、不思議なことにパソコンは全部電源が付いていたにもかかわらず社員は男だけだった。そして、オフィスの奥になぜか冷蔵庫があった。男は冷蔵庫の冷凍庫から保冷剤を取り出すとタオルに包んで郁に投げて渡すと

「ここに座って冷やしているといい。」

そう言ってパソコンデスクのうちの一つの椅子を郁に向けて放った。椅子についたローラーが転がり椅子は郁の前で止まった。郁は言われるままに椅子に座って頬の腫れを冷やした。

「で、相手は何人?」

男は郁から少し離れたデスクトップの前に座り郁に聞いた。

「九人・・・」

「君は一人かい?」

郁は頷いて答えた。

「すると、それは喧嘩じゃなくて一般的にイジメと呼ばれるものじゃないのか?」

また郁は頷いた。

「今日だけか?」

今度は郁は首を横方向に振った。

「いつから?」

「二年前・・・」

郁は答えた。

「それを両親か先生に報告したか?」

また郁は首を横に振った。

「言ったら余計にやられる・・」

男は、ふぅ!とため息をついた。

「そういう時代か・・・でも、だからと言って、君が今しようとしたことは、最低の策だ。」

郁は急に悔しくなってきた。そんなことこの男に言われるまでもない。でも、他に方法があっただろうか。この男に自分の辛さの何が分かる?そう思うとまた何故か涙があふれた。

「僕一人では・・・他に方法は無いから。」

がんばって声を振り絞った。

「本当にそうか?」

男は自分の前のデスクトップを何か操作しながら言った。この男は何も分かっていない。自分にいったい何ができたと言うんだ。

「僕は体が強くないし、パソコンとゲームしかできないから奴らから自分を守れない・・・それに、だから、みんなに『キモオタ』って嫌がられるし誰も助けてくれない・・・」

「ふ、パソコンか。丁度いい。ちょっとこれを見てみるといい。」

が、そう言いながら郁を手招きして自分の前のデスクトップのモニターを見せた。そこにはインターネットの何かのページが開かれていた。そのページには八人の男の顔写真とプロフィールらしきものが出ていた。

「この八人はみんなIT系のベンチャー企業の社長だ。ここにいる全員が年収五千万を軽く超える、いわゆる『勝ち組』だ。ひょっとしたら、この中の何人かは君ぐらいの時に君と同じ目に合っているかもしれないな。君をイジメた子たちがどれだけ体が強いか知らないが、たとえその体の強さを生かしてプロのスポーツ選手になったとしても彼らより稼ぐことは難しいんじゃないかな?ま、この先のことは分らないけどね。少なくとも将来君がそいつらより勝ち組になれる可能性を持っているかもしれないわけだ。」

「はぁ・・・」

「それに、パソコンとゲームしかできない?いいじゃないか。何も体が強いだけが身を守る手段じゃないぞ。君の得意分野を磨けば十分身を守ることもできる。」

「え?」

何を言っているのだろう?パソコンとゲームの腕をどれだけ磨いても身を守れるわけがないではないか。この男は正気だろうか?

しかし男はそんな郁の心境は構わず続けた。

「まあ、今回は乗り掛かった舟だ、その方法をいくつか教えることもできるが、その前にその子たちが君に今までどんなことをしたのか教えてくれないか?それによって対処法を変えよう。」

郁は半信半疑だったが、この男の話に乗ってみようと思った。悪い人間では無さそうだ。それに他に良い方法は思いつかなかった。ただ少なくとも、この男と話していると屋上から飛び降りようと考えていた自分がばかばかしくなっていた。

郁は、この目の前の男に自分が二年間受けてきたイジメについて思い出す限りを説明した。


「確かにちょっと酷いな、ここまで陰険なものだとは思っていなかった。でもそれなら君の取る方法も容赦はいらないだろう。逆にこれくらいやらないと防衛にならないかもな。」

郁の話を聞いた男はそう言った。これくらい?いったいどれくらいのことなんだろう?郁は不思議に思ったが知るすべもない。

「まぁ、とりあえず今日は遅い、今日はもう帰りなさい。俺も、まだ仕事が途中だ。それで明日は学校に行かずここにおいで。そのかわり数日休んでも授業の方の遅れが無いようにしてくれよ。」

郁は学生に学校に行くなと言う大人を初めて見た気がした。が、明日はここに来ることに決めた。少なくとも、この見ず知らずの男は郁の話を聞いてくれた。見て見ぬふりを決め込む学校の先生よりは信頼できた。

殴られた顔の腫れはもう充分に引いていた。これなら誰にも分らないだろう。


男は桐生翼也と名乗った。



                  二―2

次の日から郁は学校を休んだ。学校の方には郁の父親らしき声で、郁が体調不良により休む旨の連絡が入った。クラスメイトも郁が休むことを知ったが、誰一人そのことを気にする者はいなかった。郁がイジメられていたことに見て見ぬふりをしていたクラスメイト達は、『とうとう休んだか!』『いや、よくもった方だよ。』とほんの少しの会話に上る程度だったし、イジメている本人たちは『あの野郎、今度学校に出てきたらどんな仕打ちをしてやろうか』と話し合っていた。彼らのうちの何人かは昨日、二万円を請求したが、それを本気で郁が用意できるとはだれも思っていなかったし、それこそ、次のイジメの口実でしかなかった。ただ、郁がいないとストレスを発散できないという不便さが確認されただけだった。

郁がその次の日も休むとわかった時も、周りはその程度の反応だった。


しかし、その日の午後から異変は起きた。

「何これ!」

昼休みが終りかけた頃、クラスの数人の携帯に未登録の差出人からメールが届いた。校則で携帯は禁止されていたが、何人かは携帯を持って来ていた。学校に見つかった場合基本的には取り上げられその日の授業が全部終わるまでは、返してもらえない。しかし、彼らにとっては携帯を持っていることがステータスであり、授業中に通話はもちろんのことメールを打つことさえリスキーであり、サイレント・マナーモードにして置いておくだけなのであるから、逆にその日のうちに返ってくる程度の没収は反省を促すものには値しなかった。取り締まる教師の側にも、有事の連絡手段として携帯電話の持ち込みを禁止する校則について見直す動きもあり、父兄からの要望も強かった。よって授業中に音が鳴る等、授業の進行に影響しない限りは没収せず、持ち物検査をするなどして積極的に摘発することは無かった。ただ、見つけてしまったものは没収するしかなかった。その場合もその日のうちに本人の反省文の提出を条件に本人に返すことにしていたが、いつしかその反省文制度もうやむやになっていた。最終下校時刻まで反省文を書ききれない生徒が続出し、その日のうちに返そうとすることができなくなってしまうのだ。暗くなってから生徒を帰すことや、連絡手段を取り上げたまま帰すことは何か起きた時に責任問題に発展するため、できれば避けたいと言うのが教師側の都合だ。ただ震災クラスの有事に携帯がどの程度活躍するかは疑問ではあることが数年後わかるのだが・・奈何せんそういった事情もあり、クラスの中でも結構の人数が携帯を持って来ていた。

そのうちの二人にメールが届いたのだ。差出人のアドレスは誰の知り合いでもないフリーメールのアカウントからだった。メールを開いた生徒は本文をみて驚いた。クラスメイト数人の学期末テストの成績がそこには羅列してあった。メールを受け取った生徒はそれを友人に見せた。話題性充分のそのメールは昼休みのうちにクラス中の知るところとなった。メールを受け取った生徒は互いのメールを比べてみたところ、同じものであった。九人の生徒のテストの成績が記載されていた。

一人が、怒りにまかせて近くの椅子を蹴った。勿論それは、その場にたまたま居合わせた成績が暴露された生徒である。彼らからすれば、突然自分の定期考査の結果が公然の知るところとなってしまったのである。しかしそんな彼も、そして成績を公開された者以外の生徒も『何故成績を暴露されたのがこの九人なのか?』を理解していなかった。そしてある意味、このことはその他のクラスメイトを恐怖に陥れた。次は自分かもしれないのである。

どちらかと言えばこの九人は特に勉強に力を入れているわけではなく、正直なところ成績が良かろうと悪かろうと、あまり気にかけていない。よってそれが周知となってもそこまで困ってはいなかった。周りの生徒にとっても、もはや、そいつの成績は改めて見るまでもないのであった。椅子を蹴ったのは自分の成績が公開されたことよりも、何者が自分に対し嫌がらせをしたことに腹を立てたのである。

午後一の授業が終わったあと、昼休みに変なメールを受け取った生徒のうちの何人かは、携帯を取り出してメールの受信状況の確認をした。しかし、それ以降知らない送り先からのメールを受信した形跡はなかった。

「なんか変なメールが来てる!」

違う生徒から声が上がった。さっきとは違う生徒の携帯にまたしても正体不明のフリーメールのアドレスから同様のメールが届いていた。クラス中の生徒がそのメールを見るために集まった。もはやクラスでこの件を知らないのは先生のみである。新しく来た方のメールにはさっきの九人とは別の生徒の試験の点が公開されていた。

結局その日メールはそれぞれ別の生徒に計五回届いたことになる、携帯を持っている生徒の大半にメールが送られてきていた。それは、学校に携帯を持ってきていない生徒も同様だった。家に帰って携帯を見ると、いくつか宛先がよくわからないメールが入っていたのだった。



                  二―3

次の日の朝早く、ほとんどのクラスの生徒は携帯を学校に持って来ていた。昨日メールを受け取った生徒を中心にクラスメイトが、それぞれにお互い連絡を取り合い、相談し、携帯をみんな持って行くことに決まったからだ。ただ、携帯を持っていない生徒や、メールの入らなかった生徒は蚊帳の外かとそうでもなかった。

みんなが朝一で集まって、相談を始めた。当然最初は全員自分の成績が公開されていないかの心配であったが、それが確認できた者から徐々に、それぞれが言いたいことを言って収集がつかなくなってきたので、臨時で級長が司会を務めた。

「で、今ここにいないのは、三船達と豊川だけど、みんなに連絡回って無い?」

「豊川は、一昨日から風邪引いて休んでるし、それにあいつ携帯持ってたっけ?どうせ番号知らないし。」

「三船達は行っても腹立つだけだし、つまらなそうだって!」

「でも、最初のメールって三船達のテストの点だよね。」

「『成績なんて俺の人生に何の意味ももたない』って言ってたし、いいんじゃね?にしても点数は当たってるの?」

「なんか、隣のクラスの梶山に聞いたんだけど、当たってるみたい。『何でお前が知ってるんだよ!』って驚いてたから。」

「隣のクラスの奴も点数公開されてるの?」

「隣どころか、全クラスあるんじゃない?」

「はい、ちょっと待って!じゃあ、ここで自分のメールに点数が載ってた人の名前を黒板に書いてみようか。」

級長がうまく纏めた。

「名前だけ?」

「当然。当たり前でしょ!」

「中間と期末と実力テストがあったよね?」

「知能テストもあったよ。」

「え~!それって自分も教えてもらえないよね。」

「じゃあ、名前の下に何の試験かも書いてみて。それくらいいいよね。点数は絶対書かないで。」

級長が言うと、みんなが自分の携帯を手に、メールに記載されていた名前を書き出した。

 全員が書き終わると、級長は重複した部分を二本線で消していった。

「何か、これって男子だけだよね。」

「ほんとだ、そうだね。」

「女子は今日来るかもしれないぞ!」

「えーマジ勘弁!」

昨日の夕方六時を最後にメールは送られていなかった。

「問題は、これを先生に言うかどうか。俺はもうこれは言うべきだと思う。」

級長が切り出したが、

「でも、これ先生があやしくない?だいたい、知能テストとか先生しか知らないはずじゃん。」

その意見にはみんなが賛成した。担任の教師への報告は見送られることとなった。

「でも先生がこんなことやってたらお手上げだわ。」

「もともと、お手上げじゃん。」


予鈴チャイムが鳴った。既に朝のH.R.(ホームルーム)が始まる時間だった。皆があわてて皆が黒板に書いてある名前を消して何事もなかったかのように席についた。遅れて三船達数人も現れた。

暫くして入ってきた担任の石田先生は、皆が何時になくきちんと席に着いて大人しく待っていることに驚いた。

「今日は、どうしたんだ。何かあったのか?」

しかし誰も何も答えない。皆がジッと先生の方を見つめているのを不気味に思ったが、明るく受けながすことにした。

「まあ、こういう日が毎日続くと先生もすごくうれしいんだけどなぁ。」

そう言って朝の連絡事項を一つずつ説明していった。


「・・っとそれから、豊川は今日もお父さんから連絡があってお休みだ。」

最後にボソッとそう言って、石田先生は教壇を後にして教室を出た。

十数秒静まり返っていた教室だったが、一人が声を発したことにより、堰を切ったように皆がしゃべりだした。

「今の、石ヤンの感じ、何か怪しくない?」

「そうかぁ?俺にはいつもどおりに見えたけど。」

「でも、こうやって暫く先生を警戒しながら、見ていくしかないね。」

生徒達は自分達で解決する気だった。その時までは。


一限目の放課の時だった、また、一人の生徒が声を上げた。

「また変なメールが来た。」

「私も!」

メールは最初の九人の一学期の通知表、個人面談と三者面談の記録らしきもの、志望校、そして学校の何かの書類に書かれていた個人の性格的なもの特徴などが記されていた。恐らく先生の間だけの書類だろう、かなり厳しいことまで書かれていた。だんだん暴露される内容がエスカレートして行っている。さすがに今日のメールの内容には今まで成績が暴露されることに大してダメージを受けなかった者も寒気を覚えた。テストの点が正確なものである以上、このメールに記されている内容も職員室に保管してある書類に書かれている内容と同じものであろう。

「ちょっと!不味くない?」

「うん、こんなことまで・・・」

「やっぱりこれは先生に言った方がいいよ。」

「でも、俺達が喋った本人が犯人だったら?」

「校長か教頭ならいいんじゃない?」

「一緒だろ!先生全員に可能性があるんだぜ。」

「誰だか知らねーけど、犯人分かったら絶対ワンパン入れてやる!」

暴露された生徒の怒りは収まらなくなっていた。

「とりあえず次の休み時間、みんなで職員室に話しに行こう。職員室の先生全員にこのメールを見せて話そう。そうすれば、たくさんの先生が知ることになるから。」

級長の一言でその時は丸く収まった。しかし、その級長の提案は実行されなかった。


二限目の頼語の時間だった。

『pppp pppp!』 突然、一人の生徒の携帯が鳴りだした。英文を読んでいた生徒が固まった。

「今鳴ったのは誰の?」

頼語の市原先生は携帯を没収するべく行動に出た。

「誰?携帯を持って来てる人は手をあげなさい!」

メールで携帯を鳴らした生徒は手を挙げた。しかし、上がった手は一本だけではなかった。

「先生!」

手を挙げながら級長が先生に呼び掛けた。どうせここで一人でも携帯を取られれば、すべてがバレるかもしれない。なら、少なくともこちらから状況を説明した方がいいと判断したのだ。少なくとも、頼語の市原先生に授業中怪しい素振りは無かった。その中でメールが入ったなら、市原先生はシロだった。

「実は、少し訳があって今日は多くの人が携帯を持ってきています。」

普段から誠実で職員室でも評判の高い級長の説明に市原先生も耳を傾けた。

「どういうこと、説明して。」

級長だけでなく、クラスの皆が事の経緯を説明した。新しく入ったメールはさっきの九人とは違うメンバーであったが暴露の内容はさっきの九人と同じものであった。

それを見て説明を聞いた市原先生の顔は一気に青ざめた。まさに起きてはならないことがそこに起きていたのだ。

「本当はもっと早く言うべきだったんですが、先生からしか漏れそうにないモノも入っていたので先生に相談するのを躊躇していました。」

そう纏めた級長に市原先生は震える声で

「・・ちょっと待って・・・わるいけどその携帯貸してくれる。出来れば数人の分、来たメールの画面を開いて。」

市原先生は『しばらく自習してて!』と言って、四人分の携帯を持って教室を出て行った。顔色は明らかに悪かった。しかし、自習になったのはそのクラスだけではなかった。12分後、校内放送が入った。教頭の声ですべての先生が職員室に呼び出された。緊急の職員会議が催されることになる。

自習の間にもまた、一通のメールが送られてきた。その後、このクラスには、教頭、学年主任、担任の教師が現れ、生徒に来たメールの内容を全部メモしていった。とりあえず携帯は全員分没収された。

その日のその時点までは昨日テストの成績が暴露された生徒以外の生徒の情報は公開されていない。それは、あたかも無差別に生徒の情報を流出させている様に見せて、一定の生徒をターゲットにしているのだが、そのことにこの時点で気付いている者は、少なくともクラスにはいなかった。その日はそれ以降メールは来なかった。結局その日は帰るまでずっと全学年が自習となり、部活も無くなり、全員が一斉に帰された。ただ、その後教師は昼休みもなく、そして生徒が帰ってからもずっと会議をしていた。



                  二―4

 担任から今日はまっすぐ帰るように言われたが、三船はそんな気にはなれなかった。実は三船も一応携帯を持って学校へ行っていたが、教師の指示に従わず、持っていない振りをした。いずれにしろ三船に例の不審メールは一度も来なかった。回収して調べたところで何の役にも立たないだろう。いつも蔓んでいる仲間もメールをもらっていない。メールが一度も来なかった生徒が何人いたか知らないが、少なくとも相手は自分達をはずしてメールを送っていることは間違いないと感じていた。なぜなら自分達の成績が真っ先に暴露され、その後も様々な情報を流された。恐らく、相手は自分達に狙いを付けている。三船自身は公開された情報自体に何の価値もないと考えていたが、何人かの仲間は自分の情報が次々と明るみに出ていく事に恐怖を感じている奴もいた。

 早めの下校となったことで、そんな仲間を遊びに誘ってみたが、何をビビっているのか今日は誰も乗ってこなかった。全く、そんなに怖かったら勝手に家で布団かぶって小さくなってろ!と言いたくなった。仕方なく三船は一人で駅前をぶらついて見るものの、いつもは楽しく感じる駅前の風景もなんだか退屈に見えた。いつも立ち寄るゲーセンは、いつもより早いこともあり、殆ど客がいなかった。勿論自分の仲間が一人もいないことが影響しているのもある。まぁ時間がたてば客も増えるだろうと思い、対戦型の格闘ゲームをしながら時間を潰すことにした。

『デヴィル・エンペラー』は悪魔のキャラを選んで戦わせる人気の格闘ゲームで、一人でコンピュータを相手にファイトすることもできるが、対面のゲーム機を使用する者と対戦することもできるし、コンピュータ相手にファイトしている最中に対面のゲーム機に座った者が途中からコンピュータの代わりに操作することもできる『乱入』モードもある。三船はそのデヴィル・エンペラーをコンピュータ相手に頑張ることにした。いつもは人気ゲーム故に順番を待つことが多かったが、その日は簡単に遊ぶことができる。三船は相手のコンピュータのレベルを中間レベルにして自分の使う悪魔キャラと相手コンピュータの悪魔キャラを決めて早速ゲームに取り掛かった。二、三回勝ったところで、相手のコンピュータのレベルを一番強いレベルにした。また相手をさっきと変えて二回ほど勝ったころ、対面のゲーム機に誰か座るのを確認した。三船より一回り小さい感じの男、いや男と決めつけることはできないのだが、この手のゲームに熱心に取り組む女を見たことが無い。おそらく男だろう。三船より一つか二つ小さい感じだ。しかしこのあたりの中一、二年生は自宅待機を言いつけられているはずなので、ひょっとしたら小学校六年生かもしれない。対面のゲーム機に座っているのと、フードを被っているため顔はよく見えなかった。

対面の少年は、コインを入れるとすぐに三船のバトルに『乱入』してきた。突然、相手の悪魔の動きが変わった。コンピュータらしく単調な攻撃は鳴りを潜め、急に攻撃が読めなくなった。もともと相手の動きに合わせるタイプでは無かった三船は自分本位で攻め続けたが簡単に返し技を食らい、乱入されてからあっと言う間に負けてしまった。『ガキが、舐めやがって』と再度コインを入れて挑戦したが、またあっという間に負けてしまった。何かの間違いだろ?と思い再挑戦したが、今度はそのガキの体力ゲージを全く減らせないまま力尽きてしまった。もう一度コインを入れようとしたその時だった。

突然、三船のポケットの携帯が着信した。ゲーセンの中はそれなりにうるさかったのだが、三船が携帯をマナーモードにしていたのでバイブレーションで着信が分かった。

携帯を取り出して見てみると、メールだった。

『三船家の秘密』そう題されたメールは見たことも無い差出人から送られてきた。これが奴らに送られてきた例のメールなのか?と思って文章を読んだ三船は戦慄した。そこには三船の家の住所、電話番号から家族構成、父親、母親の勤め先、姉の高校名、それぞれの家族の趣味、特技・・・さまざまなことが書かれていたが、中でも目を引いたのは『父和孝の不倫相手:安川恵26歳、同会社の総務課勤務』。ご丁寧に父親が見知らぬ女と腕を組んで建物から出てくる写真が添付されていた。写真を見る限り、おそらく事実なのだろう。三船は混乱した。これが、他のクラスメイトにもメールが送られていたら絶望的である。

 対面の少年は三船がカウント内にコインを入れて挑戦しなかったため、コンピュータを相手に戦っていたが、圧倒的強さである。しかし、今の三船には先ほど自分が目の前のガキにいいようにやられたことなど頭の隅にも残っていなかった。

送られてきたメールの対処で頭がいっぱいだった。どうする?誰にこのメールが送られている?そんなことをクラスメイト一人一人確認できない。待てよ、今携帯はみんな自分で持っていない・・・そう考えているうちにまた携帯がバイブレートした。また、例の差出人からだ。

『心配しなくても、このメールは未だ他のクラスメイトには送っていない。それよりも、デヴィル・エンペラーはもう終わり?』

見られてる!そう思った三船は周りを見渡したが対面の少年以外は、一人、白い服を着たオジサンがいる以外は他に誰もいなかった。そのおじさんにしてもレースゲームのハンドルを握っており、メールを送信したとは考え難かった。

またメールが入った。

『目の前にいる』

それを見るや三船はゲーム機の椅子をはなれ対面の少年の胸倉をつかんだ。このとき三船は初めて被っていた少年のフードの奥にある顔を見た。

 なんと少年だと思っていた男は郁だった。

「てめぇ、ふざけるなよ!」

先日までイジメていた男だと分かると三船はつかんだ胸倉を二、三度ゆすって脅しをかけた。

「おい、あまり手荒なことはしない方がいいじゃないのか。」

今まで郁が三船に今まで話した事のないような生意気な口調だった。落ち着いている分、三船をさらに怒らせたが、三船は手が出せなかった。つかんだ胸倉を放すと、郁はさらに続けた。

「今送ったのは、君の家族が持つ秘密のほんの一部だ。今送ったことも含めこれがクラスのみんなに送られたら、君の家庭は壊れちゃうかも!でも、今は送らない。いつ送るかは君次第だよ。」

「・・・脅しか?」

「そうかもね、でも僕は真冬のプールで泳がせることはしないし、二万円持ってこいとも言わない、まぁ、今まで取られた分くらいは返してもらってもいいけどね。少なくとも存在を許さないとかそういうことも言わない。でもね、二つ要求したいことがある。」

「・・二つ?何だよ?」

三船は何とかこのチビを打ん殴る方法は無いか考えていた。自分の怒りは頂点に達しつつあったが、不思議と自制心が働いていた。

「まず一つ目。金輪際、僕にかかわらないでくれ。それを他の奴にも伝えてくれるか?」

「他の奴って誰だよ?」

「自分で考えろ。って言っても君には無理か。一つヒントをあげる。誰の成績が公開された?」

そうなのである、公開されたのは郁をイジメていた生徒だけなのである。

「あれもお前がやったのか?」

「何を今さら。でもそれが二つ目かな。犯人を誰にも言ってはならない。」

「ってことは、俺も今お前の秘密を一つ手に入れたわけだ。悪いけどお断りだ。生意気な反撃はここで終わらせて、さっさと謝った方がいいんじゃないか?」

三船なりに考えてひとつ逆転の目を見つけたのだが、すぐにその目はつぶされることになった。

「ったく、君は馬鹿か?もし君が今回の犯人が僕だと触れまわったとしても誰が信じる?仮に信じたとして、証拠はどこにある?あの資料は学校関係者しか見れないんだぞ。それに引き替え君の家族の秘密はどうだ?信憑性は高いんじゃないか?悪いけどそんな君が手に入れた秘密じゃ僕のものに対抗できないね。それに、効果を考えれば竹やりで戦車に挑むようなものだ。破壊力が違い過ぎる。だいたい、それを見越して僕は君に話しているんだけど!」

三船は返す言葉がみつから無かった。

「くそ!覚えとけよ。いつかお前を打ん殴ってやるからな!」

「だから、そんなことしたら君の家庭が崩壊するんだぞ、少しは考えろ!」

最後には郁も少しイラっときて声が大きくなった。郁の怒りにやや気圧された三船は

『くそっ!』と一言はき捨て、鞄を持ってゲーセンを出た。



                  二―5

三船がゲーセンを出ると、カーレースのゲームをしていた白い服のオジサンが郁のところにやって来た。

「出来たじゃないか!」

そう言って、ポンと郁の肩に手を置いた。オジサンは桐生翼也と言う。今回の一連の企てを計画し、郁に手法を教えながら実行した張本人である。

しかし、郁は驚いた。まだ計画は全部終わっていないが、ほとんど桐生の予定通り進行している。桐生に会う前の絶望感は今は微塵も感じていない。


 桐生に初めて会った日の翌日、郁が桐生の事務所に行くと、桐生は郁にこれから行う計画内容を郁に告げ、郁の覚悟を聞いた。もちろん郁はすぐに『はい』と答えた。昨日自殺まで考えた郁にはそれぐらいの意思はあった。それを聞いた桐生は事務所の一台のデスクトップのフォルダを見る様に言った。言われた通り郁はそのフォルダを見て驚いた。学校にあるはずの生徒の個人情報がそこには入っていた。

全校生徒の個人情報をデータ管理していた学校はそのパソコンをオンラインに繋いでいた。データはパソコンのDドライブにフォルダを作って入れていたのだ。昨晩のうちに桐生はそのデータを獲得していた。得られたデータから概ねターゲットの住所、家族構成、両親の勤め先等は分かった。

そして、桐生はもうひとつ、とんでもないモノを持っていた。携帯会社の顧客リストである。こちらは定期的に手に入れているらしい。JTTドコデモからプレミアムコムまですべての携帯会社のモノを持っていた。

「あなたは何者ですか?」

郁は尋ねたが桐生はそれには答えなかった。

「まず、携帯使用者リストからクラスメイトを見つけだすことだ。」

そう言われて、郁はクラスメイトの住所から携帯所有者のメールアドレスを割り出した。携帯の所有者リストを市町村別、五十音順に並べ、クラスメイト一人ずつ探していった。

 その間、桐生は何か他事をやっていた。仕事だろうか?何かのプログラムを作っているようだ、使っているモニターにC言語独自の羅列が見えた。

 郁は携帯の番号とメールアドレスの照合が終わると、今度は、郁をイジメていた奴らの個人情報を少しずつ拡張していった。

三船の父親は朱鷺波商事に努めている。郁は『ちゃんねるZ』に『朱鷺波商事について語ろう』と言うスレッドを見つけた。そこには会社の経営方針への意見や様々な業務に対する不満等から、誰と誰がデキているという下世話なものまで分類なく書き込まれていた。その中に郁は『営業二課のM課長と総務課のYは間違いなく不倫をしている』と言う書き込みを見つけた。四か月前、割と新しく書き込まれたものだ。その後の書き込みからYは『安川』という人らしいことまでわかった。この手のネタは掲示板の中でも盛り上がる話題なのだろう。その件の書き込みはたくさんあった。『Y』はいつの間にか『安○』になり、中には『○川』と書き込まれているものもあった。いくら裏の掲示板とはいえ、ここまであからさまに名前が出されるとは、きっと安川という人はよっぽど嫌な敵がいるか、周りから相当嫌われているかどちらかだろう。ひょっとしたらそれで、三船の親父と・・・助けてくれる人のいないつらさは郁にはよく分かった。郁は少し安川という人に親近感を覚えた。

しかし、M課長については掲示板からはこれ以上わからなかった。

桐生は、朱鷺波商事のホームページに載っている電話番号に電話をかけた。

「あ、もしもし、すみません盾板コーポの山本と申しますが、そちらの営業二課の三船和孝課長と言う方はいらっしゃいますか?」

「はい、営業二課の三船ですね。少々お待ちください。」

本人に代わるため、受付のオペレーターは保留にしたのだろう。待ちうけ音楽が流れ出した。数分後、

「申し訳ございません、三船はただいま外出しておりまして、よろしければ、携帯の番号を・・・」

「あ!いいです、いいです、至急の用事ではありませんので。また此方からかけ直しますが、何時頃お戻りになられるか御存じでしょうか?」

「はい、十六時ごろの予定になっています。」

「了解しました、それではまた十六時以降に連絡させていただきます。ありがとうございました。それでは、失礼いたします。」

 とりあえず、M課長は三船の父親で間違いない。

 次の日の夜、桐生はM課長とYのツーショットスナップを撮ることになる。

 同様に、郁は携帯の契約や学校から得た個人情報から、ネットを利用して様々な情報を得ることができた。三船以外にも、いつも蔓んでいる岸本の家は多額の借金を抱えていることや、隣のクラスの飯尾の姉は有名進学校に通いながらもウリをやっていること等、あまり表に出せないものもあった。

ある程度、情報を集めたあと、実行に移った。こちらは、相手の状況が細かに分らなかったが、かなり混乱することが考えられた。そしてそれも、桐生の思惑通りだった。

 桐生は郁と、郁をイジメるグループのリーダーとコンタクトするように仕向けた。郁は最初嫌がったが、『そんなんではこの先も自分の立場は変わらないぞ!』と諭され渋々承諾した。コンタクトするのは駅裏のゲームセンターになった。その時、桐生は郁に『ハッタリを一つかませ!』と送り出した。それぐらい強気で行け!という意味だったが、郁は、ほとんど偶然とはいえ三船にハッタリをかますことができた。三船に対して持っている情報はメールに送ったのが全てだった。ほんの一部なんかでは無い。しかし、三船に対しては効果覿面だったようだ。

桐生の言った『出来たじゃないか!』は恐らくハッタリに対しての評価だろう。



                  二―6

郁と三船がゲームセンター(ゲーセン)でコンタクトした日、学校の職員会議では普段の学校に関係する教師、教員がまず身の潔白を証明しなければならなかった。その時は、未だ学校内部の者が生徒のメールアドレスにリークしたものと当の教職員自体が思っていたからだ。しかし、学校の先生とはいえ生徒全員の携帯電話の番号は把握していたとしてもメールアドレスまでは知りようがない、と言うか必要がなかった。電話すればいいのであるから。

そうやって考えれば、明らかに性質の悪い外部犯によるものなのだが、データはきちんと学校のPC内に管理されているという思い込みがそのことに気付くまで時間がかかった原因だった。

次の日から学校は更に大変な事態に陥っていた。教育委員会だけでなく警察が来て事情聴取、その後にマスコミにも知れ渡り、学校側は謝罪会見をすることになった。結局、警察が調査してもデータの流失が誰によるものなのか分らなかったし、生徒に送られてきたメールは日本語の話せないロシア人のアカウントからのものだった。結局犯人は分からず仕舞いだった。その翌日の新聞には『全校生徒の個人情報データが流失の恐れ』という見出しと記事が掲載された。記事は、学校のパソコンに個人情報を管理していたこと、そのパソコンにはウィルス対策ソフトが入っていたが、更新されていなかったこと、割と簡単な方法で情報を取り出すことができたこと、犯人が特定できていないことという内容になっていた。


それから、二日経ったあと、郁は学校に行った。一週間ぶりの学校だった。一週間も休んでいたのだが、誰ひとり長いと感じなかった。誰にとってもあっという間の一週間だった。そう言う印象だろう。

ただ、朝のH.R.(ホームルーム)の後、久しぶりに見た担任の石田先生は郁に話しかけた。

「豊川!暫く休んでいたけど何かあったのか?」

郁はドキッとした。三船がしゃべったか?それとも先生が気付いたか?

「いえ、ちょっと体調が悪くて・・・」

「本当に体調だけの問題か?何か他に抱えていることがあったら、すぐに相談するんだぞ!」

どうやら、郁に気付いたわけでは無かったようだ。早い話ここでいじめ関係の問題が表沙汰になったらそれこそ目も当てられない。学校側としてはそうなる前に何とかしたいと考えているようだ。今まで見て見ぬふりだった態度の豹変はそういう意味だと気がついた。

「大丈夫、何もありません。今までも、多分これからも!」

郁は朗らかにそう答えた。この二人の遣り取りはクラスの皆が聞いていた。三船はその話の間下を向いていた。

 放課後、郁は三船に呼び出された。報復を受けると瞬時に判断したが、珍しく郁は覚悟を決めた。まだジョーカーは自分が持っている!

 しかし、三船は報復のために呼び出したのではなかった。呼び出した体育館倉庫には三船一人だった。

「どうすればいいと思う?」

単刀直入に三船が聞いた。

「前に頼んだ二つの要求を守ってくれればいいよ。」

「そんなことじゃねぇ!」

三船が言っているのは郁の持っているジョーカーのことだった。要するに相談である。予想していなかった展開に郁は少し驚いたが、三船は結構悩んでいるようだった。確かに自分の家族に当てはめるとかなり大変な問題である。郁も悩んだ。正直理科や数学のように簡単に答えの出る話では無い。

「僕が前に送ったメールを消せ!」

暫く悩んだあと、郁は三船に言った。そして新たに同じ写真が添付されているメールを送った。そのメールの本文には『これ、三船のオヤジじゃねぇ?』と書かれていた。

「このメールを親父だけにこっそり見せて問い質してみたら。でも決して他の家族に見せては駄目だよ。それから、このメールも親父に見せたら捨てること。」

郁が考え付く最大限の方法だった。

「わかった、やってみる。」

三船は、驚くほど素直だった。相当悩んでいたのだろう。

 数日して、三船も元気を取り戻した。郁の言ったことを実行したようだ。しかし、結局三船はその後、郁がした二つの要求のうち、一つ目の要求は守らなかった。

 いつも蔓んでいる仲間とともに郁をゲーセンに誘うようになったのだ。三船の仲間たちにとっても郁のゲームの腕は圧巻だった。それから、中学を卒業するまでの半年弱は郁にとって今までの二年半が嘘だったかのように楽しいものになった。郁が三船に対して持っていたジョーカーはすでに効力を成さないが、いや、おそらく最大限の効力を発揮して消えたことになる。



                  二―7

郁が再び学校に登校するようになってから数週間後、郁は『ちゃんねるZ』の例の書き込み掲示板で『○川』さんが会社を辞めたことを知った。M課長との別れ話が関係しているらしい。正直、この内容の真偽は定かでは無いが、『○川』さんが会社内で唯一頼れる存在がM課長だったんじゃないのか?確かに、この人はイケないことをしたのだろう。でもそれは今回の郁も同じではないのか?誰かに頼りたい状況というのは会社でも学校でもそんなに変わらないだろう。郁はたまたま頼った桐生の機転によって事態は良い方向に進んだが、必ずそうなるとは限らない。やはり誰かに頼りきっていてはだめだ。郁はそう強く思った。自分にも問題を解決できる力が欲しい!

特に今回の件で郁は学校生活が信じられないくらい楽しくなった。でもそれは桐生が用意してくれたものだ。やっぱり自分で自分を守れる力、それが欲しかった。『パソコンとゲームしかできない?いいじゃないか。何も体が強いだけが身を守る手段じゃないぞ。君の得意分野を磨けば十分身を守ることもできる。』今でもこの言葉が郁の胸の中で木霊している。

『もっと知りたい!』

そう思うと郁は隣のビルの桐生の事務所を訪ねた。一週間前に事の経過を報告して以来になる。しかし、桐生は反対した。

「もう、問題は解決したんだろう?これ以上深入りする必要は無い。」

「どうしてですか?僕は自分自身で解決する力を身につけたいんです。」

頑として引かない郁に、ふー!とため息をつきながら桐生は説明した。

「君は不正アクセス禁止法という法律を知っているか?」

「え?知りません」

「今回はいろいろやったけど、そのうちのいくつかはこの法律に引っかかる。」

不正アクセス禁止法はこの年の5年ほど前に施行された法律である。刑罰自体はそれほど重いものではないが、立派な犯罪行為だ。

「でも、それは、実行したからでしょう?自衛のために技術力を備えることは法律には引っかからないでしょう。」

郁は諦めなかった、ここで引いてしまったら元に戻ってしまう気がした。が、その先うまく説得する言葉が見つからなかった。何かを言いかけたが、結局言葉が出てこなかった。

 しかし桐生には郁がうまく言葉で説得できないその郁の必死の形相に覚悟を少し垣間見えた気がした。

「一つ、条件を出そう!」

桐生のその言葉にぱっと郁の表情が明るくなった。

「俺が教える技術を自分の利益追求、要するにお金儲けとか、だな。のためには使用しないこと。」

「わかりました。」

簡単に郁は答えた。もともとそんなことのためにここに来たわけではない。そして、郁にも薄々気付いていた。桐生翼也はハッカー、俗に言うクラッカーと呼ばれる者であると。

 次の日から郁はまた、隣のビルに通うようになった。勿論毎日ではなく、三船や他の友達と遊びに行く約束がある日はそちらを優先した。と言うよりも、桐生がそうさせた。郁にとっては友人と遊びに行く日も楽しいが、桐生にいろいろ教えてもらいに隣のビルのオフィスに訪ねるのも楽しい、非常に充実した日々を過ごすことになった。それは郁が高校に行くようになっても変わらなかった。そう言った日々が一年半続いたが、突然その日々が終わりを迎えることとなった。

 高校二年になった春、桜が見ごろを終え緑の新芽が混じりだした頃、郁はいつもように隣のオフィスに顔を出した。友人との約束があり、やりかけていたファイル作成を二日間中断していた、今日はその続きに取り掛かろうと思っていた。しかし、郁はその日作業ができなかった。オフィスが無くなっていたのだ。あんなにたくさんあったデスクトップパソコンも、サーバも奥にあった冷蔵庫まできれいさっぱり無くなっていた。郁は急いで桐生に電話をかけた。しかしその携帯番号も既に使用されていなかった。久しぶりに郁は絶望という感覚を味わった気がした。いつ以来だろう?そんなことは聞くまでもない、一年半前、郁がイジメられていたとき以来の絶望感だった。正直あの時ほどの絶望感ではないだろう、しかし、あの時は毎日が絶望に満ちていてそう言った感覚に対する抗体があった。しかし、今はものすごく満たされた状態から大事なものが欠けてしまった。あのころに比べてまだ満たされているにもかかわらず、同じような絶望感が郁を襲ったように感じられた。

 ひとつわかったのは、桐生が黙って郁の前から消えたのは本人の本意ではなさそうだったことだ。数日後、警察が事情聴取に郁の母親のもとに来た。隣のビルの会社について何か聞いていったらしい。そして、後から分かったことだが、どうやら隣のビルの管理人が出した契約書に記載された会社は存在せず、会社の代表の男の名も桐生では無かった。

そして、警察は一人のハッカーを追っているらしいことまでわかった。その男は企業や国から様々な情報を盗み取り、ライバル社や他国等に売捌くSYBER MERCENARY(電子傭兵とでも訳すのか?)という呼ばれる最悪のハッカーということだ。郁は母にも、当然に警察にも自分がそのオフィスに出入りしていたことは黙っていた。

郁は桐生が捕まってしまわないか心配でたまらなかったが、そんな話は聞こえてこなかった。

二週間後、郁の携帯にメールが一つ入った。送り主は日本語が話せないはずのパキスタン人だった。郁にはこの二週間がとても長く感じられた。

「もうすぐ、封筒が吉川家に届きます。誰にも悟られないように。」

次の土曜日、メール便で郁宛に一通の封筒が届いた。家で待っていた郁は封筒を受け取った。中にはキツネのキーフォルダに括り付けられた鍵と地図のようなものと手紙が入っていた。郁は真っ先に手紙を読んだ。


『郁へ、私は今、日本国外にいます。何処かは言えませんが、しばらくここにいます。私のもとで郁が来るようになってからは初めての移動になりますが、私は移動繰り返しています。郁を連れて行くことができなかったので今回は長い期間あのビルで仕事をしていましたが、長く居すぎたようです。郁に迷惑がかかる前にあのビルを離れようと思います。私から郁に教えられることはもう無いでしょう。もし郁がもう少し技術を身につけたかったとしても、後は自分で頑張ってください。警察に私に事を聞かれたら素直に話してもいいですが、この後に書いてあることだけは秘密にしておいてください。

 もう一枚の地図の印の建物の地下一階にあなたが今まで使っていたPCが置いてありますので、技術を磨きたかったら使ってください。そして、そこにはもう一台PCが置いておきました。念のため一つあなたに課題を残しておきます(これは解いても解かなくてもどちらでもいいですが)。そのPCの中の一番小さなHDに一つtxtファイルを入れておきます。このファイルを盗み取ってみてください。かなり難解なセキュリティトラップをいくつか仕掛けておきました。今の郁では簡単に突破できないと思いますよ。もし、突破できてファイルを手にしたら、一週間後にその中身を見てみてください。

それから、この場所は絶対誰にも話さないでください。この手紙も読んだらシュレッダー処理をしてください。

 では、またどこかで会うことがあるかも知れません。その時は宜しく。翼也』


手紙を読んだ郁の頬を、この一年半の間流した事の無かった涙が伝った。もう桐生に教えてもらうことはできない。郁はその時はじめて桐生翼也という男の生き方の本当の姿を見た気がした。

 桐生は郁に技術を教えるときにしばしば郁の将来について、ハッカーとしてではなく、セキュリティを構築する側の人間になるように勧めていた。今となって初めて桐生の言っている意味が分かった気がした。

 翌日、郁は地図にある印の建物に向かった。建物は小さなフィットネスクラブだった。受付は大柄なおじさんだった。

「ここの建物に地下室はありますか?」

郁が聞くと、大柄な受付のオジサンはニヤリとして


「鍵がないと地下には入れないよ。」

と言ってトイレの隣の扉の方を指した。

「これから暫くお世話になります。」

そう言って郁は指された扉のカギ穴にキツネのキーフォルダの鍵を差し込んだ。渇いた解錠音とともに扉は開いた。そこには手紙通り二台のデスクトップパソコンが置いてあった。

後に店長と発覚するその大柄のオジサンと仲良くなった郁は、その後、フィットネスクラブでアルバイトをしながらこの部屋を使うようになった。それから暫くの間、郁は何度ももう一台のPCのセキュリティ突破を試みたが全く通用しなかった。いくつか解除コードを手に入れなければならないが、全くその方法の検討がつかない。そして、いつしかこのPCに挑戦することをしなくなっていた。ただ、桐生に教えてもらったプログラミングの楽しさだけは日を追うごとに、歳を重ねるごとに強くなっていった。


いつしか、郁は大学四年生になっていた。身長だけは中学生のころと比べても大分大きくなった。幅は全く足りない印象を受けるが、もはや背に関しては小さい方では無い。

大学でできた友人の横山譲二はパソコンオタクの郁とは全く正反対の体育会系の人間だったが何故かウマがあった。正義感の強い横山に郁も少しずつ感化されていった。

そんな折、郁と横山は今後の二人の人生をガラリと変えることになる出会いをする。エンドー、ジャンヌ、オスカーという偽名を使った少し変った奴らである。彼らにハッカーとしての腕前を問われた郁は即答できなかった。基準があるものではない。しかし、その時郁はもう一台のPCの存在を思い出した。あれを突破できったら!少なくとも自信を持って彼らに協力することができる!まったく何の根拠もないのだが郁はそう思った。あの当時と比べて郁のその手の腕前はかなり進歩したと自負している。しかしそれでもPCのセキュリティは簡単に突破できるものでは無かった。一月、郁は桐生の残したPCに取り掛かりっきりになる。そして、六日と二十三時間五十九分前、とうとう一番小さなGドライブからひとつのファイルを取り出すことに成功する。

それからの約一週間、郁はこの一週間をどれだけ待ち望んだことだろうか。秒針が18時43分44秒を指した。1週間前ファイルを取り出した時間だ。郁はそのtxtファイルを開いた。そこには日本語で文章が書かれているだけだった。

「郁、おめでとう。本当にこれが突破されるとはかなり成長しましたね。もうあの2台のPCは休ませてやってください。それから、いつか私が郁に出した条件を撤回します。郁も立派な大人になっていることでしょう。これからの判断は自分で信念に従って責任を持ってやっていってください。    翼也」

もう、郁は涙を見せなかった。『・・自分の信念に従って・・』その部分が郁の胸の中に大きく木霊した。

「よし!」

と郁は勢いよく気合いの一言を発した。彼らと共にやっていこうという覚悟を決めた。

2台のPCは電源を入れても起動がかからないようになった。休ませてやるとはそういう意味だったのだろう。郁は2台のPCに『ありがとう』と言って部屋を出た。


部屋を出ると、クラブの待合室のテレビのニュース番組で首相官邸前デモの様子が写っていた。郁はそれを見ながら感心していた。ある意味憐みの感心だ。良く毎週あんなに多くの人達が集まるものだ。そのエネルギーは正直すごいと思う。ただ、それでは原発は止められない。あれは一部の人間に誘導されたただの反原発運動に対するガス抜き工作だ。それを知っていて参加している者も知れば、何も考えず参加している者もいるだろう。

参加者達の表情を見ながら郁は舌打ちせざるをえない。何人かの表情にきわめて爽快な満足そうな顔が見えたのだ。まるで『参加することに意義がある』とでも言っているようなものだ。ガス抜き工作にまんまと乗せられているのだ。それでは何も変わらない、好転しないだろう。

「今は思い通りに行っていると笑っていればいい。いずれ思い知ることになる!」

キツネは誰にも聞こえないような声で呟くとフィットネスクラブを後にした。


尚、余談になるが、後の郁の追跡調査の結果、安川恵はその後パート先で知り合った男性と結婚し、波野と姓を変え二児の母となっている。そして、郁が覚悟を決めた、この時から数カ月後、エンドーもオスカーも通称『NINJA』と呼ばれる国際的なクラッカー桐生翼也を知ることになる。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ