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原発TERRORISTS  作者: 毘沙門
第二章 原発デモの女
6/37

準備期間 1フェイスマスク                 

                  一―1

 耳を劈くような飛行機音が辺り一帯に唸った。ロサンゼルスの空港は利用者で混み合っていた。七月中旬、日本では梅雨明けを迎えここから蒸し暑さも本番になっていくところであるが、西海岸の街はからりと晴れ渡っていて幾分心地よい。

 空港へ降り立った悠斗は変わらない景色に懐かしさを感じた。六年前、悠斗の大学院の卒業旅行でアトランタ合衆国へ行った。当時の研究室の仲間とロサンゼルスからラスベガス、サンフランシスコ、シアトルへとレンタカーを借りて旅をした。それ以来の渡米である。あの時は3月の涼しい時期だったが、さすがに今は気温が高い。

 今回アトランタ合衆国へ来た目的は、セントフォレスト映画の特殊メイクを作る素材を作っている友人の水城に会うためである。水城は悠斗がアトランタ合衆国へ来たときに一緒に旅した大学院の研究室の同窓生である。彼は一緒に旅した時に見たセントフォレスト映画の特殊メイクに感化され、日本に帰るとそのまま決まっていた就職先に断りを入れ、周りの反対を押し切り単身アトランタ合衆国に乗り込んだのだ。最初悠斗達は心配し、ちょくちょく連絡を取り合っていたが、数ヶ月後素材メーカーに就職が決まったと言う連絡を受けてからは安心したこともあり、それ以来、年に一、二回はメールの遣り取りはあるものの、なかなか会う機会を持てずにいた。もともと、高分子素材の研究をしていた研究室の出である。言葉の壁はあったとしても電機業界に進んだ悠斗よりも順応は早かっただろう。


 突然その水城に会うことを決め、アトランタ合衆国行きを決意したことの発端は悠斗が『オスカー』になったことに起因する。株主総会の次の週、メンバーの全員が顔を合わせる作戦会議があった。具体的にどうやって原発を止めるべきかを話し合うこと、新メンバーの紹介、そして、キツネの持っているデータ、情報の共有化が目的である。

悠斗自身その会合で一人のメンバーと初顔合わせとなった。

 その人は『オーナー』と呼ばれていた。歳は他のメンバーより一回りほど大きく見え、やや落ち着いた感じを受けたが、白髪交じりの頭髪や伸ばした顎鬚でそう見えるだけかもしれない。『オーナー』の由来は、マンションを二つ、ホテルを二つ経営しているところから来たものらしい。マンションの一つは、このエンドーとシーファの兄妹が住んでいるこのマンションである。また、軍資金の大半がこの男からの出資であり、名実ともにオーナーである。しかし、金持ちっぽく見えない。体に余計なものが付いていないスリムな体形がそう見せているのかもしれない。

悠斗はオーナーに自己紹介をした。ただその前にリュビイから悠斗のことを聞かされていたようだ。

「あなたのことは聞いていますよ。何でも探偵のように鋭いとか・・・」

オスカーは現在の職業を告げた。

 キツネの情報を見た一同はその量とともに内容にも驚いた。悠斗自身、先週に一度見た物もあったが、原発の有無による電力供給と需要の関係についてのものが多く、それ以外には一部マスコミに流れる金銭の流れについては少し見た程度だったが、ここまで細かい部分を見たのは初めてだった。一つ一つ見ていくと原子力ムラの住人の人事、給料から各地方自治体、その首長や地方議員に流れたお金、電力会社からの各行政機関への不明な目的の金銭の流れや、今後の天下り人事に関するちょっとしたファイルやメール、メモ書きがスキャナされたものまであった。メンバーが予想していたよりも遙かに多くの機関やその期間の関係者、要するに人物が原子力ムラに関わっているのだ。このことは、簡単にいえば、このメンバーに対する敵の数が思っていたよりも遙かに多いことを意味する。

 尤も、この数のファイル群を一つ一つ見ていっただけでは、それぞれの人物や機関の関係が分からない。そこで、エンドーはキツネやゲドー、リュビィと連携して、先週からこのファイル群を、それぞれの機関や人物の関係とそれに流れたお金、人事流動を一つの図にまとめた相関図を一つ作っていた。作成に五日を要した相関図を見て、この原子力ムラを相手に原発を止めるために、どのような手を打つかいろいろな意見を出し合う材料になった。

資料の構成に助けられ、活動の概ねの方向性は定まったようだった。と言うのは、どんな手を使うにしても幾つか準備しなければならないモノ、要するにアイテムが必要だった。それが手にできない場合はまた一から作戦の練り直しである。そう言った意味で大まかな方向性が定まったに過ぎないというのは的を得た表現である。そして、そのアイテムのうちの一つについて入手を検討するために、今回、悠斗はアトランタ合衆国に飛んでいた。

 

あの、株主総会から二週間の間に大島原発の再開の手順は着々と進められ、つい昨日、政府の方針として大島原発の再開が決定した。実際はすでに大島原発は動いているので、全くの茶番劇であるが、この先コソコソせずに原発の運転を公言できるという意味で、今回の決定は大きな意味を持っていた。国民を騙していた事実は隠蔽されることとなる、少なくとも今後何年か後までは。



                  一―2

「悠斗!」

空港ターミナルを出ると、すぐに悠斗は自分を呼ぶ声を聞いた。懐かしい声である。

「水城!」

二人はハイタッチで再開を喜んだ。水城はこの日、仕事を休んでわざわざ空港まで迎えに来てくれたのだ。水城には、自由にできる時間ができたからそちらに行きたい、としか言っていない。当然、水城は悠斗が観光でロスに来たと思い、ロスの観光案内のために仕事に休みを入れてくれたのだろう。―悪いことをしたな―と悠斗は思った。しかし、なかなか本当のことを言えるわけでもない。今回の目的は、水城の仕事である特殊メイクと大きく関係しているのだが、その理由を伏せたまま特殊メイクに関するノウハウを教えてもらいたい、と言うのが悠斗の本音である。その根底には水城を巻き込みたくない、という理由がある。悠斗に何かあった場合、そのとばっちりを水城が受けるようになってはならないと考えていた。

「どうした?難しい顔をして。と言うか、お前少し瘠せたな?」

水城は思ったことをそのまま口にした。それはそうだろうと思う。悠斗と水城が前に会ったのは六年前である。それからの六年間、悠斗は決して平たんな道を歩んできたつもりはない。就職してから最初の二年で悠斗は体重が六キロ減った。そんなに体を使う部署でもないので、不思議に思っていた。ただ、そのおかげと言うわけでもないが、週一でやっていたフットサルでは体が軽くなり、動きやすくなった感もある。健康診断の数値もよくなっていた。

「お前は、変わらないな。どうだ、あれから変わったことはあったか?」

逆に水城は全くと言っていいほど変わっていないような気がした。見た目は六年前のままである。

「あとで、驚かせてやるよ。」

そう言って水城は悠斗を駐車場に案内した。案内された駐車場の一画には新しいトヨトミのハイブリットカーが止まっていた。

「すげー、新車じゃないか。今これ高いんだろ?驚かせるってこれか?」

「特にこれだけ高いってことは無いぞ。それに驚かせるのはこんなものじゃない。」

まだこれよりも驚くことがあるのか。悠斗は水城のこちらでの順応ぶりに十分驚いていた。車に乗り込むとまだ新車の香りが残っていた。

「さて、これから行きたいところ決めてきたか?」

「特に何も。でも、ここにいる間にお前の職場にも行ってみたいな。」

「相変わらず変な奴だな。そんなもの見てどうするんだ?ま、別にそれなら簡単でいいけどな。」

「え!いいの?セキュリティとか無いのか?」

「ああ、別に。おれん所小さいとこだし、専門性が高すぎて逆に盗まれねぇんだ。あんなもん盗んでも使い道ねぇよ!この仕事は割に合わないからな、わざわざ競合しようとする輩も出てこない。まぁ、顧客の情報とかは一部見せれないけど、工場の見学くらいなら全然問題ないぞ。正直のところ工場コウジョウじゃなくて工場コウバだけどな。」

「知らないのか、そういう小さな町工場の技術が一番危ないんだぞ。」

「ははは、確かにその通りかもな。どっちにしても連れて行くのは週明け以降だ。俺も休み取ったんだ、休日まで俺を仕事場に連れてかないでくれよ。」

「わかった。でも、よかったのか?俺のことなら気を使わなくていいぞ。」

「何言ってるんだ、別にお前の為に取ったんじゃない。俺もちょっとゆっくりしたかったんだ。」

悠斗を乗せた水城は、昔話に花を咲かせながらもロス観光で有名なダウンタウンやサンタモニカ、ビバリーヒルズを回った。こちらに着いたのが午後二時を過ぎていたから、それだけ見て回ることができれば観光としては上々である。悠斗は久々に会った友人の昔から変わらない細かなサービスに感謝した。

「ところで、お前、飯は?」

不意に水城が聞いた。時計に目をやると七時半を回ったところだった。悠斗は昼前に機内食食べてから何も口にしていないのに気がついた。と言っても空腹感はあまり感じなかったが、夕食をとる時間だ。水城がこちらで何を食べているのかも気になった。

「機内食を昼に食べたっきりだ、夕飯に行こうか。」

「どういう感じがいい?」

「出来れば、さっぱりしたものがいいかな。」

「そうか・・・」

水城は信号待ちの間、考えて信号が変わると同時に左折レーンからUターンした。

「アトランタ合衆国と関係あるかわからないけど・・・さっぱりした食い物だ。」

そう言って水城は小さな店に連れて行ってくれた。店は少し暗い感じがした。古い看板に大きく『PHO』と書いてあった。店の名前だろうか?そしてその横に小さく『越南』と書いてある。

「ポ?フォ?」

悠斗が一生懸命『PHO』を発音しようとしたところ、

「フォーが正解かな。まぁ伝われば問題ないけどな。」

水城が教えてくれた。席に着くと水城はポケットからスマフォを取り出しメールを打っていた。

「ベトナムの麺料理だ。結構さっぱりして美味しいんだ。」

どうやら『PHOフォー』はその麺料理の名前らしい。水城は店に入ると、お前はビールでいいな!とビールとそのPHOを注文した。水城はウーロン茶だった。

「なんか悪いな。俺もウーロン茶でいいのに。」

「気にするな、どうせ帰ってから俺も飲むんだし、それに、お前はここで飲んでもらわないとな。」

「??どういう意味だ?」

水城は全部答えずに出てきたウーロン茶に口をつけた。

出てきたPHOを食べてみると確かにさっぱりしていた。お米の麺に魚のダシと甘みのある醤油のような味のスープにちょっと香草が入った、いかにもエキゾチックな感じのする食べ物だった。

「水城はよくこういうの食べるのか?」

「そうだな、秦食とか日本食、句国料理屋も多いから、週の半分はそういうの食べてたかな。量も多くないし。最近は少ないけど・・」

確かに、量も適量だ。

「意外だな、もっとファーストフードとか食ってるのかと思った。」

「お前がここにいる間に一度、連れてってやる。半端ないぞ。こっちのハンバーガー。」

「知ってるよ、旅行した時に食ったじゃないか。」

六年前の旅行で悠斗たちは、キングバーガーと言うチェーン店で試しにキングサイズセットと言うハンバーガーのセットを頼んでみた。結果はそれ一食で一日の食事は終ったことを覚えている。それ以上その日は何も食べれなかったのだ。悠斗は鮮明にその時のことを覚えていたが、水城は―そう言えばそんなこともあったなぁ―くらいにしか覚えていないかもしれない。いずれにしろこのベトナム麺の味、量ともに悠斗は気に入った。

「でもこの量だと、こっちの人には少ないんじゃないか?」

「いや、意外とヘルシーメニューとかで人気あるんだ。でもさすがにあまり夕飯にはしないかな?」

悠斗は店内をあらためて見渡してみた。確かに、ここに夕御飯を食べに来ている客は白人も黒人も少なく、アジア系ばかりだ。が、しかし、その時一人の金髪の女性が店内に入ってきた。悠斗にはこちらの人の年齢はほとんど分らないが、若い女性だと思った。

「そんなことないじゃん、ちゃんと白人も来たぜ。マギー・ライアンみたいなかわいい娘が。」

『マギー・ライアン』は少し古い映画女優だったが、確かによく似ていた。

「ははは。あのマギーは気が強いから気をつけろ!」

そう言って水城はその『マギー』にむかって手を大きく上げて『Hey(こっちだ!)』と合図した。

「え?知り合いか?」

マギー・ライアンは水城を見つけると、手を振りながら笑顔で悠斗達の座るテーブルに来たかと思うと、思いっきり水城にハグをした。そして、一通りハグ(と言うか挨拶?)が終わると今度は悠斗に右手を出して握手を求めた。悠斗は求められるままに握手に応じて手を出すと、マギーはその手を引っ張り今度は悠斗にハグをした。全く状況がつかめない悠斗は目をぱちぱちさせていた。

「驚かすって言っただろ!」

水城はにやりとしながらこちらを見た。

―昼間言ってたのはこのことだったのか?―

でもそれだけでは全く意味がわからない。

「おい、まだ悠斗には何も話してないから、驚いて動けなくなっているじゃないか。」

と言う内容の頼語(おそらくパメラと呼ばれる女性に向かって言ったものだろう)が聞き取れた。あわてて女性は悠斗に

「ハジメマシテ、パメラ・ミズキデス。」

とたどたどしい日本語で自己紹介した。悠斗はまたさらに驚いた。

「アーユー ミズキ ?」

「イエス! ワタシハミズキニナリマシタ。シガツニナリマシタ。」

四月に結婚をしたという意味だろう。徐々に冷静さを取り戻してきた悠斗はミズ・ミズキに

「I’m Yuto Takamiya. Nice to meet you!」

と挨拶し、再度握手をした。当然水城には

「野郎!黙ってやがったな。」

そう言いながら、ひじで小突くと、そこからは、悠斗から二人への日本語、と片言の頼語で混成された質問の波状攻撃が展開された。

本当は水城の家の近くで夕飯を食べようと二人で決めていたようだが、悠斗がさっぱりしたものを希望したため、急遽パメラの働くカフェから近くのベトナム料理店に変更したそうだ。水城がメールを送っていたのもパメラに店の変更を送っていたのだった。

二人の出会いは、行きつけのカフェだった。水城は休日にその行きつけのカフェにノートPCを持ち込んでよく仕事をしていたようだ。その辺りは、いかにも日本人っぽい。そんな、ある日、彼女がその店のバリスタとして働くようになった。水城は彼女の作るシアトル仕込みのラテ・アートが好きで、一日に何度もラテを注文したらしい。そうこうしているうちにお互い何かと話すようになった・・・その後も、いくつかのエピソードを含め二人が楽しそうに悠斗に話してくれた。

何か、絵に描いたようなラブストーリーで、聞いている悠斗の方が恥ずかしくなった。でも、そんな恥ずかしくなるようなラブストーリーがこちらでは標準なのかもしれない。

六年の歳月。より経験値を積み重ねたのは水城の方かも知れないと悠斗は思った。


夕食を食べた後三人は、水城の家までやってきた。水城が独り者だと思っていた悠斗は、水城の家に泊めてもらうつもりでアトランタ合衆国に来たため、ホテルの予約は一切取っていなかったが、さすがにこの状況で泊めてもらうのは悪いと思い、ホテルを予約しようと思った。しかし水城夫妻は逆になぜそんなことをするのだ?と半ば無理やり悠斗を連れてきたのだ。

連れてこられた悠斗は、夫妻の言っている真意がわかった。水城の家は一戸建てで広かったのだ。2LDKくらいのフラットのアパートを想定していた悠斗はあっけにとられた。

「これ、お前の家なの?」

この悠斗の質問はもっともだ。日本でこんな家に住めるのは相当セレブだけであろう。しかし水城は涼しい顔をしている。

「中古の家が安く売りに出ていたからな。」

「いや、安いって・・庭にプールが付いてますよ。旦那さん。」

「プールはあったらあったで少しめんどくさくてな。ほら、水の入れ替えとかしなければいけないだろ。」

長くアトランタ合衆国に住むと論点がズレるという弊害が生じるな、と、悠斗は思った。

いずれにしろ、悠斗は二階の客間の一室を借りることになった。そして、これまた驚いたことにシャワーも一階と二階それぞれにあった。ここに居る間は二階のシャワーを自由に使っていいということだった。


 シャワーを浴びた悠斗はいつの間にか眠ってしまった。飛行機で一睡もできなかった悠斗は計三十時間以上寝ていなかったので当然と言えば当然だった。


後から水城が悠斗と飲もうと缶ビールを持って部屋をノックしたが、悠斗は全く気が付かなかった。部屋を少し開けて様子を見た水城は、悠斗がソファで寝てしまっているのを見ると『しょうがねぇな』とばかりに悠斗に毛布を掛けた。夏とは言え、ロスの夜は冷えるからだ。



                  一―3

 翌朝早く悠斗は目が覚めた。下の階からはフライパンに油の弾ける音が聞こえた。既にパメラが何か朝食を作っていたようだ。悠斗が下りていくと、

「あら、起しちゃったかしら。あなたは疲れてみたいだからまだ寝ててもいいのよ。」

と、言うニュアンスのことを言った。パメラは水城から少し日本語を学んでいるようだが、日常会話は当然頼語になる。悠斗は頼語を聞き取ることは何とかできそうだったが、話したいことを的確に頼語で表現する事には苦労している。

「昨日は寝ていなかったから気付かないうちに寝てしまったけど、今はもう平気。」

と言う意味を身振りを交えながら伝えた。うまく伝わったようだ。

「何か飲む?・・あ、ちょっと待ってて。」

そう言ってパメラは悠斗にラテを作ってくれた。茶色いコーヒーのベースの上に木の葉の模様のミルクで描かれるラテ・アートは幻想的だった。

「これ、口を付けるのがもったいないね。」

「また作ればいいわ。でもそれ、カズトも最初同じことを言ったわ。」

カズトは水城の下の名前である。

「これはあまり、日本では馴染みがないから。」

悠斗はそう答えた。

「ところで、彼はまだ寝ているの?」

「彼、昨日はさみしく一人で飲んでたわよ。きっとまだ起きてこないわ。」

「でも、今日からヨセミテに行くんでしょ。」

今日から二泊三日でヨセミテ国立公園に行くことが決まっていた。水城が言っていた『悠斗のために取ったわけじゃない休暇』と合わせて週末を国立公園で過ごすことにしていたのだった。勿論、口ではそう言っていたが、遊びに来る悠斗のことを考えて計画してくれたことは明らかだった。

「今、朝ごはんと持っていくサンドウィッチを作ってるの、できたら彼を起こすけど、もう少しかかるわ。」

「そうか、俺が早く起きすぎたみたいだね。何か手伝おうか?」

「そうね、そこのレタスを千切ってもらえる。」

「O.K!」

パメラはバリスタと言ってもやっぱりカフェでコーヒーを入れるだけが仕事ではない。こういった手料理は慣れたものだ。いろいろなことを少しずつ手伝った悠斗はそのパメラから、カズトよりも筋がいいと褒められた。その後、ある程度の準備が整ったので、水城を起こしに行った悠斗は、水城の相変わらずの寝像の悪さに懐かしさを覚えた。大学の研究室では泊まり込みで実験をすることが頻繁にあった。冬はみんな寝袋を持参して励んだものだが、水城の隣に寝袋を敷く度胸のある者はいなかった。それが大きなダブルのベッドとはいえ野放しになっているのである、今も現にベッドの向きと九十度おかしな方向で寝ている。正直悠斗はパメラがきちんと睡眠がとれているか少し不安になった。

 水城まだ少し眠たそうだったが無理やり起こして連れていくとすぐに朝食になった。

「お前、今日どこへ行くか覚えてる?」

「おぅ。」

相変わらず朝は弱いようだ。そんな二人のやりとりを見てパメラは笑っている。いつも朝早く仕事に行くパメラは久しぶりに朝食をみんなで食べるのが楽しいのだそうだ。


一通り旅行に出る準備を済ますと三人は車に乗り込んだ。悠斗はここに持ってきたスーツケースごと荷物に積み込むことも考えたが、車のトランクを占拠してしまうだろうと思い、必要なものだけ小分けにして積み込んだ。そして行きの運転を買って出ることにした。責めてこれくらいしないと何となく申し訳なく感じたのだが、逆に悠斗の運転はパメラをハラハラさせることになった。当然ながら日本とは逆側路線の道路である。この逆路線に慣れるのに時間がかかったことも去ることながら、信号が赤でも右折できることなど日本との違いに戸惑った。日本の自動車免許証を持っていれば簡単に国際免許を取る手続きはできてしまうため、悠斗もこちらに来る前に書類だけ用意して簡単に国際免許を入手したが、よく考えればこれはとても危ないのではないかと思う。そして奈何せん、水城家の車はトヨトミの新車である。悠斗が運転に慣れるまでパメラがハラハラするのも無理はない。

 とはいえ、二時間も運転すれば悠斗が慣れてきたことと郊外に来たことで道が単調になったことでだんだん落着きを取り戻した。ちなみに、水城はその間ずっと車の中で熟睡していた。

 二度の休憩を挟み、夕方になる少し前には予約していたヨセミテのロッジに到着した。ロッジに荷物を降ろしたあと、少し車で公園内をドライブしてその日は終わった。その夜は、悠斗と水城の昔話や、パメラのカフェの話、水城の仕事の話を肴に持ってきた1ケースのビールを飲み干した。



                  一―4

次の日、三人はトレッキングをすることになっていた。悠斗は昨日のアルコールが抜けきっていないのか、軽い頭痛を感じながらのスタートとなったが、朝食のコーヒーと大自然の中の木漏れ日により簡単に吹き飛んでしまったようだ。三人とも元気よく出発した。水城とパメラが先を歩き、悠斗は二人のやや後方を歩いていた。後ろから見る二人はまさに『新婚夫婦』を発揮していた。悠斗はこんな二人の姿を見るのが嫌ではなかった。

自分もあいつらに協力しなければ、優奈とこんな生活ができたのだろうか。少し優奈と作る新婚生活を想像してみた、そういう生活も悪くない。ひょっとしたらそういう未来を悠斗は送っていたのかもしれない。しかし、もう悠斗には優奈との新婚生活を送ることはないと決めていた。

悠斗は彼らと行動を共にする決意を決めた時、と言うよりは、みんなで作戦を練っている間から二つのけじめをつける必要があると判断していた。一つは優奈と別れることである。

優奈に迷惑をかけることができないからであり、優奈にはテロなんて物々しいものとは関係の無い普通の人生を進んで欲しいからである。それは以前ジャンヌが悠斗に言って聞かせたことと正反対になる。

しかし、悠斗には優奈に隠したままこの活動を進めることはできないと判断していた。これから進めるオペレーションのヤマはそんなに甘いものではない。優奈に危険が、または優奈を社会的に守るためにはどうしてもここで関係を断ち切っておく必要があった。

ただし、それは未だ実行に移していない。

アトランタ合衆国から帰ってから実行できるだろうか。正直今の悠斗には自信がないのも事実だった。優奈と過ごした六年はそんな簡単に清算できるものではない。

そしてもう一つの方は、会社を辞めることだ。こちらも会社に迷惑をかけないためと言うこともあるが、どちらかというとみんなで練っている作戦の準備のため、仕事に時間が掛けられなくなっていくことが簡単に予想できたからだ。こちらはすぐに実行に移した。悠斗は辞表を出してアトランタ合衆国に来ていたのだ。

タイミング良く、会社は、早期退職希望者を募っていた。ドミーグループ全体で九月末までに二千人のリストラが刊行されると言う噂もあった。液晶テレビ事業の業績は悪化の一途を辿っている。数年前の液晶パネルの好景気の時に各社競って生産工場の規模を拡大した。それは、今後も欧米の巨大パネル需要は続き、秦国はじめアジアでの消費が伸びることが予測され、テレビはラインをフル稼働しても生産が追い付かない状態が続くだろうと予想されたためであり、また大型のテレビを効率よく生産するために大規模な工場が必要とされていたからであるが、当時はその予想に疑問を持つ者は誰もいなかった。

しかし、シーマンショックを皮切りに、欧米の需要が急に冷え込むと、それに引き摺られる格好でアジア市場の拡大も頭打ちとなっていた。メーカーはライン規模拡大の投資を回収する前にその用途を概ね失ってしまったのである。そこに残ったのは投資の赤字だけである。さらに大規模な工場をそのまま維持するだけでも出費はかさむため今後は工場を閉鎖する動きが加速するだろう。しかしまた、工場の閉鎖にも費用はかかるのだ。体力を大きく削られた各メーカーがリストラを敢行するのも無理のない話である。

しかし、悠斗がその早期退職の希望を出すと、会社の方は突然のことに驚きを隠せなかった。最初はどこか良い条件の転職先を見つけたものと勘違いし、課長、部長から取締役まで悠斗の説得にかかった。挙句の果てに社長室に呼ばれた悠斗は来年度からの昇給、昇格を条件に会社に残るように言われた。しかし、確かに現状に不満や不安を抱えていたことは確かだが、ちょっとした昇給や昇格で解決できる問題ではなく、もとより良い条件の転職先を見つけたわけではない。そんな説得に応じるつもりは無かった。


そして、そんなある日、悠斗は部長に飲みに誘われ、辞める理由をあらためて聞かれた。

―辞職の理由ですか?何度も説明していますが他の会社から引き抜きがあったわけではありません。そもそも、今の職務に関して引き抜きが頻繁にあるなんてことは聞いたことが無いですよね。―

本当のことを話すことは当然できなかった。

―これも何度も言いましたが、同業他社に再就職もしません。それでは辞める意味がないです。―

全く辞める理由は違うが、お酒の勢いも手伝って、今まで悠斗が感じてきた不安や不満をその場で話すことにした。

―御存じ無いかも知れませんが、私は父親を早くに亡くし母親が私を育てました。母は私に不自由させまいと必死に生きてきました。だから私は決して裕福では無かったのですが幸せでしたよ。でも、やはりちょっとしたところからそう言った所って出てしまうんですよ。まぁ、私はそのこと不平があるわけではないですが・・・ただ、私もそろそろ結婚を考えようと思います。そうなると話は別です。結婚をする以上は妻や生まれてくる子供にそれなりの生活をさせてやりたいと思います。自分が何とか幸せだったからと言って、自分の家族まで同じ思いをさせたくはないんです。では、今そのことを考えたとしましょう。今の給料からそれができるかを考えたとき、今は妻と二人、何とかなるでしょう。しかし、子供が一人、二人とできたときにその子にきちんとした生活をさせてやれるでしょうか?答えは『難しい』になると思います。今、私は現在係長職です。出世も会社内でもまずまずだと思います。そしてこの先、おそらくある程度のところまではいける自信はあります。先日、大野社長から私にそのような言葉をいただき、たいへん感激したのを覚えています。でもその先が全く見通せないのです。言っては悪いですが、その上のイスは順番待ちの列がかなり渋滞してます、ひょっとしたら自分が定年を迎えるまで椅子が回ってこない可能性もあります。では、逆に、この先何十年そのこの会社の課長の給料で生計を立てるとすると、どのくらいの基準の家庭が作れるでしょうか?結果は非常に暗いですよ・・・マイホームを建てるにも立地条件、家の広さともに大きく妥協をせざるを得なくなります。そして子供は一人、ふつうに勉強して大学まで行かせてやることが何とかできるかといったところです。もし仮に、子供がゴルファーになりたいなどと言い出したら破綻覚悟でゴルフスクールに通わせてやるか、経済力を理由に諦めさせるか・・・恐らく後者を選ばざるを得ないでしょう。しかし少なくとも子供は生まれる家庭を選ぶことはできない以上、子供の才能を親の経済力で潰すことだけはどうしても避けたいと思うんです。―

悠斗は自分の過去を思い出した。自分自身がそうだったからだ。悠斗は大学受験の時、東京の一流有名私大と言われる慶早大學の理工学部に合格していた。しかし、実家の経済状況と東京への仕送りや学費の額を考えた悠斗は合格通知を破り捨て、受かったことを母親に黙っていた。結局今でも秘密のままである。もし自分が慶早大學に行っていたら、その後の人生はどうなっていただろうと、時々考える。そして、こんな思いを自分の子供には絶対させてはならない。自分が結婚して家庭を作るにはもう少し強い経済力が必要だとは思っていた。そして、そう考えると、どこかで今の会社に区切りを付けることも一つの手である、と常々考えていた。もう少し基本給が高ければ考え方も少し変っていたのかもしれないが。

と言うのは、大学の同窓生で毎年集まって近況報告をする際にその同窓生の間で年収の話題になった。一概に同じ土俵で比べることはできないが、出世という面では一番悠斗が進んでいたのにも拘らず、年収はその時集まった同窓生の中で下から二番目であった。しかも、一つ上の奴と三十万円以上離れていたのだ。その時は卒業して五年で大きく差がついたものだと、少なからずショックを受けた。しかも同窓の奴らはまだ出世する可能性がある。その分収入も上がるだろう。しかし、悠斗はこれから上がる要素が見つからなかった。

そして、会社の業績自体もこの状況に拍車をかける。悠斗が在籍した六年間で悠斗の勤める液晶事業部門の業績が黒くなったのは一年のみであった。累積する赤字を前にどう考えてもこの先、明るい兆しは見られない。要するに悠斗が長い間、課長の上の椅子を待ち続けている間に事業部門ごとどこかへ売り飛ばされる可能性は高い。そうなった場合に基本給は下がる可能性は非常に高いが、上がる可能性は極めて低い。


ただ、今思うとその時の悠斗はいわゆる出まかせと愚痴を部長に話しただけだったのかもしれない。

しかし部長は話を全部聞いた上で

『会社としては、そう言ったカラクリに気付かないまま結婚してしまい、後からその事実に気付き、どうしようもなく何とか家庭を養うために必死に働くのが理想の社員なんだろう。でも、そのことに高宮君は前もって気付いてしまった。だとしたら、君は会社が喜ぶ理想社員になってはいけない。』

 そう言ってくれた。それどころか、

『会社は社員に自分のことだけを考えず、会社がどうすれば利益を得られるかを優先して考えさせるように教育する。しかしその会社が社員に何をしてやったか・・・今回の早期退職の希望を募っていることでも明らかだ。結局何もしない、と言うよりは何もできないんだ。バブルの頃であれば、『君達は少し我慢していれば後々大きな見返りがある。』と言い聞かされてきた。しかし、今の世の中ではそんなことを言って馬鹿を見るよりは自分が将来困らないために周囲の状況に目を光らせている方が賢いようだ。』

そんなことも口にしていた。今考えると部長は悠斗を引き留めるというよりは、ただ悠斗が辞める前に話がしたかっただけなのかも知れない。


そしてその部長は次の日から、社長はじめ自分の上司または部下を説得する側に回ってくれた。恐らく部長のこの協力がなければ悠斗はこんなにすんなり退職できなかっただろう。そして、悠斗の勤務年数から見積もっても破格の退職金を用意してくれた。悠斗の勤務実績に対する社長からのお礼と言うことだった。

―いつか、この恩返しができるようになろう。―

悠斗は固く心に誓っていた。



                  一―5

「Hey! Mr.Takamiya.」

不意に前の方から聞こえた声に、悠斗は我に帰った。間違いなく水城の声だ。いつの間にか前を歩く水城夫妻が見えなくなってしまっていた。

「今行く!」

と叫ぶと、悠斗はあわてて二人が前を歩いていたであろう森の小道を進んだ。すると今まで長く続いていた森の終点なのか、前方に木漏れ日とは違う明るさを感じた。二人はそこにいるのだろう。悠斗は急いで森を抜けると、そこには絶景が広がっていた。国立公園の渓谷を一望できる。右側にハーフドームと呼ばれる大岩、左側には何百メートルもある滝が見え、近くに虹がかかっていた。また、昨日ドライブした渓谷やロッジが小さく見える。青く澄んだ空のもと、それらの渓谷の景色はまさに絶景だった。おそらくここは、この渓谷を代表するビューポイントなのだろう。何人かの観光客が記念写真を撮っている。良く見ると水城とパメラも腕を組みながら絶景に見入っている。悠斗は持っていたカメラで渓谷をバックにした腕を組み合う二人の後ろ姿を写真に収めた。なんと言うか絵になっていたからだ。

「写真撮るよ、ほら、こっち見て。」

一枚撮った後でそう言った。二人は悠斗の方を向いて腕を組んだまま、空いた方の手でピースサインを構えた。悠斗はズーム機能を使って二人をメインにしたアングルと、風景をメインに二人を入れたアングルの二種類の写真を撮った後、カメラを適当な高さの岩の上に置きシャッタータイマーを使って自分も水城夫妻と一緒に写真に写った。

 トレッキングコースはまだまだ先に続いていて一通り回るのに七、八時間かかる。そんなコースが公園内にいくつもあるので全部制覇しようとすると一週間くらいは歩きまわることになる。普段から週一でフットサルをしてきた悠斗であっても、一日で十分だと思った。だんだんカメラの重さですら気に懸るようになってきた。無理もない、山道を10km歩くことは平たんな道10km歩くのとは訳が違う。舗装されていないでこぼこの道を歩くだけでなく、崖際の岩や石でできた階段を昇り降りするのは、地図上で示されている何々マイルの表示から自分が想定したものより遙かに過酷だった。しかし、歩いている時々に現れる景色、それが感じていた疲れを忘れさせるには十分だった。このコースはビューポイントが多く公園内の景色を数多く写真に収めることができた。

しかし、その日ロッジに帰り着いて暫くは誰も動けなかった。三人とも言葉少なに椅子に座ったりベッドに横になったりしている。自炊というか、材料を買ってきて料理をする予定だったが、とてもそんな気になれずロッジの食堂へ夕食を食べに行ったあと、シャワーを浴びたら、三人ともいつのまにか寝てしまっていた。夜中、動物の遠吠えやフクロウか何かの鳴き声が聞こえたが、いちいち反応できるほど元気ではなかったようで、何か遠くの出来事のように感じた。翌朝、二人にその話をしてみたが、二人とも聞いていなかったようだ。よっぽど深く眠っていたのだろうか。

翌日はまた、一日かけてロスまで戻るドライブである。今度は三人が交代で運転することになった。一人でこの距離を運転するには、まだみんな昨日の疲れが取りきれていなかったため、不可能だと判断したからだった。案の定、悠斗が運転する時は水城は後ろのシートで寝ていた。

悠斗はこの後数日間は靴擦れと筋肉痛との戦いを強いられることになるが、車を運転する時は別に何ともなかった。一番最初に運転した悠斗は、丁度昼食のタイミングでの交代となった。昼食はルート沿いにあったキングバーガーになった。何時ぞやの思い出が蘇ったが、折角だからキングサイズセットに挑戦してみるべきだと、二人に促された。

「だから六年前にも俺は食ったから・・・」

と抵抗をしてみたものの、結局注文してみることになった。何とかバーガーだけはその場で平らげたが、大量のポテトと1.5リッターのペットボトル並みのコーラは車の中での三人のおやつとなった。しかも、悠斗はそのあと知らず知らずの間に寝てしまった。

 よってロスの家に帰り着いた時はちょうど夕食の時間だったが三人ともそれほど空腹感は無かった。行きつけの中華料理屋で軽く済ませた。

「アジアばっかじゃねぇか!」

と突っ込んだ悠斗に水城は冷静に対処した。

「昼間これでもかってぐらいアトランタ合衆国を満喫しただろう?」

パメラもアジアの料理は気に入っているようで

「ここの水餃子はとっても美味しいのよ。」

とお勧めのメニューを教えてくれた。シアトルに住んでいたころから中華料理は大好きだったそうだ。

ロスの水城邸に着くと、荷物を部屋に運んだあと、パメラは洗濯をしながらシャワーを浴びて寝るために寝室へ入ってしまった。明日の朝が早いから早目に寝たいそうだ。

悠斗は、自分の洗濯ものまで洗ってもらったので、終わったら裁たんで籠に入れて置くことを約束した。二階で自分もシャワーを浴びて、一階の洗濯機が止まるまでテレビを見ていた。


水城はビールを持って二階へやってきた。

「言ってた通り明日からは、俺は仕事だけどお前ほんとにうちの工場に来るのか?」

水城は悠斗ようにコップに缶ビールを注いで渡した。

「ああ。悪いけどいいか。」

悠斗は水城から受け取ったコップを水城の持つ缶にこつんとぶつけた。乾杯を意味する挨拶だった。

「別に、俺はかまわねぇが、一つ聞かせろ。」

水城は悠斗が座っている客用のベッドの正面のソファに腰かけた。

「ああ」

「何が目的だ?」

「目的って?」

「わざわざ、ロスまで俺の仕事ぶりを見に来るわけがない。何か別にあるだろ。」

「別に、何も無いよ。」

「それにしては、一昨日俺の仕事の話をした時、妙に真剣に聞いてたぞ、何かを突き止めようって実験していた時とおんなじ顔をしてたけどな。」

―ヤバい、顔に出ていたか・・―

しかし、水城に反原発テロのことを話すことは絶対できない。しかし、ここまで見破られてしまった以上、何も話さないわけにはいかないと思った。水城を納得させ、かつ、変な迷惑がかからないようにするためには、どこまで話せるか。そこの判断は非常に難しいと思う。

「実は、マスクが作りたい。」

「マスク?何の?」

「例えば、うーん、そうだな・・・例えばマスクを使うと簡単に有名女優になったり、マンUのストライカーになったり、ハモンド大統領になったりできる。しかも相当精巧で本物と全く区別がつかないような・・・何か漠然とだけど。」

「お前、何考えてる?」

「何って?」

「もし、そんなモノをこの国で売り出そうものなら、すぐにFBIにマークされる。日本だって規制されるんじゃないのか?よく知らんけど。だいたい、お前会社辞めたって言ってたな、そんなもの作って売るためだったのか?」

やはり、思った通り水城は突っ込んできた。マスクを作りたいなんて言ってしまったが為に理由付けがとても難しくなってしまった。とりあえず誤解だけでも解かなければならない。

「別に、作ったものを売るつもりはない。」

「じゃあ、それこそ何をするつもりなんだ。」

それこそ藪蛇だった。

―そりゃそう来るよな・・・―

しかし『時すでに遅し』である。

「マスクは、自分用に使いたいんだ。」

「実はどうしても自分の顔がバレないようにしたいことがある。」

「銀行強盗?コンビニ?」

「強盗じゃない!」

悠斗は少しムッときて口調が少し強くなってしまった。あわてて元のトーンに戻す。

「結婚式の余興じゃダメか?」

「嘘をつくな!」

そんな誤魔化しは効かないぞ!とばかりに今度は水城がすごんだ。『ふぅ・・』とため息をついた悠斗は諦めて話すことにした。ただ、やはり自分達の本当の目的だけは言えない。

「マスクを使ってやろうと考えていることは、強盗じゃないけど・・正直どう言っていいか難しいところだけど、きっと世間的にはあまり褒められたことでは無いと思う。でも、どうしてもやらなければならないことだ。」

「それは、俺には教えてくれないのか?」

「それは・・・」

悠斗は答えることができなかった。

「すると、何だ・・・俺はお前の何かよく知らない目的のため、自分の職場にお前を連れて行き、そのマスクを作る技術をよこせと。結構ふざけた話だな」。

「すまない・・・」

悠斗は水城の方をまっすぐ見て言うことができなかった。

「気にするな、どうせ駄目だと言っても付いてくるだろ?それに、久しぶりに見たな、その顔。UHMPPの重合実験以来だ。」

水城は研究室時代の昔話を持ち出した。あの時は、水城と准教授の間でポリペプチド重合方法の意見が対立した。とある生体高分子材料として特殊なタイプのポリペプチドをより大きな分子量のものに合成する条件についての争いだった。両方試せばいいのだが、特殊なものであるが故になかなか時間と費用が嵩んだが使える試料はごく僅か一回の実験の量だけだった。そんな中、発生した対立に一時、研究室の雰囲気暗くなりかけた。どちらかの条件で合成するか決めなければならなかったとき、悠斗は准教授の側についた。おそらくその時の表情のことを言っているのだろう。ただ、自分ではどんな顔をしていたかよくわからなかった。結局多数の支持を得た准教授の合成条件により当時では最も大きな分子量をもつポリペプチドを合成できた。

 その話には、続きがある。

実はその後、悠斗は隠れて同じものを合成した。しかも水城の条件で行ったのだ。自分の実験と並行して行ったため、一ヶ月半ほど研究室に泊り込んで平均睡眠時間は四時間を切る過酷なものだったが、できたポリペプチドは准教授の主張した条件を遙かに凌ぐ大きな分子量のものになった。悠斗はこっそりそれを水城に見せた。

「お前、マジで・・・俺のためにか・・・しかも、お前これ使えねぇじゃねぇか。」

そうだった。水城の条件でははるかに大きな分子量のポリペプチドができるのだが、あまりに大きな重合度のためガチガチに硬くなってしまい。目的とする素材としては全く使えないものになっていたのだった。しかし、それを見た水城は大爆笑した。悠斗も大爆笑だった。水城はうっすらと目に涙を浮かべているようにも見えた。どちらかと言うと悠斗にはその時の水城の顔の方が印象的だった。


まだ学生時代の話だった。


次の日から一週間水城は悠斗を自分の工場まで連れて行ってくれた。それどころか、自分の仕事関係の知り合いで、特殊メイクの技術者に悠斗が特殊メイクを教えてもらえるように頼んでくれた。この特殊メイク技術は悠斗がフェイスマスクを作るのに大いに助けられることになる。

 彼の名はフレデリクソンと言った。北欧系にルーツがあると言うことだが、それを言うなら悠斗たちはアジア系になるのか。そんなことはどうでもよかったが、彼の彼が言うには、メイクにしろマスクにしろ元の顔より小さい顔にはできないと言うことだった。当然と言えば至極当然である。しかし、ただ小顔から大顔ならできるかと言えばそういう意味では無い。もっとシビアな意味であった。わかりやすく言うとたとえ小顔でも鼻が高かったら、その鼻の部分を削るわけにはいかないので、たとえ大顔でも鼻の低い人にはなれないと言う意味である。

 要するに、例えばハモンド大統領になろうとするとすべての部分の凹凸がハモンド大統領の凹凸の中に収まる必要がある。そして、それができた段階で部妙な目鼻間の距離だとか、口の大きさ等を合わせる必要があった。

「ま、何でも限界がある、完全にすべてのパーツがその人のサイズ以下に収まるなんてことは、極めてレアだ。そして、それを上手く合わせるのが俺達の仕事さ!」

とフレデリクソンは教えてくれた。

そして、正面と左右の側面の写真から顔の特徴を立体化するソフトをくれた。このソフトを使うとベースとなる人と、変装先の人の凹凸を三枚の写真から読み取って、それぞれを重ね合わせて計算してどこにどれだけの肉付けを必要とする等を計算してくれる、極めて優れた、他に用途が余りなさそうなソフトであるが、後にこれが極めて役に立つことになる。

 悠斗はこのソフトを使って毎晩水城をいろんな顔に仕立て上げた。有名サッカー選手や芸能人など写真が手に入りやすい人を片っ端から試してみた。素材は水城の工場の失敗作や欠陥品を持ち帰って皮膚に仕立てたが、欠陥品だけあってやや使い勝手が悪い。

「人工皮膚に関しては俺よりお前の方が詳しい筈だ。」

水城の言うとおり。悠斗は六年間電機業界に勤めていたが、大学院時代は高分子生体材料についてのテーマの研究をしていた。そちらについては日本に帰ってから本格的に作ることにした。そして、水城も、皮膚の材料に関して、仕事中に利用した文献や本などで必要そうなものを悠斗に貸していた。悠斗は水城のメイク以外の時間は文献や本を読んで研究した。悠斗が目指すマスクと水城やフレデリクソンの行っている特殊メイクは似て非なるものであるが、それでも皮膚との親和、密着性、それから皮膚に与える影響や表情を変化させた際の影響など学ぶべきところは多く大変参考になるものばかりだ。

 そんな学習をしている間に二週間が過ぎた。残りの準備は日本でできる。悠斗はフレデリクソンやパメラ、水城にそれぞれお礼を言って日本に帰ることに決めた。

水城夫妻は空港まで悠斗を送りに来てくれた。

「お前が何を企んでいるのか知らないが、面白そうなことなら俺にも一枚かませろよ。」

水城は別れ際に小声で悠斗にだけ聞こえるようにそう言った。

「ああ、約束する。でもお前は日本に来ないだろ?」

「何、楽しいことなら飛んでいくさ。」

そう言って握手をした。

「パメラも毎朝ラテをありがとう。また飲みたくなったらこっちに来るよ。」

「いつでも歓迎するわ。今度は彼女を連れてらっしゃい。」

パメラは最初悠斗に会った時のようにハグをした。


帰りの飛行機は行きの飛行機より人が少なかったのかゆったりした感があった。

悠斗はカメラを取り出して撮った写真を再生してみた。一枚目には、とても奇麗なヨセミテ国立公園の大自然と、それをバックにした絵にかいたような仲のいい夫婦の後ろ姿が映っていた。『決してこの二人を壊してはいけない』そう悠斗は誓った。この先どんなことが起こっても。


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