政治塾の男
一
略一二年六月。
予定終了時刻を五分ほど過ぎたところで、その日の講義は終了した。空気の循環したホールとはいえ、そろそろ本格的な冷房の運転が必要とされる気候である。
大阪府知事が開催するいわゆる『政治塾』、関係者からは単に『勉強会』とも称されるが、本日の講義を執るのは鷹山聡大阪府知事その人であった。物怖じしない発言でメディアを上手く利用し、その影響力は大阪府民のみならず日本全国の多くの民心を捉え、もはや政権与党である民進党も民自党も無視できない存在どころか対抗第一党を築くこと間違いないとの声も高かった。
そんな鷹山もここ数日の顔色は冴えなかった。当然その理由は質疑応答にあった最後の質問(その質問が五分のロスタイムを発生させた原因でもあったわけだが・・)の内容と関係していることは明白だろう。
「本当に脱原発は達成できるのでしょうか!」
質問用マイクを持った男は恐らく二十代だろう、やや短い髪に強い眼光、八割方の受講者がスーツスタイルで出席している中、ボーダーのポロシャツにチノーズパンツといったラフな格好での参加も若気の至りといったところか。
会場に一時の沈黙が流れ、その後にわかに騒々しくなった。今回の議題『大都市構想』とかけ離れた質問である。とはいえ、受講者の大多数が本日の議題よりもその話題に興味をもっていたのも確かである。というのも先週末、近畿連合が国政の圧力に敗北し福井大島原発を容認する意向を示すといった内容の新聞記事が一面を飾り、テレビのニュース報道が頻繁に流れていた。
日本東部大震災から一年が過ぎていた。フクシマ1の事故以来、日本の原発は定期検査のあと、稼働に戻すことを出来ずにいた。そしてついに先月末すべての原発の稼働が止まることになったのだった。しかし、原発に発電のかなりの部分を頼っていた近電(近畿電力)は最近『夏の電力不足』というネガティブキャンペーンを展開し原発の再稼働を働きかけていた。『大島を動かさなければ夏場のピーク電力の確保は出来ない』という触れ込みはメディア全般が取り上げ、世の中の関心を一手に引き受けていた。
そんな中での先週の出来事である。若気の至りとだけでなく、政治塾の塾生の何者かが噛みつくのも予想は出来たかも知れない。
鷹山も当然ながら近畿連合の構成委員の一人であり、それどころあたかも鷹山が連合を代表しているかのようにニュース報道では記者の質問に答える姿が映し出され、新聞記事ではその写真が記事見出しの傍に配置されていた。
「当然です!」
鷹山が答え始めるとまた会場が沈黙を作り始めた。
「原発は無くしていかなければならない。ただし、現在の関西圏の電力供給量では夏場を凌げない可能性があります。したがって今夏の電力供給を確保するためだけに原発再稼働の容認をしました。」
新聞の記事とまったく変わらない回答だと感じた男はさらに質問を続けた。
「正直、近電の出す電力不足の見込みの数字に信憑性があるのかどうか分かりませんのでそのことについては何も言いません・・・」
会場中が苦笑いに包まれる
「しかし夏場の電力供給の確保が目的であるならば、夏が過ぎたどこかの段階で再度停止する確証は得られているのでしょうか?」
質問しながらも男は答えが得られないことがわかっていた。当然、近畿電力がそんな約束をするわけがなく、万が一、秋口に原発を停止するという密約があったとしても、その事実をこんなところでは口にできないはずだ。
「現段階ではあなたが考えるような当たり前の確証すら得られていません、それは我々の力不足も一因です。ただ、現在連合では夏以降の停止に向けて方針と国に対して対応を検討しています。これ以上のことをこの場で回答することは難しいですが、この先、原発を無くしていくためには先日話した発送電分離と原発に代わる新しい電力供給を確立しなければなりません。そのためには今の原発利権にしがみついている輩を一掃しなければなりません。」
声のトーンが変わり力強くなる
「そのために今ここにいるみんなの力がどうしても必要です!この先もご協力お願い致します。」
勉強会で初めて鷹山が頭を下げた。会場から拍手が沸き起こり、男もそれ以上は質問をするのを諦めざるを得なかった。
「それでは時間も押しておりますので今回はここで終了とさせていただきます。次回の案内は後日ご連絡させていただきます、お気をつけてお帰りください。」
司会のアナウンスとともに勉強会はお開きとなった。
疲労の色を表情に残しながら鷹山は、帰る際に今日の勉強会参加者の名簿と最後の質問者の名前を司会を務めていた秘書に確認しいていた。
二
勉強会に参加していた者はそれぞれの帰途に就くが、大阪府庁舎のホールからは地下鉄谷町四丁目駅に乗り込む者が最も多い。悠斗もその一人であった。午後4時という会の終了時間は、遥々愛知から来た悠斗にとってまっすぐ帰るにはもったいなく感じられ、近くの大阪城を観光してから帰ることも考えたが、閉館時間が午後5時ではじっくり観てまわることもできないだろう。仕方なく帰ることにした。そもそも午後1時から4時という時間帯は多忙な府知事の空いた時間にあてているためだろう。勉強会は府知事以外にも大阪改新会の副会長である浅田昭三大阪市長や、府知事のブレインである本郷武彦氏が教鞭をとっているが府知事が担当の回は開始時間も講義時間もバラバラである。
駅に向かう途中、悠斗は自分が『ちょっとした有名人』となっていることに気付いた。会に参加していたと思われる人々(この時間このあたりを歩いている人間の五人に三人は勉強会参加者だろう)からしばしば視線を感じる。恐らく会での『最後の質問』が原因だろう。ただ、何かを話しかけてくる様子はない。
『おれも聞きたかったんだ、よく聞いてくれた。』という好意的な視線ではなく『よくあんな質問できるな、空気読めよ!』という冷たい視線である証拠だろう。最初はそんな視線も気にはならなかったが、電車を待つ参加者で溢れかえっていた地下鉄駅のホームでは、四方八方からの視線はいささか感じ悪く、悠斗はホーム入口の階段から遠く誰も並んでいない乗り口まで逃げるように早足で歩いていった。
電車がホームに入ってきたとき悠斗の後ろには誰も並んでいなかった。電車の中は家に帰る学生でそれこそ込み合っているものの、社会人の帰宅ラッシュにはまだ時間があり、ちょうど乗り口近くのシートが空いたため悠斗は都合よく座ることができた。
鞄を膝の上に置きながら車内を見渡すと隣の乗り口からスーツ姿の見覚えのある横顔が乗り込むのが見えた。会の参加者である。とはいえ悠斗と特に面識があるわけではなく、懇親会で言葉を交わしたこともない。なぜ見覚えがあるかというと若い女、しかも美人だからである。早い話『たまたま目に付いた。』その程度の見覚えのある横顔である。
その後ろにも何人かスーツ姿の男が乗り込むのが見えたが、こちらは会の参加者なのかたまたま早く帰るサラリーマンなのか見分けがつかなかった。何れにしても座った悠斗からは乗り込む姿しか見えず、また向こうからも悠斗には気付かないだろうということで嫌な視線からも解放されたことに満足していたし、そんなことも元町駅で乗り換える際にはどうでもよくなっていた。
新大阪駅から新幹線に乗り込んだ悠斗は窓際席の特権である外の景観を眺めつつ、今日配られた勉強会資料を手に持っていた。『大都市構想』と書いてある。
そもそも、『政治塾』とは鷹山聡大阪府知事を会長とし、浅田昭三大阪市長を副会長とする大阪改新会の主催する、今後日本を変えていく人材の育成を目的としたもので、早い話、大阪改新会が国政に打って出るときの立候補者を養成する場である。そのため改新会が進めたい政治的な方針や、思想、策だけでなく国会議員になる『い・ろ・は(立候補、選挙活動の方法等)』も講義内容に入っている。
では悠斗は政治家になりたくて『政治塾』に申し込んだかというと、そうではない。日本の国政が毎日のようにメディアに扱き降ろされている中、最も日本国民の期待を受けている団体がこの先、日本の暗い部分を変えていけるのか、失敗して結局何も変わらないのか、近いところで見てみたいと考えただけであり、いわゆる野次馬気分で参加を申し込んだだけだった。
とはいえ心の奥には日本を変えていってもらいたいという願望があり、したがって、先日鷹山が(というよりは『近畿連合が』なのだが)原子力ムラ面々の利益確保が目的であることが明白な原発再稼働の容認をしたことに対して並ならぬ憤りを覚えたのである。
―結局、この国の政治家は既得権益を貪る奴等の言いなりか・・ ―
結局、悠斗の頭の中は『最後の質問』のことが頭から離れず、資料に目を通しながらも『大都市構想』の講義の復習ができているとは言い難かった。
新幹線は名古屋駅に到着した。2週間後に夏至を迎える6月の午後5時半は、夕方に差し掛かるといってもまだまだ明るく、赤嶋屋のエスカレーター前の時計台はこれから夜に向けて遊びに行くのだろう待ち合わせの人々で活気に溢れていた。
悠斗もこのまままっすぐ帰るのはもったいないと思い少し名古屋駅(名駅)近辺を散策することにした。せっかくの有給休暇である。普段、仕事と家との往復で名駅まで出てくることはほとんどない。休日も車で移動することが日常となっているため信号や渋滞が多く移動し難い名駅近辺は敬遠することが多かった。したがって名古屋市から数十分のところに住んでいながら悠斗がこの名駅をめぐるのは、就職してからというもの、年に1回有るか無いかといった頻度である。とはいえ、学生時代は毎日通い詰めた懐かしい街でもある。
街の様子も学生時代とは少しずつ変わってきていた。簡単に言えばデパートが縮小、もしくは撤退し大型の家電量販店が後釜に収まっていたり、漫喫、インターネットカフェが増えていたり、といったどこの都市でも起きている現象だ。悠斗は最も新しく名駅に参入した大型家電量販店『岡本電器』に入ってみることにした。
岡本電器の1Fの壁ガラスと自動扉はマジックミラーになっているため入り口に向かい合う悠斗の姿を映し出す。と、悠斗は自分の十数メートル後に映っているものに一瞬目を見開いた。自動扉が開くまでの一瞬の間に自分の後ろの人間三十人くらいを確認できただろうか。その中に例の『見覚えのある美人』の姿が見えたような気がしたのだ。
―え?名古屋で?―
確認しようにも自動扉が開いてしまった今は後ろを振り返るしかないが、わざわざ後ろを見て閼伽の他人をまじまじと見詰めるのも気が引けるし、仮に例の『見覚えのある美人』だったとして、話したこともなければ、政治塾の方ですよね!と話しかける気も毛頭ない。悠斗自身、谷町四丁目駅での居づらさも関係して勉強会参加者との接触はなるべく避けたいのが本音だ。結局考えすぎだろうと結論付け店舗内に入ることにした。
金曜の夕方だからなのか、すでにボーナスの使い道を決めているのか岡本電器の店内は買い物客でごった返していた。名駅の家電量販店はどこもこんな感じなのだろうか?以前から悠斗は大型家電量販店が名駅近辺に乱立する現実を不思議に思っていた。駐車場を広くとれないため、殆どの客は町中に点在する有料駐車場に車を置くか電車で来る。そんな客にテレビやPCが本当に売れるのだろうか?その答えは意外にも早く見つかった。店内の入り口から低い階層は携帯やデジカメといった小型の製品が多種多様、これでもか!というほど並んでいた。確かに持って帰れる。PCも本体に比べ周辺機器の種類が充実している。郊外の大型モールに比べ小型商品に主力を置いているのだ。かといって大型の商品が無いかというと、そうでもない。大型商品は配送システムで自宅まで送られるため、展示品以外の在庫はどこかの倉庫にまとめて置いてあるのだろう。冷蔵庫や洗濯機などは郊外の駐車場のあるモールでも車で持ち帰る客は少ないため、むしろ客の集まる街中にあった方がより都合がいいといったところか。そんなからくりの一つに導き至ったところに満足しつつ、テレビの一画に向かった。
悠斗の勤めるドミーは家電メーカーとして世界的に有名な企業である。二昔前であればドミー製のブラウン管テレビは『テレビの王様』として世界を席巻していた。悠斗が所属する液晶テレビの開発チームには、当時、古き良き時代から働いている者も多い。しかし悠斗自身はブラウン管世代ではないためその事実をあまり知らない。そんな黄金時代の話ばかりする上司たちに悠斗は辟易していた。『もっと現実を見ろ!と言ってやりたい。今や売り場にはドミー始め日本国内メーカーの液晶テレビよりはるかに目立つ位置に句国(高句麗民国)企業の有機ELテレビが並んでいた。見た目に明るくきれいな新しい構造のテレビは、店員の言葉を借りれば「液晶の三倍出ている(売れている)」ということであった。本格的に政界への転職も考えた方がいいのかもしれない。
悠斗は来た道を戻って西国屋書店に向かった。地元には大きな書店は無い。普段の生活には中型のチェーン店舗でも事足りるが、やはり西国屋書店のような大型店舗は品ぞろえが違う。名駅や栄に行ったときには大型書店に顔を出すことが半ば習慣化していた。西国屋書店は赤嶋屋ビルの7Fフロア全体を占めている。7Fに行くためにはエスカレーターかエレベーターに乗り込む必要があるが、悠斗は近いほうのエスカレーターを使うことにした。非常用階段の所在は知らない。
赤嶋屋のエスカレーターの側面はミラーとなっているところが所々にあり、横を向けば自分の姿が映って見える。そのような構造のエスカレーターは赤嶋屋に限らずよく見かけるのだが、悠斗はさっきの岡本電機のマジックミラーのこともあり、鏡に映った自分の少し後ろに視線を送った。順番に一人ずつ、十五人ほど後ろまで確認した時、
―え!―
思わず声が出そうになった。鏡に映った姿はかなり小さいが、明らかに例の『見覚えのある美人』である。今度は間違いない。恐らく鏡越しに悠斗が見ていることは気づいていないだろう。
悠斗は咄嗟に、上り先の5階で一度エスカレーターを後にし、そのままフロアを一周することにした。後ろにいる彼女をやり過ごすことが目的である。5階フロアは偶然にも紳士服売り場であった。女性一人で紳士物を見にこの階に寄る可能性は低く、きっとそのままエスカレーターを乗り継いで上に行ってしまうだろう。そして、紳士服の階なら男性用トイレもある。そうだ、一度トイレに寄っておこう。そう思い天井から掲げられているプレート案内に沿って進んでいくとエレベーターの横にそれはあった。
とりあえず出すものを出した悠斗は、手洗い用の蛇口をひねり、手と顔を洗い持っていたタオルで拭きながら考えを整理した。
恐ろしい偶然もあったものである。普通に考えて、大阪にいた人間と名古屋で、しかも二回も、遭遇する確率はかなり低い。かといって絶対にないとも言い切れない。名古屋の二回は少し離れているとはいえ、名駅近辺であり、この名古屋の二回のみであれば遭遇する可能性はそれなりにあるだろう。いずれにしろ向こうがこちらの存在に気付いているのか少し気になる。勉強会のホールはそれなりに広かったとはいえ悠斗の存在、背格好は出席した全員の記憶に残っているだろう、変な質問しなければよかった・・・と今更ながら悠斗は後悔した。が、よくよく考えてみると、別に悪いことをしたわけでもないだろうに、何をコソコソしているのだろう。向こうがこちらの存在に気付いたところで何も問題ないのである。少々の気まずさを我慢すれば。
悠斗は鏡に映った自分をもう一度よく見みた。どうも自分はあの谷町四丁目駅の雰囲気にのまれてしまっていたようだ。
そう考えると、急にばかばかしく思えてしまい、悠斗はあわててトイレを出た。
トイレに隣接していたエレベーターはB1Fを指している。ボタンを押しても1Fに一度止まることを考えると5Fまでには時間がかかるだろう。結局7Fまでならエスカレーターを使った方が早いと判断して来た道を戻った。
6Fに登るエスカレーターに乗った悠斗は念のため側面の鏡越しに後ろを確認してみる。6Fに登りきるまでそれらしい人影は見つからなかった。まあ当然だろう。そのことに気を良くし7Fに登るエスカレーターに乗り継いだ時だった、5Fから6Fに登るエスカレーターに乗ろうとする『例の彼女』の姿が見えた。彼女も5Fにいたのだ。
悠斗は混乱していた。
―何故、ここにいる?―
5Fでエレベーターを離れた際、些細な気まずさから逃げることを優先し、女をやり過ごしたことを確認しなかったことを悔いた。が、もう遅い。しかし、なんというか、まるで追けられているみたいで気色悪い。
―・・・!・・・追けられている?―
悠斗はここに至ってようやく気が付いた。自分が跡を追けられているとしたら今までの偶然の辻褄が合う。
―そうだ、俺は大阪からあの女に追けられていたんだ!―
一つの気持ちの悪い問題が解決して悠斗はちょっとした満足感を覚えた。しかし満足感と同時にもう一つのかなり気持ち悪い疑問を生じさせた。
―何故、追けられている?―
7F西国屋書店に着いた悠斗は書店を廻りながら、新しい疑問の解答を得ようと頭の中身をフル回転させていた。何しろこれといった確信的な『身に覚え』がないのだ。したがって解答を得るためには多少空想めいた発想が必要となる。
―鷹山の密偵か?彼女は勉強会参加者であることは明らかだ。ということは、先の悠斗の発言に対し何らかの危険性を感じた鷹山が勉強会の参加者に紛れ込ませていた彼女に悠斗の身辺調査を・・・それは無い!―
確かにあの場で原発の質問をしたことは問題だったかもしれないが、そんなことでいちいちこんな調査をするとは考え難い。そもそも、悠斗は勉強会の参加申請書類には住所、電話番号、メールアドレス等記入して提出しているし、それどころか、道州制や国政改革についての小論文も提出している。わざわざ調査員を付けなくても居所、政治思想等の情報は得られるはずだ。
では、そういった情報が得られない立場だとすると(基本的に勉強会参加者は他の参加者やその他からプライバシーについては保護されている(と思われる。))
―例えば、他の既成政党やこれから立ち上げる新党のスパイが勉強会に潜り込んでいるとしたら、別にスパイでなくても鷹山とは別の新党を立ち上げようと画策する者達が悠斗を取り込もうとまず調査に乗り出し・・・この線はかなり薄い!―
俺なんかを仲間にしたいはずがない。
勉強会とはいえ政治家として相応しくない服装で毎回出席している悠斗は、周りからただのお調子者、格好付け、若造とみなされているのをよく知っていた。今回の質問についても『調子に乗りやがって!空気読めよ!』という心の声が聞こえていたほどである。
メディアに対し如何にも襤褸を出しそうな奴を仲間にはしたくはないはずだ。
―じゃあ、スパイが電力会社関係だったら・・・これも薄い!―
俺を追ける動機が弱い。勉強会の質問一つで、しかも調子に乗った若造の発言で電力業界に影響は与えないだろうし、そんな若造の調査に大阪から名古屋までの費用を出すのは、如何に電力会社の資金が潤沢とはいえ、やりすぎである。
―どうも俺は原発発言にこだわりすぎているな。勉強会と離れて考えてみよう。
例えば・・・優奈が浮気を疑って友達に長期の監視を・・・この線も薄い!―
悠斗が学生のころ合コンで知り合った彼女の優奈とはすでに六年が経つ。今までそのような問題を起こしたこともなく、当然に疑いをかけられたこともない。ただ、悠斗は政治塾のことを優奈に話していなかった。応募の際は野次馬気分だったので、自分が選考(政治塾は履歴と論文の選考があった)に選ばれるとは思っておらず、まあ別に決まってから言えばいいか!と軽く考えていたが、いざ決まってみると逆に言い出しにくくなってしまった。今年二十七になる優奈とも最近〝結婚〟が話題に触れることが多い。
『友達のケイちゃんの結婚式はすごく良かった。』だとか、『同窓会でみんなが子供の話をしていて、ついていけない。』とか、他愛もないものであるが、悠斗にとってはディフェンスラインを徐々に押し上げられているようで気が気でない。そんな中、政治塾の話を切り出した場合の反応は予想できた。
『何?今の仕事を辞めて政治家を目指すの!』とすさまじい形相で迫られる可能性が否定できない。政界を目指す気のない悠斗にとっては余計な揉め事を作る必要はないだろうと政治塾のことは伏せていたのだ。
しかし、仕事以外に時間を使っていることは明らかで、そのことを優奈が不審に思っていれば、友達に見張りを頼むことも考えられるのであるが・・・
『例の美人』が優奈の友達だとして、勉強会に出席するためには悠斗と同じ選考を潜り抜ける必要があり、応募の締め切り四日前に募集要綱を見つけた悠斗に対し、相当タイミング良く悠斗の政治塾への参加の事実を知る必要がある。もちろん、その四日間、悠斗は誰にも政治塾の話をしていない。また、資格のない人間が勉強会に潜り込むことは常識的に考えると難しかった。
結局自分の身に付いている錆を基に新たな疑問の解答を考えたが、どれも明確な解答だとは思えなかった。結局、そんなものは追けている本人しか知りようがないのだ。『彼女はストーカーでした。』で終わることも考えられる。
追けている理由を知るためには本人に聞くのが一番である。とはいえ、悠斗がこのまま、まわれ右をして後ろに15mほど後ろに歩き、追けているだろうスーツの女を見つけ出して、『追けている理由を教えてくれ。』と頼んでも、はたして彼女が素直に教えてくれるだろうか?
―下手を打てば『変な言いがかり』、最悪は『不審者』としてこちらが警察のお世話になりかねない。そうならないためには向こうから話さなければならない状況に追い込むのが一番だが・・・―
悠斗はそのまま二十分ほど本屋をめぐり、本を探す振りをした後、西国屋書店を後にした。当然ながら、降りる際もエスカレーターを使った。
三
咲希は焦れていた。前を行く男の自由奔放な散策にイライラしていた。
ことの発端は新大阪駅でボーダーのポロシャツの男を見つけたことである。
男は咲希が潜り込んでいる鷹山政治塾の受講者だった。とはいえ政治塾の受講者は六百五十人ほどいる。その中でその男は若い方ではあるが際だって若いわけではない。また、勉強会にカジュアルな格好で参加する人間も少ないながらいるわけで、その男が際立って目立つわけではない。
ではなぜ咲希が新大阪で見つけた男を政治塾の受講者として覚えていたかというと、その男がこの日の講義で鷹山府知事に咬みついたからである。また、咬みついた話題が『原発』だったことがいっそう咲希の記憶にその男の存在を植え付けた。周りの受講者達が会場ごと気まずい雰囲気に包まれている中、咲希だけはやや好意的な視線でそのやり取りを見つめていた。
そんな男が新大阪のホームで新幹線を待っていたのである。次にこのホームから発車する『のぞみ244号』に乗るのであれば、京都で降りることはまずないだろうから咲希の降りる名古屋より東からこの男は来ていることになる。
男に『鷹山政治塾の方ですよね。』と話しかけることも考えた。男と話すことにより彼の出生や政治思想、をもっとよく知ることができるだろう。場合によっては『同士』になってくれるかもしれない。しかし、咲希はしなかった。今の自分の立場を考えると〝接触〟は慎重に行った方がよい。
咲希が名古屋駅でのぞみ244号を降りた時、男は数メートル先を歩いていた。男も名古屋で降りていたのだ。どうやら男は咲希の隣の車両の禁煙の指定席に乗っていたらしい。
ここで咲希は男を追けて見ることにした。男の居場所が分かればある程度その男の情報を得られることができる。(もちろん仲間の協力が必須であるが。)得られた情報によっては彼に〝接触〟を試みてみるのも悪くはないと考えたのだ。また、いずれにしろ勉強会に今後も参加する以上、懇親会の場で遅かれ早かれ彼とは話をする機会もあるだろう。そんなときに情報を持っているのと持っていないのとでは雲泥の差がある。そして俄かに『同士』への期待もある。
この判断が咲希の今のイライラの発生原因であった。何しろこの男はなかなか家に帰らず、俗に言う『名駅』を自由気ままに歩き回るのである。最初は電気屋だった。最近できた『岡本電器』を1Fから4Fまで三十分以上ウロウロしていたかと思うと、何も買わずに来た道を戻って赤嶋屋デパートを登り始める。紳士服売り場の階で降りたかと思うと男の向かったのはトイレだった。そのことが一層咲希を苛立たせた。自分もトイレは行きたいが、その間に男はフラフラとどこかへ行ってしまうだろう。行動が読めないだけに、ここでアイツを逃がしてしまったら今までの時間が全く無駄になってしまう。咲希は我慢を決め込んで最寄りの紳士服ブランド『エドワード・コーネン』の売り場でネクタイを選ぶふりをして男が出てくるのを待った。父の日を目前に控えた週末の紳士服コーナーは、普段より多めの客がいたことも幸いし、咲希のいる位置はよっぽど注意深く見なければトイレ側から見つからないだろう。しかし、『エドワード・コーネン』の店員からは目立つ位置だった。
「何かお探しですか?」
店員は話しかけてきた。さっきからネクタイしか見ていないのだからこの質問もおかしいのだが、咲希は自分の注意していない方向からの突然の問いかけに躊躇しつつ、
「えっと、ネクタイをプレゼントしようと思っているんですが・・・」
取り繕うしかない。
「父の日のプレゼントですか?」
「えっ、あ、はい。」
店員はぎこちない咲希の対応を、こういった店員とのやり取りに不慣れな、もしくは元々気の弱い娘だと解釈したのだろう。並んでいるネクタイから三つほど選び出して
「父の日のプレゼントとして、よく選ばれているのはこういった・・・・」
と説明を始めたのだが、咲希はそれどころではない。チラチラとトイレの方に目を配り出てきたボーダーの男の後を追わなければならないのだ。選ばれたネクタイの柄も店員の説明はあまり頭に入ってこなかった。
二分ほどして男が出てきた。エレベーターの方に歩きかけたが、すぐに向き直り『エドワード・コーネン』の角を通ってエスカレーターに向かったのだろう。すぐに追わなければならない。
「・・・御父さんが普段どういった格好をするかにもよりますけど・・・」
店員の説明が終わる様子はない、咲希はしかたなく店員との会話を切ることにした。
「真ん中のこれの柄がいいと思いますけど、また今度改めてきます。すみません!」
急に来た咲希のハツラツとした受け答えに驚く店員をよそに、咲希は足早に『エドワード・コーネン』を去った。あの男は上に行ったのだろうか下に行ったのだろうか。急がないと見失ってしまう。
男は登りのエスカレーターに乗っていた。そして向かった西国屋書店で再度ウロウロと始めてしまった。とはいえ今度は少し様子が変だった。同じ文庫本を手にとって戻し、またとっては戻しを数回繰り返している。何をそんなに迷っているのだろう?お金が無いのであろうか?その後、男はいろんなジャンルの本棚を廻り始めた。その先々でとっては戻しを繰り返している。奇妙な行動である。何か考え事をしているのだろうか?
三十分ほど奇妙な行動をとったあと、西国屋書店を後にした。この男は結局何も買わなかった。よくよく考えてみれば、男は名駅で何も買ってなかった。
しかし、その後の男の行動は一転する。男は急に購買意欲に目覚めたかのように物を買うのだ。しかも決断が早い。まず、赤嶋屋を軽快な足取りで降りて行き、名駅地下街ナスカに通り抜ける眼鏡屋で伊達眼鏡のような色のついていないサングラスを買った。そしてナスカの『UNIQUE』では水色のパーカーと赤のキャップ帽を買った。いずれも手に取ったら即決でレジに持って行っている。他には何も目に入っていないように見える。あんなモルフォ蝶のような色のパーカーがそんなに欲しかったのだろうか。西国屋書店にいた男とはまるで別人である。
同時に咲希は別のことを考えていた、あの水色のパーカーを着るのだろうか?薄い水色なら特に違和感を感じることはないのだろうが、男が買ったパーカーはとてもインパクトの強い艶やかな水色である。あのモルフォ蝶のような色をあの男が勉強会に来て来る姿を想像した。
―さすがにないわ・・・―
思わず口に出してしまいそうになった。そんなことを考えているうちに男はナスカから階段で地上に出て行った。
男が出た先は名駅東口、いわゆる雑居ビルが群生する地域だ。
―もういい加減にお家に帰りましょうよ!―
咲希は言ってやりたいが、そんな胸の内は男には届かない。男はキョロキョロと周りの雑居ビルを見渡している。明らかに何かを探していることが見て取れる。同時に男の家がこのあたりでないこともわかる。そうやって暫く男はキョロキョロしながら雑居ビル群を歩き回りながら、一度コンビニ『24』に入った。何やらキャッシュコーナーでお金をおろしているようだった。そのあと、また東口の裏通りをフラフラと歩きまわったかと思うと、そのうちの一つに入って行った。咲希も男の後を追って雑居ビルに入ろうとしたが、入り口であわてて立ち止まった。咲希には入れなかった。そのビルの1Fから6Fまですべてが『風俗店』なのである。
咲希は茫然として立ち尽くしていた。目の前にある事実を処理するのに時間を要していた。男は間違いなくこれらの店のどこかに入って行ったのだろう。事態が飲み込めてくると同時に男に対する怒りが沸き起こってくる。咲希にとって、このよう場所に対する免疫は無い。自分が興味を持って追いかけて来た男は最低の男だったと結論付けるのが妥当だった。
―『同士』なんてとんでもない!こんな男と仲間になるなんて考えただけでも鳥肌が立つ。―
だんだん頭の中がクリアになるとともに、今までこんな男のために時間を費やしてきたのかというやり切れない気持ちが大きくなり、怒りが頂点に上り詰めた。と同時に、建物の入口にある『セーラーいちご娘』の看板を思い切り蹴飛ばす。〝ボコッ〟という樹脂の鈍い音が路地裏に響き渡り、道の反対側のやや前を歩いていた中年の男が咲希の方を振り返ったが、今の咲希には目に入らなかった。
長い時間待てば例の男は出てくるだろう。しかしそんな気は全く失せていた。男の奇妙な行動の理由や住処は結局わからないままだが、そんなことはもはや知りたくもなかった。一つわかったことは、あの男は手に取った文庫本を買うお金を持っていながら、本当にどうしようもないことに使っているということだけである。もはやそれがわかっただけで充分であった。
『ふ~!』
一つ息を吐いて怒りを納めることに努めた。もはやこんなところに用事はない。咲希は来た道を帰り始めた。まず、トイレに行こう。咲希は考えていた。長い間我慢していた。
四
悠斗は雑居ビルの脇に張り出した非常階段の4階と3階の間の踊り場から路地の様子を見ていた。跡を追けていた女にはここにいる悠斗の存在は気付かれていない。
もちろん悠斗は彼女が後ろにいることをエレベーター他所どころに映った姿で確認している。
悠斗は西国屋書店で本を見る振りをしながら、まず、彼女の尾行を『撒く』ことを考えた。単純に走って逃げることも考えたが、それでは『尾行に気づきましたよ!』と言っているようなものだ。その後の処置も難しい。したがって他の方法を試してみることにした。そのために小道具を買い込み、そして名駅東口の雑居ビル群を歩き回り良い条件の建物を探す必要がある。『風俗店』に逃げ込む振りをするのは結構早い段階から考えていたことだ。別に、追手から一時的に姿を隠せる所であれば『トイレ』でも『銭湯』でもよかったのだが、『トイレ』は30分ほど前に行っているため、再度入るのはやや不自然であり、『銭湯』はこのあたりには無い。悠斗も名駅の東側はあまり知らなかったが、『風俗店』がいくつかあることは知っていた。
『風俗店』に逃げ込んだ場合、追手の取る行動パターンは二つ、多くて三つだろう。一つは、あきらめて帰る。二つめは尾行を続けるためビルの入口が見える場所で悠斗がビルから出てくるのを待つ。三つめは風俗店を虱潰しに尋ねる。だが、三つめの選択肢はその後の混乱を考えると、まず無いと思っていい。いずれにしろ追ってくる彼女の様子が見える場所があるところに逃げ込むことが好ましい。
したがって悠斗が探していた物件は、尾行していると思われる彼女の行動を見渡せる場所があり、二つ目のパターンの場合の『ビルの入口が見える待機場所』が近くにある風俗店のビルを探した。
探し求める物件はすぐに見つかった。脇に張り出した非常階段を備え、道に面した反対側を少し行ったところに『バーガージャック』があった。『バーガージャック』の2Fの席からはビルの入口が見える。おあつらえ向きの物件である。
悠斗はビルに入るとエレベーターの4Fのボタンを押した。4Fにエレベーターが止まると正面の店の入り口には入らず脇を大急ぎで抜けて非常階段に駆け込んだ。ここからならビル入り口の様子がよく見える。ちょうど追手がビルの入口に差し掛かったところだった。
―どうするかな?―
まさに、高みの見物となった。そして見物しながら、買い物袋からパーカーを取り出した。派手な水色のパーカーは薄手ながらもリバーシブルとなっていて裏返すと黒っぽいグレイのパーカーとなる。『UNIQUE』では水色を強調させるような持ち方でレジへ持って行った。おそらく尾行者には水色のパーカーのイメージしかないはずだ。また、同じことが赤色のキャップ帽にも言えた。裏返すと紺色のキャップになるのだ。
悠斗はグレイ側を外にしてのパーカーを羽織り、紺色のキャップを被って『UV90%カット』のシールをはがした伊達眼鏡をかけた。本当はサングラスの方が効果ありそうなのだが、黒のサングラスをかける習慣は日本人には珍しく、かえって目立ってしまう恐れがあった。よって悠斗は縁の太い眼鏡にした。一応サングラスということらしいが、どう見ても眼鏡だった。そんな眼鏡でも人相はだいぶ変わって見える。
尾行者が二つ目のパターンの行動を取った場合、悠斗はこの格好でさりげなく出ていくつもりだった。バレるかバレないかはその時に確かめればいい。三つ目のパターンの場合は彼女が風俗店を調べている間に非常階段を下りてこちらが逆に『バーガージャック』から見物するのもいいと思っていたが、彼女は看板を蹴飛ばした後、一つ目の行動パターンを取ったようだ。駅に向かって歩いていく。
―さあ、反撃開始だ!―
悠斗は彼女を逆に尾行する。このとき、悠斗は彼女が大阪からわざわざ悠斗を尾行するために名古屋まで来ていると思い込んでいた。そのため悠斗はコンビニで大阪まで往復できる移動費をコンビニのキャッシュコーナーで卸していた。
そして、彼女は探偵、警察、宗教、マフィア、正体はいろいろ予想できたが、探偵なら事務所、警察なら警察署、宗教やマフィアでも何らかのアジトに戻るだろうと踏んでいた。そこを抑えるのが今の悠斗の目的だった。彼女がどこから来て何のために悠斗を追けたのか、とことん暴いてやろうと思っていた。
ところが、彼女はトイレに行った後、ナスカ地下街から新幹線ホームには向かわず、地下街を抜けて地下鉄桜通線の方へ向かっている。どこかに寄って行くのだろうか?とも考えたが、そのまま地下鉄の改札を抜けてしまった。悠斗もナナカ(ナナカは東海地方の交通機関やコンビニなどで使用できるチャージ式の電子マネーカードである。)を手に地下鉄の改札をあわてて通過する。ここまで悠斗は自分が尾行に気づいた経緯から、彼女を尾行するときは彼女が悠斗を追けた距離よりもはるかに長い距離を取り、また鏡や窓には十分注意した。しかし、距離を取りすぎることはターゲットを見失う、または見間違える危険性を伴う。はたして今追っている女は例の勉強会の美人なのか?予想していた方向と全く異なる進路を取るターゲットに悠斗は少し不安になった。よって悠斗が一度近づいて確認をしてみることを考えるのは、当然と言えばごく当然であった。彼女が並んだ乗車口の一つ奥の乗車口に並ぶことにして、彼女が並んでいるすぐ横を何気なく通り抜けた。彼女は気付いていない様子で、少なくとも悠斗が彼女を一瞥した間は、前に並ぶいわゆる『おじさんの頭の薄い部分』に注目しているようだった。
おかげで悠斗は彼女が『例の勉強会の美人』であることに間違いないことが確認することができた。
彼女はおそらく、この東海地区から来ている。最短のルートで地下鉄桜通線にむかったことが一つの理由である。天井からつるされている案内表示を見ながら地下鉄を探したとしてもこんなにスムーズに改札まで来られないだろう。そして二つ目の理由として、彼女は切符を買っていない。定期かナナカを持っているのだろう。
電車がホームに入ってきた。悠斗は彼女の一つ奥の乗り口から電車に乗り込みつつも彼女の姿が確認できるような位置を陣取った。と言っても、いつしか帰宅ラッシュの時間帯になっていた。地下鉄の中はサラリーマンとOL、学生が寿司詰めになっていた。悠斗の位置からも彼女の後頭部しか見えない。悠斗は各駅での激しい乗客の入れ替えの際、ネタを見失わないように細心の注意を払った。とはいえ、その入れ替えも久屋大通り駅を過ぎた後は徐々に激しさを潜め、その後は今池駅を除いて彼女の位置はほとんど動かなかった。
そして、御器所駅に着いたとき、注目していた後頭部はもはや側頭部になっていたが、自分から動きだした。悠斗もそれに合わせて電車を降りた。
ところが、ホームに降りた彼女は悠斗のいる方向に歩いてきた。悠斗はあわてて彼女と顔を合わせないように動き出す電車の方を見た。が、ちょっとタイミングが遅かった。彼女と一瞬正対してしまったのである。明らかに目と目が合ったことを悠斗は確認した。
『バレた!』と思い、悠斗は思い切ってこちらから話掛けることも考えたが、彼女はそのまま悠斗の横を通り抜けて行ってしまった。予想以上に『変装もどき』の効果があったのかもしれない。
彼女はスタスタと早足でホームを横切るとエスカレーターを登った。悠斗も思い出したように彼女の跡を追う。御器所駅は桜通線のほかに鶴舞線が通っているため乗り換えが可能であるが、彼女は鶴舞線のホームには向かわず改札を出て出口に向かっている。外に出た後の交通手段が分からないことを考えると急いだい方がいい。
どこかで思いきって接触してみるのも悪くないかもしれない。さっき自分が追けていた男がこの場に突然現れることで何か襤褸を出すかもしれない。そんなことを考えているうちに彼女は1番出口から外に出てしまった。悠斗もあわてて1番出口の階段を駆け上がる。階段を上ると大きな交差点の一画に出た。彼女は一番出口からレンタルビデオショップの手前の脇道を曲がって行くところが見えた。先程のニアミスのこともあり、またしても距離を取りすぎてしまった悠斗は小走りで追う必要があった。このままでは声をかけるにしても大声で叫ばなければならないからだ。
彼女が曲がった脇道はあまり大きくなさそうだった。したがって悠斗は急いで追いつこう。そして追いついたところで何か声をかけてみようか、そう考えていた。
しかし、既に遅かった。悠斗が彼女の曲がった脇道にたどりついたとき彼女は角から二つ目のマンションに入って行ってしまったのだ。
―しまった・・・―
さっきの駅のホームでのニアミスを反省し、更に少し距離を置いたことが裏目に出た格好となった。接触をするには、もはやどんな手段も取ることができなかった。しかし、このマンションの住人、もしくはマンションの住人の知人であることは間違いない。マンションは1階の入口にオートロック付きのガラスの扉と総合のインターホンがある。ガラス扉の向こうでは彼女を乗せたエレベーターが1階を登ろうとしているのが見えた。
悠斗は一度マンションを出た。マンションの前の道からだと2階より上の様子を見ることができた。マンションは8階建てだった。ちょうどエレベーターから出てきた彼女が最上階である8階のわたりを歩いている姿が見えた。彼女はそのまままっすぐわたりを進み、一番右奥の部屋に入って行った。
完全に見えなくなってしまった彼女に対し、このまま帰ったのでは時間の無駄である。
悠斗はつつじの生け垣を飛び越え鉄柵越しに1階の右奥の部屋を確かめた。部屋の番号は114号室であった。もう一度マンションの入口に行き総合のインターホンから部屋の番号を確かめようとしたが、総合インターホンは0から9までの数字と呼び出しボタンしかなかった。1階の右奥の部屋が114号室なので8階の右奥は814号室のはずだが・・とその時、悠斗はインターホンの反対側の壁にメールボックスを見つけた。メールボックスはすべての部屋の数あるはずだ。
メールボックスは101号室から114号室までの十四列の1階から8階までの八段の構成になっていた。各階とも14号室まであることになる。と、言うことは彼女の入って行った部屋はやっぱり814号室であろう。いくつかのメールボックスは部屋番号がその部屋の住人の名前に代わっていたが、814号室は番号のままだった。
―個人宅か?何かの事務所のようには見えないが・・・直接自宅に帰ったということか?―
さて、部屋の番号が分かったところで、その先どうするかを迷っていた。実際に814号室のインターホンを押してみるのも一つの手ではあるが、彼女が応答するかどうかは少し怪しく、最悪の場合、警察に通報される恐れもある。警察に『追けられていたので、その理由を知りたくて・・・』と説明しても、『追けていたのはあなたでしょう?』と言われると、その通りなのである。笑い話にしても粗末な結果になってしまう。
もうひとつ手として、メールボックスに『何故俺を追けまわした?理由は次回の勉強会で聞く』と書いた手紙を入れておくことを考えた。こちらの方がリスクが無い分現実的と言える。悠斗が814号室のメールボックスに紙を入れようとしたとき、その指先に何か触れるのを感じ、手をひっこめた。メールボックスの中は郵便物が数多く積っていた。長い間開けられていない証拠だ。これでは例の紙を入れてもいつ読まれるかわからない。今日、明日であれば紙を置いておく効果はあるが、一月後では『何の話?』となることも考えられる。最悪読まれずに捨てられる可能性もかなり高い。
―まあ、ヤサが分かっただけで良しとするか・・・人物の調査については後日何とかすることもできそうだ、それとも何か他にいい方法があるか・・・―
そんなことをインターホンの前で考えていたときである。
「兄ちゃん、どうかしたか?」
不意に背後から悠斗に声がかけられた。突然の声に悠斗は驚いて飛び上りそうになった。そしておそるおそる後ろに振り返ると、背の高い男と恰幅のいい男が並んで立っていた。
「誰かに用事か?」
背の高い男が悠斗に声をかけた、先程と同じ声である。不意を突かれた形の悠斗は思わず、「814号室の・・・」
と答えてしまった。『しまった!』と思ってももう遅い。すると二人はまじまじと悠斗を見つめて、今度は恰幅のいい方の男が
「あんた、見ない顔だけど新入りか?」
と悠斗に尋ねた。悠斗は『新入り??』とよくわからない言葉に戸惑っていると、その背の高い男は、
「さては、ここの入り方知らなかったな、教えてやるからよく見てな。ここから814を押して、呼び出しボタンを押すんだ。そうすると、部屋の中にいる奴が開けてくれるぞ。」
とインターホンの使い方を説明しながら814号室を呼び出してしまった。
『あっ!!』と悠斗はあわてたが、もう遅い。当然目の前にあるカメラからこちらの様子はわかってしまっただろう。顔を伏せてカメラの視界から外れるように移動することも考えたが、この二人の手前、それもできない。二人は悠斗を『新入り』と思い込んでいるようだ。何かの組織であることはわかったが、今はそんなことはどうでもいい。
「お前もはじめは戸惑っとったもんなあ。」
「マンションなんかと縁の無い生活しとると分からんよなぁ!」
と二人でインターホン談議に花を咲かせている。
暫く待ったが扉が開かない。当然だろう、と思ったのは悠斗だけで二人は
「おかしいな、開かないぞ、誰もいないのか?」
と訝しがるとともに再度呼び出しボタンを押した。それから十五秒ほどした後(悠斗には非常に長い時間に感じられた)、ウィーン、カチッと音がしてドアのカギが開いた。
「お、いるじゃねぇか!」
と言った恰幅のいい男は、いきなり悠斗と肩を組む格好で扉を開けて中に入っていく。悠斗は半ば連行される形でオートロックのガラス扉の中に入って行った。
五
テーブルを囲むように4人掛けのソファに3人の男女が座っている。空いている残りの一つに、注いだばかりのコーヒーを手に持ったまま座った咲希は、未だ怒りがおさまらなかった。もともと、自分の判断のもとに行動したうえでの失敗であり、そんなことから派生した怒りを他人にぶちまけるのは筋違いである。よってギリギリのところで第三者に怒りをぶつけることは止まっているが、そのことが尚更怒りのバロメーターを上昇させていることは明らかだ。鬱憤のはけ口が見つからないこと、そのことが更にイライラに拍車をかけているのだ。そして、どうもそれが顔に出てしまったようで斜向かいに座っている女性が
「どうしたの?顰めっ面して。」
と咲希に尋ねた。どうもこういうことは同性の方が早く気が付くらしく、正面に座った男はそんな咲希の表情には興味が無いらしくコーヒーを飲みながらテレビを見ている。隣に座っている男は咲希の表情には気付いているのかわからないが、携帯を手にメールを確認しながら、『そろそろだけどな・・・』とつぶやいていた。もっとも、この男は気付いたとしてもあえて干渉しないのだろう。それは長年の経験から来た判断であるようだった。
いずれにしろ咲希は、その同性の助け船に乗っかかり例の男のことを扱き下ろすことでイライラの解消ができることに感謝し、
「今日ですねぇ、すごい時間を無駄にしちゃって・・・」
と追跡した男の話を説明しだした。結局3人全員が自分の意向に関係なくその男の話を聞くことになってしまった。
「今日、鷹山に原発容認の話を堂々と意見した男がいたんですよ。そんでもって、その男が名古屋で新幹線を降りてくるのを見かけて。ちょっと気になりますよねぇ。」
話を聞かされる3人は『そうかぁ?』という顔をしていたが咲希は構わず話を続けた。
「それで、ちょっと跡を追けて見たんですよ。後で身元を調べようと思って。」
「ストーカーじゃねぇか!」
向かいの男が茶々を入れたが、咲希は無視して続けた。
「そしたらその男、1時間以上も名駅をブラブラしてちっとも帰らないんですよ。しかも変な眼鏡とか、その色は無いわ~って感じのパーカーとか買って、挙句の果てにどこに行ったともいます?名駅の裏の怪しいお店に入って行っちゃったんですよ。ホント最低ですよ。こんな男のために私は1時間以上も費やしてしまって・・・あー今考えただけでも腹が立つ!!」
と一気にまくし立てた。咲希は幾分気がまぎれた、少なくとも斜向かいの女性は共感してもらえたはずだ、と思っていたが、意外な返答が帰って来た。
「まあ、男の人だとねぇ・・・」
すかさず、正面の男も相槌を打つ
「だな。少なくともストーカーは犯罪だが風俗はセーフだ。それにいちいちストーカーに『怪しいお店に入ってもいいですか?』と確認を取る方がおかしい。」
今度は咲希が驚く番だった。その時、『ピンポーン』と来客のチャイムが鳴った。
「おお、やっと来たか。」
と言って隣の男は席を立った。変な話題から距離をおけてせいせいした、といった感じで玄関のインターホンのところまで歩いて行ってしまった。
「それで、そこでストーカー行為はおわりか?」
正面の男は咲希に聞いてきた。残りの3人は話を続けていた。
「当然でしょう。」
嫌悪感が支配した段階で興味は嘘のように失せていた。
「おい咲希!」
玄関の方から声がした。隣にいた男の声だ。
「その男は眼鏡とパーカーと、ひょっとして帽子を買ってないか?」
「え!どうしてわかるの?」
と答えてすぐ、咲希はハッとして玄関に向かって駆け出した。一瞬にして顔が青ざめる。あわててインターホンの液晶画面を見ると、そこにはマンション1階入り口の様子が映っている。そして、入り口には『リー』、『ジンさん』と呼ばれるメンバーの間に挟まれる形で、さっき買っていたアイテムを付けたあの男が立っていた。
―なぜあの男が・・・まさか・・・―
咲希は尾行をしたつもりが、逆に尾行されていたということに今更ながらに気付いた。あの男が買った眼鏡やパーカーは尾行にバレないための変装に使うためだったのだ。
取り返しのつかないことをしてしまったと自分が取った軽率な行動を悔やんだ。
少なくとも自分の住居がバレることはまだしも、アジトがバレるのはまずい、他の場所を探さなければならないし、何より仲間に迷惑がかかる。咲希はパニクった。何とかしなければと焦るばかりで全く解決策が思い浮かばない。
「兄貴、どうしよう。」
情けない声で隣の男に助けを求めた。こんな時にいつも隣に立っている男に頼ることしかできない自分に心底腹が立った。
しかし、〝兄貴〟と呼ばれた男は、別のことを考えているようだ。
「真ん中の男は間違いなく咲希が連れて来た男だが、あの二人と一緒にいるということは、一体どういうことなんだ?たまたま下で出会って意気投合したのか、それとも知り合いだったのか・・・」
最悪の事態を考えると、あの二人を人質にとり、中に入れてほしいという意思表示をしている、とも見えなくもないが、男の手はだらりと下にさがっている。ということは、少なくとも二人の後ろに手をまわしてスタンガンなり刃物なりを用意している素振りは無い。リーとジンの二人の表情も特に違和感は無く、リラックスして談笑しながらもう一度チャイムを鳴らしてきた。
「いずれにしろリーとジンがいる以上開けざるを得ないだろう。」
兄貴と呼ばれた男は解錠ボタンを押した。
六
悠斗は半ば連行されるままエレベーターに乗った。もはや、どうこう策を弄したところで後の祭りである。正々堂々と彼女に自分の知りたかったことを聞こうと覚悟を決めた。
ところが、恰幅のいい男が814号室の扉を開けると、中から出てきたのは男だった。男は悠斗より二つ三つ年上だろうか。色が白く痩せた感じは冬の白樺のようである。
「新入りには入り方を教えとかんと!」
と恰幅のいい男は痩せた男に言うと同時に中に入って行ってしまった。痩せた男は残った背の高い男に
「遅かったな。」
と一言挨拶をし、何かを警戒するように悠斗に視線を送ったあと、
「君も、まぁ、中に入ってくれ。」
と入室を促した。悠斗は勧められるまま中に入った。
中は割と広かった、3LDKと言ったところか。玄関を抜けるとLDの部分にさっきの背の高い男と恰幅のいい男の二人組と知らない男女一組、そして彼女がいた。彼女は何かを恐れるような眼でこちらを見ている。すると、悠斗の後に入ってきた痩せた男に、恰幅のいい男が言い放った。
「まず新入りを紹介してくれよ!」
言葉が終るまえに、知らない男女の女性の方が恰幅のいい男のシャツを引っ張って止めようとした。どうやら、一緒に来た二人以外は『場違い』の存在に気付いているようだ。
「えっと、俺も詳しくは知らないんだけど、彼は『メンバー』じゃない。」
『メンバー』とか『新入り』とか、ここは何の団体なのだろうか。宗教?悠斗は探る目つきで周りの人間を観察しているが、そんな悠斗には全く構わず白樺男は続けた。
「彼については俺が知っているのは、咲希と同じ鷹山政治塾の受講生だ、そして連れてきたのは俺じゃなくて咲希だ。でいいよね?」
男は悠斗に同意を求めた。彼女の名前は咲希と言うらしい。悠斗は頷いた。
「え!お前さっき『新入り』だって言っとったじゃねーか!」
「だましたんかよ!」
二人が口々に悠斗に抗議した。
「そんなことは一度も言っていない。」
悠斗は突き返した。事実だった。
「俺は、知りたいことがあって彼女を追けただけだ。」
これも事実だった。
「お互いにストーカーじゃねぇか!お似合いだな。」
見知らぬ男女の男の方が茶化した。
「ペーター、少し黙れ。」
白樺男がくぎを刺した。
「とりあえず、咲希が君を尾行したことは兄の僕から謝ろう、すまなかった。」
咲希の兄を名乗った白樺男は悠斗に謝った。咲希は涙を目に浮かべているようだ。
「おそらく、君の知りたいことは『何故咲希が君を尾行したか?』ということじゃないかな?」
再び咲希の兄が悠斗に同意を求めた。まさにその通りだったが、悠斗はさらに一歩踏み込んだ質問を付け加えた。
「あと、あんた達が何者なのかも知りたい。」
あたりに緊張が走った。悠斗を除く全員がキョロキョロとそれぞれお互いに、まるで全員が視線で会話をしているかのように、視線を飛ばし合っている。一連の視線のやり取りが終わるころ、咲希の兄は悠斗に言った。
「おそらく、『何故咲希が君を尾行したか?』について答えることは、君の聞きたいことを全部答えることになると思う。ただし、それを話す前に一つ約束してほしい。今から話す我々の正体、それからこの場所、それから今日話したこと、今いるメンバーのこと、その他、我々に関係することを、この先何があっても誰にも話さないで欲しいってことだ。もちろん何かに証拠を残すのも含めてだけど。」
悠斗は考えた。何かを隠す必要があるのだろうか。しかも一番気になるのは『誰に対して』という指定が無いことだ。正直『誰にも話さない』ほど当てにならないものも無いと思うのだが。いずれにしろ、ここで『YES』としなければ何も教えてはくれないだろう。
「わかった。」
悠斗は答えた。
「じゃあ話そう、単刀直入に言うと俺たちはテロリストだ。」
いきなり突拍子もない言葉が出てきたため悠斗は唖然とした。
「は?何だよ、それ!」
と思わず答えた。あれだけ勿体ぶって何がテロリストだ。当てにならない『誰にも話さない約束』を真剣に実行しようと考えていたため、咲希の兄のふざけた答えに少し怒りを覚えた。
「だいたい、本当のテロリストは自分のことをテロリストとは言わないし、こんなセキュリティの場所には潜伏しない。そもそも初対面の正体不明の男をおいそれと肩組んで連れてこないだろう。」
悠斗はその僅かな怒りにまかせて一気に思いつくことをまくし立てた。
―くだらないこと言ってないでさっさと本当のことを話せよ!―
しかし咲希の兄はさらりと流すように物静かに説明しだした。
「確かに君の言う通りかもしれない。初対面の正体不明の男をこんなセキュリティの潜伏場所に連れてきてしまった―」
それを聞いてか恰幅のいい男は小さくなって背後にあるコーヒーメーカーにそそくさとコーヒーを注ぎに行った。
「―これは、我々の都合なんだけど、まだ我々はこの先暫くテロ行為をしないんだ。だから少し気が緩んでしまっていることもある。そして今現在、新しくメンバーが入ることがたまにある。だから、ここにいる二人が君に対して『新入り』と勘違いしてしまったんだ。でもそれを言うなら君も二人に対して『新入り』を仄めかすような行動を取ったんじゃないのかな?」
言われてみると確かに『814号室』を口走ったため彼らは親しげになった。何に対してテロをするのかわからないが、未遂にも至っていないなら隠れる必要もないということか。そう考えると、この男の言っていることも確実に嘘と断定できなくなってくる。悠斗は落ち着いて考えることにした。この男はさっきこちらの考えをピンポイントに言い当てた。冷静に考えて矛盾をつかないと、このまま言い包められてしまう。とりあえず冷静にこの胡散臭さ満点の『自称テロリスト』に本当のことを言わせることに集中しよう。悠斗はこの男の説明に違和感を感じていた。
「そもそもテロって言うけど、この平和な国でいったい誰を攻撃するつもりなんだ?何かの宗教か?」
悠斗は少しずつ自称テロリストの矛盾を突く材料を集めにかかった。確かにテロと一言で言ってもアトランタ合衆国を襲った同時多発テロのような大規模なテロからハッカー集団が行っているサイバーテロまで様々だ。平和ボケした日本人がいったい何を攻撃しようと言うのか。しかし咲希の兄はそんな悠斗の疑いにはお構いなくと行った様子で淡々と説明しだした。
「そうだな、テロって言うとちょっと大げさかもしれないけど、我々の目的は『原発』だ。どんな手を使っても原発を止めようと思っている。その一環として咲希には鷹山政治塾に潜り込ませて大阪改新会の本性を探らせていたんだ。また、それとは別に我々は別に反原発を志す優秀な人間がいたら『メンバー』に加えたいと思ってね。そんな時に君は今日、鷹山府知事に対して原発容認の件で意見した。だから君のことを探って必要なら我々の組織への勧誘を持ちかけようとした。これが咲希が君を尾行した理由だけど納得してくれたかな?」
テロの目的はなんとなく納得できないこともない、まぁ嘘だとしても、先に『テロリスト』と大見え切ってしまった場合、現実味を帯びさせるための着地点として『原発』は悪くない、と言うかかなり上出来だ。更にそこから、尾行の理由を導く所なんかは悠斗でもおそらく即考では不可能だろう。この男はとてつもなくキレる。が、ただ矛盾となってしまうところが一つある。悠斗はそこを突くことにした。少なくとも違和感は払しょくされていない。
「あんたは妹に尾行をさせたと言っているが、それは無いんじゃないかな。彼女がしたのは尾行と言うよりただ後ろを歩いていただけで、あれじゃ気付いてくれと言っているようなものだ。そこまで考えている人間が尾行の仕方も教え込まずにそんなことをさせるとは考え難いけど。と言うか、俺があなたの立場なら、男を尾行させるのにかわいい娘は使わない。目立つから。」
『どうだ!』とばかりに悠斗は咲希の兄に返した。しかし、
「違う!あんたへの尾行は兄貴が私にさせたんじゃない。」
突然、咲希は泣き出しそうな声で叫んだ。
冷静に分析すれば少なくとも兄貴の言うことが本当だとしたら、今悠斗が指摘した点は、彼女の主張した通りだろう、咲希は兄からメンバーの獲得のために動くようには言われていなく、あくまで鷹山の動向を探れる位置に潜り込むことが目的と言ったところか。だから、悠斗を追けたのは咲希の独断である。兄貴は妹を庇ったが、庇えば庇っただけ彼女はつらいだろう。
周りのメンバーは何も言わずに二人のやり取りを見ていたようだが、と言うよりは咲希の兄に任せていたと言った方がいいのかもしれない。しかし咲希が突然割って入ったことで他のメンバーも自分の存在に気付いたのか、悠斗の説得にかかった。
「あのね、確かにテロリストと言うのは言いすぎかもしれなくて、私たちもそんな気は無かったのだけれどね、私たちがやろうとしていることは間違いなく原発の停止なの。それにテロとはい言っても自分達なりに自主規制も加えているの。」
見知らぬ男女の女の方が説明を加えた。
「・・・あんたも、変な嘘を入れるから疑われるのよ!」
とその上で咲希の兄に抗議している。
別に変に疑っているのではなく、最初から信じられないことばかりだということだが、確かに『テロ』という言葉を外して、単に原発反対の市民団体の一つと考えた場合は、まあ、納得できないこともないのか。少なくともキレすぎる男の言葉よりもこの女の言っていることは信用できそうだった。
「で、俺を追けたのは彼女の独断で、たまたま見つかって逆に尾行された所を、通りがかった二人のお人好しさんに案内させてしまった、ってこと?で、それを信じろと。」
「そうだ。君は何故咲希を尾行したんだい?」
今度は逆に咲希の兄が悠斗に質問をした。話題を変えたかったとしても強引な攻守交替だったが、悠斗は『自分の質問の答えが先だ!』と押しとおさずに受けることにした。
「さっきも言ったように、自分が尾行された理由を知りたかったから。」
何度も言わせるなと言わんばかりに悠斗は答えた。
「でも、理由が知りたいだけなら、その場で咲希を捕まえて聞けばいいんじゃないのか、わざわざ尾行する必要はないと思う。」
「尾行される身にもなってみろよ、結構不気味だぜ。」
悠斗は抗議した。やられたことをやり返しただけとも言えるのだが、
「捕まえて聞いたところで教えてくれる保証が無い。だから、彼女を一回撒いてから逆に追けてやろうと思った。正直彼女が何者なのか気になったと言うか、自分が追けられる覚えが無かったし・・・」
悠斗は素直にことの成り行きを話すことに決め、用意した紙きれを皆に見せた。
「これでは、理由を知ることはできないかもしれないが・・・」
紙に書かれている『何故俺を追けまわした?理由は次回の勉強会で聞く』を見ながら咲希の兄は質問を続けた。悠斗はその後の顛末を話した。
「本音を言うと彼女が鷹山の政治塾にいた人間だと言うことは何となく覚えていた。だからこの紙をこの部屋の郵便受けに入れて帰るつもりだったんだ。次の勉強会の時でも理由は聞けるだろと思ったし、彼女が二度と現れないならそれはそれでいいと思っていた。そしたら・・・」
「偶然、彼らと遭遇してここまで来てしまった。」
咲希の兄が続けた。そしてそれに悠斗が頷いた。
「ああ、正直計算外だった。」
「でも、この偶然の重なりを話したところで俺たちに信じてもらえるかな?」
挑戦するような口ぶりで咲希の兄が問い返した。
「信じる、信じないはそちらの勝手だが、事実だからこれ以上の説明はできない。」
と言った後、『しまった!』と悠斗は後悔した。次の兄のセリフが予想できたからである。
「全く同じ言葉を返そう!」
予想どおりの展開だった。攻守交替に臨んだのは失敗だった。
だが、まあいい、今いるメンバーの顔ぶれから想像するに、少なくとも西国屋書店で予想した尾行理由はどれも違うようだ。
―とはいえ今主張する彼らの正体も顔ぶれからは・・・そこだ!―
どう考えても、今ここにいるこのメンバーの顔ぶれから『テロリスト』に結び付かないから信じられないんだ。悠斗は違和感の正体を突き止めた気がして、もう一度周りの人間を注意深く観察した。
そこにいたのは、鷹山政治塾に潜り込んでいると言っていた咲希と呼ばれるスーツを着た女、二十六、七と言ったところか。その兄の白いカッターを着た痩せた男の歳はおそらく悠斗のより二つ三つ上だろう、またその兄の同い年くらいの女。茶色のブラウスとGパンのスタイルで主婦と言ったところか。『ペーター』と呼ばれた男は悠斗と同じくらいの背格好で歳も咲希の兄と同じくらいだろう。Tシャツと3/4パンツに裸足だ。おそらく主婦の旦那ではないと思う。二人の恰好が合っていない。一緒に入った背の高い男は悠斗と同じくらいか少し若いと思われる。恰幅のいい男はおそらく一番年上だろう、いずれも同じ会社の作業着らしき作業服だ。
どう考えてもテロリストと言うよりは反原発を掲げる冴えない市民団体だ。
その時、『ピンポーン』と来客のチャイムが鳴った。
「あ、待って!」
あわてて解錠に向かう咲希を悠斗は止めた。そしてみんなに向かって提案した。
「来たのがあなた方のお仲間さんだった場合、一番先に話をさせてもらっていいかな?」
ここに来たメンバーは悠斗のことを知らない。悠斗が新メンバーの振りをしてこの集団の目的のことを話してみようと思った。要するに尋問である。咲希の兄の言うことが本当なら似通った内容の話が聞けるはずである。少なくとも『原発』と言う言葉が出てくれば少しは信用できるような気がした。
「何を話すのか分からないけど、あまり怒らせないでくれよ。」
咲希の兄は悠斗の目論見を理解したようで話に乗ってくれたようだ。
悠斗は咲希の後から玄関に向かった。インターホン越しの姿は今風の若い女性だった。裾の短いタイトなワンピースに薄手のカーデガンっぽい上着、最近はやりのサンダルを履き、まだこの時期には不自然な褐色の肌は白黒のモニターからでもよくわかった。悠斗の世代で言うところの『ギャル』と呼ばれるルックスであり、彼女はさすがに違うだろうという視線を咲希に送ったが、咲希は解錠ボタンを押して『後は任せたわ、思う存分どうぞ』とばかりに元いたLDの部屋の方に戻って行ってしまった。
一人玄関に置いて行かれた悠斗は、しかたなく彼女が来るのを待った。確かに彼女の容姿は訪問販売ではなさそうで、強いて言うなら部屋番号を間違えてチャイムを押した近所の住人と言う方が最もな収まりどころだと感じる。しかし今風ギャルの彼女は悠斗がそんなことを考えているうちに、まっすぐ部屋の前まで来たようで、814号室のカギのかかったドアを開けようとガチャガチャまわし始めた。悠斗はあわてて鍵を開けた。今風ギャルの彼女は扉を開けるなり
「ピザ買ってきたよー」
と叫びながら入ってこようとしたが、悠斗が入り口に立っているのに気が付いて一度首から上を扉の外に戻し部屋番号を確認したようだった。
「はじめまして!新しく入った者ですが。」
悠斗はギャルの胴体に話しかけた。ギャルも納得したようで
「何だ、ビックリしたじゃん。部屋間違えたのかと思ったよー。」
首から上を戻しながらギャルは答えた。
「いや、みんなに自己紹介して来いって言われたもので・・・みんな中にいますけどね。」
悠斗は適当に話を作った。
「へぇそうなの、じゃあ聞かせて聞かせて。」
「えっと、名前は高宮悠斗と言います。咲希さんの紹介で、同じ政治塾の受講生です。」
とりあえず嘘は付いていない、と思いながら悠斗は続けた。嘘をついて偽名を使っても、その気になればバレてしまうことなのでここまでは本当のことを言った。
「原発の無い国にしたくて。目的は同じだと聞いていたので・・・えっとそうなんですよね?ここって?」
なかなか即興でうまく聞きたい『原発』『テロリスト』に持っていくことができず、結局ものすごくストレートに聞くことになった。まぁ単刀直入に自己紹介をしろと言われたら、多くの人は今の自己紹介と似たような感じになるだろうと悠斗はあきらめた。
「そうだけどー、ここでは『コードネーム』を使わないと!普段から慣らしておかないといざって時に『咲希』って出ちゃうといけないでしょ?」
「『コードネーム』って『ペーター』とか?」
「そうそう、ペーターもう来てるんだ。咲希のは知ってる?」
「知らない。でも兄は名前で呼んでたような・・」
「ああ、『エンドー』とは兄弟だから何時もは『咲希』って呼ぶけど、他の人はちゃんと『シーファ』って呼んでるよ。私は本名は岸本由美だけど『リュビィ』って呼ばれてるの。あなたは?もう決まってるの?」
「えっと、どうやって決めてるのかな?」
「自分で決めてもいいし、誰かに決めてもらってもいいんだけど、せっかくだし今自分で決めてみたら。」
「ルールとか無いんだ?」
「無い無い!」
「じゃぁ・・・」
と言っても、全く見当がつかない。今まで自分のあだ名を自分で決めたことは無い。そんな物ある方がおかしい。普通は他人が決めるものではないだろうか?
「例えば、飼ってるペットの名前は?」
長い間考え込んでいる悠斗に焦れったくなったのだろう、リュビィはアドバイスを提供した。
熱帯魚を何匹か飼っているが名前は付けていない。水槽のボスになっている奴の種類は確か・・・
「確か『オスカー』・・」
悠斗が答えると
「なんで自分のペットの名前を覚えてないのよ?でもいいじゃない、『オスカー』、カッコイイよ!」
「まぁ、何でもいいけど。で、『原発』の話だけど、具体的に何をするか聞いてる?」
完全にリュビィのペースになっていることに気付いて悠斗は正に無理矢理話しを戻した。
「シーファから聞いてないの?今日はまだ何も決めてないのかな、エンドーはまだ『現状把握』の段階って言ってたけど、作戦はまだみんなで決めてるところだよ。だからオスカーもすぐに話に入れるよ。頑張ろうね!」
悠斗は完全にオスカーと決まったようだ。何れにしろリュビィの話を聞く限りエンドーと呼ばれる咲希の兄の話は本当のようだった。しかしエンドーにはキレ者のイメージを持っているが、本当にこのメンツで原発を止める行動をきちんと起こせると思っているのだろうか?少なくとも目の前にいるリュビィと話している限り「テロリスト」というより「テロリストごっこ」をしているように感じにられる。
そしてもう一つ疑問が浮上してきた。これはエンドーに直接聞かなければならない。何故そんな本当のことを初対面の悠斗に話したのかという疑問である。
「中に入らない?ピザが冷めちゃうよ。」
リュビィの一言で考え事をしている悠斗は我に返った。リュビィはすでにサンダルを脱いで悠斗の脇から部屋の中に入っていた。
扉での悠斗とリュビィのやりとりが聞こえたのかどうかは分からなかったが、リビング・ダイニングでは、一同が悠斗たちが入ってくるのをじっと待っていた。
リュビィは入るなり買ってきた二つのピザをテーブルの上に広げたが、みんなが沈黙で自分たちを見つめているのに気付いたようで
「どうしたの?何か変だよ。」
と、周りに聞いたが、一同の沈黙は続いたまま視線を悠斗に移した。
「分かったよ。信じるよ!」
悠斗は周りに宣言するように言った。
「本当は彼女の携帯の履歴を見してもらう必要があるけどね。」
リュビィがマンションの1Fのオートロック扉から部屋の入口に来るまでに、誰かが『話』を合わせるように指示を出している可能性があるからだが、そこまで手の込んだことをするなら既に履歴は消されているだろう。何れにしろ『原発』、『テロ』と言った内容に触れた時のリュビィの反応は『コードネーム』の話を含めてごく自然で、どこかに創作があるとは思えなかった。と言うよりも、リュビィの人柄に完全に毒気を抜かれた感があった。
何れにしろ悠斗の一言によって待っていたメンバーは幾分緊張がほぐれたようで、それぞれに飲み物を準備したりピザに手を出したりしだした。
悠斗はさっきの疑問をエンドーにぶつけてみた。
「何故、初対面の俺に本当のことを話したんだ?」
エンドーは用意していた自分と悠斗の分のコーヒーのうち悠斗の分を手渡しながら、また質問に質問をぶつけてきた。
「君は咲希を出し抜いてここまでたどり着いた。その手口も上等だ。どこかで探偵でもやっていたのか?」
さっき痛い目にあっている悠斗は慎重に返す。この男は油断ならないからだ。
「もし探偵だとしたら?」
「もし君が探偵だとしたらこの上ないんだが、仮に探偵ではないとしても、君の思考力、判断力、行動力、慎重性、・・・まあ少し失敗もしたが・・・どれも面白い。要するにこの組織のメンバーに君も入って欲しかったのかな?」
突然の申し出に慎重に出方をうかがっていた悠斗も驚いた。本当のことを話した理由は分かったが、いきなりそんなことを言われても、どう対応していいかすぐには判断できない。
すると、今のエンドーの言葉に二人が反応した。
「ちょっと待って兄貴、何言ってるの!こんな得体の知れない奴。」
「え、オスカーって新しくメンバーになったんじゃないの?」
前者は咲季、シーファであり、後者はリュビィだ。
「シーファは風俗男は嫌いだそうだ。でも風俗に入る前は興味津津だったんだぜ。」
咲希に対してはペーターがと茶化した。
「そんなんじゃない、たまたま名古屋で降りたから、ちょっと気になっただけで・・・」
勢いよくシーファ、咲希は否定したが言葉尻はだんだん弱々しくなっていった。風俗男どうこうよりも、興味津津の部分を否定したいようだった。
「え、ちょっと!ちょっと待ってよ!」
無視されかけたリュビィは抗議の声をあげた。
「ごめん、さっき玄関で自分が言ったことは半分嘘なんだ。自分はここのメンバーじゃない。本当に申し訳ない。」
悠斗は素直に謝った。リュビィに対しては悠斗が謝るべきだと思ったからだ。
「え、どういうこと? え?え?何があったの?」
悠斗とエンドーは今日起こったことをリュビィに説明することになった。リュビィも事情が分かると自分が試されていたことには全く不快感を表さず、納得してくれたようだった。
一通り説明が終わると、悠斗もリュビィからピザを貰った。ピザは大分冷めていたがほんのり温かかった。
「で、『オスカー』はどうするの?」
リュビィは自分も冷めたピザを頬張りながら悠斗に聞いた。もちろん聞いたのはこの集団のメンバーになるかどうかということだった。
「悪いけどそのつもりはない。」
悠斗はぶっきらぼうに断った。
「えー!なんでーオスカーもやればいのに。」
リュビィは悠斗が当然にエンドーの申し出を受けるだろうと思っていたのか
「ひょっとして、オスカーは怖いの?大丈夫だよ。ここにいるみんなが仲間なんだから。」
「一人とかそういう問題じゃなくて、あなた達がやろうとしてることは、場合によっては大きな犯罪になるかもしれないんだぞ。自分が捕まったときに巻き込まれる家族のことを考えたことあるか?そんな簡単に答えが出せる問題じゃないと思うけど!」
怒りにまかせて言ったせいか声が大きくなってしまったようだ。また一同の視線が悠斗に注がれる。リュビィは悠斗に何かを言おうとしたが、途中でやめて黙ってしまった。その一瞬見せた寂しそうな表情に悠斗は気付いたが、何も触れなかった。
やり取りを見ていたエンドーは悠斗が座っている椅子の近くまで来て言った。
「すぐに答えを出せとは言わないし、入ることを強要はしない。けど、最初に言った約束だけはどうしても守ってほしい。絶対に今日見たことは誰にも言わないでほしい。」
悠斗は頷いて了解の意図を示した。
「何故?こんなことを考えたんだ?」
悠斗はエンドーに聞いた。
「何故こんなことをしようとしているかは改めて説明する必要はないと思うが、正当な方法だけでは原発を止められない。もし君なら正攻法だけで止めることができるか?」
「・・・先ず選挙で大勝して法律をいくつか作り変えなければならない。それから・・・」
悠斗にはこの先が思いつかなかった。先ず選挙で大勝することが既に難しいと思う。現在の政権与党である民進党の支持率はもはや無いに等しい。次回の選挙があれば政権与党の座を確実に明け渡すだろう。彼らにとっては選挙に持ち込まないことで延命を図り、その間に自分達の都合の良い法案を次々と、国民に隠しながら通そうという腹は見え見えである。ではどこが次に勝つか。野党第一党の民自党が返り咲くだろうか?現段階では、それも無いと思う。少なくとも民進党も民自党も現在進めている消費税増税法案により支持率はかなり低い。もし今現在選挙があれば勝つ見込みがあるのは鷹山府知事の平成改新会の作る勢力だと思う。しかし大勝するかと言うと正直分からない。なぜなら前回の衆議院選挙では政権与党であった民自党に国民の期待を背負った民進党は文字どおり大勝した。しかしその民進党も大勝に導いたマニュフェストをポイ捨てして、全く国民に背中を向けた政治に徹した。そのことを国民はまだ覚えている。どうせ次も同じことが起こるに違いないと思った国民は次の選挙には行かないだろう。そうなれば、支持基盤を確保している既存の政党に有利になることは明らかだ。何せ彼らの支持基盤は選挙に行くわけだから。そのように考えると前回のような明暗の分かれる結果にはならず、どの政党も過半数を取れないことになりかねない。
そもそも、前回『脱官僚』を宣言し大勝した民進党はその殆どの政策において官僚の妨害に遭い、例の『ポイ捨て』せざるを得なかった。それは『脱官僚』に関わるものだけではなかった。結果として、民進党政権は『何も決められない政権』として国民の期待を裏切ることになった。そして、何度かの首相交代の後に首相に就任した現職の田沼宗次首相は官僚の意のままに動くロボットであり、政権をとった当初の状態とはほとんど違うからであると言える。要するに力量と経験の無い国会議員が経験豊富な国家官僚に完敗したことを意味する。
原発官僚に対する平成改新会と置き換えても同じ結果を招くことが安易に予想できた。
仮に反原発を掲げる平成改新会が大勝したとしても、前回の民進党にマニュフェストをあんな簡単に放棄させた国家官僚相手にそんなにすんなりと脱原発法案が出来上がるだろうか?正直なところなし崩し的に原発を容認することになるだろう。既に鷹山は、というか、近畿連合は近畿電力の大島原発の再稼働を容認する発言をしている。少なくとも近畿電力と経済産業省、原子力ムラの電力供給量の策略にはまってしまっているのが現状だ。
更に言えば、この先、正攻法で脱原発を進めていくには恐らく二十年以上長期的な努力が必要となってくる。問題はその間ずっと政権を維持しなければならないということだ。例えば、十八年頑張ってあと一歩で脱原発が完成するというところまで来たとしても、しかしその時点で選挙に負け政権を親原発派に取られることになれば、十八年の積み上げたものは、その先の数年で容易に振り出しに戻されるだろう。官僚の意向に反した政治と官僚の意向通りの政治ではそれだけスピードに差ができるということだ。
正直、今まで官僚と対峙しながら二十年政権を維持できた政党は無いと言っていい。
そう考えればエンドーの言うことは正しい。飽くまで原発を日本から排除することを考えれば正攻法では成し得ないだろう。
「できないだろう?」
エンドーは当たり前のことを子供に教える父親のような口調で言った。
「ああ・・・」
悠斗はそう答えることしかできなかった。
「おそらく現民進党政権が政権交代を果たした時、国家官僚との間の争いにいとも簡単に『脱官僚』政策を潰されてしまったことを、君は考えたんじゃないのかな?確かに新人議員が多数の現民進党は赤子の手をひねるかのようにやられてしまった。そして君達、大阪改新会もきっと今の素人軍団をそのまま大阪府知事が率いたとしても、きっと状況は変わらないだろうと考えた。・・・違うかな?」
「ああ、その通りだ。だけどそれを見越して現在改新会は政治塾を開催し、少なくとも素人軍団では無い状態に持って行こうとしている。」
悠斗はとりあえずできる限りの反論を試みた。しかし、それが心許無いことは悠斗自身が分かっていた。
「では、その精鋭は選挙で大勝すれば国家官僚の言いなりにならず、きちんと原発を廃止に持って行けるかい?」
反論は簡単に潰された。言い返せなくなった悠斗にエンドーが追い打ちをかける。
「まず根本的なところから勘違いじゃないかな?君は選挙で選ぶ国会議員は何だと思う?」
いきなり抽象的な質問にきたエンドーに悠斗は教科書通りの答えを返した。
「国民が選ぶ我々国民の代表だ。」
「そこが既に、プロパガンダに犯されている。まず、君達が選挙で選ぶのは国民の代表なんかじゃなく、ただの『看板』だ。」
「看板?」
「そう、それは前回の選挙で良くわかっただろう。概ねの政治概要はすでに国家公務員によってあらすじが立っている。看板はそれをただ多数決取っているように見せかけ、その筋書き通りに話を進めるに過ぎない。ただその多数決はメディアに映り広告の役目を果たす。それが看板たる由縁だ。看板を立派に演じていたのが前政権与党の民自党。そして看板があらすじを変えようと立て付いたために逆さにひっくり返されてしまったのが現政権与党民進党政権だ。」
―確かにこの男の言う通りかもしれない。―
悠斗は少し感心した。少なくとも言っていることは一理ある。
「国民は自分達が選んだ看板が、まさか看板だとは気付かずに、公務員の用意したシナリオの展開を固唾を飲んで見守っている。」
確かに言う通りだった。
「・・・そしてもう一つ、君は政権の期間と問題解決までの必要期間から答えを出したんじゃないかと思うが、そもそも、仮に君がこのまま改新会から衆議院選挙に立候補して運良く当選して議員になったとしよう。それでも、当選一回の新人議員にそんな構造改革を任せると思うか?さっきも言ったが百戦錬磨の国家公務員を相手にするにはいささか経験不足じゃないかな?潰されるのが目に見えているんじゃないかな。」
エンドーの言う通りだった。悠斗が経験不足と言うだけでなく、それは改新会がもし政権を獲得したとしたら、あらゆる方面において経験不足のオン・パレードとなる。それは前回選挙で大勝した民進党が歩んだ道をそのまま突き進むことになり、何も決められない政権がまた四年間を浪費することになり兼ねない。
「・・・確かに・・・でも、それを言うんだったらあんた達のような急進的な変え方には賛同できかねる。少なくとも今、原発は定期点検ですべて止まっているはずだ。わざわざテロをして何になるんだ?」
「大島原発は既に動いとるぞ!」
後ろから声がした、今まであまり目立たなかったが悠斗と一緒にこのマンションに入ってきた恰幅のいい男だ。
「ジンは近電(近畿電力)の下請けの四方重工業の下請けの邦中電気の社員だ。大島や丹生で仕事をしている。」
最初、ジンと呼ばれた男の言っていることを悠斗は理解できずにいた。
現在、と言うか略2012年5月7日以降、発電している原発は無いはずだ。大島原発は福井県の大島半島にある原発であり、この度話題となった政府と近電、地元である福井県大島町が一丸となって稼働させようとしている原発だった。そしてそれに反対している、と言うより、『していた』と言うのが鷹山ほか近畿連合と言うのが今日現在の一般に認識されている構図だろう。
にもかかわらずこの男は大島原発が動いていると言っている。悠斗はジンと呼ばれた男の言葉の意味が頭の中で消化できてくると共に顔を顰めざるを得なかった。
「まぁ、これは公になって無いんだけど、実は大島原発は既に稼働しているんだ。と言っても準備運転だけどね。近電と政府が仕掛けたフライングだ。」
難しい顔をしている悠斗を見兼ねてエンドーが補足した。
「フライングって・・・そんなことがあるのか・・」
悠斗の目は今度は大きく見開かれた。これは驚くなと言う方が難しい。こんなことが世間の知るところとなったらとんでもないことになる。
既に動いているとしたら、今やっていることは何なんだろう。『再稼働ありきの・・』と罵られていた原子力安全保安院や原子力安全委員会の安全性確認や、首相、関係閣僚の判断と言うのは実際のところ『辻褄合わせの・・』だったわけだ。
確かにそう考えれば今すぐ手を打つどころではなくなってくる。動かさないように手を打つには既に遅いのだ。
「確かな情報なのか?」
「働いている人間も一部しか知らされていないからね。ジンもリーも本来なら知らされない立場の作業員だ。だからスパイ活動がうまくいっているのかもしれない。情報を知っている人間はいろいろと監視がされそうだしね。却って動き難いだろう。」
要するに会社の情報を盗み出したということなのだろうか?そんな簡単にできるのか?
「でもこの事実は従業員以外にも一部の人間は知ってたりするんだ。例えば急に近畿連合の各首長が態度を変えたこともおかしいと思わないかい?」
エンドーは話を広げた。確かに、言われてみると近畿連合の首長は前回の会合から急に態度が変わった。鷹山なんかはかなり顕著に容認を口にしていた。かなり悔しそうな表情はしていたが。
「確かに・・前回の近畿連合の会合で知ったのか?」
「前回の会合にはTV会議で内閣官房長官、経済産業省と財務省も参加していた。その席で恐らく稼働の事実は伝えられ、それと同時に国家的に再稼働を進める旨を伝えた。更にその場に財務省が入っていたのが『味噌』で、実は、その時、各首長に対し『地方交付税』を人質に取ったんだ。」
「そんなことできるのか?」
「何でもするだろう。それぐらい政府も形振り構わず再稼働を進めるという意思の表れであり、脅しだろうね。」
確かにそれなら態度の急変の説明がつく。地方交付税交付金の割り当てが減らされれば各自治体の予算編成は困窮を極めるだろう。にしても、やることがえげつない。えげつないがバレない以上問題にはならないということか。
「相手が形振り構わないなら、こちらも成り振り構わずどんな手も使おうと?」
「多分、それだけでは勝ち目はない、更にその斜め上を行く手が必要だ。」
確かにその通りだと思う。少なくとも向こうはこのまま計画を進めていけば良いが、こちらは常に捕まる危険性を伴うわけで、どう考えても分が悪そうだ。更に向こうは国家権力をそのまま使用できるという点で戦力に圧倒的な差があるのだ。斜め上を行く手でも互角とはいえない。
「それにさっきレナが言った自主規制、『俺達は人の血は絶対に流さない』。言いかえれば『無血テロ』だ。これがかなり難易度を上げるのは確かだが、それでもこの主義は変えないんだ。こういうのに少しうるさいメンバーがいてね・・・とはいえ、脅しは使うけどね・・恐らく。」
確かに悠斗自身さっきの『自主規制』と言う言葉に少し興味を持っていた。聞くタイミングを逃してそのままになっていたのも確かだ。それにしても・・・
―・・・無血って・・・―
「それってテロなのか?」
「テロの定義は人の血が流れるかどうかとは関係無い様だよ。」
悠斗の疑問にエンドーは簡単に答えた。考えようによっては『甘い』と考えられなくもないが、何となく悠斗はこのテロ集団に好感を持ったのも事実だ。
エンドーは優斗との会話が終わると、メンバーに促した。
「さあ、そろそろ本題に入ろうか!みんな食べ終わっただろう。」
テレビを見ていた者、悠斗とエンドーの話を聞いていた者、それぞれ他のメンバーと他愛ない話をしていた者、思い思いのことをしていた全員がエンドーの掛け声でテーブルのまわりに集まってきた。
「君はどうする?今のところ仲間でもないし、この先仲間になるとも限らないが、さっき秘密保持の誓約がされたから、このまま参加してくれてもいいし帰ってもいい。何れにしろ約束を破ったときは覚悟してもらうことになる。」
エンドーは悠斗に聞いた。
「どうせ誰にもしゃべらないなら問題ないのだから最後まで全部聞かせてもらってもいいけど、止めておこう。」
悠斗はそう言って帰り仕度をするために持ってきた鞄を手に取った。
「了解した、今日は家まで送らせてもらおう。咲希!」
と言ってエンドーは車のキーらしきものを妹の咲希に投げてよこした。
なるほど、家まで送るということは、俺の家が目的だ。約束を守らせるための人質と言うか担保だろう。悠斗は実家に家族と住んでいることは言っていないが、先ほど悠斗が『巻き込まれる家族・・・』と口にしたことからエンドーには家族と住んでいることはバレていると見ていい。ひょっとして、そこまで見越してのメンバーへの誘いだったか?とも考えたが、それは無いと考えなおした。もしそうなら悠斗には正体を晒さずにやり過ごすこともできたはずで、その方が安全だ。悠斗をメンバーに欲しいといった言葉は信じようと思った。無血テロと言った後で人質に取られるとは考え難く、家族構成がバレても正直怖くは無かったが・・・
―なるほど『脅しは使うけどね』とはそういう意味か・・・―
いずれにしろ悠斗は、あえて電車で帰るとは言わず、お言葉に甘えることにした。
八
夜9時をまわり、急に雨が降り出した。すでに気象庁は梅雨入りを宣言していた。朝、大阪に発つ前は快晴だったため傘の用意をしていなかった悠斗はエンドーの申し出に思わぬ形で恩恵を受けることになった。
とはいえ、咲希と悠斗を乗せた軽自動車スパッシュ・アースの中はエンジンとワイパーの音だけが響いていた。
悠斗の実家は御器所からは1時間ほど南に言った知多半島の東知多市にある。1時間もこの沈黙を続けることに耐えかねた悠斗は、運転しながら沈黙する咲希に、二、三、道の混雑状況や天気のことを話しかけたが咲希は無視を貫いた。言うまでもなく咲希は悠斗の取った行動に対して腹を立てている。誰しも尾行されることは心地よいものではないが、悠斗が取った行動は咲希を陥れたものであり心地よいとかそういったレベルの話ではないだろう。実際エンドーが悠斗を咲希に送らせようとした時、咲希は激しく抵抗した。最終的にはエンドーが咲季の耳元で何かを囁いた後、渋々受け入れたが憮然とした態度で運転を続けている。
しかし、それは咲希が悠斗を尾行したことに起因するものであり、先に尾行したのは咲希である。一方的に咲希が悠斗を責めるのも筋違いではないかと思い意地悪く咲希に質問をぶつけた。
「俺を追けてどうするつもりだったんだ?俺をシーファ達の仲間にしたいと思った?」
「あなたにその名前で呼ばれたくないし、別にあなたみたいな最低な男は仲間になってほしくない!」
挑戦と受け取ったのか咲希は突っぱねた。
「先に最低なことをしたのはどっちだ?俺が最低ならあんたも十分同類だ。」
先に尾行したのはそちらだろ、と理詰めでやっつけようとしたが、
「私はあんな店には入らないし、あんな所近寄りもしない!」
と想定外の反応が返ってきた。どうやら最低の定義は『尾行をする人間』でなく、『あんな店に入る人間』と言うことだった。『あんな店』はただ尾行を撒く為に使っただけである。―何だ、そこか。―
悠斗は一応誤解を解いておくことにした。
「別に俺も店には入っていない。」
「だって直前にお金卸してたし・・・」
「金は、あんたが大阪から追けて来てたと思ったから、逆に俺が尾行する時に大阪まで行けるように往復の電車代をおろしたんだ!それにあのビルでは店に入らずに建物の横についてた非常階段からあんたの行動を監視してたから・・・あんた店の看板蹴ってただろ。」
咲季の行動を証言することで悠斗は自分の主張を立証した。
「ふうん、でもあなたはああいう所へよく行くんでしょ?でなきゃ、あんなこと思いつかないし・・・ペーターもレナさんも言ってたし・・・」
「知らねぇよ、そんなこと。別にあんたから一時的に身を隠せて変装できる所だったらトイレでも銭湯でもよかったんだけど、トイレはすぐ前に行ってるから不自然だろ?身を隠せたうえで監視できる場所を探しまわったらあそこになっただけだ!その前にあの辺りウロウロしてただろ?それに、そう言うんだったら良く行くペーターやレナさんは最低なのか?仲間にしたくないのか?」
「違っ!ペーターとレナさんが行ってるんじゃなくて、男はそういう店へよく行くもんだって言ってたの!」
お互い必死で抗議しているのがなんだか面白くて悠斗は噴き出した。咲希もへそを曲げている事が馬鹿馬鹿しくなったのか、全く、運転に集中できないじゃない!と怒ったふりをしたが笑顔だった。咲希の機嫌が良くなったことに安心した悠斗は、この機にいろいろ聞きたいことを聞いてみることにした。もし、悠斗の読みが正しければある程度の情報は得られるはずだった。
「ところで、『レナさん』ってあのもう一人いた女のひと?それもコードネームなの?」
「そう、あの人は兄貴の幼馴染で同じ福井出身なの。」
「メンバーはあれで全員なのかい?」
「ううん、今日は仕事で来れなかったりするけど後三人っ・・・それを聞いてどうするつもり?」
今更ながらシーファは悠斗に警戒の念を抱いたようだ。
「別に、もういいだろ。誰にも言わないって約束してるし、質だって・・・その為にあんたに俺を送らせて住居を探らせてんだろ?」
「うん・・・まぁ、そうね。他にもメンバーがいるわ。あなたも入りたくなった?」
悠斗の言葉には少し説得力があったようでシーファはまた少しずつしゃべり始めた。
「兄貴の『エンドー』がリーダーなのか?」
「それも違う、別にリーダーは決めてない。でも兄貴はあん中でも一目置かれてると思う。」
「そんな感じだね、でも『エンドー』は本名じゃないね。君達のコードネームってどうやって決めてるの?『リュビィ』とか『シーファ』とか。」
悠斗は咲希から全員のコードネームの由来を聞いた。『エンドー(遠藤)』は祖父の姓と言うことだった。エンドーとシーファの兄弟は早くに交通事故で両親を亡くし福井に住む母方の祖父のもとで育った。二人とも姓は変えずに父方の姓を名乗っていたらしいが兄はコードネームに『エンドー』を使うことにしたらしい。
『シーファ』の由来は秦国(中華秦国)の当て字と言うか、秦国語翻訳ソフトを使って自分の名前を秦国読みにしようと思ったが『咲』という字が見つからなく、しかたなく『花』に置き換えて『希』と組み合わせたが、『ふぁすぃ』は言い難いとみんなに言われて文字を逆にし『すぃふぁ』としたところ、みんなが『シーファ』と変えてしまったらしい。なんともお粗末だが、『リュビィ』はもっとひどかった。「由美」という文字がインターネット句国語の変換ソフトで『柳眉』と出たらしく、それで『柳眉』が訛ったものらしい。しかも本人がもう一度同じことをしようとしても再現せず、どういう翻訳ページでどのような操作をしたらそうなったのか自分でもわかっていないのだが、みんなには『リュビィ』で定着してしまった。
悠斗はなんだか自分にとっさに思い浮かんだ『オスカー』がとてもいい名前に思えてきた。
コードネームとは大げさだが確かにこの名前で呼び合っているうちは、たとえもし警察等に調べられることになっても『シーファ』や『リュビィ』から咲希や由美の名前に辿り着くとは思わない。その反面『エンドー』はかなり危ない。何故そんな分かりやすいコードネームにしたのか不明であるが、彼に何か咲希も知らないようなこだわりがあるのかもしれない。
今日来ていたメンバーは『エンドー』『シーファ』『ペーター』『レナ』『ジン』『リー』『リュビィ』の七人。本格的に口封じをされてしまうかもしれないので本名については聞かない方がよさそうだ。ただ、それぞれの職業や特技、学歴、資格等については知りたかったが、ジンとリーが原発の下請けで働いていること以外は分からなかった。でもまぁそれはいい。しかし、どうしても聞いておかなければならないことがあった。
「具体的にどんな計画をたてているんだ?」
エンドーが考えている以上、そんなに下手を打つとは考え難い。悠斗が質問した意図は別にあったが、咲希は
「それを、仲間でも無いあなたに教えることができると思う?」
と切り返した。当然と言えば当然であるが悠斗はその返事に少し満足した。いくらエンドーが仲間にしたい男だとはいえ、そんな簡単に計画の内容が漏れるようでは組織として三流である。
そんなことを話しているうちに、雨もいつしか小降りになっていた。悠斗と咲希を乗せたスパッシュ・アースは既に東知多駅に来ていた。ここから悠斗の家まで車ですぐだ。
「俺、駅に車が置いてあるんだけど・・・」
悠斗の告白に咲希はハッとなって悠斗の方を見た。
「・・でも、このまま家まで送って行ってもらうか。」
恐らく『駅でいい』と言ってしまったら、エンドーが咲希に悠斗を送らせた目的の半分を台無しにしてしまうからだ。
「でも、もし俺が尾行に気付かなかったら東知多駅まで追けて来ていたわけだろ?駅から俺が車に乗ったらどうやって追いかけるつもりだったんだ?」
「え?」
咲希の驚いた顔が、何も考えていなかったことを物語っていた。
「まぁ、尾行に気付かれたおかげで俺の家まで分かるわけだし、結果オーライだな。」
咲希は恨めしそうな顔で何かブツブツ言っていたが悠斗は続けた。
「とりあえず、『今日のことはこの先誰にも話すつもりはない』って兄貴に伝えてくれ。それから次の勉強会から一緒に行かないか。もちろんあんたの正体を鷹山に漏らすようなことはしない。名古屋から大阪は回数券を買って二人で使った方が安く上がるんだ。」
「セコ!でもわかったわ、これからは私があなたを見張るわけね。じゃあ次回の勉強会が近くなったら連絡ちょうだい。」
「わかった。じゃあ家に着いたら連絡先を教えてくれ。もうすぐ俺ん家だ。」
車は『高宮』と書いてある表札の家の前で止まった。少しして悠斗を降ろすとすぐに走って行ってしまった。
悠斗は家に入ると玄関に座りこんだ。今まで全く感じなかった疲労が一気に悠斗を襲ったからだ。しばらくそのまま座りこんでいたが、一つ溜息をついて何とか立ち上がった。リビングでは母がニュース番組を見ていた。悠斗が帰ってきたことに気付いた母親の頼子は、
「帰りが遅かったから先にご飯食べちゃったのよ。今から温めるからちょっと待ってて!」
と言うとキッチンに行こうとしたが、悠斗は食べてきたから風呂入ると伝えた。
今日は本当にいろいろなことがあってものすごく疲れた、明日は少し早いし、風呂に入ったらすぐ寝てしまおうと思った。