マスター リド
2014年、5月4日に書き直しました。どうぞ。
軽い地響きとともに現れた少女を、コック帽をかぶった男は見ていた。
「マスター連れてきたわよ!」
バンと、ドアを勢いよく開ける彼女を。その彼女にマスターと呼ばれる男性は、カウンターから布巾を持って、後ろからついてきた僕をチラリとみてきた
日に焼けた肌に、白色のコック服が浮いているなと思ったのは、後にも先にも、僕の心の中だけの秘密だ
「おう、その少年か」
布巾を置き、カウンターから出てきたマスターという人は僕を見下ろす。彼女同様、僕より背が高いため、少し威圧されるような感覚に陥る。が、すぐにこの人がそのような威圧をするような人ではないということが分かった僕は、しどろもどろになりながら自己紹介をした
「その、初めまして、僕は相田 創です。昨日と今日のご飯を作っていただいてありがとうございました」
(ああ、自己紹介が煩わしい。そして、気恥ずかしい)
そう思いながらも、僕は頭をさげる。多分この人が僕の人格を少し正そうとした(性格がけっこう歪んでいると自負している)、あのほっぺたどころでは終わらない、人を食事という幸せの海におとすマスターさんなのだろう
目の前で顎に手をあてるその人は、顔を下げてから上げるまでじっと僕を見ていた
「ソウダ・ハジメ・・・、珍しい名前だな。ハジメでいいか?」
呼び名がそれでいいかどうかの確認をするように、彼が首を傾げてきたので、僕は、
「はい!」
という大きな声で答えたのだ。僕の自己紹介が終わってほっとしていた所に、彼は僕に聞いてきた
「昨日と今日の飯、どうだったか?」
眉を真ん中に寄せ、悩むような表情で尋ねてくる彼に言う言葉は、僕の中では決まっていた
「全部、おいしかったです」
幸せになれる食事を思い出した僕の顔は、自然と綻んでいた。きっと、花が周りに浮かんでいるという表現がぴったりかもしれない
「そうか」
そっけなく言ったが、満更でもなさそうな顔で顎をさすっている彼は心なしか嬉しそうだった
そんな調子でご飯の話をしていたら、彼の本当の名前を知らないということに気づいた。マスターさんでもいいのかもしれないけれど、一応本名は知っておいた方がいいんじゃないかなという、僕の個人的な思考によって。
「マスターさん?」
「おう?」
食事の話が終わり一段落ついたとき、カウンターの椅子に座った彼に向かう
「マスターさんのお名前、聞いてもいいですか?」
僕の言葉に目をパチパチとしていたが、やがて頭を掻き、忘れてたか?という顔になっている彼が、自己紹介してくれた
「俺の名は、リド・S・トロイアだ。リドでも、マスターでも好きに呼んだらいい。ちなみに、マスターはアリア限定の呼び方だけどな」
ボソッと僕にしか聞こえないように言ってきた言葉に、僕たちのやり取りを聴いた彼女は、ドアの前から急に近づいてきて、カウンターに手を置いていた
「ちょっと、マスター!ハジメに何を言ってるの!?」
「いやー、特になんも」
気のせいではというようにとぼけた様子のマスターことリドは、カウンターの奥の方に目を向けて、アリアを視界に入れないようにした
その行動を見た彼女、アリアが何を言ったのか問い詰めようとしている所を見た僕は、彼の呼び名を呼んでいた
「では、リドと呼びますね」
「あ、ああ」
彼女の対応に追われていた彼は、助けというように僕の方に近づいてきて、彼女の追及から逃れたが、逃れられた方のアリアは、「ちょっとー?」というように拳をつきあげ、逃げたリドを尚も追いかけようとした
そんな彼女の怒りが落ち着いた頃、カウンターに全員座っていた。カウンターには、それぞれの好きそうな飲み物が置いてあって、それはリドが目にもとまらない速さでつくっていたからだった。コーヒーやジュースを一口飲み、落ち着いたところで、彼は僕に昨日の出来事について確認してきた
「なあ、記憶喪失なんだろ、ハジメ?」
「はい」
嘘を本当にするためとはいえ、嘘をつく自分に笑いながら、彼の前では苦笑いをしていた
(本当は記憶なんて失ってない、って言ったらどうなるんだろうか?)
そう思いながら、彼の質問にゆっくりと答えていった
「それって、ここに来るまでのこと、何にも覚えてないってことだろ?」
「はい」
そうですね、と偽りの心を持って僕は頷く。その表情は、彼から見たら憂いを帯びて見えたのだろう、僕の肩をポンッと叩き、慰めようとしてきた。そして、リドと会った本命の話に入れることになった
「ちょうど、うちのレストランの制服(即席・アリアのおすすめの店でつくってもらったという、今僕が着ている服のことだった)も着てることだし、ここで働かないか?」
「はい・・・、はい!?」
僕はリドの言葉とあまりのテンポも何もない、誘う速さに驚いていた。すると、アリアが僕の顔に指を指して言ってくる
「今の状態で、ハジメが一人で生きていくのは困難だと思う。だから、制服を着てもらって、マスターに働けそうか見てもらうために、ここに来てもらったの」
分かった?と首をかしげているアリアに、僕は頷く
「もし、レストランで働くことが嫌なら他の知り合いに預かってもらって、生きてもらうっていう選択肢もあるんだけど・・・、私が手放したくないの、ハジメを」
嫌だったら言ってねというけれども、手放す気は毛頭ないという、ギラリとした視線を僕に向けていた
(ああ、僕の人権は一体どこに?でも、こんな見ず知らず、得体のしれない僕を拾い、看病し、あまつさえ、雇おうというのだ。創造した世界とはいえ、知らない世界に来て、この世界の知識が皆無の僕にとっては悪い話ではないと思う)
彼女の目から出る、危ない光線を避け、僕は彼女の方をゆっくりと見上げていた
「ううん。むしろ、僕の今後のことを考えてくれてありがとう。記憶を取り戻していくにも、ここで生きていくためにも、働くことって大事だよね。だから、アリアとリドのいるこのレストランで一緒に働きたいな」
カウンターに座る二人の顔を順番に見ようとしたとき、何故か視界が暗くなった。僕は酸素を求めるようにして、顔をあげた。その目に映ったのは、彼女だった
「ハジメ、いい子!」
なでくりなでくりと僕の頭を撫でる彼女は、僕に抱き着いていた。
(失くしていた人形を探し当て、撫でたときのよう……、ってどういうことなのだろうか)
頭上、ひとりで満足そうにするアリアの顔を見た僕は、顔から火が出るのを我慢し、解放されるのをひたすら待つことにした。
書き忘れてたな、と思うことがあったので、この場で書いておきます。
この作品は現実の話とは全く異なります。同じ名前の人や場所がいた、もしくはあったとしても、その人やその場所とはなんら関係がありません。
以上です。