入道雲は消えて、秋に入った
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夏も終わり、男は社会の波に戻っていった。
大絶賛猛暑期間は過ぎ、夜になるとそこそこ冷える時期になった。
「……はやく夏にならんかなぁ」
男はつぶやくと、コーヒーの缶を横に置き、空を見上げる。
茜色と藍色が混ざり合った空が見える。ゆったりと流れる雲が、わずかだった太陽の残り火をかすめ取っていった。
目を閉じ、深呼吸をする。
――「そろそろ来るんじゃない?」――
ふと、声がした。
夏のある日から、突然聞こえるようになった声。誰の声かわからないけど、どこか懐かしさを感じる声色だった。
男はすっと立ち上がると、
「今日はずいぶんと早く終わったんだな」
と、声を上げた。
「……ばれてた?」
背後にある植え込みの影から、ひとりの女性が出てくる。
桜色の上着に、タイトスカートを履いた女性が、ヒールを鳴らして近づく。
実家から戻ってきてすぐに出来た、男の恋人だった。
「きみって、するどいねっ」
「ほんとなんなんだろうね」
「もしかして、気配を感じ取ることができる、すごい武道家の子供とか?」
くっと腰をおろし、覗きこむように男を見上げてくる。女性の冗談に対し、
「まっ。そんなところだ。もしかしたら」
と、適当に返答を返した。
「なんかてきとーだなぁ」
目を細めてくすくす笑うと、踊るように体勢を戻し、男の手を引く。
「そんじゃっ、今日は朝まで飲もうコースぅ!」
「ちょっ、俺、明日すげぇ早いんですけど」
「きにしないきにしないっ」
ささやかな反論を聞き流し、腰まで届く黒い髪をなびかせて、男をひっぱりまわしたのだった。