風とともにあらわれて、風とともに去りゆく
風の音にまぎれ、声がした。
とても懐かしい声。男が顔をあげる。
「もうっ。ほんとにキミは泣き虫さんだねぇ。もう三十歳だってのにねっ」
墓石の上に、腰まで伸びた髪をなびかせた女性が腰掛けていた。
まるで入道雲を閉じ込めたような白のワンピースを着たその人は、男の頭を撫で微笑みを携えている。
目いっぱいに開かれた男の瞳には、驚きと、懐かしさと、数えきれない様々な感情が入り乱れる。
「――」
名前を呼ぶと、
「はいっ」
と、打った鐘のように返事が帰ってきた。
次に男の目に映すのは、戸惑いの色だった。
「どうしっ、どしてここに……っ」
「神様にお願いしたの」
夢見がちなことを、臆面もなく言いのける。
「ほんとはお盆だけ帰ってこれるんだけど、たくさんお願いして、無理してきちゃった」
「そんっ、な、こと」
「それよりっ!」
びしっと、男の頭にチョップを食らわした。
「キミ、いっつもそんな表情でお墓参りにくるでしょっ! その苦しそうな表情でさ」
どこか悲しそうな表情で、男を見下ろす。
内心がバレていた男は、眉を寄せる。
「……みてた、の、か?」
「空からずっと見てたよっ。後悔と悔しさと、ありもしない罪に囚われたキミをさっ」
男は黙りこみ、やがて口を開く。
「……俺のせいで、おまえは死んじまったんだ」
「だから、キミのせいじゃないよ」
「みんな『君はわるくない』って慰めてくれるけど、そんなの、気休めだ……俺が殺したんだと内心では思ってて、言わないだけなんだっ! あの時俺が手を掴んでたら死ななかった!」
「そんなことないよ。運が悪かったんだよ」
「そんなんで――」
「みんなさ、わたしの前にくると、なんて言うと思う?」
男の言葉を打ち切り、彼女は笑いながら続ける。
「お花を添えてさ、手を合わせてさ。そして言うんだよね。『あの娘の手綱は、男しか握れなかったな』って!」
くすくす笑う。
「『あの子を彼女にして、よくもってたよなー』『あのじゃじゃ馬娘ったら、彼以外じゃ到底つとまらないよ―』って笑いながら言うんだよ? ひどくないっ!?」
「えっ、え……?」
「わたしのほうが、とんだ言われようよ! 死人に口なしと思って好き勝手言ってくれちゃって……お盆のたびに、さて枕元に立ってやろうかって思った!」
頬をふくらませて怒る表情を浮かべる。が、それも一瞬。すぐに口元を上げると、やさしい表情で男を見つめる。
「キミは悪くないんだよっ」
にこっと微笑む。救われるような、暖かい気持ちが、男のなかに広がっていくのがわかった。男もつられて笑ってしまう。
「……たしかに、おまえの相手は疲れた」
「あーっ、キミまでそーゆーこと言うんだー」
楽しかった日々が蘇る。いつも手を引っ張っていた彼女の姿が、昨日のように思い出された。
講義をサボって街散策をしたことや、甘いものツアーとか言ってケーキ屋発掘したり、飲み屋をはしごしたり。
あの日も、彼女の提案でいきなり海に行くことになって……。
思い出し、男の表情が硬くなっていく。
「……俺、やっぱり……」
男がなにを考えているのか察した彼女は、しばらく思案顔してから、やがて手
の平を叩いた。そして、急に、
「あのね、わたし、忘れ物を取りに来たのっ」
と、満面の笑みで言った。
「えっ……? 忘れ物……?」
あいも変わらない笑みを携え、男の額に手の平をくっつける。
「わたしのせいで植え付けられた悲しみ、苦しみ、憤怒。そして、わたしとの思い出。それをね、とりに来たんだ」
「なっ、なにいって……」
「わたしのために苦しむ姿、無理してる姿。見てるのは辛いの。キミって律儀だから。だからさ」
なにを言っているのかわからなかったが、男になにをしようとしているのか、消えていく記憶が教えていた。
「やめっ、てくれ! 俺は、おまえを忘れたくない……っ」
「忘れて。忘れて、幸せになって」
抜けていく記憶とともに、徐々に男のまぶたが閉じていく。
「――っ!」
「またねっ――」
名前を呼ぶのを最後に、男の世界はブラックアウトした。
頬に落ちた温かい感触を確かめる間もなく。