「ベニは魔法使いになりたいのねぇ」
女子高生が転生して孤児になり、魔法使いを目指す話。
年季の入った建物がある。壁には蔦がつたっていて、部屋の中ではねずみがチュウチュウと鳴く。このなかで病気が蔓延したところで誰も不思議には思わないであろうほど不衛生なこの建物。わたしたちはこの孤児院に住んでいる。捨てられたのだ。親に、国に。わたしはすぐそう思った。ここには前世のころのような社会保障がない。人権なんてない。親はわたしたち子供を子供と思っていない。だからこんなひどいところに捨てることが出来るのだ。
前世。
わたしには前世の記憶がある。
日本という平和ボケしていた世界でわたしは中級階級の家に生まれそれなりに幸せな暮らしをしていた。高校三年の冬に、交通事故で死ぬまでは。国立大学への入学が決っていたのに。
前世の記憶を思い出したときわたしは五歳で、そのときにはもうすでにこの孤児院で暮らしていた。ここには見捨てられた子供たちとやる気の無い職員が働いている。子供たちがはだしで歩きまわり、その足元をねずみがうろつくその様を見たとき、わたしの頭にはひとつの単語が浮かんだのだ。
棄民。
私たちは棄民だ。棄てられた民だ。チュウチュウ、ねずみがわたしの足元を通り過ぎる。「ぎゃあ」
悲鳴を上げてわたしは職員に「私たちに必要なのはなによりも靴だ」と提案した。このままでは、病気になるぞ!
「まあベニったら。そんなにここの床が汚いって言うの」
「ねずみがうろうろしているこの屋敷の、どこがきれいだっていうのよ!」
職員の女はふうとため息をついて、「そうね、靴下くらいならいいかしら」と言った。はだしよりはマシだろう。わたしは安堵した。
「それにしてもベニ、あなたはいつからそんなことを気にするようになったの?」
「命の危機を感じたからよ」
結論から言おう。わたしはまだ死にたくない。
こんな衛生状況が発展途上国以下の家に暮らしていられるほど、元女子高生は気丈ではない。小公女のような女は存在しない。そして彼女があんな最低な場所で暮らしていられたのは、彼女自体が特別な存在であったからだ。しかしわたしには何がある? 特別といえるものは有るのだろうか。こんな最悪な場所から逃げ出せる特別なもの。弱冠五歳の頭でうんうん考えるが、どうも思い浮かばない。こんな世界のことだし、識字率も最悪だろう。
「そうだ、字だ。勉学だ!」
わたしには何がある? このちっぽけな頭があるじゃないか! なんでも吸収してよく覚えるやわらかい脳みそがある。賢い人間になるのだ。学校に行くのだ。学校に行き、知識を身につけるのだ!
わたしは別の職員が手持ち無沙汰に持っていた新聞を借り、それを読んだ。まずはなによりも、ここの時勢を知るべきだと思ったのだ。自分が知りえる単語を拾いながら、一面の記事を読んだ。
「まほう、つかい、募集」
内容は、どうやら王宮で魔法使いを募集しているらしいということだった。王宮、魔法使い。前世では決して聞くことのなかった単語に眉を顰める。
「なんてこったい!」ファンタジー! ここはファンタジーの世界だったのだ!
職員が何事かとわたしの持っている新聞を取り上げ、「ははん」と訳知り顔で笑った。
「ベニは魔法使いになりたいのねぇ。いいわよぅ、魔法使いは。給料はいいし、なによりエリートだもの。王宮でも、どこでだって働き手はあるわぁ。
なれたらの話だけれど」
職員はぽんとわたしの頭を撫でて意地の悪い笑みを浮かべた。魔法使い。エリートで、稼ぎが良くて、働き手はある。魔法使いになれば、こんな汚い最悪の場所から、わたしは逃げ出せる。暖かい部屋で、ふわふわのベッドに暖かい毛布に包まって寝れる。毎日お腹いっぱいおいしいご飯が食べられる。
魔法使い!
なんて甘美な響きなのだろう!
そうよ、わたしは魔法使いになるのよ。
決意するようにダン、と強く足を踏み鳴らす。小汚い面をしたやせこけた子供。今の私はそれでしかないけれど、将来は絶対、金を稼ぐ魔法使いになるのだ。