第6話:過去の清算
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ボクは一体、何を戸惑っているというのだ。三好がいきなり着替え始めるから……いかんいかん。想像するな。煩悩よ消えろ!
それにしても、あんなに探していた三好がいきなりボクの目の前に現れた時は、月夜の明かりのコントラストが絶妙で、まるで天使が舞い降りたような心地だった。今更、三好の美しさに目が行くとは……。戸惑い、もしくは恥じらい。幼馴染の間柄だ、そういうことがどうしても希薄になる。ボクはそれをそこまで是としない。おそらく一生『友達』という関係を貫くことだろう。
三好が突然ボクの家に訪れた時は、何とも言えぬ昂揚感と、何かが起こったのではないかという未知に触れる時のような恐怖感が、空間を支配していた。暗闇で、いまいち分からなかったが、今考えればあの服に付いていた黒い斑点のようなシミは、やはり人の血ではなかったのではないか?三好に何が起きたのかを聞けず仕舞いだ。まあ、ボクもボクで、やらかしてしまったんだが。
結局ボクは、両親を殺していた。殺していた、という表現になるのは、その間の記憶が曖昧であるからだ。
悪魔に天誅を下してやった。その死体は、とてつもない鬼のような形相でボクを睨んでいるようだった。今までにした、ボクへの容赦ない罰、何の罪に対するものなのかさえ分からない罰を、ボクに与えていたことへの、復讐であった。
果たして、それは最善の方法だったのか?
『争いというのは、同じレベル同士であるから起こる』という話もある。その『争い』を、ボク自身が起こしてしまったのか。いや、それは違う。ボクは呪縛から逃れたかったのだ。罪という雁字搦めから逃れたかったのだ。それの何が悪いというのだ?ボクは、自由を獲得するための当然の権利を行使しただけだ。
「ボクは正しいコトをしたんだ」
その言葉は、シャボン玉のように空間に広がり、虚しく弾けた。
どうも落ち着かないのは私だけなのか。きっと蒲郡も同様に動揺しているのだろう。蒲郡は隠しているつもりではいるかもしれないが、私にはそれが分かっていた。両親の気配が全くないのだ。あんなに門限が厳しい家のことだ、両親が簡単に破ることなど無いに等しいだろう。その両親が、こんな忍び込み方をしている私に気づかないハズがない。そういった注意が一番払われているだろう。
故に、蒲郡の両親は死んだ。いや、殺されたと見た方が良いだろう。さっきから、微かではあるが、腐敗臭がしている。しかも、よく床や壁に目を凝らすと、血痕が僅かながらある。
これだけの状況証拠がありながら、私も同じようなことをしているので言い出せなかった。蒲郡は根が真面目だから、何か看過出来なかった『何か』があったんだろう。それに比べて私はどうだ?ただ港の彼女に嫉妬して、どうしようもない怒りを港にぶつけただけじゃないか。一時の感情に身を任せて、無暗矢鱈に殺してしまっただけじゃないか。私の好きだった港は、私の手で殺した。もう二度と戻ってこない。
先程まで達成感と征服感に溢れていたこの胸は、いつの間にか後悔と悲しみに包まれていた。
「今更……、後悔しても、おそいよね」
頬を伝う涙は、いつもより塩気が増していた。
三好が、新しい服に着替え終わり、戸を開け、ボクの前に現れる。少しダボダボのTシャツが、体の凹凸により皺となって波打ち、女性的なエロスを放つ。その姿は、怪しい夜の月明かりに照らされ、艶美な雰囲気に溶け込む。胸の弛みが皺となって、うねりとなる。絶頂である。
「おまたせ」
三好の頬が濡れている。
「どうした?なんか思い出したのか?」
「……」
三好は俯いて、黙ってボクの手を掴む。
「聞いてほしい、話があるの。すごく重要な」
ボクが、ボクの部屋に、三好から招かれた。
「なに?」
なぜが、胸の高鳴りが止まらない。何を言われるのか、どんなコトを切り出して来るのか、不安であったからである。あの推測が本当だったら……。
部屋に入り、なぜかボクは床に正座させられる。
空気に一瞬ピリッと電気が走る怖気を感じた。背中に針金でも入っているかのような硬直感。一歩も動くことが出来ない。声帯が震えるのを拒否する。思考のみがグルグル回る。メデューサにどこからか睨まれてしまったのか。ああなるほど、三好がメデューサか。
「で、何だよ、話って」
ボクが座るのを確認するや否や、三好が部屋の扉を勢い良く閉めた。
「驚かないで、聞いてくれる?」
三好が、ボクの眼前まで迫ってくる。三好の息が耳にかかって、こそばゆい。唇がボクの鼻に近づく。肩を爪が食い込むほどに掴んでくる。
「実は、私ね……、港を殺しちゃったの」
その言葉を受けても、不思議とボクは平然でいられた。やはり、あのシミは人の、いや港の血だったのだ。しかし、ボクの唯一無二の親友である港が、幼馴染の三好に殺されてしまったことには、些か看過出来ない。港と三好の間で一体何があったのか。
「どうして殺したんだ?」
「むかついて、殺した」
三好は、気が進まないのか、俯き、か細い声で話した。
「むかついて?一体何があったんだ?」
するとその言葉に、緊張からか、手をわなわなと震わせ、そのまま顔を覆う。
「私、港のことが……好き、だったの。アンタと港が親友になって、アイツを色々見ているうちにさ、気が付いたら、好きになってた」
心の奥底に溜まっていたものを吐き出した充足感からか、三好は、ボクにほほ笑みを向ける。
先程から、窓に打ち付ける強い風が煩い。
「そうか。そうだったのか、ハハ。どおりで港が近づいて来たときは、やたら良い恰好しようとしてたのか」
何を笑っているのだ?いや、これは幼馴染のボクとしてどう受け止めればいいのだ?ここまでずっと離れず接してきたボクは一体なんだったのだ?何の興味も持たれなかったのか?
「もちろん、蒲郡のことも好きだよ、幼馴染として」
ボクの戦慄いている様子を見て、三好はボクにこんな状況でも優しい言葉を投げかけてくる。その言葉がボクには針となって心に突き刺さる。
「そういってくれるとうれしいよ。ありがとう。でも、港を好きならば、なんで殺してしまったんだ?」
冷静を必死で装う。ボクだって、三好とずっと過ごしたいと思っていた。幼馴染なんだから、そういう感情を持ったとしても、罪にはならないはずだ。その感情は押し殺し、今はなぜ港を殺したのかを問い詰めることとする。ボクには、今これしか出来ることは無い。
「結局、私のことなんか、見てくれなかったのよ。いくら努力してもさ。だから、必死に振り向かせようとして足掻いた結果、努力に裏切られた。それが許せなくて、殺しちゃった」
「努力?見た目とかか?三好は元々美人なんだから、努力しなくたって……」
「お世辞はいいのよ。うれしくない」
「お世辞じゃないよ」
ボクは何を思ったのか、反射的に、三好の手を咄嗟に握る。
「な、なによ!慰めようったって、簡単にはいかないんだから」
「慰めるつもりはない。ただ、ボクはさ、三好の幼馴染なんだし、三好の力になりたいんだ」
果たして、その選択は正しかったのか?三好に気持ちを伝えて、ただならぬ仲になるべきじゃないのか?今三好は困っているのだ。これは絶好のチャンスではないか。
否。ボクにはそんな卑怯なことはできるはずがない。
ボクはボクの決めたルールに従う。意に反することは絶対にしない。
「……私の力に?」
「そうだよ。当たり前だろ?」
「無理だよ、今さら」
「今更なんて言うなよ。ボク達、同じ穴のムジナだろ?」
強張っていた三好の顔に、綻びが生まれた。
「同じ穴のムジナ……。そう!蒲郡も殺したの?」
「そうだ。父と母を、罰に耐え切れなくなって、殺めてしまった」
「そっか。結局分かり合えなかったんだね」
「仕方無いさ」
ようやく二人で笑い合えた。眩しい位の笑顔で。
「ねえ、今日さ、蒲郡ん家に、泊まってもいい?」
「別にボクは良いけど、両親が……」
「両親はもう死んだでしょ!?」
「あ、そうだった」
つい口癖で出てしまう。両親からの許可を取る。今日からその必要は無くなった。
「どこで寝るの?」
「もちろん、蒲郡のベッド」
「え」
「え、とは何よ?昔は一緒の布団で寝てたじゃない!」
「それは、否定できない」
「ならいいでしょ!」
そんなことを口走るや否や、三好はベッドに大の字になって横たわる。
「こら!ボクの布団がグシャグシャになっちゃう……」
「そういう細かいことは気にしなくていーの!ほら!」
三好がベッドを叩き、ここに横たわれと命令を下す。
「そ、それは、健全な青少年に悪影響をもたらすから……」
「いいから、ほら!」
三好が膝立ちし、ボクの首に腕を回し、無理やりベッドに連れ込む。頬に、何か柔らかいものが当たる。枕?まさか、ボクの枕はソバ殻枕だからこんなに柔らかい訳がない……
「ちょっと!何さりげなく触ってんのよ!」
どうやら当たっていたのは胸らしく、頭頂部にヒジテツを食らう羽目になった。
まあ、仕方ない。
沈黙が続いた後、互いに背を向け横向きに寝始めた。月明かりがカーテンから漏れて、青黒い光が僅かながら部屋に差し込む。
「そういえば昔さ、私達よくこうして一緒に寝てたよねー」
声の残響が部屋に夜の寂寥感をもたらす。
「それは小学生の時とかの話だろ。何を今さら」
「良いじゃん!こういう時位しか、昔の話出来ないじゃん」
布が擦れる音がする。三好が体勢を変えているのか。少しのベットの衝撃の後、目線を背中で感じるようになった。
「そういえば、三好、昔事件起こしてたよな?」
「え?覚えてないよ。心当たりたくさんあるもん」
三好は、昔から悪戯好きで腹黒いことで有名であった。その代表的なエピソードを挙げるとすれば、「バイバイ事件」だろう。
これは中学生の頃、一時期多数の男子からアプローチをかけられ、ご丁寧にも告白した男子全員の下駄箱に「面白くないんだよクズ」という手紙を投函し断ったという。最後に告白された相手なんか、その日貰ったプリントを相手の口にぶち込んで、「これでも食ってろ」と罵ったという。恐ろしい女だ。
「ああ、そんなこともあったねー」
「さすがに口に紙突っ込むのは……」
「だって、ムカついたんだもん!告白のくせに何にもサプライズを用意しないなんて、男子失格だわ」
サプライズ無しの男ですいません。
「告白にサプライズ求めるとか、どんだけハードル高いんだよ」
「だって、恋ってトキメキじゃない?一瞬のトキメキさえあれば恋は生まれるのに、それに気づかないなんてさ……」
「……すまないな。サプライズが無くて」
「今何か言った?」
心臓が跳ねる。
「いや、なんでもない」
この言葉は、何が何でも言えない。「好きです」。この言葉がボクと三好の間の中に割って入ることは許されない。なぜなら、ボクらは『友達』だから。幼馴染だから。その距離は保たれなければならない。その距離が縮まった瞬間、ボクらの間柄は変わってしまう。もしかしたら、ボクはその距離の変化を恐れ、その言葉を仕舞ってきたのかもしれない。
好きであるという感情は、小学生の頃から変わらない。でも、時が経てば恋はやがて愛になる。あの頃の気持ちとは似て非なるものだ。
しかし、三好は港のことが好きだった。どちらにしろ、ボクの望みは叶わなかったのだ。
流れるのは、刹那の霧雨。頬を伝い、儚く消えていく。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
ボクはそのままうつ伏せになり、必死に泣き声を打ち消す。
「つらいことがあるなら言って。なんでも聞いてあげるよ。幼馴染なんだし」
「いや、いいんだ。もう済んだことだし」
どうも今日の夜風は、ボクには冷たいらしい。