第2話:事件の定義
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朝学校へ向かうと、周りは黒山の人だかりであった。そこら中にマイクやカメラを持った偽善者たちが、『正義』の名のもとに、根掘り葉掘り聞き出そうとしているが、生徒達は俯いたまま校門を過ぎ去っていく。いつもなら整然と校門に列を成して佇んでいる教師陣が、今日ばかりは息をひそめている。
整然と黒山の人だかりが、昇降口に吸い込まれ、機械的に上履きを取出し履き替える。誰ひとりとて、言葉を発する者はいない。
「おはよー」
いつも通りに、三好は一人机に座っている。
「おはよう」
「どうしたの、なんか暗―い顔しちゃって」
「お前知らないのか?この学校で、死人が出たんだ」
「え?」
三好はどうやら朝のニュースを見なかった幸せ者だったらしい。
まだボクも詳しい情報を得ていないが、僕らの会議が終わったころの時間帯に、一人物思いに耽っていた少女が、教室で死んでいた、ということである。だが目撃者はおろか、凶器や証拠品や指紋も残っておらず、鑑識もお手上げという状況である。
「そこまで証拠が残らないってことは、計画的犯行による他殺、ってこと?」
「そういうことになるな。普通の自殺であれば、何かしら死につながる証拠が出るはずだ。それが見つからないということは、そういうことなのだろう」
ボクは一つ、事件という言葉で、頭のどこかに引っかかるものがあった。そう、前日話題に出た、『道徳』の教科書が無くなる事件、そして写真がナイフで掲示板に刺さっていた事件だ。動機は不明だが、この事件を起こす前触れの異常行動だったのでは、と推測する。もちろんあくまで推測であって、確固たる証拠は存在しない。
「……なんか、この事件、不気味」
まさにその通り、要素という要素が欠落している。
朝の恒例のHRは無くなり、急遽全校集会となった。心なしか、生徒達の体育館へ向かう足取りは重い。校内放送で、朴訥とした教頭の口調。担任が見せる、血の気の失せた顔。全てが、破滅への予感を感じさせた。最早誰ひとり、笑おうとしない。ふざけ合ったり、おちょくり合ったりすることもなく。
体育館の水銀灯が、眠気が取れない微かな光を放つ。無数の靴底の擦れる音。生徒達はステージ前を起点に、列を成す。微かに話し声が聞こえてくる。この集まりの目的を推測するものだ。今日の朝やっていたニュースのことではないかというもの、裏サイトのことがバレて、誰かが晒し挙げられる、教師が責任取って辞任する……など、根も葉も無い噂が宙を飛び交う。
全ての生徒が揃ったのを見計らい、教頭が号令をかける。
「静粛にお願いします」
生徒は、一瞬にして凝固する。
教頭は、間を少し置き、話を始める。
「校長より、挨拶」
脇より校長が登場し、ステージへの階段を上る。木の乾いた音が鳴り響く。
校長がステージの壇に着いたと同時に、一同礼の号令。
「昨日、皆さんも既にニュース等で御存知かもしれませんが、我が校の生徒が、校内で死亡しているという事態が発生しました」
生徒一同、どよめく。
「尚、この事件につきましては、警察と協力し、事件、事故の両面から捜査し、原因の究明に全力を挙げる次第です」
生徒達のどよめきが止まらない。
「静粛に願います」
教頭の制止に生徒達は我を取り戻す。
「まずは、亡くなられた大宮さんに哀悼の意を示す為に、1分間の黙祷を行います」
「一同、黙祷」
教頭の音頭で、全員が目をつぶり、首を垂れる。果たして、何人の人が真面目に祈っているのだろうか。どうせ、生死の区別もまだ良く分からない奴らだ。何も分かっていないくせに、いっちょ前に祈りなんか捧げてやがる。「死」は祈りで解決できるような問題ではない。「生」と対極的な位置にいると思うが、それは間違いであることに気が付かないのだろうか?「生」は祝福され、「死」は悉く忌み嫌われる。「死」の方が、生きた分の重みがあるというのに蔑ろになる。人はどうも残酷だ。
集会も終わり、生徒たちは平然と授業を受ける。奴らにとっては、空気が汚されたとか、それ位の意識しかないのだろう。
社会、国語、数学、体育……知識という知識、術という術を半ば強制で身に着けさせようとする。ボクらの中に、どれだけの知識が定着するのか。おそらく2:8の割合だろう。2割の人間が知識を使えればいい方だろう。常に知識という形を借りて、人間を選別せしめんとする世の中。知識だけ固まっていても、それが世の中に還元出来るとは限らないというのに。
ボクは休み時間を利用してノートに何かを書く。徒然と、適当なことをノートの端に書き連ねる。今日はそのような屁理屈や、事件のことについて。
今回の事件は、果たして自殺なのか、あるいは他殺なのか。睡眠薬など、内服する物によって死に至ったのであれば、自殺も他殺もありえる。しかし、今回の死因は首を絞められた窒息死であると考えられる。首に絞められた跡が発見されたという報道もあるので、それは確実であろう。だが、それはカモフラージュであって、本当の死因がまた別なのかもしてない。その可能性も検死をしていないので、ゼロとは言えない。どちらにせよ、学校内で、しかも学内の生徒が被害に遭った事件なので、生徒会も何かしらのアクションを起こさなくてはいけない。
「そういえば、港は?」
確かに、もう昼休みに近いというのに、登校してこない。いつもなら遅くとも、2時限目までには登校しているというのに、今日はどうしたのだろうか?珍しく風邪でもひいたのか。
港達吉は、4人家族の末っ子である。どうも両親に甘ったるく育てられているようなので、様々な所で粗相を犯す。遅刻は当たり前で、宿題も平気で2週間後に提出、しまいにはテストで赤点を叩き出すなど。三者面談で親共々指導してもらった方が港の為になるんじゃないのか?
とにもかくにも、学校が大好きなはずの港が来ないなんて、天地がひっくり返っても無い。そういえば、少し前から付き合っている彼女と最近上手く行っていないという噂が流れていた。もしかしたら、傷心して家に引き籠っているのか?なら、今日港の家にお見舞いだ。そんなことでひきこもるんじゃないよ……
港家は、近所でも有名な資産家である。彼こと港達吉はそんな家に生を受けた、生まれながらの坊ちゃんである。それゆえ、物に困ることはなく不自由なく育ってきた。しかし、金持ち故、両親の多忙故、家族の距離は近いようで遠い。兄弟は居るものの、それぞれ個室をもっており、そこに居続ける。ご飯は部屋まで召使いが運んでくれる。それぞれがそれぞれの部屋で過ごす。家族が交わることは稀である。
今日、港達吉は部屋から一歩も出て来ない。召使いから支給された朝食も一切口にしていない。ベッドの毛布に包まり何か呟く。
「俺がいけなかった」
昨日、俺の彼女が死んだ。俺が、アイツに『お前なんかいらない』なんて言ったからだ。
一昨日、俺らはデートをした。ミタトミライという海沿いの施設群で二人散策していた。レンガ倉庫や日ノ丸も見た。彼女と行けばどんな所に行っても楽しい。どんなことをしても楽しい。……監視されているが。
常に俺の行動は監視されている。いつどこにいても、誰かしらの黒服が傍にいる。二人にプライベートは存在しない。それが俺にとってプレッシャーでありストレスだった。そしていつしか、『デートなんかしなければ、監視されることないのに』と思うようになった。
そしてその日の帰り、別れ際。
「今日も楽しかった。ありがとう!」
彼女は、屈託のない笑顔を俺に見せる。
「ああ」
俺はうつむき、素っ気なく返事をする。
「どうしたの?もしかして、私のこと嫌いになった?」
彼女は俺の顔を覗き込む。俺の頬には、何故か涙が流れていた。
「もう……無理だよ。ごめん」
「突然何?」
「もう限界なんだ。別れよう」
「なんでよ?私が何かした?」
「違う」
「なら、なんで?」
「うるさい」
俺は彼女の元から走り去る。彼女の声は俺の心をジリジリと追いつめる。
そして、俺は耐え切れなくなり、彼女を拒絶した。
「お前なんかいらない!」
俺はプレッシャーから逃げたかった。家柄がどうのなど、いずれ親から口出しされる。確かに心から好きならそれを乗り越えられるかもしれない。しかし、俺はそこまで耐えられる器は無い。だから、逃げた。
彼女の嗚咽が雨に紛れて空しく響いた。
その翌日に彼女は、学校の教室で死んだ。俺は最期まで最低な奴だった。
結局その日、港達吉は登校すること無く、警察からの任意の事情聴取に応じ、彼女について洗いざらい話した。一方、学校での現場検証や検死等も着々と進んでいる。事件当日の校舎に残っていた生徒や教師の証言から、事件が起こった時間帯付近に、何者が教室周辺をうろついていたということが分かった。果たして、その輩が事件とどう関わっているのかは今の所不明であるが、その輩がもしかすると、事件の顛末を知っているかもしれない。
事件を受けて、生徒会はいつもの生徒会室において緊急会議を開いた。生徒会としても、生徒を代表する団体としてこの事件の対応について方針を決めようということになった。なお、教師陣にも参加をお願いしたが、事件の対処に追われているということで不参加を表明した。
会議に揃ったのは、ボク、三好、綾瀬、そして良く分からないロング黒髪ストレートの変態こと沢野あやめ、ボケ担当のアフロ頭の古村京助の5人であった。
「さて、どうする?」
古村が満面の笑みで先陣を切る。
「不謹慎だ。慎め」
ボクがすかさず制止する。
「誰もいない放課後に、密室の教室で……」
自らの体を抱きしめ、陶酔する沢野。
「二度も言わないぞ」
それを制止するボク。こいつら、何しに来たんだ?
「えー、というわけで、今回起きた事件に関し、生徒会としてどのような立ち振る舞いを見せるべきか、具体的な方針について考えていきたいわけですが」
議会の音頭を取り始めると、すかさず綾瀬が切り出す。
「結局あの事件は、自殺だったの?それとも、他殺?」
「それはまだ分かってないみたい」
三好は頬杖を付いて、怠惰な様相を見せる。
「とりあえず、私達はこの事件の前にもどこかの輩が起こした事件があったことを知っていた。それと関連した事件かどうか、見極めてみるのはどう?」
綾瀬は、出席者全員に、今回の事件、そして今まで起こった事件のまとめた資料を配布した。流石綾瀬。用意が良い。
「これを見てもらえば分かると思うけど、今回の事件は起こるべくして起こったものだと思うの」
綾瀬は、次のように事件の関連性の仮説を立てた。
第一の事件。『道徳の教科書集団紛失事件』。第二の事件。『学生証磔事件』。この二つはどちらとも、「集団の中の個人の反逆」を表しているという。『道徳』という教科の性質として、集団生活をどのようにして円滑に過ごせるか、礼儀やルールを学ぶ特殊生が有る。一方で、ルールから外れた者には、罰が与えられるというのも同時に学ぶ。その道徳というもので生徒の集団意識を高め、個人を殺そうとすることに対する反抗として、道徳の教科書を奪い、学生証が磔にされたのは、集団の中で一個人を標的にし、攻撃を加える理不尽さに対する反抗であるという。ちなみに、磔にされていた学生証の持ち主はクラスでイジメを扇動していた者であったことが、綾瀬の調査で分かった。
「つまり、これらの事件を起こしたのは、学校内でイジメられている者の犯行ってこと?」
「そういうことになるわね。まあ、あくまで仮説だけど」
そして今回の事件。まだ詳細が全て明らかになったわけではないが、今回死亡した大宮美沙さんは、どうもクラス内のイジメに加担していたという噂がある。
「自殺でないとしたら……」
三好が面を上げ、綾瀬を見つめる。
「そう。犯人はそのクラスのいじめられている者という可能性が高くなる」
「……これって、警察もこのこと知ってるのかな?」
「おそらく知らない、いや、知ったとしても相手にされないだろう」
果たして、警察は何処まで知っているのだろうか。まずは、ボクらで出来ることを、生徒会の責務として、しばらくは全力を挙げて事件の調査や治安維持を行い、校内秩序を正常化させるという、いわば生徒会が校内の警察になるという方針で全員が一致した。
帰り道。三好は綾瀬と下校した。
「なんか、推理小説読んでるみたいで感動した!まるで犯人のことわかってるみたい」
少し皮肉めいたことを言い放った。
「いや、それは違う。論より証拠って、よく言うでしょ。証拠から、もし犯人だったらこう考えるだろうな、っていうのを仮説にしただけ」
綾瀬は、少し満足気に微笑む。
「正直、最近学校が荒れてて、なんだか怖いわ」
三好は手提げの長方形の黒い学生カバンを両手で持ちブンブン振り回す。
「私も同感。本が落ち着いて読めないわ」
綾瀬は嘆息し、空を眺める。
「この事件で、終われば良いけど……」
見上げた空は、既に日は沈み、不気味な群青色に染まっていた。
<続く>