第12話:貴方の素顔
私はいつものように、学校へ登校しようとした。しかし、道行く道に警察が張り込んでおり、閑静な住宅街からは遠くかけ離れた様相を見せている。
もう事件が起こってそれなりに経っているが、警察も事件に対して敏感になっているのか、警察官達から、苛立ちが伝わってくる。
心なしか肌寒い。前日から季節外れの寒気が上空になだれ込んできていると天気予報で言っていた。もう冬も近いというのに、衣替えの準備すらしていなかったので、無理矢理アイロン掛けも真面にしていないワイシャツを押し入れの奥から引っ張り出してきた。あの日の思い出をそのままパッケージしたようなワイシャツだ。洗ったはずなのに、血の痕が落ちないまま残っている。
あれから少し経ち、世間は『何でも無い日常』に戻ろうとしている。いや、もうとっくに戻っているのかもしれない。テレビではあの事件のことは取り扱われず、また別の殺人事件を特集し出している。そちらはどうも政治家が一枚噛んでいるらしく、マスコミはそちらをこぞって連日取り上げている。
世間というのはいつも冷酷だ。どんなに躓いたとしても、どんなに嘆いていたとしても、一つの『非日常』として『日常』から切り取られて、いつの間にか見世物に変容している。私は関係ありません、何勝手に暴れているんだ、常識外れにも程がある、などと爪弾きにされ、現実の認知されている『存在』から隔離される。
私はあの事件をそうとは思っていない。目の前で繰り広げられた悲劇は、一生を掛けても忘れ去ることは出来ないであろう。心の整理もかねて、今日は事件以来行っていなかった学校に足を運んだ。
蒲郡君が学校で事件を起こした前日。
私は情報の無い中、独り混沌の中に居た。
蒲郡君に携帯電話で連絡を取ってみても、学校を探してみても、全く消息が掴めなかった。他の生徒会のメンバーも同様だ。誰も彼も今生きているのか、もしくは身に危険があったのか、推し量ることすら困難であった。
得も言われぬ不気味な黒い塊が心の奥底から染み渡り、体全体を蝕んでいくかのようだ。既に敗北が決まり、宣告の時を只呆然と待つ他無い、あの寂寥感を背後に感じる。同時に、このままではいけないという焦燥感もかき立てられる。今の現実をそのまま受け入れる事など、到底出来ない。
私は手がかりも根拠も無いまま、感情に導かれるまま夜の街に飛び出した。
夜の街というのは、歓喜と共に恐怖をまき散らす怪物だ。刺激に餓えた獣達が、毎晩この狂気の坩堝に吸い込まれていく。ある者は、今日の寝床を探し彷徨い、またある者は淫靡な目で誘い誘われる。私もこの街の発する狂気に呼応し、飲み込まれてしまうのだろうか。夜という化け物は、ありとあらゆるモノを魅力的に映し出す。その輝きに魅せられたら最後、もう二度と光の世界には戻っては来られない。
蒲郡君はこの街のどこかに居るのだろうか。家に居ないということは、この街のどこかを彷徨っていると考えて良いのだろうか。既に電車などで遠くに行ってしまっていれば、いよいよ消息が掴めない。肝心の蒲郡君の家族も、インターホンでコンタクトを取っても、電話で連絡しても、何も応答が無かった。三好もとっくに連絡が付かなくなっている。家族が捜索願を出したようだ。
もしかすると、もう取り返しの付かないことが起きているのでは無いか。三好が失踪するなんて、普通の状況では考えられない。港も学校に来ていないということは、もしかすると二人の間で何か起きたのか?
・・・・・・あれ、この話どこかでしたような気がする。デジャヴみたいなものか?
私は家出少女に扮し、夜の街で今どこに居るか分からない親友を当てもなく探す。私服に着替えるのを忘れてしまった故、警察に補導されてしまったら一巻の終わりだ。
街を少し歩くだけで、やけに男が声を掛けてくる。未だにこんなストリート系のチャラチャラした若者が、ナンパに勤しんでいるのか。しかも揃いも揃って流行雑誌からそのまま切り取って貼り付けたような無個性のファッションばかりだ。自分で考えるって事をしないのか、彼らは?まさに女にモテるために、本能で生きるタイプだ。ファッションを研究するより前に、その醜悪な顔を鏡の前で省みるのが先ではないのか?
道端の有象無象を掻き分けて、駅前の通りに出た。確か一時間前、三好がトイッターで投稿していた写真がこの辺りで撮られていた。まだこの近くに居るのかもしれない。
写真にはネットカフェ「サンボー」の看板が映り込んでいた。格闘家が上段蹴りをキメている看板が特徴の、全国チェーンの店だ。『君の人生これでKO』という奇怪なキャッチコピーのCMで一躍全国区になった。そんなキャッチコピーでお客が増えるんだから、世の中は不思議だ。
この中に、三好は潜伏しているのか。もしかすると蒲郡君と共に行動しているのかもしれない。何かから『逃げる』ために、ここに身を隠しているのかもしれない。まだ断定は出来ないが。
「サンボー」の扉を開けると、人の体臭とビニールが溶けたような臭いが入り交じった空気が目の前に迫ってきた。夏の時期に体育の終わりの着替えの際に放たれる教室の臭いにどこか似ている。もしかするとこの空間では、知らず知らずのうちに青春が生まれているのかと、心にも無い事を空想する。
ギリギリ目が見えるか見えない程の長髪で、どす黒いオーラを放っている店員に出迎えられた。時間制とフリータイムがありますがどうします?と問われたが、そこまで居ても意味が無いと思ったので、とりあえず3時間を指定した。案内された部屋は、四畳半も無い壁に囲まれた部屋であった。正面にはパソコンが一台置いてあり、照明の無い部屋をモニターのライトが仄かに照らしている。
この店内に蒲郡君や三好は居るのだろうか。居るとしても、どうやって探し出せばいいのか?一つ一つ部屋を当たってみるか?それでは、全て当たる前に苦情を言われたりして、騒ぎに乗じて逃げてしまう可能性がある。やはり部屋の外で張り込むしかない。漫画なり何なりを探している振りをすれば、怪しまれる可能性は低くなる。
このネットカフェ「サンボー」には発売からある程度経過した漫画の単行本を自由に読める環境がある他、ダーツ、卓球、シャワー室、ドリンクバーなど様々な設備がある。あまり高望みしなければここで暮らすことも可能であるかもしれない。巷では『ネットカフェ難民』などという者があり、ネットカフェに在住扱いで住民票が発行されるなんて事もあるくらいだ。アパートに住むまでの収入が無い場合、ネットカフェで日々の生活をやり過ごす。そんなことも現代では可能なのだ。
普段は小説ばかり読んでいる私だが、調査のカモフラージュとして久方振りに漫画を読んでみる。本棚に目をやると、巷で良く聞くタイトルのものは大抵揃っていた。「ツーピース」や「MEMMA」などの少年向けのものや、「不味いんぼ」や「はえくん」などの青年向け、「彼氏彼女の情事」、「脳内スイーツ畑」などの少女向けのものもあった。とりあえず私は、単純に性別で一番近い少女向け漫画の中から「彼氏彼女の情事」を選ぶことにした。見るからに題名から漂う淫靡な香りに思わず手を取ってしまった・・・・・・とは信じたくは無い。全二十一巻からなるようだが、本棚にあったのは十巻までであった。別の誰かが読んでいる途中なのだろう。
部屋に戻り、順に一巻から読んでいく。話としては、学校一の劣等生である女と、これまた劣等生の男が体育の授業で出逢い、仲を深めていくといったところだ。最初の告白からデートやキスまであっという間であったが、いきなり仲が悪くなったと思えば、突如として仲直りしたりを繰り返すなど、どうも話を引き延ばそうとする節がある。話の続きが思いつかず、苦肉の策としてこの展開を出してきたのか。
結局表題にある「情事」は起こらず、第九巻まで読み終えてしまった。一体どこまで引き延ばす積もりなのか。もう完結済みの作品故、後残りの巻数できっと「情事」は起こるのだろうが、何ともいえない、やり場の無い怒りが心を支配する。
沸き上がるフラストレーションを胸の内に秘めたまま、読んだ本を棚に返しに行った。もう一人読んでいる人がいたはずだが、その人も同じ怒りを憶えているのだろうか。いや、そうに違いない。
本棚の側に人影が見える。背丈は私と同じくらいだろうか。少しばかりか、鼻をすする音が聞こえる。立ち読みしていたら、感動的な場面に出くわして泣いてしまったのだろうか。
導かれるようにその音のする方へ近づくと、そこに居たのは見覚えのある、まさに私が探していた三好だった。
「あれ、奇遇だね」
赤くなった目を擦りながら、三好は呟く。
「奇遇だね、じゃないわよ。探したのよ」
意図せず、三好の右手首を掴む。
「そう」
素っ気ない言葉を返し、私の手を振り解く。
「今日一日どうしてたの?」
「・・・・・・」
先ほどまで読んでいた漫画の単行本を棚に戻す三好。
「どうしてたのって言われても・・・・・・ここに居たけど?」
咄嗟に照れ笑いを浮かべその場をやり過ごそうとする。手が忙しなく居所を探している。
「逃げたんじゃ無いの?」
その言葉に体が硬直する三好。二の句が告げないまま沈黙が場を支配する。どこからかの個室から鳴り響くイビキが、硬直する『世界』を一層際立たせる。
「もしかして・・・・・・もしかしてだけどさ、蒲郡君に会ったりした?」
素直に私の抱いていた疑問をぶつけてみた。
「そうだとしたら?」
虚勢の笑いを浮かべる。
「蒲郡君、今何してるの?」
「さあ。分からない?」
「途中まで一緒に居たの?」
「うん、朝までね」
三好は踵を返し、自室に戻ろうとする。
「朝まで?その後はどうしたの?」
「知らない。多分家に居るんじゃないの?」
私の顔をそれっきり見ずに、部屋へと消えていった。それを見計らうと同時に、110番で警察に三好の居場所を伝え、感づかれないうちに足早くネットカフェを去った。
三好は見つかったが、蒲郡君と港の居所が依然として知れない。蒲郡君は家に居るのではないかと三好は言っていたが、既に家を訪問し、蒲郡君は不在であることを確認している。蒲郡君をいち早く見つけたい願望があるが、その手立てが無い。港に至っては、消息すら掴めない。
行く当ての無くなった私は、もう一度事件についての考えをまとめ直そうと、学校の事件現場に行くことにした。
既に学校からは警察の一団やマスコミ関係者も引いており、静寂が辺りを包んでいた。鉄の門が私の行く手を遮る。門は私の背丈より少し高い程度であり、特に門にはバリケードやトゲなどの侵入を阻止するようなトラップは仕掛けられていない。更に、驚くことに侵入に対する警戒システムが一切無い。校内に警備員が常駐してはいるが、夜中の2回の見回り以外で姿を見せることは無い。
街灯の仄かな光が恐怖を増幅させるかのように、門を青白く染める。震える手を押さえ、門の上に手を掛け、飛び越えた。両足をそろえて無事着地。少しスカートの裾が門に擦れて、甲高い金属音が響いたが、周囲の者には聞こえはしないだろう。
最初の事件のあった教室へ向かう。既に規制は解除され、事件現場に入れるようになっていた。大宮がここで絞殺された。
「一体誰が殺したのかしら・・・・・・」
まだ現場には僅かではあるが、捜査の跡が残されている。教室の隅に、うっすらと遺体があった場所を囲むようにチョークが書かれている。
しばらく教室を徘徊していると突然、教室のテレビの電源が点いた。砂嵐の画面がしばらく続いた後、映像が再生された。そこには、今まさに私の居る教室が映っていた。教室を独り彷徨う少女。この人影に見覚えがある。これは、恐らく大宮だ。後ろからもう一つ人影が迫っている。これが大宮を殺した犯人なのか。
徐々に犯人の人影が大宮に近づいてくる。首に縄が近づき、あっという間に大宮を捕らえた。大宮は最初こそ縄から逃れようとしたが、顔を見るなり抵抗するのを止め、運命を受け入れるようにそのまま絶命した。顔を見るなり態度が変わったあたり、顔見知りの犯行であることは間違いないだろう。・・・・・・とすると生徒会周辺の者が犯人ということか?
大宮が絶命したところを確かめ、教室から犯人が去って行く。仄暗い暗闇に浮かぶ邪悪に満ちたその笑顔は、紛れもなく蒲郡君のものであった。