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第10話:沈黙の家族(過去追想<3>)

 蒲郡と歩調を合わせ、横並びで歩く。靴の音だけが二人を包む。その足でそのまま蒲郡家へと来てしまったが、本当にこれで良かったのかと常に自問自答している。しかし、これからの為だと言い聞かせ、震える足を落ち着かせる。

 少し夕方から風が吹き始めると、朝のラジオの天気予報で小耳に挟んだ。こそばゆい空気の塊が頬を撫でる。同時に、道の砂埃が舞い、それが時々目に入る。

 蒲郡は、喫茶店から出た後、目線を地に落としたまま、自宅に向かって歩を進めている。まるで私とのこれ以上の会話を拒否するかのように。稀に、今にも風に消えそうな声で『そうか』とか『だからいやなんだ』とか、不穏な独り言が聞こえてくる。

 一体何を考え、逡巡し続けているのか。蒲郡の両親へ、私が直接話をつけるというのが、そんなに不安なのか。そもそも普通は、本人が直接両親に話しをつけてくるのが一般的ではあるが、今回はその本人に問題がある。両親に『歯向かう』という思考が完全に抜け落ちているのである。両親に言われるがまま、為すがまま操られ、確固たる自我を持たず、まるで傀儡のようである。

 果たして言い出してみたものの、私は蒲郡に付き添い、両親との交渉に臨むべきなのか。恐らく世間の道理とやらに言わせれば、否と突き返されるのであろうが。世間の常識と家庭の常識は、時として大きく乖離したものになることがある。よく言われるのが、家庭法と称し、世間では規制されないことを、規制したりする。『門限は○時まで』や、『父に逆らってはいけない』など、世間から見れば「はて?」と思うようなことが、その家庭という特殊空間では制限されていることがある。

 蒲郡の家庭が当にそれであろう。世間から見れば過剰なまでと言える決まり事で、縛られている。意見すら言う余地が無く、講釈を垂れ流す両親に只頭を垂れる他ないとは、まるで人権を真っ向から否定しているようなものだ。


 相変わらずの静寂が続く中、そのようなことを考えているうちに、蒲郡の自宅に到着した。

 いきなりの、いわば押しかけをした挙句、蒲郡の両親に提案めいた半ば批判をしなければならない。冷静に考えたら図々しいにも程がある。まあ、私が個人的に蒲郡の状況に納得していないだけの、ただの我が儘であることに間違いは無い。

「本当に来て良かったのかな?」

 自然と私の口からその言葉が溢れていた。

「嫌なら来なくても良かったんじゃ無いかな?」

 蒲郡は、突き放すように冷徹な口調で言い放った。

「まあ、実際そうなんだけどね」

 頭の後ろで手を組み、恥ずかしさを紛らわす。私にとっても、ここまで人に尽くすのは初めてである。仕事を遂行する上で必要不可欠な交渉であると、心の中では言い聞かすものの、それはそのような公的で高尚な動機から生まれた物なのか、もしくは蒲郡に個人的に入れ込んでいるだけでは無いのか、という疑念は捨てきれない。心の中にある「何か」がそうさせるのだ。蒲郡がどうしても気になってしまうのだ。お節介を焼きたくなるのだ。この気持ちは一体なんなのか。私が経験したことのない、未知なる感情である。他人を案じ、その人の一挙手一投足に、一喜一憂する。

 私はどうかしてしまったのか。蒲郡に出逢って、人生が大きく変わっている、そんな感覚がある。『憧れ』だけでは済まされない、『心配』という言葉では済まされない、心の奥底から呼び覚まされる様な感覚に苛まれる。

 

 もじもじと一人思案している内に、蒲郡の自宅に到着した。

「只今帰りました」

 玄関に辿り着き、おもむろに玄関の鍵を開け、中に入る。

「お、おじゃましま~す」

 私は遠慮がちに家に入る。

 家には入ったものの、人が居る気配が無い。門限は既に過ぎているというのに、両親の姿が見当たらない。

「お父さんとお母さんは?」

「多分、買い物」

 玄関から廊下に、靴を脱いで上がる。蒲郡は、廊下に上がった途端、くるりと背を返し、腰を屈め、靴を揃えて端に置いた。

「門限とか言っている割には、本人達は守らないんだね」

 少し突き放したように言い放つ。すると、蒲郡は、

「ハハハ」

 と乾いた笑いを浮かべた。その堅い表情からは、あまり両親のことを快く思っていないことが、暗に読み取れた。

「こっち」

 不意に、蒲郡に軽く手を掴まれ、居間に案内される。蒲郡の体温が右手から伝わる。途端に私の体が熱くなる。このままではマズイと、直感的に察した私は、すぐさま手を振り解いた。

「ちょっと、ビックリしたじゃない」

「ごめん」

 俯き加減に蒲郡は呟いた。その言葉に私も正気に戻り、突然の暴挙について謝罪した。

 私としたことが、何故このような行動を取ってしまったのか。いつもの私ならば、手を取られたとしても、動揺することなんて無いのに、今日はやけに気分が浮ついている。男の人と二人っきりというシチュエーションだからなのか?いや、それなら今までにも何度かあったが、ここまで気分が落ち着かないことなんて無かった。

 やはり、蒲郡だから、なのか?それはつまり、特定の個人に対して興味を抱いているということなのか?

 私は、いつぞやにとある小説で、その感情についての明快かつ単純な表現を見たことがある。

『恋』。まさしくそう書かれていた。

 私には縁遠い感情であるとは常々思ってきたが、今になってその感情を呼び起こさせられるとは仰天である。もう既に一目見かけたあの瞬間から、私の中で何かが変わり始めていたのかもしれない。

 その感情に気づいた瞬間、風景がまるで無数の光瞬いているかのように、劇的に変わった。ひとたび蒲郡に目を配れば、体から溶岩が吹き出しているかの如く熱くなる。冷静で居られなくなる。

 これが世に言う、『恋愛』なのだ。私はどうも、他の人とは隔絶されたような生活を送ってきたが、まさかこのタイミングで、他人と積極的に関わるという感情が沸き上がるというのは、私の中にも人間的な本能がまだ残っていたという証拠である。意識していなかっただけかもしれない。意図的にそういったものを避けていたとも言える。

 私はようやく、『人並み』になれたのだ。


 私がアタフタしているうちに、蒲郡の父が家に帰ってきた。

「ただいま」

 仕事疲れからか、あまり覇気の無い声が玄関から聞こえてきた。

「おかえりなさい」

 その言葉に反応し、蒲郡は風を創る勢いで、居間を飛び出し、父を迎えた。

 父は早速、玄関に二足靴があることを発見し、蒲郡に問いかける。

「おや、母さんが先に帰ってきていたのかな?」

「いいえ、お客人です」

「ほう?お客人か。これは随分と可愛らしい靴を履いている客人だこと」

 私は流石に挨拶無しで無礼だと思い、玄関まで出向いた。

「おじゃましてます」

「誰だ?」

 蒲郡の父は、訝しげな表情で私を見つめる。まるで異物を排除するかのような、突き放した口調に、私は少しおののいた。

「わ、私は、緑川綾瀬、と申します。本日は蒲郡君のことについて、お話に参りました」

「話?」

「はい。近々、我が学園では文化祭が開かれます。その準備について生徒会が携わっているのですが、その業務について蒲郡君も参加しておりまして・・・・・・」

「長い。用件だけ伝えてくれ」

 表情が更に険しくなる。

「業務量が多いので、蒲郡君と放課後も作業することになるのですが、どうしても門限に間に合わなくなってしまうので、時間超過のお許しを頂きたく参上しました」

「つまり、うちの息子を使いたいと。うちのルールを破ってまでも」

「はい。蒲郡君は、生徒会でも随一の事務処理能力があります。更に言えば、とっさの判断力も目を見張るものもあります」

 その言葉に、蒲郡の父親の表情が変わった。

「分かった。考えてみよう。母さんもまだ帰ってきてないからな」

 頑なに口を一文字に閉じていたその顔から、少し笑みが溢れていた。

「ありがとうございます」

 私は一礼し、お邪魔しましたと不躾ながらも謝りながら、その場を立ち去った。


 私は意気揚々と、帰路に着いた。

 家に到着し、抑えきれない興奮を『ただいま』の言葉に乗せて発散した。しかし、家からは何の応答も無い。外から家を眺めた時には、明かりは既に付いていた。

 靴を脱ぎ捨て、リビングに急行する。

「ねえ、聞いて!私、ついにやったんだよ!あの蒲郡を説得出来たんだよ!」

 リビングでは、両親と弟が既にご飯を食べていた。ご飯は、冷凍のスパゲッティー。皆、一言も話さないまま、その食べ物を口に運ぶ。テレビさえ点いておらず、ただ部屋には食器と私の声が、虚しく響くだけであった。

「明日から、ずーっと蒲郡と作業できる!これでなんとか文化祭に間に合う!」

「早く手を洗ってご飯食べて、就寝の用意をしなさい。明日お父さん早いんだから」

 母は全く聞く耳を持たず、ぶっきらぼうに話す。

「ご飯なら、冷凍庫だ。レンジで温めなさい」

 父は話している間にご飯を食べ終え、片付けを始める。

「・・・・・・はい」

 これがいわゆる、私の『日常』なのだ。

 どんなに話しても、どんなに訴えかけても、聞く耳さえ持ってくれない、そもそも子供に関心の無い、そんな両親なのだ。最低限の義務を果たせば、あとはどうでも良い。そんな考え方をしているのだ。おかげで弟は、家庭内で話しが出来ないことが災いしたのか、不登校になってしまい、しばらく学校に通っていない。

 この家には『愛』が無いのだ。私はこんな家庭で生まれ育ったので、人の『愛』をあまり理解出来ずに育った。それ故に、蒲郡に『恋愛』などという特別な感情を持つこと自体、異常だったのだ。

 会話すらマトモに成り立たないこの家での、私の唯一のコミュニケーションが出来る場所は、本であった。幼い頃から、私に何も関心を示さなかった両親は、ままごとのおもちゃではお金が掛かると、私に本を買い与えた。私は、普通に会話し、普通に生活する、本の世界に憧れを持った。幼い頃には、本が私の世界の全てを決めていたと言っても過言では無い程だ。

 本以外にこの家庭ですることの無い私は、小学校を卒業するまでには、粗方の有名どころの小説は読み尽くした。そこで、家族を知り、文化を知り、友人を知り、そして愛を知った。そして何より、この家庭は根本的におかしいと気づくことが出来た。

 私は、必死になって抵抗を続けた。毎日欠かさず挨拶をし、話題のニュースや日常など、ありとあらゆる話しを家族に振り続けた。だが、結果はご覧の有様である。日常は鬱屈し、学校に行っても会話をする気には段々ならなくなっていった。

 私はこのまま本にのめり込み、友達も作れず一生を終えるのかと絶望していた時に、生徒会の話が舞い込んだのである。

 まさに諦めかけていた心に光が差し込んだのである。

 私はこのチャンスを逃すまいと、必死に生徒会にしがみついている。これを逃せば、人生を変えることなど出来ない。そう感じているからだ。

 

 無事に蒲郡君も、門限を過ぎての活動が認められ、文化祭の準備は急ピッチで進んだ。

 私は主に指示出しを行い、蒲郡君はその補佐と雑務を一手に引き受けた。正直私が指示出しをしているというよりは、蒲郡君が正確に物事を捉え、言うべき内容を精査し伝えられたことを言っていただけなので、事実上は蒲郡君が全てを担当していたといっても間違いでは無い。

 私はみるみるうちに雑務中心の業務となり、途中で蒲郡君中心の生徒会へとシフトチェンジを遂げていった。

 結果的には文化祭は無事開催され、大盛況の内に幕を閉じた。


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