第1話:学生の定義
奇妙な話を一つ。
人間それぞれ「個性」というものが存在している。この「個性」を人間は「コミュニケーション」という手段で伝播させる。結果、その「個性」にシンクロした者が、友人となるのだ。最近では、あまりに表面的なコミュニケーションが流行っているので、「個性」の相違は簡単に起きやすい。瞬時に「個性」を見分けることなど、普通の人間では不可能なのだ。なのに、人間は少し会話をしただけで、その人を知った気になる。それは単なる自惚れ、もしくは勘違いだ。今回ご紹介する物語は、そんな今現代社会でありがちな、表面的コミュニケーションが引き起こした悲劇である。
何でもない日常
1
朝起きるのが辛くなるのは、単なる疲れのせいなのか、はたまた鬱病のサインなのか。毎朝このベッドから発せられる重力と戦わなくてはいけないのだ。そのために鍛えたこの全身の筋肉がある。ありとあらゆる細胞を奮起させ、体を地面と垂直にする。よし、今日も勝利した。
恒例の儀式も終わったところで、部屋を出て、すぐ横の階段から、いつもの温もりを発する家族が毎朝集まるリビングへ。五角形の木製テーブルに鈍色の丸型のイスが中央に置かれており、退屈な流行の押しつけを行うニュースが流れるテレビが窓際にある。テーブルにはお皿は5枚。そのお皿には、バターが塗ってあるトーストが我が物顔で鎮座していた。ボクはそのパンを咥え、自室に戻る。なぜなら遅刻寸前だからだ。なぜ着替えてからリビングに来なかったのって?それは、朝起きてまず最初にやることは、「朝食」と決まっているからだ。決まったことは、きちっと決まり通りにしなければならない。そうしなければ、ボクの虫の居所が悪くなる。
パンを平らげたところで、服を着替え、家族には別れを告げず、家を飛び出す。そう、いつも通りの、何でもない日常。
家からボクの通う「鎌鼬高校」までは、歩いて10分程の所にある。近くも無く、遠くも無い。走って5分、おそらく。遅刻したことが無いので、正確なことはわからないが。
定刻通り、校門を通過。強面の体育教師にペコリとお辞儀をし、校舎前のだだっ広いグラウンドを抜け、奇妙な鎌とイタチが仲良く抱き合い、イタチが血を流しながら喜ぶ像がお出迎え。近隣に伝わる「カマイタチ信仰」が元になって出来たのだが、その話自体が像の示す通り、エキセントリックである。
そんな像を横目に正面玄関に到着。使い古しの牛乳が腐った臭いのする上履きに履き替え、そのまま横にある階段を使い、2階の教室へ。階段のすぐ近くの教室なので、無駄に歩くことは無い。その代わり、トイレと幾分の距離が生じている。今にも火山が爆発しそうな時は、廊下でマグマを蔓延らせてしまうかもしれない。
教室の引き戸を開ける。既にクラスメイトが数人おり、その中に友人の三好美菜も含まれていた。既に小学生からの顔なじみで、中学校では奇跡的にクラスがずっと一緒ということもあり、お互いの良いところ悪いところを全て把握している。そんな縁もあり、ボクの生徒会への参加にも何も言わず、三好も手伝いたいということで一緒に入ったわけだが、アイツは、仕事は出来るがすぐに隠し事や悪巧みをする癖がある。……それさえ治れば完璧なのに。
「おはよう」
「おはよ~。相変わらず早いねぇ」
三好はボクに向かって手を振り、愛想を振り撒く。今日もサラサラのショートボブの髪が朝日に照らされ、ほのかな茶色に染まる。いつもながら、不作法にも机の上に腰かけている。
「おい、そこに座るな、はしたない」
「……へーい。まるで先生みたい」
「悪いことに悪いって言って何が悪いんだ?」
三好は呆れ顔でこちらに目配せ、嘆息。そのまま椅子を引き、そこに腰を据える。
「そういう真っ直ぐなとこ、悪くはないけど」
どうも三好はボクに対して歯切れが悪い発言が目立つ。言いたいことがあるのなら、ハッキリと言えばいいものを。
「そうだ」
暗い表情から一転、何か思い出したように、鞄を漁り始めた。
「もう直ぐ文化祭じゃん!なんか生徒会で出す?」
「別にいいだろ、やらなくて」
第一、生徒会が何か出し物をやると言っても、食べ物を売るとか、お化け屋敷をやるとか、そういう花形産業には教師達の圧力で手を出せず、ヒッソリと校内案内をすることになるだろう。それはそれで校外の人間に、如何にこの鎌鼬高校が偏屈な伝統を抱えているかを宣伝するいい機会にもなる。その偏屈な伝統やらは追々語っていくことにしよう。
そうこう雑談しているうちに、始業時間直前となった。すでにHRの教師が教壇に立ち、出席簿片手に今日の生徒の出席状況を確認しようとしたその時。
「ごっめーん!自転車に乗り遅れちゃった!てへ」
ボクらのムードメーカー、いや、トラブルメーカーと言うべきか、とにかく縛られることが大嫌いな自由人である、港達吉のご登校だ。
「気持ち悪いセリフ吐いてないで、さっさと席着けバカたれ」
HRの教師に、出席簿で頭を叩かれると、そりゃもうご機嫌。マシンガントークが炸裂する。
「いやねー、おばあちゃんが、道端で蜜柑食ってたわけだよ。そりゃもう大層デッカイ実でさ、それをまた、美味しそうに……」
「下らん御託は良いから、席着け!そして黙れ!すかぽんたん!」
生徒達から溢れる苦笑。一体奴の何処が面白いのかは、一向に理解出来ない。教師の指示に従うことなんか、小学生でも出来ることである。まあ、それはそれで、一つの『個性』ということで、ボクは許容している。なんせ、よりにもよって、奴も生徒会の一員だからだ。全く、どういう嫌がらせだよ。
颯爽と机と机の間の通路を横切り、窓際の一番後ろの席に座る。その前の座席はボクで、そのボクの隣に三好。なんとも都合よく固まったものだ。僕ら、自称生徒会トリオは放課後こぞって生徒会に籠って、様々な試案を出し続けている。例を挙げるとすれば、「マンガ解放令」とか、「ゲーム持ち込み許可」など。もちろん全て港の提案で、教師陣に小手捻りで消滅したが。ボクらの日常と言えばそんなものだ。
幾つかの授業の波状攻撃を受けた後、学生達が待ち望んでいた『昼休み』が訪れた。チャイムの音と共に、一斉に教師の挨拶を待たずして、扉をこじ開け、廊下に飛び出す。お目当ては決まって食堂の焼きそばパンだ。あの食堂が誇る伝統の濃厚なソースが絡みついた麺と、それを絶妙に盛り上げる紅ショウガ。そしてそれらの味を全て包み込む母のようなホットドック用のパン。全てが掛替えのない、青春の味。そんな病みつきになるモノを求め、毎度の如く戦争が勃発する。
この戦いに勝たなければ、昼ご飯は何でダシを取っているか分からない、絶望的な味のラーメンが待っている。なぜ食堂はそういうものしか置いていないかは疑問だが、とにかく、ボクはそれを確保しなければ!
「待て!廊下は走るな!」
ボクの注意も空しく、生徒達は我先にと食堂方面に駆けていく。ボクは生徒の模範である故、校則が絶対の規則であると信じているので、早歩きで食堂に向かう。当然皆の方が圧倒的なスピードで駆け抜け、あっという間に焼きそばパンを駆逐する。ボクは言ったとしても、白い底の見えたワゴンと、敗北者の泣き叫ぶ声しか待っていない。
だが、ボクには秘策がある。規則破りのスペシャリストである港を利用し、焼きそばパン確保に向かわせているのである。奴もああ見えて運動神経はボクより圧倒的に優れている奴も焼きそばパンが好きなので、まあボクが不本意ながらも便乗しているという訳だ。まあ、三好も奴に頼んで確保させている訳だが。三好も運動が得意なはずなのに、なぜだ?まさか、ボクと同じく校則厳守……いや、彼女に限ってそれはあるまい。
港が全力を尽くし、無事焼きそばパンを確保してきた。
「ほれほれ、皆さんお待ちのヤキソベペンだ!」
「その似非英語、やめてくれ。不快だ」
「いいじゃない、世の中グローバル社会だぜ」
「グローバルの使い方がおかしい。ここは日本の学校だ。英語使ってどうする?」
「誰が英語を禁止した?いいだろ?そんなにハミダシ者は嫌いか?え?もうヤキソベペン買ってこないぞ」
「……悪かった」
ボクと港は、事ある毎に意見が対立する。ボクはどうも思考がお堅いらしく、港は物事を柔軟に捉えられる。しかし、それでは奴が浮足立ったまま生きているようで、僕にとっては苦痛でもある。いや、羨望とも言い換えられるのか。とにかく、ボクは奴の意見とは真正面からぶつかるのは、避けて通れないのだ。
そんな口論も束の間、昼休みに別れを告げ、睡眠地獄の午後の授業が訪れる。腹に食べ物が溜まると、どうも頭が鈍る。奴はこの時間を睡眠時間に充てている。ここで差をつけてやる、とは思うが、ボクも原始欲求に敵わず、気が付くと机と重力に屈服していた。
夢現のうちに授業は全て終了し、放課後になっていた。生徒達は身支度をし、各々の課外活動に精を出す。中には部活に所属せず、自宅警備員志願の輩が居るので、そういった志の高い若人を集め組織されているのが、かの生徒会及び各行事の執行委員会である。なので、生徒会=ダメ人間というレッテルを貼られるが、実はそんなことは無い。高いポテンシャルを秘めた優秀な人材で溢れている、と教師陣からは半ば冗談で語られている。
放課後も迎えたところで、今日地下1階に存在する生徒会室において、「学生評議会」が執り行われる。これは月1度、学生生活においてなにか不自由なことが無いか、意見や論評を生徒会メンバーと教師陣(校長、教頭)とで交し合うというものである。これによってグラウンドが拡大されたり、図書館が無駄に充実するなど、出来る範囲ではあるが、ボク達が学校でワンダフルライフが送れるようになっている。
楕円形の机に、校長、教頭、生徒会メンバーが整然と着席。
「では、評議会を始める」
M字禿の校長が開会宣言をする。
「議題が有るものは、挙手を願います」
スポーツ刈りの教頭の台詞に、真っ先に港が反応する。
「食堂のメニューを増やして欲しいです」
「管轄外なので、一応お願いはします」
教頭が無機質に応答する。
「図書館の本、小説が少な過ぎます」
本好きの眼鏡を掛けた緑川綾瀬は、今にも消えそうなか弱い声で発言する。
「もう十分増やしたはずです。新刊は極力対応します」
「最近続発している盗難事件についての対策は?」
ボクの発言に教師陣一同沈黙。
少し間を空けて、校長が重い口を開く。
「それについては現在調査中です。分かり次第、全校生徒にお伝えします」
一週間前から、全ての学年、すべての教室で、須らく誰かの生徒の「道徳」の教科書が盗まれる事件が起こっている。しかも毎日、どこかで起きている。最近では教科書だけでなく、学生証も盗まれるという事態も発生。昨日に至っては、学生証の顔写真が廊下の掲示板に、ナイフで突き刺さっているという、常軌を逸した事件が暫く続いている。その事件について、奇妙な点は、目撃者が皆無ということである。普通であれば、体育の時間等に事を済ます愚か者が多いが、どうも人気のない朝や放課後に行われているようである。発見時刻は疎らなので、計画性と衝動性の二面性を併せ持つ、なんともおかしな犯人なのである。
「これにて、会議を閉会する」
校長は虫の居所が悪くなったのか、会議を早々に切り上げ、部屋から出ていってしまった。
学生評議会が唐突に終了し、そのまま生徒会内会議に移る。
「結局、教師達は何も対策を考えていないんだろ?」
港が隣のイスに足を掛け、くつろいでいる。
「まあ、返答が無いってことは、そうなるよな」
ボクは背もたれに寄りかかり、天を仰ぐ。
「でも、なんで『道徳』の教科書だけ盗むんだろう?」
三好は鼻の下に鉛筆を挟んで、うずくまる。
「『道徳』の、内容を気に入らないから?」
「気に入らないんだったら、堂々と主張すればいいのに、授業中とかさ」
「いや、目的はそういうことじゃないんじゃない?」
「じゃあ、どんな目的があるの?」
「単純な、恐怖を与える為じゃないかな?『道徳』の盗み以降に、顔写真の突き刺さりもあったし」
一同、黙考。
その重苦しい空気を一瞬にして変えたのは、意外にも緑川であった。
「いずれにしろ、事象がこうして続けて起こっている。それを食い止める為に、私達でも対策を講じるべきでは?」
その日は、悶々と犯人像を浮かべつつ、事件対策の計画を練り続けた。港の「とりもちを仕掛ける」などの珍案が出るも、結局決まったのは、一人一人の防犯意識を高めるようにする、というなんとも具体性に欠けるものだった。
同じく放課後。ある者は三年一組の教室に居た。既に日は陰りはじめ、教室は暖かな黄金色に染まっている。その教室にはもう一人、女の子が机に座り、窓を呆然と眺めていた。別に何をしようとするのでもなく、何の目的も無く、そこに只『存在』している。
静寂が教室に纏わりつく。一つ物音を立てただけで、この世界が壊れてしまうかのような緊張感がここに凝集している。ある者はその女の子に、忍び足で近づく。女の子は外の風景に魅入られている。
刹那、ある者は懐から荒縄を取出し、女の子の背後から首に括り付け、まるで引きちぎらんとするように、力を加える。女の子は一瞬何が起きたのかを悟れず、あたふたしたが、すぐに自らの運命に気付いた。だが、時すでに遅く、女の子はそのまま息絶えた。
<続く>




