29話
迫る煙と炎。
横たわる物言わぬ人々。
生き残った者達は、イーチェクが渋々指輪を外し、レイジーの掌に載せるのを見守った。
「これのお陰で結構な人が死んだけど、その価値があったのかね」
レイジーはぽつりと呟き、ボッシュに向けて放った。受け止められるのを確認もせず、その視線は床に横たわる遺体に向けられる。
その様子を固唾を飲んで見守っていたロクスタには、どこか遠くを見ているように思え、更に不安にさせられた。
思わず寄り添い、彼の袖を掴む。
「ん?あぁ、そうだね、早く消さないと苦しいよね?見てて楽しいもんでもないし、皆も目を閉じると良いよ」
レイジーは掴まれた袖を振り払うことはせず、反対の手を宙に伸ばした。
その手には先程得た美しく輝く球体が載せられ、相変わらず内部は海のように波打っていた。
ふ、と全員の目がそれに集まった瞬間、レイジーは片足を軽く踏み鳴らした。
瞬間。
一斉に、遺体が震え、血溜まりが波打ち、一瞬にして空間が赤く染まった。
何が起こったのか理解する間もなくその現象は消え失せ、気がつくと燃え上がっていた壁や扉は焼けた跡だけ残し、炎は跡形もなかった。
「血を、使ったのか……」
ボッシュは目で見たものが信じられず、レイジーに声をかけずにはいられなかった。
彼が足を鳴らした瞬間、人の体から流れ出ていた血が舞い上がり、一瞬あの球体に吸い込まれたと思ったら霧散したのだった。
そして気がついたら火が消えていた。
「だって、生き残った人を全部助けるには火を消すしかなかったし、死んだ人には血は必要ないだろ」
咎められたと感じたのか、珍しく弁解を始めたレイジーは、自分の袖を掴んだまま固まっていたロクスタを盾にしようと動いた。
目の前の展開についていけずに、目を見開いたまま固まっているロクスタをちらりと見てから、若い騎士はまた口を開こうとした。
「何だ、今のは!どういう事だ、あり得ないあり得ない、あっていい筈がない」
どのように問い質そうかと迷った隙に、錯乱状態に陥ったイーチェクがかわりにレイジーに詰め寄った。
ロクスタを盾にしている自分の後ろから迫られた為、彼には逃げ場がない。
焼け残った宝を持ち出し逃げ出す者もいるというのにイーチェクの常軌を逸したような視線は、彼から離れない。
「何をしたのだ、お前は騎士ではなかったのか……」
「俺が何なのかなんて、そんなの知らないよ。――それより逃げた方がいいんじゃないの?これだけの騒ぎが起きたんだから、地元の騎士はあんたを捕まえたいと思うんじゃないかな」
レイジーは、感情を窺わせない虚ろな視線でイーチェクを捉え、呟く。
ぶるり、と体を震わせ、イーチェクは我に返った。
「指輪を渡せば助けると言ったではないか!」
「あー、俺は見逃すけど、ここの奴等とは関係ない」
レイジーとイーチェクの様子を見守っていたボッシュは、投げ遣りに答え、握ったままだった剣を丁寧に拭い、鞘に納めた。
慌てて持てるだけの宝を集めるイーチェクから視線を外し、深いため息をつく。
「俺達もさっさと出るぞ。説明できないんだからな」
「あぁそうか。お姉さん、いい加減起きなよ。目開けたまま気絶してんの」
レイジーは伸ばした手でロクスタの鼻を摘まんだ。
「ふぁっ!?何すんのよ」
「そろそろ逃げないと俺達も捕まる」
「宿についたら好きなだけ放心していいからさ、ちゃんと自分の足で走って逃げてよね」
ようやく覚醒した彼女が怒り出すのを二人で脅したり宥めたりしつつ、闇に紛れて逃げ出したのだった。