10話
「お姉さんもうちょっと前に行ってよ」
「ロクスタって言ってるでしょ!荷物があるからこれ以上無理なのよっ」
「あぁ、ケツで…ぐふっ」
言い合いをしながら進む馬上で鈍い音がして、レイジーは体をくの字に曲げて咳き込んだ。彼に肘うちを食らわしたロクスタは真っ赤になって前方を睨み付けている。
「くだらない事言ってんじゃないわよ。さっさと追い掛けるんでしょう?」
憤然と言うのに返されたのは乾いた笑いだった。
「ハハッ、なんでロクスタさんがやる気なの」
その言葉に思わず振り返って、真後ろにある少年の顔を見上げた。ほほ笑みを浮かべて首を傾げた姿は、実に無邪気に見えた。
「何でって…自分が急かしたじゃない?」
「あぁそうだっけ。うん。指輪見つけて確認したいんだった」
ぼんやりと空を見上げて呟く様子は、今の今まで目的を忘れていたかのような気の抜け様だった。
「で、お仲間の行き先はどこか検討ついてるの」
「二つ先の大きな街には盗人市がたつから、そこで買い手を探す予定だったわ」
それを聞きレイジーは大して乗り気でもなさそうに頷いた。だが内心では、指輪が『世界の目』と関係がなければ盗人市を片端から当たってみるのもいいかもしれない、と思っている。
「でもその場合は一度戻らなきゃいけないのかな…面倒だな」
ぼそりと呟く独り言にロクスタはまた振り向いたが、何も言わずに見るだけに留めた。
熱心なのかそうでないのかいまいち判断がつき難い少年だが、指輪を求めているのは本気のようだった。
さっさと捜し出して、離れたいというのが彼女の本音である。
捕らえられて連行されようが、この少年相手でなければ――ただの騎士や兵士が相手ならば、いくらでも逃げ出す自信があった。
今やレイジーは呑気に鼻歌など歌っているにもかかわらず、隙を見せない。背中に視線が突き刺さるような妙な気配が消えず、居心地が悪かった。
「次の町で休憩して、苦労性の騎士殿に伝言を残す。ロクスタさんは何かいるものは?」
レイジーの問い掛けに、ロクスタは呆気にとられてすぐに反応ができなかった。彼はその沈黙を遠慮と受けとめて、さらに返事を促した。
「あ、お金貰ってるから」
「…そうじゃなくて、や、むしろもっと有り得ないでしょ。私は罪人で、捕虜なのよ?普通そんな相手にお金使ったりしないわよ」
なぜ自分からこんな説教をしているのか?と自問しながら、ロクスタは言う。そんな彼女にレイジーは、やや眉をひそめて答えた。
「そう?俺の金じゃないしなぁ。それに、ひどい事するなって言われたから」
相手は一応女性であるし、気を遣ってみたのだが難しい、とレイジーは思う。
ずっと一人旅だったので対応に困ってもいるのだ。
「ひどい事…いきなり椅子で殴ったり薬を盛ったりしなけりゃいいわ…」
ロクスタはひどく精神的に疲れたような気になって、呟いた。
レイジーのひどいとひどくないはかなり両極端のようである。
やはり、速やかに目的を達してこの少年と離れたい。
ロクスタは心に決めた。
一時の仲間よりも、自分の心の平穏の方が大切だ。手紙と指輪を奪取した時点で仕事は完了していたので、これは裏切りではない。
「指輪を持って行ったのはイーチェクっていう男。本当は私と一緒にいた彼が、指輪の後継者に返す筈だったんだけどね。分配で揉めたのよ」
「あぁ、酒場で喧嘩したのはそのせい?」
レイジーの言葉に、後ろを振り返らずに頷く。
「関わる人数を増やすからこういう事になるのよ。あの人達は、この国のお偉いさんと繋がってて、あの手紙を使って何か企んでたみたいよ。王弟の隠し子がどうとかね」
「へー!偉い人は大変だ」
とんでもなく軽い返事に、ロクスタは思わず笑ってしまう。自分も計画を知った時は同じような感想を持ったものだった。
「私の役目は騎士達に薬を盛って動けなくすることだった。その隙に手紙と指輪を盗る手筈でね。なのに、あの若い騎士が部屋にいないし、薬が効く前に突入しちゃうし……」
ロクスタは思い出しながら苦々しい表情になった。計画通りにいっていれば、今頃は報酬を受け取って、暖かい地方へ旅立っていたのに。
「火を点けたのは、事故というか、どうしようもなかったからよ」
それにしても、と彼女は改めて思った。なぜあの若い騎士は薬が効かなかったのか。寝台から起き上がれない者もいたのに。
「あのね、お姉さんの腕が悪いんだと思うよ」
無言で馬を操っていたレイジーが至極真面目な顔で言ってきたので、彼女は思わず赤面した。
確かに、自分のつくる薬は効能にムラがある。
すぐに絶命するはずが二日後だったり、痺れ薬で三日間仮死状態に陥ったり。 結果的に、自分に嫌疑の目が向かずに済んでいるのだが。
だから、この10歳くらいは年下の少年に見破られたことは驚愕の事態なのだ。
「あんたは、何なのよ。アレを持ってるって事は同業か、上位の薬師に伝手でもあるの?」
情けなくなってきて、半ば八つ当りでレイジーに問い掛ける。
「あれは、偶然手に入れたの。拾った。」
まさか返ってくるとは思わなかったその答えに、また振り向いて少年を睨み付けた。
「アレがその辺に落ちているわけないでしょう?馬鹿にしないでよ!」
「ん〜。怒られても。去年別の国でちょっと盗賊団と揉めたことがあってね。そこに胸くそ悪い毒使いがいて…そいつの部屋にあったのを拾った」
ロクスタは、背筋に氷を落とされたような寒気を感じた。先程と変わらない表情なのに、別人と取って代わったような冷たい視線。
だが幸いなことに、その目はロクスタに向けられたものではなかった。
「俺は自分の欲しいものを探してただけなのに、戦闘になってさぁ。あいつの部屋に入っちゃったんだ」
レイジーは強く目を閉じ、その光景を振り払うように頭を何度か振った。
『おや、子供が何の用だ』
血の滴る剣を片手に飛び込んできたレイジーに向かって、黒いローブの男が平然と声をかける。
広い部屋には本や紙束が雑然と積まれ、大きな木のテーブルが真ん中に置かれている。その上には乾いた薬草や木の実、不気味な虫や蛇などがごちゃごちゃと並べてあり、異臭が漂っていた。
『あんた…何』
肩で息をしながらレイジーは問い掛ける。ここにはいるべきではない、と本能が告げている。
盗賊と交渉が決裂した今、さっさと目的を果たして去るべきだった。
『その人は…』
足が縫い付けられたように動けなかった。
椅子に座った男の周りには一糸纏わぬ姿で座り込む、虚ろな表情の女性が二人、見えていた。
明らかに正気ではなく、開いた口からは涎が零れ落ちている。
『私が調合した薬でね、どんな者でも従順になるのだよ。子供には目に毒だったかな?』
かさついた、裏返ったような笑い声をあげる男。茫然としている間に、追っ手が部屋に飛び込んできた。
殆ど無意識に剣を振り、気が付いたら辺りは血の海だった。
ゆっくり男に近付き、首元に剣先を突き付ける。
『戻しなよ』
『な、ない、無理だ!解毒薬は存在しない』
涙を流して震えながら答える男の首は、話し終わった途端に宙を舞う。
女性たちは辺りの惨状にも気にした様子はなく、ぼんやりと床に座り込んで、視線をどこかに彷徨わせていた。
「それで、あんた、その人達どうしたの」
「近くの町に連れて行って役人に保護してもらった」
俯いたままの少年を見ながら、ロクスタは困惑している。
ひどいものを見てしまった少年を慰めるべきか、それとも、そもそも盗賊と戦っていたので自業自得と突き放すべきか。
「薬師はそんなやつばっかりじゃないわよ…私が言っても説得力無いけど」
迷った挙げ句冗談めかしてそう言うと、レイジーは顔をあげた。
もうその顔は、いつものように余裕たっぷりで、どこか冷たい美貌だったので、ロクスタは目を奪われた。
「あ、あんた、だいたい何で一人で盗賊なんかと戦ってんのよ」
「あ〜お姉さんには聞いてなかったね。『世界の目』という宝玉…を探してるんだ」
首を傾げる女に、ボッシュへしたのと同じような説明をすると、不審そうな表情であっさりと言う。
「そんなもの、あるわけないじゃない」
レイジーは苦笑した。
自分が命をかけて探しているものをばっさりやられると立つ瀬が無い。
だが、不思議と怒る気にはならなかった。
「あ、町が見えてきたわ」
彼女の声に、嬉しげな響きを聞き取る。
ボッシュをからかったり、ロクスタに話を聞いてもらったり。
連れのある旅も、なかなかいいのかもしれない。
レイジーは初めて旅が楽しいと感じていた。
主人公はただのSじゃないんですよ〜。