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1話


煤けた街の中心にある、小汚いがそこそこ繁盛している酒場兼宿屋『狼の羽』。矛盾したようなその店名をからかわれるたびに、店主は自らの祖父が実際に見たと言って憚らない。



店が変わっていれば集まる客もまた一風変わったのが集まっていた。



その夜吹雪とともに駆け込んできた客は、入り口で外套からこびり付いた雪を払い、静かにカウンターへ寄った。寒さに震えることなく進むその足取りは軽く、不粋な足音などさせなかった。


「今晩は。心まで凍えるような夜だね」


カウンターの粗末な椅子へ腰掛け囁く声は店主の予想よりも高く、もしかしたら子供では、と思わせる。


「お客さん、あんた幾つだね?16より下なら、真冬に酒は出せないよ」


「変わった店だね。夏ならいいわけ?」


笑みを含んで答えるその声はやはりどこか幼い。店主としては売れるものなら幼子にさえ売り付けたいが、店をなくすわけにもいかないのだ。


「去年お達しがあってね。こんな寒い晩に酒場から帰る途中、凍えて死んだ馬鹿なガキがいたそうだよ。それをお上が哀れんで、真冬に子供に酒を売るなとさ。あんたはどうなんだね」


いささか急かすようにグラスを振りつつ店主が問い掛けると、客は外套のフードを脱いで人の悪い笑いを浮かべた。


「18だよ。だけど酒は飲まないんだ」


店主は意表を衝かれて若者を見つめた。

ミルクのように白い肌、長い黒髪はうなじの辺りで結ばれ、先は背中の中程。

長い睫毛で縁取られた深く濃い青色の目は右だけで、左は眼帯で隠されていた。眼帯の下からわずかに傷が頬までのびているのが見えるが、顔半分でもとてつもなく美しかった。


「あんた、男かね?」


店主は酒を断られたことすら忘れて見惚れていた。

若い客は美しい顔をすこしも変えずに、肩を竦めた。


「正真正銘男だよ。何かシチューとパンでももらえないかな」


毒気を抜かれたようにぼんやりと頷いて、店主は食事の用意に取り掛かった。

若い客は軽く伸びをしながら店を見渡す。 


近くのテーブルに仕事帰りらしい集団。

カウンターの端には何十年もそこに座っているのではないかと思わせる老人。

どこかの騎士か、きちんとした身なりに帯剣し、酒なしの食事をしている四人。彼らが自分を見ていたのが気になったが、例の年齢制限のためであろうか、と思いつつその隣のテーブルを見やる。

黒ローブの人物と、恰幅のよい男。後ろ暗いところがあるように顔を寄せ密談中のようだ。



「お待ちどう。悪いが殆ど肉は残ってないよ」


湯気の立つ深皿と軽く焼き直されたパンが目の前に置かれ、観察を中止した。


特に興味をひかれることもなく、初めての街で知り合いもいない。店主の視線が若干気にはなるが、久しぶりのまともな食事に意識を集中させたのだった。




しばらく集中して食事し、店主の煎れてくれた火傷しそうな茶を啜っていると、店内に男の怒鳴り声が響いた。


「話が違うではないか!今更そんなっ!」


掴み掛からんばかりの勢いで叫ぶのは、密談中だった壮年の男。怒りのあまり首周りの脂肪が震えている。黒ローブの方は声を荒げることなく、手を伸ばして落ち着かせようとする。

その姿は興奮する馬をなだめる御者を思い出させて、カウンターの若者は声を出さずに笑った。



恰幅のよい男が立ち上がり身をよじるので、近い位置に座っていた騎士に何度かその腕が当たるが、興奮している本人は気付かないでいる。

騎士は迷惑そうな顔で振り返るが、咎めもせずに自分が席をずらした。


「随分と躾のいい…」


若者は呟いたが、その声はグラスをテーブルに叩きつける音でかき消された。


「おい、おっさん!さっきからガタガタうるせぇよ!揉めるなら外行ってからやんな!」


「そうだ!雪もたっぷりあんだからよ、雪合戦でもしてこいや!立派な服が台無しになるかもしんねーけどよ!」


意外にも揉める二人に異議を唱えたのは、関係の無いはずの集団であった。かなり酒が入っているので呂律もまわっていない。

武装した集団がいる中で騒ぎを起こすのはいいことではない。明らかに職人や農夫といった風情の彼らは酒の力で上流階級への不満を発散させようというのか。


「親父さん止めないの?」


若者が問い掛けると店主は首を傾げた。


「あいつらは常連だからなぁ」


喧嘩を売ったのは彼らの方だが、どうやら馴染み客を失うことを恐れているようである。

下手に口を出して巻き込まれるのも間抜けな話であるので、若者はまた黙った。渦中の騎士たちがどう対処するか見てやろうという気もしたのだ。


「雪合戦ていうのもちょっと見たいしね」


若者が密やかな笑いとともに洩らした言葉が聞こえたわけではないだろうが、一人の騎士の視線がこちらを向いたような気がした。 


「貴様等に何の関係があるか!口を出すな!」


完全に頭に血が上った男は居丈高に反応する。酔っ払いへの対処としては最悪であり、当然彼らも怒り心頭で詰め寄っていく。

そこでなぜか黒ローブが自分の相手を庇うような位置に立ったのでおかしな状況が生まれつつあった。


騎士たちが止めるかと思ったが、なぜか彼らはテーブルから動こうとしない。この国の騎士かと思ったのは見込み違いであったのだろうか?


今や男たちは胸ぐらを掴んで罵り合い、手が出る寸前といった状況である。


若者はあくびをひとつして椅子から立ち上がり、また足音を立てない不思議な歩き方で騒ぎの中心に近づいていった。



騒いでいる集団が若者に気付いたのは、突然両者の間に細身の長剣が差し込まれてからであった。研かれた刀身にランプの明かりが反射して目に入り、それを辿って視線は若者をに集中した。


「なんだぁ?女か?」

「いきなり何をする!」


若者は剣をひいて振り子のように揺らしながら、口元を笑いの形に歪めるが、少しも笑っていない目で彼らを見渡した。


「俺は二日間飲まず食わずで歩いてきたんだ。食事は終えたので今からこの宿で眠ることにした。頼むから言い争いはやめてくれないか」


言い方と内容は穏やかだがやっていることは示威行為である。

女性のような美しい顔であるにも関わらず、醸し出す雰囲気はひどく冷たく殺伐としている。

気をそがれたのか、もともと揉めていた恰幅のよい男は鼻息も荒く場を見渡したが、何も言わずに店から出ていく。彼が出ていって白けた雰囲気が漂い、残った男たちも席に戻って飲み直したり、帰ったりとそれぞれが日常に戻った。最後まで残っていた黒ローブの人物が若者に一礼してから出ていくと、若者は無言でカウンターへむかった。


「ああ、疲れた。部屋は空いているよね?立ったまま寝てしまいそうだ」


「おかげで何も壊されずに済んだよ。今晩の宿代は気にしなくていい。二階に上がってすぐの部屋を使うといい」

その言葉にまたあくびをしながら頷いて若者はふらふらと階段を昇っていき、部屋に入って外套を脱ぎながら足を振ってブーツを脱ぎ飛ばし、荷物を床に無造作に落とすとそのままベッドに倒れ伏し、シーツと毛布の中へ潜り込んだ。


「あ〜もうほんっとに疲れた…」


暗い部屋に寝息混じりの呟きが広がり、そのあとは静寂につつまれた。




「迷子なのに行きあたりばったり」と同じ世界でちょっと昔の話です。


10年以上前に粗筋をつくっていたものを書いてみました。



お暇なときにでも御覧ください。

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