魔法のクッキー2
春の桜満開になる時、桜沢理は窓口から外を眺めていた。
太陽は優しい黄金の布を紡ぐようで、理は目を細める。
ふんわりと桜が舞ってきて、店ーボロニアに、心地の良い香りを届けてくれる。
理は猫のように頬を撫でると、オーブンへ向かう。
中は赤く、クッキーが焼けているのがよく見える。
「愛情をかければ、食べ物にも通じるはず」
我が子のように微笑むと、理は窓口が叩かれたのに気づく。
「はい?」
理は足早に歩いていくと、店の小さな窓口を開ける。
すると誰もいないと思ったのだが、急に手が伸びてくる。
「…うん? これは、これは」
理は相手に気づくと、怖がらせないように言う。
「いらっしゃいませ。可愛い坊や」
歳は10くらいだろうか。
緊張しているようだったが、足を踏ん張ってこらえている。
理は興味をもち、聞いてみる。
「うちのクッキーの噂は知っている?」
「…知っている。両想いになるか、相手が何を思っているのか分かるんでしょう?」
「そう、その通り。もう初恋の時なのかな?」
からかうつもりはなく、好意的に言うと、少年は手を差し出してくる。
「何? それ?」
「ーお金。これだけで買える分にして」
「なるほど」
理が手を差し出すと、少年は手を離し、お金が渡される。
理は確かめてみると、料金が少し足りなかったが、にこりと分かって受け入れる。
「ありがとうございます。じゃあ、今、お渡し…。…あれ? 今、オーブンが鳴った。ちょっと待ってね」
理はそう言うと、オーブンの中身を確認する。
形は唇で、甘い香りが鼻をくすぐる。
ークッキーの妖精がいるみたい。
楽しそうにオーブンを開けると、プレーンではなく、チョコチップが入っていた。
ーあの子には、こっちのほうがいいな。
理は鉄板を調理台に置くと、少年の元へ戻る。
「今、焼き上がったから食べる?」
「え!! いいの!? 1人につき1袋だって聞いたんだけど…」
「いいんだよ。子どもは遠慮しない」
理はチョコチップクッキーを持ってくると、少年に渡す。
少年はまず匂いを嗅ぐと、
「うわ。良い香りがする」
と嬉しそうに笑った。
子どもは素直が1番いいと、理も嬉しくなってくると、少年はぱくりと口に入れる。
「…美味しい!! チョコの食感の良さと、クッキー自体の甘味が重なって、次も食べたくなる」
「そう。ありがとうね。でもねー」
ふふと理が笑うと、少年の喉に唇ができる。
「僕の名前は金本哲と言います」
「え…。え?」
少年ー金本哲は困ったようにうろたえる。
理はしっと人差し指を立てると、哲の喉に注目する。
「僕、お母さんが嫌い!! いつも怒ってばかりだもの!!」
「え、え、え、まずいよ」
哲が理に泣きついてきたので、大丈夫と笑顔を向ける。
「心の声が出てくるのは、3分だけだから。少ない時間でしょう?」
「そうなの…? うーん」
哲が喉に触れると、唇が動き出す。
「本当はお母さんに甘えたいのに…!! 僕の初恋の相手はお母さんだもの」
「わー、わー!! ぼ、僕、どうすればいいの?」
喉を理が指差すと、哲は唇がなくなったことに気づき、はっとする。
「どう? びっくりした?」
「びっくりしたところじゃないよ、お兄ちゃん!! 僕の秘密が暴かれちゃったじゃん!!」
「だから魔法のクッキーなんだってば。ちゃんと知っているか、聞いたよね?」
「…うん。今の内緒ね」
哲が口にチャックする真似をするので、理は「はいはい」と答える。
「子どもの時は隠し事なんかしないほうがいいよ。親にうんと甘えたほうがいい」
「…でもお母さん、妹ばかり可愛がって、僕には厳しいんだ」
「そうなのかい? …多分、君ー哲くんがしっかりしているから、安心しているのかもしれないよ?」
「そうなのかな…。このクッキー、早く試してみたいんだけど」
「お母さんに使うの?」
「いけない?」
「いや、いいよ。ただし秘密にしておいたほうがいいこともある。お母さんにクッキーを食べさせるのは、哲くんの責任になるから。何か起こっても、私は対処できない」
はっきり答えると、哲が顔を真剣なものにする。
「お兄ちゃんのせいなんかにしないよ。僕、卑怯な真似だけはしたくないもの!!」
「そう。偉いね。ーはい、クッキー」
ラッピングされたものを渡すと、哲がしっかりうなずいてくる。
ああ、この子は大人のふりをしていると、ふと心配になったが、理は何も言わないことにした。
「恥ずかしいことや、いつも我慢していることを言いたかったら、食べてみて。分かった?」
「分かった。ありがとうね、お兄ちゃん」
哲はバイバイと手を振ってきたので、理はにこやかに振り返す。
ー…大人対子どもか。どうなるか予想がつかないけれど、いい方向に運んでくれるといいな。
哲の姿が見えなくなったので、窓口を閉めると、理は大きなあくびをする。
ー今日も穏やかな一日になりそうだ。…ただし、なまけるわけにはいかない。
魔法のクッキーを作る以上、理にも責任はある。
しかし大概が上手くいくので、店が続けられているのだった。
「私もクッキーを一口」
ぱくりと食べると、喉に唇ができる。
「桜沢理、22歳。ボロニアという店の店長。クッキーの作り方は自分しか知らない」
「その通り。…ちょっと黙れ」
喉の口をしめると、歯が指に当たった。
噛みつかれないように押さえていると、自然に消えていく。
ー余計なことは言わないこと。詮索すると、人間は嫌がるものだから。
理は手を洗うと、クッキーのラッピングを始める。
すると窓口が叩かれた。
「ーはい。今、行きます!!」
エプロンで手を拭くと、理は歩き出したのだった。




