第1話:息の止まる朝と、呪いの言葉
午前九時。
週明けのオンラインミーティング。
青白い光を放つモニターの向こう側で、上司の唇が規則的に動いている。
マイクが拾うノイズ混じりの声は、鼓膜を打つたびに泥のような重さを持って私の内側に堆積していった。
『――で、佐藤さん。この週末、君は何をしていたのかな』
低く、温度のない声。
共有画面に映し出された私の資料は、赤字の注釈で埋め尽くされ、もはや原型を留めていなかった。
数十時間の不眠と、削り取った私生活の残骸。
それらは「一考の価値なし」という無言の審判を下されている。
『君は本当に、仕事ができないね』
決定的なエラー音が響いた気がした。
謝罪しなければならない。
喉の奥に「申し訳ございません」という文字列は準備されている。
けれど、声帯が癒着したように動かない。
思考回路は、ただ「無能」という二文字のループ処理にリソースを占有されていた。
私は一切の反論を持たなかった。
事実だからだ。
私はこの組織において、円滑な運営を阻害するだけの、生産性のない障害物だった。
ブツリ、と一方的に通信が切断された。
残されたのは、真っ黒なモニターと、ひどく静まり返った自室だ。
すぐに次の会議のURLをクリックしなければならない。
分かっている。
頭の中のタスクスケジューラは、警告のアラートを鳴らし続けている。
けれど、指先に送られたはずの信号はどこかで断線し、右手に持ったマウスは卓上の一部と化し、冷たく固着していた。
視界の端が、ちりちりと白く爆ぜる。
天を仰いだ私の頬を、ひどく熱を持った水滴が伝い落ちた。
何が悲しいのかは、もう分からない。
ただ、胸の奥で癒着していた何かが無理やり剥離されたような、鋭い痛みが熱となって溢れ出している。
肺が、うまく酸素を取り込めない。
吸い込もうとするたびに、泥のような倦怠感が気道を塞いでいく。
意識の解像度が、一段ずつ落ちていく。
ノイズの混じった視界がゆっくりと暗転し、私は深い闇の底へと沈降した。
***
肌を撫でる空気の質感が、唐突に変わった。
密閉された自室の、あの淀んだ重さはどこにもない。
代わりに、清らかな水を含んだ風が、私の頬を優しく叩いている。
「……あ」
ゆっくりと瞼を持ち上げる。
最初に目に飛び込んできたのは、吸い込まれるような青い空と、眩いばかりの緑のカーテンだった。
私は、大きな木の根元に横たわっていた。
頭上からは、木の葉が擦れ合う微かな音が、電子ノイズではない確かなリズムとして降ってくる。
夢、だろうか。
それとも、あの暗転した意識の先にある、末期の走馬灯か。
思考を動かそうとした途端、耳の奥にあの冷たい声がリプレイされる。
『君は本当に、仕事ができないね』
やめて。
今は、思い出させないで。
胸を掻きむしるような焦燥感が、熱い泥となって脳内を埋め尽くしていく。
せっかく取り込んだはずの清浄な酸素が、また出口を失って肺の奥で渋滞を起こした。
ファンタジーのような絶景さえ、今の私には過負荷な情報の塊でしかない。
逃げるように瞼を閉じると、私は再び、強制終了するように意識を手放した。
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