脳筋聖女は物理で殴る 〜安心してくださいませ、すべて粉砕いたしました〜
公爵令嬢ビオネ・ド・マルセイユの朝は早い。
夜明け前の静謐な空気の中、彼女は王立神殿の最奥にある「沈黙の聖域」で、神への祈りを捧げていた。
「おお、慈愛に満ちてる神よ。今日という日が、すべての民にとって健やかなるものとなりますように……」
深く、静かな祈りの声。
しかし、その肉体は静寂とは程遠い状態にあった。
ビオネは、重さ二百キログラムはあろうかという純銀製の聖壇を片手で持ち上げ、もう片方の手で床と水平に空気椅子の姿勢を保っていたのである。
「997、998、999……、1000……、ふぅ……。筋肉への感謝が足りませんわね……。あと三セット、追い込みましょう!」
彼女にとって祈りとは、己の肉体を極限まで練り上げることと同義であった。
ビオネに宿った聖魔法。それは本来、傷を癒やし、結界を張るための慈愛の力だ。しかし彼女はその強大すぎる魔力を「自己の細胞活性化」と「骨格補強」に全振りした。 結果として、彼女の拳は城壁を消し飛ばし、彼女の脚は風を切り裂く、物理法則を超越した聖なる物理反動へと昇華されたのである。
汗ひとつかかず涼しげな顔で聖壇を元の位置に戻すと、ビオネは侍女が用意した最高級のドレスに身を包んだ。
今日の予定は、王宮で開催される夜会。そして、そこには彼女の婚約者候補である第一王子、ジュリアンが待ち構えているはずだ。
「ビオネ様、本日も大変お美しゅうございます。ただ、一度湯浴みをされた方がよろしいかと」
「あら、失礼。少しばかり祈りに熱が入ってしまいましたわ。それではまた……」
侍女の提案に、ビオネはにっこりと微笑んだ。その笑顔は、どんな魔物も一撃で昇天させるほどに、聖女らしく慈愛に満ちていた。
王宮の夜会。シャンデリアが輝き、貴族たちが社交という名の化かし合いに興じる場。
ビオネが入場すると、その圧倒的な聖女然としたオーラに会場が静まり返った。
「見てくれ、あの優雅な立ち振る舞い。まさに国の宝だ」
「指先一つ動かす動作さえ、まるで蝶が舞うようだ……」
周囲の賞賛を、ビオネは淑やかな微笑みで受け流す。
そこに、金髪を光らせた自信満々の青年が歩み寄ってきた。
第一王子、ジュリアンだ。彼は背後に取り巻きを従え、ビオネを見下すような笑みを浮かべる。
「やあ、ビオネ。相変わらず聖女の仕事にご執心らしいな。だが、お前のように愛想のない女は、王妃には向かないと思わないか?」
ジュリアンは、最近お気に入りの、か弱い伯爵令嬢を隣に引き寄せた。
「これからの王妃に必要なのは、守ってやりたくなるような可憐さだ。お前のような……なんだ、その妙に威圧感のあるオーラというかなんというか……。とにかく、見ていて息が詰まる。婚約の儀は白紙にさせてもらうぞ!」
会場に動揺が走る。公爵令嬢への公衆の面前での婚約破棄宣告。
しかし、ビオネの表情は微塵も揺るがない。彼女は扇で口元を隠し、鈴を転がすような声で答えた。
「殿下、安心してくださいませ。私も、自分よりベンチプレスの重量が軽い男性に興味はございませんの。これにて貴方様との関係は、完全粉砕、円満解決ということでよろしいかしら?」
「ぐっ……!? な、何を言っているのか分からんが、反省しているようだな!」
ジュリアンがさらに言葉を重ねようとした、その時だった。
ドガァァァァァン!!
王宮の壁が凄まじい衝撃と共に崩壊した。
砂煙の中から現れたのは、深淵より現れた魔王軍の幹部・暗黒騎士。そして、巨大な八頭蛇であった。
「ヒッ、ヒィィッ! 魔物だ! 誰か、誰か助けてくれ!」
先ほどまで威勢の良かったジュリアンは、腰を抜かして情けなく這いずり回る。騎士団も急な強襲に連携が取れず、逃げ惑う貴族たちで会場はパニックに陥った。
「無礼な人間どもめ。聖女ビオネの首をもらいに来たぞ! ふわはははっー!」
暗黒騎士が漆黒の大剣を振り上げる。その刃が、逃げ遅れた令嬢に向かって振り下ろされようとした瞬間―――
「皆様、騒がしくして申し訳ございません。……少々、お掃除をさせていただきますわ」
風が舞った。
そして、暗黒騎士の視界からビオネの姿が消えた。
「なにっ……!?」
「ここですわ。安心してくださいませ、苦しむ暇など与えませんから」
暗黒騎士の背後に、音もなくビオネが立っていた。彼女は優雅にドレスの裾を少し持ち上げ、まるでダンスのステップを踏むかのように、その聖なる右拳をズバンと振り抜いた。
ドゴォォォォォンッ!!!
衝撃波が会場を震わせる。
「聖魔法、瞬刻、超重圧拳、ですわ」
ビオネのつぶやくそれは、自身の拳の質量を一時的に万倍にする、彼女にしか使えない禁忌の術。
暗黒騎士の頑強な魔力鎧は、紙細工のように粉砕された。彼は何が起きたのか理解する間もなく、王宮の壁を突き抜け、夜空の彼方へと星になって消えていった。
「さあ、次はそちらの大きなトカゲさんですわね?」
ビオネは残された八頭蛇を見据える。八頭蛇は本能的な恐怖を感じ、数多の頭から一斉に猛毒のブレスを吐き出した。
「あら、大変、除菌いたしませんと」
ビオネは逃げない。彼女は両手を優雅に広げ、胸元で祈りの形を作った。
「聖魔法、無限、反復鉄鞭掌、ですわ」
ビオネの麗しい掌によりもたらされたのは、往復ビンタである。
しかし、神速で放たれたその掌底は空気を圧縮し、真空の刃を作り出した。猛毒のブレスは風圧だけで逆流し、多頭蛇の頭は一撃ごとに、まるで熟した西瓜のように弾け飛んでいく。
「おねむのお時間、ですわ」
最後の一頭になった時、ビオネはその頭を優雅に掴み、地面へと叩きつけた。
ベチャァァァン!!!
王宮の床に巨大なクレーターが出来上がる。
ビオネは、八頭蛇の亡骸の上に片足で立つ。ヒールの先で優雅に、まるでバレエの一幕であるかのごとく。
天使のように微笑むビオネは乱れた髪を指で整えた。
「ふぅ。いい運動になりましたわ」
静まり返る会場。
ビオネは、腰を抜かして震えているジュリアン王子の前まで歩み寄ると、膝をついて微笑みかけた。
「殿下、安心してくださいませ。悪い子はすべて片付きましたわ。ついでに、先ほど殿下がおっしゃっていた婚約破棄の件……。承知いたしましたわ。これより私、ビオネ・ド・マルセイユは、殿下とは何の関係もない、ということで」
その笑顔には、微塵も憂いは無いようだ。
「では皆様、私、失礼させて頂きますわ」
美しい所作で行われた膝折礼は、見るものすべてを魅了した。
それは、この世のものとは思えないほど美しく、そして抗いようのない聖なる魔力を秘めた、まさに聖女の煌めきを放っていた。
◆◇◆◇◆
王宮での一件以来、ビオネの名は国中に轟いた。
第一王子ジュリアンが恐怖のあまり引きこもる中、次なる婚約者候補として名乗りを上げたのは、隣接する侯爵家の嫡男、ヴァレリーであった。
彼は知略家を自称し、力自慢のビオネを自身の言葉と策略で御せる獣だと侮っていた。
「ビオネ嬢、先日の武勇伝は伺いました。ですが、真の統治者に必要なのは野蛮な筋力ではなく、相手を絡め取る知略……。今度の合同演習では、私があなたの守護者として、正しい力の使い方を教えて差し上げましょう」
ビオネは、特注の高密度魔力鋼で作られた、ダンベルを軽々とジャグリングしながら、ヴァレリーに微笑みかけた。
「あら、ヴァレリー様。ご指導いただけるなんて光栄ですわ。ですが安心してくださいませ、私、学習能力だけは高いほうですの。主に、相手の急所を突くことに関しては、ですけれど」
演習当日。ヴァレリーはビオネを陥れるため、演習場の奥地に魔物寄せの香を仕掛け、さらに彼女の足元に魔力を封印する拘束陣を配置した。
彼が目論んでいたのは、魔物に襲われ窮地に陥ったビオネを、自分が魔法でスマートに助けるという吊り橋効果全振りの自作自演な子芝居である。
しかし、現れたのは推定ランクSの厄災。超大型魔獣『岩石巨兵』であった。
「な、なんだあの大きさは!? 話が違うぞ!」
狼狽するヴァレリー。
一方、ビオネは足元の拘束陣を「なんだか靴の裏がムズムズしますわ?」と、地面ごと踏み抜いて粉砕していた。
「ヴァレリー様、危ないですから下がっていてくださいませ。知略も大切ですが、時には結論を急ぐことも必要ですわ」
ビオネは優雅に一歩を踏み出す。その一歩で、周囲の地面が地震のように激しく揺れた。
彼女は、得意の聖魔法、身体強化・全開を発動。光輝く魔力が濃縮され、その美しい手足に鎧のようにまとっている。
ヴァレリーは、その濃縮された狂暴な魔力に悲鳴を上げる。
「聖魔法、迅雷、怒涛、昇龍掌、ですわ」
ビオネが身を低くし、巨大なゴーレムの股ぐらに潜り込んだかと思うと、その濃縮された魔力をまとった拳を突き上げた。
一〇メートルを超える岩石の巨体が、重力に逆らって上空へと打ち上げられる。
「ああ、私としたことが。そのまま落ちてきたら、演習場が壊れてしまいます」
落下してくる数千トンの岩石塊に対し、ビオネは空中で優雅に一回転。
「聖魔法、究極、慈愛、流星落し、ですわぁ!」
ドォォォォォン!!!
ゴーレムは地面に接触する前に、ビオネの振り下ろされた華麗な踵によって、分子レベルで粉砕され、ただの砂塵となってその場に四散した。
ビオネは何事もなかったかのように着地し、砂埃で汚れた全身を、魔力を迸らせ振り払う。
「ヴァレリー様、安心してくださいませ。障害も、それを呼び寄せた不浄な香りも、すべて私の聖魔法で吹き飛ばしておきましたわ」
腰を抜かし失禁寸前のヴァレリーに対し、ビオネは至近距離で囁く。
「ところで、わたくしの足を止めようとしたあのアミュレット……。わたくしのステップを邪魔するものは、それが王命であっても粉砕してしまいますので、次は気をつけてくださいませ?」
あえなく、ヴァレリーの知略は、ゴーレムと共に塵となった。
◆◇◆◇◆
ビオネの聖魔法による慈悲が必要なのは、国内の貴族だけではなかった。
軍事国家として知られる隣国から、戦神の異名を持つヴォルフガング将軍が、親善という名の挑援に訪れたのだ。
彼は身長二メートルを超える巨漢で、全身を傷跡が覆う猛者。彼はビオネの噂を聞き、鼻で笑った。
「聖女だと? 貴族の小娘が少しばかり手品を使った程度で調子に乗るな。女は家で祈っていろ。戦場は我ら強者の居場所だ」
ヴォルフガングは、両手持ちの巨大な戦斧を振り回し、ビオネに親善試合を申し込む。
王宮の広場で対峙する二人。ビオネは細い日傘を差し、優雅なティータイムのような佇まいだ。
「将軍、安心してくださいませ。私、あまり乱暴なことは好みませんの。ですから、試合は一撃で終わらせましょう」
「ハッ! ほざけ、小娘が! 死んでも文句は言うなよ!」
ヴォルフガングは力強い咆哮を繰り出し、ビオネを威嚇する。だがビオネは麗しい笑みを浮かべて彼に視線を送っている。
それに苛立ちを覚えたのか、ヴォルフガングが大地を割りながら突進し、戦斧を振り下ろす。その威力は山をも断つと言われた。
しかし、ビオネは日傘を畳むことさえしなかった。
彼女は左手の小指一本をスッと立て、その戦斧の刃を受け止めた。
カキィィィンッ!!!
信じられない光景だった。
鋼すら豆腐のように断つはずの戦斧が、ビオネの白い小指に触れた瞬間、そこから逆にひび割れ、バラバラに砕け散ったのだ。
「な……ッ!? 指一本で、俺の戦斧を……!?」
「あら、ごめんなさい? 貴方の得物がなくなってしまいましたわ? 聖魔力を、少しだけ小指の表面だけに集中させただけでしたのに」
困り顔をしたビオネ。
「では、わたくしの番でしょうか?」
ビオネは日傘を閉じ、それをステッキのように軽く振った。
そして、真っ白で艶やかなその右拳に、濃厚な魔力が集まっている。
「聖魔法、加圧、集中、聖拳一撃、ですわ」
ただの正拳突き。だが、その先端から放たれた衝撃波は、ヴォルフガングの背後の大気を圧縮し、王宮の庭園に一本の道を作り出した。
のちに聖女の散歩道と言われるその道は、衝撃波により均一に均され、光輝いていた。
ヴォルフガングは、自分が攻撃されたことさえ気づかなかった。ただ、自分の着ていた頑強な鎧が、衝撃の余波だけで粉々に弾け飛んだことに数秒遅れて気づき、全裸同然で立ち尽くした。
「将軍、安心してくださいませ。直接当ててはおりませんもの。ただ……今の一撃で、あなたの中の闘争本能、少しばかり折れてしまったかもしれませんわね?」
ヴォルフガングはその場に膝をついた。筋肉が、本能が、目の前の女性を抗えない強者だと認識し、戦うことを拒否したのである。
たとえ、その笑顔に周りからの愛慕の瞳が投げかけられていたとしても、彼にはそのような気持ちが微塵もわかない程の恐怖が、深層心理の最も深い部分に刻み込まれたのだ。
その後、自国に戻ったヴォルフガングは、国のため、民のため、全身全霊をかけて働く生涯をおくることとなった。
◆◇◆◇◆
ビオネの活躍が目立つにつれ、彼女を疎ましく思う存在が現れるのは必然だろう。
そんな命知らずの奸物がここにも……。
彼女の所属する教会の枢機卿・ボナパルトである。彼は聖女という象徴を好き勝手に流布し、寄付金を集め私腹を肥やしていた。
そんなボナパルトは、自由気ままに治癒をばら撒くビオネにより、その生活を脅かされていた。
誰彼構わず治癒してしまうので、民衆はビオネに直してもらえば万事解決と、教会への寄付金は減少。現在教会は火の車となっていた。もはや着服するお金すらないのだ。
「ビオネよ、お前の振る舞いは聖女として野蛮すぎる。神の怒りを買うぞ。よって、しばらく聖域に幽閉し、精神修養に励んでもらう」
ボナパルトは、教会の地下にある対魔術師用の特殊な大牢獄へビオネを誘い込んだ。
そこはあらゆる魔法を中和し、物理的にも三メートル厚のミスリル鋼で囲まれた、文字通りの絶望の檻である。
「ふははは! いかに怪力の聖女といえど、この沈黙の聖域からは逃げられまい!しばらく幽閉した後、秘密裏に……」
ゴクリと喉を鳴らし、彼女を始末するための方法を考えるボナパルト。そして気付くのだ。このまま放置しておけば、いずれ餓死するだろうと。
「お前の体を自由にできないのは少し勿体ない気もするが、私の平和のために死んでくれ!聖女様はご病気とでも言えば、馬鹿な民衆どもは見舞金だなんだと莫大な寄付金が稼げるかもしれぬな!」
そう言いながら高笑いするボナパルト。
しかし、檻の中から聞こえてきたのは、ビオネの穏やかな溜息だった。
「枢機卿……。安心してくださいませ。この程度の檻、私の正義を貫く障害にはなりえませんのよ!」
「な、何を……!?」
「聖魔法、徹底、改装、超振動破、ですわ」
ビオネは、三メートル厚のミスリル壁に、そっと手を添えた。その華奢の白百合のような指先からも聖なる魔力が渦を巻く。
超振動するその指先は、壁の分子と完全に同調された。次の瞬間、轟音と共にミスリル鋼がなんの躊躇もなく消滅した。
それは粉砕という生温いものではない。ビオネの指先の超振動により、原子レベルまで分解され四散したのだ。
「ひ、ひぃぃぃっ!?」
目の前にあったはずの壁が消え、ビオネが優雅に歩いてくる。彼女の服には塵一つついていない。
「枢機卿。神はすべてを見ておられます。曇りなき私の信仰心は、貴方に天罰を与えたまえと泣いているのですわ……」
女神のような慈悲を感じさせる笑顔を見せたビオネは、神々しいほどに光り輝くその指先をボナパルトに向けた。
そして、狼狽えるボナパルトはビオネに胸倉を掴まれ、高々と掲げられる。
「安心してくださいませ。神のお許しがあれば、決して死ぬことはないでしょう。そう。神がお許しになれば、ですが……」
悲鳴を上げ顔を左右にふり懺悔するボナパルトを他所に、その指先は眩しく光り、その光りに誰もが膝をつき祈っていた。
ああ、どうか自分に矛先が向きませんようにと……。
「即時、更生、十字加圧、ですわ」
その日、教会の一室からは一晩中、運良く命をつなぎとめた枢機卿の懺悔が聞こえたという。
◆◇◆◇◆
数日前、聖国の教皇は神託を受け取った。
否、ついに神託を受け取ってしまったというっても良いだろう。
『魔王復活の予兆アリ』
そんな神託に合わせ、王城の地下室で秘密裏に行われた儀式。その結果、ついに伝説の勇者が異世界から召喚された。
クリストファと名乗ったその勇者。
アメリカという大国で生まれた、俳優として活躍していたというその黒髪の彼は、「魔王を倒し、世界を救う。そして、聖女を娶る!」ということを召喚されてすぐに発したという。
ちなみに二言目は、「マジチート転生キター!帰ったら田中に自慢してやろーっと!」であったが、立ち会った王族の者達には意味が理解できなかったという。
その発言どおり、クリストファは、聖女ビオネの顔を見たいと駄々をこねたのだ。
根負けした教皇の要請により、王城の一室で初顔合わせの機会が設けられた。
「安心しろ、聖女ビオネ。君のような美しい女性が戦う必要はない。これからは俺が、この聖剣エクスカリバーでお前を守ってやる!」
クリストファはそう言って、眩い光を放つ聖剣を抜いた。そして、女性慣れしていないのか震えた手で、ビオネの腰を引き寄せようとする。しかし、その手は空を切った。
「あら、勇者様。お気遣い痛み入りますわ。ですが安心してくださいませ。その細い剣では、私の肩凝りすらほぐせませんわ?」
ビオネはにっこりと微笑み、クリストファの手から「ちょっと拝見」と聖剣をつまみ上げた。
伝説の聖剣は、選ばれし者以外には持ち上げられないはずの超重量設定だったが、鍛え抜かれた強化魔法を持つビオネにとっては少し重めのペーパーナイフ程度の質量でしかなかったようだ。
「なっ、なぜそれを……!? 返せ、それは勇者の俺にしか……」
「まあ、少し錆びているのかしら? 輝きが渋いですわね?」
ビオネが指先で聖剣の刀身を弾いた。
パキィィィンッ!!!
神話の時代から不壊を誇った聖剣が、ビオネのしなやかな指先一つで、硝子細工のように真っ二つに折れた。
「あ……あ……俺の、俺のチート武器が……」
「あら失礼。少しばかり信仰心が強すぎましたかしら。でも、そのような貧弱な剣がなくても、拳があれば世界は救えますわ。さあ、魔王城へお散歩に参りましょうか?」
「うっせーこの、脳筋バカ女が! 誰が行くかよ!」
クリストファがそんな悪態を放った刹那、その場は強烈な聖なる魔力が放たれる。
「や、やっぱり勇者としての役目は辞退しようかな? 僕、そう言えばただの池田だし。クリストファって誰? 僕、ただの一般人の直樹だよ?」
そんなことを言い始め膝が大笑いしているクリストファは、ビオネにより引きずられるように魔王城へと強制連行された。
彼の断末魔は、魔王により苦しめられた民衆の苦々しい想いを体現しているのだと、後世に語り継がれることになる。
◆◇◆◇◆
そして数日後、魔王城の玉座。復活した魔王サタンは、禍々しい魔力のオーラを放ち、漆黒の玉座に座していた。
「ククク……愚かな人間どもめ。我が物理攻撃無効、魔法攻撃無効の二重結界を突破できる者などおらぬ。これよりこの世界は、絶望に包まれるのだ!」
そんな魔王の耳には、城内の騒がしい悲鳴が聞こえた。
「何事だ!」
そう叫んだ刹那、玉座の間の扉を蹴破って現れたのは、ぼろ雑巾のようになった勇者、そしてそれを片手で引きずる麗しい御令嬢だった。
「ごめんあそばせ。少々入り口が狭かったので、壁ごと広げさせていただきましたわ」
その言葉通り、彼女の強大な信仰心により、扉はおろか、その周りの壁も大きく円を描いて破壊されていた。
「貴様が聖女か。無駄だ、我が結界は、あらゆる攻撃を一切受け付けぬ完全無敵の―――」
魔王が言い切る前に、ビオネが目の前に転移した。魔王の目にも認識できない程の高速移動。
「魔王様、安心してくださいませ。わたくしの拳は、もはやこの世の現象という枠組みに収まっておりませんの。これは神にささげた信仰心に裏打ちされた、聖なる魔力、ですわ」
ビオネが静かに拳を引く。彼女の周囲の空気が、その圧倒的な魔圧によって固形化し、真空の渦が形成される。
彼女の聖魔法、その真髄。まさに究極の一撃。
「聖魔法、救済、慈悲、終末回帰、ですわ!」
それは、打撃というにはあまりにも美しく、そしてあまりにも残酷な光景だった。
あらゆる攻撃無効の結界?そんな小細工は、ビオネの信仰心により高められた聖なる魔力の前では無意味だった。
ゴッ……!!!
その鈍い音と共に魔王城が、この世から消えた。
魔王サタンの自慢の肉体は、分子どころか素粒子レベルまで分解され、消滅した。
「ふぅ。少しばかり、ドレスがシワになってしまいましたわ」
塵一つ残っていない更地で、ビオネは優雅に扇を広げ、その艶のある髪を整えた。
その数分後、傍らで気絶していたクリストファが目を覚まし、消失した城を見て「帰りたい」とつぶやいたが、ビオネはそれを笑顔でスルーした。
そしてクリストファは気付くのだ。また僕はぼろ雑巾にされるのだと。
◆◇◆◇◆
魔王を倒し、世界に平和をもたらしたビオネ。
王都に戻った彼女を待っていたのは、かつて彼女をバカにしていた貴族たちの、手のひらを返したような賞賛だった。
「ビオネ様! ぜひ、我が家の息子と婚約を!」
「いや、我が国の王太子こそが相応しい!」
群がる求婚者たちに対し、ビオネはかつてないほど輝かしい笑顔を向けた。
「皆様、安心してくださいませ。わたくし、決めたのです。これからは愛の鞭を与えるだけでなく、皆様に信仰心を授ける活動に専念しようと」
数ヶ月後。
公爵家の広大な敷地には、巨大な神殿……ではなく、世界最大のトレーニング施設が建設された。
そこには、重い石を持ち上げながら「安心してくださいませ! 限界を超えてからが本当の信仰心なのです!」と檄を飛ばすビオネと、泡を吹いて倒れる騎士たちの姿があった。
かつて彼女との婚約を破棄したジュリアン王子も、知略で嵌めようとしたヴァレリーも、今ではビオネのパーソナル・トレーニングの恐怖に怯え、一日も休まずスクワットに励んでいる。
「ビオネ様……もう、足が動きません……」
「あら? 安心してくださいませ。足が動かないなら、腕があるじゃありませんか。さあ、次は片手倒立で王都を一周してきてくださいな。ほら、聖なる水を飲んで、もう一踏ん張りですわよ!」
空はどこまでも青く、ビオネの拳は今日も、世界の平和と信仰心の成長のためだけに、優雅に振るわれるのであった。
◆◇◆◇◆
夜、一人でティータイムを楽しむビオネは、月を見上げながらふと思う。
「私、本当はか弱くて淑やかな、守られるだけの令嬢になりたかったですのに……。どうして皆様、私の前ですぐに横たわってしまうのかしら?」
彼女は首を傾げ、何気なくテーブルの上に置いてあった鉄製のティーカップを指先でヒュンヒュンと弄ぶ。
彼女が少し力を入れただけで、カップは無造作に圧縮され、親指サイズの鉄の塊へと姿を変えた。
「まあ、いけませんわ。私の強すぎる信仰心により、形が変わってしまいました」
彼女は窓の外、平和になった街並みを見つめて微笑む。
「壊れたものは仕方ありませんわ、そんなことにくよくよするぐらいなら、信仰心を高めるため精進する方が有意義ですわ!」
彼女の辞書に困難という文字はない。
なぜなら、この世のあらゆる困難は、彼女の信仰心の前では、矮小な出来事なのだから。
脳筋聖女は物理で殴る 〜安心してくださいませ、すべて粉砕いたしました〜
—— 終 ——
ブクマ、評価、励みになります。感想お気軽にお書きください。




