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霧の里、ユスレ村

 私の家からシャロンの診療所までは、歩いて十五分ほどの道のりだ。緩やかな坂道を下っていく。

 朝よりは少し薄れたとはいえ、霧はまだ辺り一面に漂っていて、遠くの景色は白く霞んでいる。湿った空気が肌に心地よい。


 私の隣を歩くアリスは、さっきまでの不安そうな表情が少しだけ和らぎ、今は珍しいものを見るように、きょろきょろと周囲に視線を巡らせていた。

 道端にひっそりと立つ、苔むした古い石碑。霧の切れ間から時折見える、険しい山の稜線。軒先に吊るされた、不思議な形をした干物。

 時々、アリスは小さく足を止め、興味深そうにそれらをじっと見つめている。その深い藍色の瞳が、初めて見るものへの純粋な好奇心で、きらきらと輝いているように見えた。


 記憶がないアリスにとっては、この世界の何もかもが、きっと新鮮で、驚きに満ちているのだろう。


 そんなアリスの様子を見ていると、私も自然と口元が緩む。


「ここはね、ユスレ村っていうの」


 私が話しかけると、アリスはぴたりと足を止め、私の顔を見上げた。


「ユスレ……むら……?」


「うん。山に囲まれた、小さな村。見ての通り、霧が多いんだけどね。でも、晴れた日の夜空は、星がすごく綺麗に見えるんだよ」


 私は、霧で白く煙る家並みを指さしながら続ける。


「古いものが、たくさん残っているでしょう? 石碑とか、あの建物とか……。ここは昔から、色々なことがあった場所だから。村の人たちは、そういう昔からのものや、自然の恵みを大切にしながら暮らしているんだ」


 山の幸や、季節ごとの風景。厳しい自然もあるけれど、それと共に生きている村。


「村の人たちは、みんな素朴で優しい人たちだよ。最初は少しだけ、知らない人に驚くかもしれないけど……でも、みんな親切でね。私がここに来たばかりの頃も、道に迷って困っていたら、親切に案内してくれたり、野菜を分けてくれたりしたんだ」


 困った時は助け合う、そんな温かさがこの村にはある。私が比較的すぐに村に受け入れてもらえたのも、そういう気質のおかげだろう。


「だから、アリスもきっと大丈夫だよ」


 安心させるように付け加えると、アリスは少しだけうつむいて、こくりと小さく頷いた。


 私は、アリスの反応を確かめるように、ゆっくりと話す。

 アリスは、黙って私の隣を歩きながら、私の言葉と目の前の景色を結びつけようとするかのように、時折、周囲を見回していた。

 その真剣な横顔を見ていると、少しずつこの世界を知ろうとしているんだな、と感じて、胸が温かくなる。


 村の簡単な説明が一段落した、ちょうどその時だった。

 アリスがふと顔を上げ、私の目をまっすぐに見つめてきた。

 そして、ぽつり、と尋ねる。


「……セラは……」


 その声は、まだ少し頼りない響きだったけれど、確かな意志が感じられた。


「……ずっと、ここにいたわけじゃないの……?」


 思いがけない問いかけだった。

 アリスが、私自身のことについて興味を持ってくれるなんて。

 少し驚きながらも、私はすぐに首を横に振った。


「ううん、私はここに来てまだ半年くらいだよ」


「……はんとし……」


「そう。私はね、国からここで仕事をするように言われてきたの」


 私は自分の胸に軽く手を当てて、経緯を説明する。


「……この村にはね、もともと別の魔法士さんがいたんだけど、ご高齢になられて。それで、私が後任として、この村で働くことになったんだ」」


 魔法士という存在が、この世界でどういうものか、アリスが知っているかは分からない。けれど、変に隠すことでもないだろう。


「魔法を使って、村の人たちの暮らしを少しお手伝いするのが私のお仕事。例えば、天気が悪い時に作物が育つようにちょっと手を貸したり、村の行事を手伝ったり、困っている人の相談に乗ったり……そういう、ちょっとしたことだけどね」


 私の説明に、アリスは瞬きもせず、じっと耳を傾けている。


「……魔法、つかい……」


 アリスが、私の言葉を小さく繰り返した。その響きに、何か特別な感情がこもっているように聞こえたのは、気のせいだろうか。その大きな瞳が、じっと私を見つめている。

 

 そんな話をしているうちに、道の先に、少し洋風な造りの小さな建物が見えてきた。白壁に、青い屋根。看板には「ユスレ村診療所」の文字。


「あ、着いたみたいだね」


 私はアリスに声をかけ、診療所の扉へと歩みを進めた。

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