ロゼッタ・ヴァレンシア
重厚な扉が静かに開くと、ふわりと芳香が漂った。書物とインク、それにどこか花のような香りが混ざり合った空気が、部屋の奥から流れてくる。
研究室の奥、書架の合間に据えられた机の向こうに、一人の女性が立っていた。
長く、波打つように美しい紫の髪が肩越しに垂れ、その中に陽光がかすかにきらめいている。左目には金縁のモノクルがかかっており、その奥の瞳は深い知性と静かな情熱をたたえていた。
彼女――ロゼッタ・ヴァレンシアは、妙齢の女性だ。若々しさを残しつつ、どこか凛とした落ち着きを漂わせている。その姿は、まるで一本のよく研がれたペンのようだった。洗練されていて、曖昧さがない。
「――あら。これはこれは」
声は低くも澄み、耳に心地よい響きを持っていた。まるで詩を朗読するような抑揚を含んでいる。
「ミナ・ルクシール。戻ったのね。……それに、あなたは……セラ・アストラでしょう?」
ロゼッタの視線が、すっと私に向けられる。わずかに目を細め、笑みを浮かべた。
「懐かしいわ。卒業して一年しか経っていないというのに、見間違えそう。随分と雰囲気が変わったわね。良い意味で」
「……お久しぶりです、先生」
思わず背筋を正して挨拶する。
「まぁ、手紙を返さないのは教え子にふさわしくないですが」
ロゼッタは笑みを浮かべながらゆっくりと近づいて見つめた。
「今のあなたの立ち方、それに空気のまとい方。村での時間が、あなたを一段と“魔法士”らしくしたのね。……それが、あなたの選んだ道の証なでしょう。私はとても誇らしく思います」
深い洞察と、優しい敬意を含んだ言葉だった。私は一瞬だけ胸が熱くなるのを感じる。
「……ありがとうございます」
ロゼッタは微笑を浮かべたまま、そっと視線をアリスへ移した。
「そして、そちらが手紙にあった少女ですね……?」
ロゼッタはゆっくりと歩み寄りながら、アリスの前にひざを折った。
「はじめまして。私はロゼッタ・ヴァレンシア。学院で教鞭を執っている者です。あなたのお名前をうかがってもよろしいかしら?」
アリスは私の方をちらりと見て、それからロゼッタに向き直る。少しだけ緊張した面持ちで、けれどしっかりと声を出した。
「……アリス、です」
「アリスさん。素敵な名前ね」
ロゼッタは優しく微笑みながら、アリスの瞳を覗き込むように見つめた。その表情は、まるで一冊の稀少な書物を丁寧に読み解くかのような深さを湛えている。
ふと、ロゼッタの瞳が揺れた。ごくわずかにだが、何かを察したようにその眉が動いたのを私は見逃さなかった。
「あなたの魔力は……とても静かで、深い湖のよう。外からは見えづらいけれど、その底には……うん、興味深いわね」
その言葉に、アリスはきょとんとしながらも少しだけ微笑んだ。ロゼッタは立ち上がり、私の方へ向き直る。
「セラ、あなたがこの子を連れて来たのは、ただの訪問ではないわね?」
「……はい。実は、少し相談があって」
「ええ、察していたわ。こちらへどうぞ。まずは話を聞かせて」
ロゼッタはそう言って、部屋の奥にある応接用のソファを指差した。まるでこの再会と謎の訪れを、すでに待ち受けていたかのように――その声には、揺るぎない確信があった。
「あの、私はここにいていいのでしょうか」
ミナが不安そうに言う。
「もちろん。あなたが研修で、セラとその村で見てきたものも、しっかりと教えていただきますよ」
そう言って、ロゼッタは棚からマグを4つ、取り出した。




