アリスの試練①
朝の空気は、少しだけ冷たかった。
窓の外には、もやのような白い霧がゆらゆらと漂っていて、部屋の中にもひんやりとした空気が流れ込んでいた。
私はふと目を覚まし、隣の布団に手を伸ばした。
でも、そこにはいつものぬくもりがなかった。
「……セラ?」
上半身を起こして隣を見ると、布団の中に丸まっているセラがいた。
顔がほんのり赤くて、額にはうっすらと汗がにじんでいる。
「セラ……、体調わるいの……?」
私はおそるおそる声をかける。
すると、セラがうっすらと目を開けた。
「……アリス……ごめんね……ちょっと……風邪っぽいだけ、だから……」
弱い声だった。
でも、いつものセラの声。ちゃんと、話してくれたことが、少しだほっとした。
私は手をセラのおでこに乗せて、その熱さに眼を瞬かせる。
「でも……おでこ、あついよ……!」
私はあわてて布団をめくり、台所に駆け込んで水を汲み、布をしぼってセラの額にのせた。
でも、どうすればいいのか、わからない。何度も布を取り替えても、セラの顔色はあまり変わらない。
「……セラ……だいじょうぶ……?」
返事はなかった。セラは目を閉じて、静かに息をしているだけ。
私はセラの手を握ったまま、涙をこらえた。
怖かった。何もできない自分が、怖かった。
でも、思い出した。
――シャロン。
「シャロン……シャロンなら……!」
私はもう一度セラの額に布をのせ直し、勢いよく玄関へと走り出した。
***
冷たい朝の空気の中、私は夢中で道を走っていた。
足元には霧がうっすらと広がり、石畳のすきまから露がにじんでいる。その冷たさがじんじんと沁みたけれど、構っていられなかった。
セラが、苦しそうにしていた。
目を覚ましてくれたけれど、声は弱くて――。
(だめ、ひとりじゃ、どうしていいか……)
小さな村の朝は、まだ人通りもまばらだった。
でも、あの診療所の窓だけは、かすかに灯っていた。
私は戸口まで駆け寄ると、ためらうことなく扉を叩いた。
「シャロンっ……シャロン、あけて……!」
息が切れて、声がうわずってしまう。でも、その叫びはすぐに届いた。
ギシ、と古い扉が開く音。光の中から現れたのは、白衣を羽織ったシャロンだった。
「……アリス?」
寝間着の裾からのぞく足首、乱れた髪。
それでもシャロンの目は鋭く、すぐに私の顔色を見抜く。
「何があった?」
「セラが……ねつ、で……顔、赤くて……ぜんぜん元気なくて……!」
言葉がうまく出てこない。
でも、シャロンはそれだけで十分だったように、すぐに棚の薬箱へと向かった。
「熱だな。どのくらい高かったか、覚えてるか?」
「わ、わかんないけど……さわったら、すごく、あつくて……」
「わかった。すぐ行こう。案内してくれ」
シャロンは眼鏡をきゅっと上げ、鞄を肩にかけた。
私はうなずいて、彼女の袖を掴んだまま、また走り出す。
村の道を二人並んで走るのは初めてだった。
朝霧の中、シャロンの白衣がふわりと揺れる。その姿は、どこか頼もしく見えた。
「アリス、落ち着け。アリスが怪我したら、セラはもっと具合が悪くなるかもしれん」
「……うん」
シャロンの声は冷静だったけれど、歩幅を私に合わせてくれているのがわかった。
それが、なんだかうれしかった。
――家が見えてきた。
私は玄関の扉を押し開け、すぐにセラが寝ている部屋を指さす。
「こっち……!」
「あぁ」
シャロンはまっすぐにセラのもとへ向かい、布団をめくり、額に手を当てる。
「ふむ……なるほど、高いな。だが、呼吸は安定してるな……」
そう言って、シャロンは手早く薬包を取り出し、煎じ薬の準備を始める。
「アリス、お湯を沸かせるか? 小鍋でいい、薬を煮出す」
「うん、やってみる!」
私はすぐに台所へ駆け、火を起こす。少し怖かったけど、シャロンが背中から「大丈夫だ」と言ってくれたのが心強かった。
しばらくして、部屋には薬草のほろ苦い香りが漂い始めた。
湯気の向こうで、シャロンが一言、ぽつりと呟いた。
「……セラのこと、大事に思ってるんだな」
私は、驚いて顔を上げた。
シャロンは薬の湯気を見つめながら、やさしく笑っていた。




