カンナの集落
森へと向かう道は、しだいに木々の密度を増し、空を覆う枝葉の隙間から、斑に光が差し込んでいた。
踏みならされた土の道は、ところどころ雨水で削られ、むき出しの木の根がごつごつと顔を出している。
風が木立を揺らし、さらさらと葉擦れの音が流れる。鳥の声は減り、代わりに耳に届くのは、乾いた枝の折れる音や、小さな獣が藪を駆ける気配。
「……セラ、なんか、ちょっとこわい」
アリスが私の袖をそっと引いた。小さな声には、不安の色がにじんでいる。
「大丈夫。ここは人も通る道だし、もう少し進めば、森が開けてくるから」
私はできるだけやさしい声でそう返し、アリスの手を軽く包む。小さなその手は、少し汗ばんでいて、ぎゅっと握り返してくる力が伝わってきた。
「もうすぐ、目印の分かれ道に出るはずだ。そこを西に折れると、小さな村がある。少し休んでいこう」
シャロンが前を歩きながら、手に持った地図をちらりと確認する。
ほどなくして、苔むした石の道標が見えてきた。案内柱の文字はかすれているが、「←カンナの集落」と読めた。
道標に従い西へ進むと、木々の密度がすこしだけ薄くなり、やがて開けた土地に出た。
視界の奥には、木造の家が五、六軒ほど肩を寄せ合うように建っている。畑と用水路に囲まれたその光景は、まるで時の流れがゆるやかになったかのような、のんびりとした空気をまとっていた。
「……あった。あれが、カンナの村だな」
シャロンが足を止め、視線の先を指差す。
畑のそばで洗濯物を干していた老婦人が、私たちの姿に気づいて顔を上げた。シャロンが歩み寄り、落ち着いた声で話しかける。
「こんにちは。私たちはユスレ村から来た者です。薬師のユルゲン先生を探していて……もしかして、この村に?」
老婦人は一瞬、目を丸くしたが、すぐに柔らかく頷いた。
「ああ、ユスレ村からわざわざ。ユルゲン先生ね、山の途中で体調を崩して倒れててね……いま、うちで休んでるんだよ」
「無事なんですね?」
思わず私が声を上げると、老婦人はふっと笑った。
「ええ、命に別状はないけど、無理はさせられないからね。こっち、おいで」
私たちは老婦人の後ろについて、村の中央にある小さな家へと向かう。
庭先には薬草を干す竹ざおが渡されており、空気にはほんのりとハーブのような匂いが漂っていた。
家に入ると、ひんやりとした空気の中に、乾いた薬草と薬湯の香りが混ざっていた。
部屋の奥の布団には、痩せた男性が静かに横たわっている。
「……ユルゲン先生!」
シャロンが駆け寄ると、男性は薄く目を開けた。細い顔に、疲れをにじませた笑みが浮かぶ。
「やれやれ……シャロンか。まさか、探しに来てくれたのかい」
「ええ、まったく……先生らしいですね。また無茶をして。連絡が途絶えてから、どれだけ心配したことか」
「少し、気が急いてしまってな。森の奥で具合が悪くなって……この村の人に助けられたんだ。まったく、面目ない」
私もアリスも、そっと布団の傍に近づく。
「ユルゲンさん、無事で何よりです……」
「うん……よかったぁ……」
アリスはほっとしたように小さな声を漏らし、ユルゲンはかすかに笑って頷いた。
「おやおや、魔法士さまにお嬢さんまで、ありがとう。本当に……ありがたい……」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「先生、薬草の採取……無理なさらず、場所を教えていただけませんか? 代わりに私たちが」
シャロンの申し出に、ユルゲンは枕元の鞄から折りたたまれた地図を取り出し、指である地点を示した。
「ここだ。わかりにくい場所だが、薬師の間では昔から大切にされてきた場所でな。植物の管理も行き届いているはずだ」
「了解しました。必ず、持ち帰ります」
シャロンは真剣な顔で頷き、地図を慎重にたたむ。
私たちは一礼して立ち上がる。薬師の知恵と記憶が眠る場所へ――再び森へ向かう。