8.夏
学院祭が終わると、アカデミアは通常の練習に戻った。アンナのハープ演奏技術は少しづつ向上していった。アンナは、ハープの練習が楽しくて仕方がない。
一方、マリアは竪笛の習得に限界を感じて、落ち込むようになっていた。頑張っているが、どうしても息が混ざったような音しか出ず、竪笛本来のきれいな音色にならない。楽譜の勉強も苦手だ。竪笛は意外と手入れも大変だ。そもそも、希望していたのはハープで、竪笛じゃない・・・・。
マリアは、学院祭で見た鮮やかで美しい刺繍が、目に焼き付いて忘れられなかった。寄宿舎に戻るたび、同室のシンシアに刺繍過程の様子を頻繁に尋ねるようになった。シンシアは丁寧に説明をする。刺繍は速さでなく丁寧さが重要ということ、細かい刺繍の作品は重要な交易品の一つで、刺繍工房はたくさんあり、刺繍職人の需要は多いらしいこと・・・・など。3人は寄宿舎で、毎夜いろいろ話した。アンナにとっても、刺繍の世界が少し分って面白かった。
そして、マリアは刺繍過程に変わることを決断した。途中での転入でも、同室のシンシアと一緒なのは心強く、マリアは明るさを取り戻した。
小麦の収穫時期、テクネーアカデミアは1週間ほど休みになる。帰省して家業を手伝う人、旅に出る人、街や港で働いて稼ぐ人、アカデミアに残って練習に励む人など、いろいろだ。アンナもマリアもシンシアも帰省することにした。
アンナは、久しぶりの実家でもゆっくりする暇はなかった。小麦の収穫を手伝い、畑を耕し野菜や大豆の植え付けを手伝った。ときどき末っ子のソフィアの遊び相手もした。ソフィアは、相変わらず元気で小生意気だ。他の兄弟はもう少しおとなしいのに・・・と、アンナはため息をつく。それでも、久しぶりに家族みんなで母の手料理を囲み、談笑するのはうれしかった。
また、村の小さな祭がちょうどあり、地元の友人たちと祭りを楽しんだりもした。こうして充実した休暇はあっという間に過ぎた。
アンナは1日早く、アカデミアに戻った。ハープの弦の調子を確認しておこうと、アンナは教室に行った。案の定、教室には誰もいない。ハープの弦の調子を整え、ふと窓の外を見ると、中庭の向こうの男子棟でひとり彫刻をしているテオが見えた。アンナは、その真剣な横顔をずっと見つめた。
休暇が終わり、テクネーアカデミアには活気が戻った。寄宿舎で、マリアとシンシアに久しぶりに会って、3人はいろいろおしゃべりした。マリアは、休暇の間、実家の商店を手伝っていたらしい。シンシアは、まだ小さい弟や妹の世話をしていたそうだ。
アンナが、実家の手伝いで畑仕事をしていたと話すと、
「ああそれで、ちょっと日に焼けてるのね~」と言われた。
アカデミア近くの市場で夏の大セールが始まった。休みの日に、アンナ、マリア、シンシアの3人は市場に出かけた。市場は大勢の人でにぎわっていた。
刺繍過程のマリアとシンシアは、やはり刺繍が気になるらしく、刺繍の入った品を見てはいろいろ教えてくれた。ときどき専門用語が出てアンナには判らなかったが、それでも楽しかった。マリアは途中で刺繍過程に転入したが、どうやら後れは取っていないようである。
刺繍店のおかみさんが「冬ごろ、刺繍工房が新設されるらしいよ」と話してくれた。マリアとシンシアは色めきだった。
2人は、新しい刺繍工房で働くことを夢見て、いろいろ想像した。あまりの妄想ぶりに、アンナは笑った。
その後も、市場の隅から隅まで見て回った。ときどき、同級生や先輩に会った。大きな包みを抱えている上級生を何人か見かけた。何を買ったのか、3人で想像するのも楽しかった。アンナ達3人は、あまりお金を持っていなかったが、美味しそうなお菓子を買って食べ、おそろいの髪飾りを買ったりして、市場を楽しんだ。
一日中、歩き回って疲れたが、寄宿舎に帰ってからも、しばらくは市場の話題で盛り上がったのだった。