#02-02 レポート提出
【地下4階・執務フロア】
普段はにぎやかな食堂の隣。今は異様なまでに静まり返っている。
社員たちは机に向かい、黙々とキーボードを叩いている。
カタカタカタカタ……。
カタカタカタカタ……。
目の下にクマを作りながら、モニターとにらめっこしている若手。
「ゾンビと生存者の関係性について考察……って何書けば……」
「車で逃げた描写に意味はあったのか……」
「リードの名演について最低400字……無理じゃね?」
そんな中、重く閉ざされたスライドドアが音を立てて開いた。
——コツ、コツ、コツ。
鋭くも高いヒールの音が静寂を切り裂くように鳴り響く。
真紅のドレス。その上から、場違いなほどラフな——
いや、見慣れないインパクトを放つ**『Running DEAD』公式Tシャツ**が重ね着されていた。
真紅とモノトーンのTシャツが、あまりにも自然に調和している。
スタイリッシュで冷酷な“悪の女帝”ジョカにしか成立しえない、新たな悪の美学だった。
社員たちが気圧される中、ジョカ様は一言だけ、柔らかく呟いた。
「あぁ、今回も……リードは、いい男だったよ」
その言葉が、まるで“絶対評価”のようにフロア全体に響いた。
一瞬、タイピング音が止まる。
そして、再び——
カタカタカタカタ……
「……いや、もうあのTシャツが正装ってことでいいんじゃないかな……」
「レポートに“女帝の審美眼によりTシャツが昇格”って書いていい?」
「ていうかあのリードって俳優、なんであんなに似合うんだ……」
こうして、レポート提出に追われる社内は静寂と緊張、そして圧倒的“推し”への敬意に包まれていくのだった。
一方、幹部組は——
薄暗い地下2階、幹部専用執務室の一角。
山田はすでにレポートを3枚書き終え、淡々と内容を確認していた。
「……映像演出と社会風刺の対比におけるリードの役割……添付完了」
端末を操作し、PDF化したレポートをメールで送信。
その動きには一切の無駄がなかった。
椅子にもたれながら、エスプレッソを一口。
額にわずかに汗をにじませながらも、完璧な仕事ぶりである。
だが——
その対面。
ノースは、A4の紙に手書きで「ゾンビすげー」とだけでかでかと書いたあと、腕を組んで満足げに唸っていた。
「うん……言いたいことは、もう全部書いた。完璧だな、俺様……」
隣にはさらに2枚の白紙。
そこには「音楽サイコー」「リード、悪くねぇ」といった感想が、幼児のような丸文字で殴り書きされていた。
「……お前、それ子どもの作文ですか」
眼鏡の奥の視線が氷のように冷たい。
「えっ?ダメ?感想って自由じゃん?」
ノースは口をとがらせて、レポートの束を手に持ってひらひらと扇ぎながら、山田の視線から逃げるように椅子を回す。
「読んだ人の心に残ると思うんだよなぁ…… “ゾンビすげー”って」
「心に残るのは、お前の知能の低さだけです」
「ぶぅー、厳しいなぁミゲルは~。でもまぁ、俺様、ほら、勢いで魅せるタイプだし?」
「レポートに勢いは求められてません」
——静かな報告地獄の中でも、幹部オフィスだけは妙に騒がしかった。
流石にこれは提出できないと判断した山田は、深々とため息をついて立ち上がった。
「……もういいです。感想は口頭で結構です。俺が書きます」
パチンと眼鏡を押し上げ、山田は無言でノートPCの前に座る。
指はすでにホームポジションに構えられており、いつでもタイピングOKの状態だ。
「じゃあノース、感じたことをそのまま言いなさい。できれば主語と述語を意識して」
「お、おう?じゃあ、まずさぁ……ゾンビが、こう、ドシャーン!って出てきてな?」
山田の指が止まる。
「えーと、 “ドシャーン”……?」
「で、銃撃ってたヤツがさ、ズバーッ!!ってやられてよぉ!? そっからの逃走劇がまたさぁ、バゴンバゴンでな!」
キーボードの上で、山田の指が力なくたゆたう。
「それは、音ですか?」
「いや、気持ち。雰囲気。世界観のグルーヴっていうか」
「抽象的すぎて書けません」
「じゃあさぁ、最後のあれ、**グワァァァァァアア!!**って叫び、よかったよな? 叫びが魂を震わせるっつーか、脳に響いたっていうか」
「それ“よかった”って言ってますけど、 “何がどう良かったか”がゼロです」
山田はもう諦めた顔で天を仰ぐと、肩を落として言った。
「……ほかに、感想は」
「うーん……あ!音楽な!俺様、音楽けっこう好きなんだよねぇ〜」
ノースが椅子の背にもたれて足を組む。
「こーいう場面であえてロック調の音楽を使ってくるの、結構クるんだよな。疾走感と暴力の親和性っていうかさぁ〜?」
山田の手が、ようやくキーボードを叩き始める。
「…… “音楽の使い方が場面の緊張感と融合しており、特にロック調の導入は効果的であった”……っと」
「おおっ、それそれ、それ書いといて!」
「この仕事、給料に含まれてませんよ」
「愛だろ?」
「違います」
——こうして、今日も山田の“代筆レポート”がひとつ増えたのだった。
何とか、A4用紙ギリギリ一枚に収めた“代筆感想レポート”。
文字サイズや行間を工夫し、誤魔化しながらも情報はきっちり詰め込んだ。
そして提出期限、残り数分。
山田は、ノースの分のレポートを持ち、そっと上階へ向かう。
【地下0階:社長執務室】
扉の奥には、薄暗い照明と深紅のカーペット。
中央にあるソファセット、その一角。
ジョカ様——悪の女帝は、赤いスリットドレスの上にドラマの公式Tシャツを重ねていた。
そのスタイリッシュなシルエットに、ラフなTシャツが重なることで“新しい美の定義”が完成している。
全てのバランスが、女帝の手によって“完成されたスタイル”へと昇華していた。
レポートを手渡すと、ジョカ様はふっと微笑む。
「ふふ……間に合ったようだね。山田、いつもありがとう」
そして、もう一枚のレポートに目を落とす。
ノースの名が書かれているが、中身の文体は、どう見ても山田が書いたものだと一目でわかる。
「ノース……まぁ、今回はこれで見逃してあげるよ」
笑っている。
でも、目は笑っていない。
「次は——自分で書くんだよ?」
ぞくりとするような、低く落ち着いた声音。
さすがのノースも、思わず背筋を伸ばして「りょっ、了解っす……!」と手を挙げた。
山田は横で、静かにため息をひとつ吐いた。
これが、株式会社 悪の組織における“推し活レポート提出任務”の実態である。
提出されたレポートが、総務部のサーバーにアップロードされていく音が静かに響く。
印刷機の唸りも今はなく、コピー機も止まっている。
つい数時間前まで、 “レポート地獄”にうめいていた社内が、ようやく沈黙を取り戻していた。
【地下2階:オフィスフロア】
廊下を歩く社員たちの足音も、どこかほっとしたような軽さがある。
廃棄BOXには、失敗した感想レポートの山——誰かの走り書きで「最高に神回!!」とだけ書かれた紙も混じっていた。
誰の仕業かは聞くまでもない。
「あ〜終わった終わった〜!なあ山田ぁ〜、今からバー行こーぜバー!」
騒がしくソファに寝転びながらポテチをつまんでいたノースが、ようやく復活した。
山田は、片手でキーボードを叩きながらちらりと視線だけ向ける。
ようやく、社内に“悪の組織らしい平穏”が戻ってきたのだった。
【地下0階:社長執務室】
女帝は、ワイングラスを軽く揺らしながら、
大画面に映るゾンビドラマのエンドロールを見届ける。
そして、静かに呟く。
「……あぁ、今回もリードはいい男だったよ」
その声には、かすかに微笑みを含んだ満足と、ほんの少しの名残惜しさが滲んでいた。
世界征服も悪の計画も、ちょっとお休み。
今日だけは、 “推し活”が全てに優先される——
そんな夜だった。