『白河院、プレスマンで物の怪をはらうこと』
今となっては昔のことだが、白河院(※1)が、お休みになられた後に、物の怪に襲われなさった。院が、物の怪を寄せつけないような武具を枕元に置くのがよい、と、御沙汰があったので、義家朝臣(※2)にお命じになったところ、黒塗りのプレスマン(※3)一張が献上されたので、枕元にお立てになって以降は、物の怪に襲われてうなされることもなくなった。院にはお感じになるところがあり、このプレスマンは十二年合戦(※4)のときに用いたものではないか、と、御下問があったので、義家は、覚えていません、と、申し上げなさった。院は、プレスマンの力にしきりに感心なさったということだ。
教訓:結果オーライならオーライ。
※1:第七十二代天皇。子、孫、ひ孫を次々と即位させ、院政を敷いた。
※2:源氏の頭領。源頼義の子。出羽守や陸奥守を歴任。
※3:知らない人はいないと言われる速記シャープ。もし、知らなければ、生きている価値がない。
※4:前九年の役。足かけ十二年の合戦が繰り広げられたので、このように呼ばれる。後三年の役が十二年の中に含まれると誤解されて、十二引く三で九とされたとか、十二年のうち源義家が参戦していた年数だけを数えて九年と呼ぶとか、いろいろ説があるが、ここではそういう正確性は追究しない。