朝のお支度のおわりと及第点
身支度を整えた後は朝食になる。
レイシールド様は朝食と夕食は黎明宮で、昼食は政務室である内廷から出た日常のお仕事を行う暁月宮で召し上がる。
朝食と夕食を作るのは私の役目。
シリウス様やエルマさんには「私は、お料理は森のきのこや畑のお野菜を使ったものぐらいしか作れませんけれど……」と伝えてある。
お二人の話では、レイシールド様は粗食らしい。
昼食は暁月宮で料理人たちがつくった豪華なものを召し上がるけれど、朝は珈琲だけ。
夜はお酒とチーズと、ナッツ類だけ。
珈琲を淹れて、酒を運び、チーズを切ってナッツ類をお皿に盛り付けることができれば大丈夫だと言われた。
レイシールド様は皇帝陛下なのにそんなお食事で大丈夫なのかしら。
もっと召し上がった方が良いのではないかしらと思う。
クリスティス伯爵家にいた動物たちの方がよほどご飯を食べる。
寝室から出て、レイシールド様はリビングルームに向かった。
ダイニングルームもあるのだけれど、お食事というか、朝の珈琲はリビングルームで召し上がる。
黒い革張りのソファに、ランプがいくつか。
あまり物のない部屋だ。
艶やかな光沢のある木製のテーブルの上には、朝のうちに今日のご予定を書いた用紙と、急ぎで確認していただきたい書簡をエルマさんから受け取って、置いておく。
レイシールド様がそれらを確認している間に、珈琲を淹れるのが私の役割りだ。
私はソファに座るレイシールド様にぺこりとお辞儀すると「珈琲を淹れてまいります」と言って、いそいそと調理場へと向かった。
珈琲とお酒とチーズとナッツ類ぐらいしか召し上がらない、齧歯類のような生活をしているレイシールド様の調理場には、あまり物がない。
ワインセラーにはワインやウィスキーなどがたくさん入っている。保存棚にはチーズと、袋の中に入ったナッツ類。
チーズやナッツ類は毎日残量と日数を確認して、新しいものに取り替えたり補充をしたりする。
コンロの中の燃焼石に火を灯してお湯を沸かして、珈琲を煮出す。
浮かびあがってきた珈琲豆の滓を綺麗に掬ってから漉し器で漉しながら、大きな白いカップに珈琲を注いだ。
香ばしくて良い香りがする。
珈琲は贅沢品だから飲んだことがないけれど、手順は薬木の根を煮出してお薬をつくる時と同じ。
「良い香り……薬木のお茶よりも良い香りがするわね……」
当たり前だとは思うけれど。
私は調理場に漂う珈琲の香ばしい香りをめいっぱい吸い込んで、あまりの香りの良さににこにこした。
薬木のお茶は、頭痛に効く。
働き始めてからのお父様は頭痛持ちになってしまって、起きられない日も多かったので、時々お茶を煮出して作っていた。
苦い、まずい、と評判だったけれど、効き目は結構あるのだ。
何よりも、薬木メディツリーは、伯爵家のほど近くにある森の中で取れるのがいい。
私は珈琲をレイシールド様の元へ運んだ。
長い足を組んで書簡に目を通しているレイシールド様の前のテーブルに置いて、ささっと離れる。
エルマさんの教えでは、侍女というのはすぐに主人に呼ばれて動くことができるように、退室しろと言われるまでは部屋の隅に、主人とつかず離れずの位置に立っているものだという。
クリスティス家にも昔は使用人の方々がいたけれど、その方々がどのように働いていたかなんて、あんまり覚えていない。
幼い頃のことは、それほどはっきり覚えているわけではない。
覚えているのは、いつもにこにこしているお母様と、お母様が亡くなって不安で泣きじゃくるオリーブちゃんと、赤ちゃんのローズマリーちゃんのことぐらいだ。
それからも借金取りの方がきたりとか、使用人の方々がいなくなったりとか。
赤ちゃんのローズマリーちゃんと幼いオリーブちゃんのお世話だったりとか。
ともかく目まぐるしく日々は過ぎていって、今となってはあんまり思い出せないことばかりだ。
私は部屋の隅で背筋を伸ばして、トレイを持って立った。
「ティディス」
「は、はい……!」
私の淹れた珈琲を飲んでいるレイシールド様が急に話しかけてきたので、私はびくりと震えたあとにトレイを落としそうになって、慌てて落ちそうになったトレイを抱きしめた。
どうしよう。挙動不審すぎてお叱りを受けるかもしれない。
レイシールド様はなんの予兆もなく急に話しかけてくるわね。
突然首がグルンと動いてこちらを向く、宵闇フクロウみたいだ。
「も、申し訳ありません……」
「謝る必要はない。珈琲は、お前が淹れたのか」
「は、はい、何か変でしたでしょうか……」
「いや」
その「いや」は、否定なのかしら、肯定なのかしら……。
なんとも言えない沈黙が部屋を支配する。
レイシールド様は一体なんの用事だったのかしら。「いや」と言ったきり黙り込んで、眺めていた書簡を丸めた。
「すべて目を通して、確認をした。シリウスに後で届けておけ」
「はい……!」
「ではな、ティディス。夜も頼む」
そういうと、レイシールド様は黎明宮を出て行かれた。
私は黎明宮の入り口で、暁月宮にお仕事に行かれるレイシールド様のお見送りをした。
姿が完全に見えなくなると、私は両手を握りしめて軽く跳ねた。
夜も頼むと、言われたわ……!
色々失敗してしまったような気がするけれど、朝のお支度は及第点だったらしい。
よかった。
「オリーブちゃん、ローズマリーちゃん、お姉ちゃん頑張るわね……!」
私は空に向かって拳を振り上げた。
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