番外編:あと一歩、夜を越えて
初夜にリュコスちゃんたちが乱入してくるという珍事を経て、私とレイシールド様は清く正しく美しい関係を続けている。
どのぐらい清く正しいかといえば──。
「ティディス、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
私たちは今日も就寝前の穏やかな挨拶を交わして、寝台で目を閉じる。
静かな夜だ。レイシールド様の元に来たのは春の日だった。あれから数か月、季節は夏を迎えようとしている。
開いた窓からは涼しい風がふきこんでいる。虫の声が遠くに響く。
黎明宮で働いてくれている侍女たちは、夜になると日の出寮に戻る。この広い宮城には、今はレイシールド様と私、そして別の部屋にオリーブちゃんとローズマリーちゃん、妹たちを守るように一緒に寝てくれているリュコスちゃんたちしかいない。
レイシールド様の侍女になったときの静けさを、黎明宮は夜になると取り戻す。
その代わり昼間はとっても賑やかだ。マリエルさんやラーチェさん、他の侍女の皆さんも一緒にいてくれる。
私はレイシールド様の奥さんになって、レイシールド様は私が好き。
こうして一緒に寝台で横になっていると、それをまざまざと感じてしまい、どうにも恥ずかしくなる。
私が緊張してしまい恥ずかしがるせいで、レイシールド様は私に遠慮をしてなにもしない。
毎日おやすみなさいの挨拶をして、手をつなぐ。もしくはレイシールド様に抱き枕のように抱きしめられて朝までぐっすり眠ってしまう。
これでは奥さんではなく、抱き枕だ。私は抱き枕と自分の立場を名乗ったほうがいいのかもしれない。
なんて思いながら、私を引き寄せて目を閉じているレイシールド様の整った顔をちらりと見る。
眠ってしまったからしらと思ってじっと眺めていると、伏せられていた瞼がぱちりとあいた。
思いっきり目が合ってしまい、私はにこにこと微笑んだ。
他にどんな表情をすればいいのかわからなかったし、眠ってしまったのだと思っていたレイシールド様が起きていたのが嬉しかった。
レイシールド様は俄かに目を見開くと、困惑したように眉を寄せる。
些細な表情の変化が、一緒にいる時間が長いせいかわかるようになってきている。
シュミット様やシャハル様、そしてラーチェさんからすると『長年見ているけれど、表情は変わらない』という。
そんなこともないと思うのだけれど、レイシールド様の喜怒哀楽は私にしかわからない──と、皆が言う。
普段から魔生物たちのお世話をして、機嫌のよしあしを表情や仕草から読み取ってきたからわかるのだろうと、シリウス様などは私について評価していた。
それって、レイシールド様を大型の動物と言っていることにならないかしらと思いながら、私が「そんなことはないです」と言うと、声が小さいと溜息をつかれた。
以前よりも声が出るようになったとリュコスちゃんに褒められたのに。
それは以前よりも気合が入っている時は声がでているだけで、普段の私の声は鈴虫が鳴くほどに小さいらしい。鈴虫の声は結構大きいと思うの。
「ティディス、何か話があるのか?」
「はなし、ですか?」
鈴虫の鳴き声に想いを馳せていた私は、レイシールド様に尋ねられてぱちぱちと瞬きをする。
それから、そういえば無言でにこにこしながら見つめ続けてしまっていたことに気づいて、慌てて口を開いた。
「あ、あの、今日は、お庭に朝顔と紫陽花を植えました」
「そうか」
「それから、胡瓜とトマト、ナスも」
「多いな」
「夏は野菜がよくとれます。リュコスちゃんはお野菜が嫌いなので、まずいものばかり植えていると怒っていましたけれど、シスちゃんはお野菜しか食べないので、ありがとうございます、てぃでぃすさま、と喜んでいました。オリーブちゃんとローズマリーちゃんは何でも食べますが、実はナスが嫌いなのです。ふにゃふにゃしているといって」
これではいつもの今日のできごとの報告と同じ。
私は抱き枕のままでいるのはよくない気がして、レイシールド様に話しかけたのに。
でも、レイシールド様が私の話を静かに聞いてくれるので、つい饒舌になってしまう。
私が饒舌になる相手はレイシールド様だけなので、やっぱり私にとってすごく特別な人だと思う。
「そうか。嫌いなものを食べて、偉いな」
「レイ様」
「どうした?」
「好きです」
「それはよか……ティディス」
好きだと思ったので、好きだと伝えた。私のとりとめのない話を聞いて、妹たちを褒めてくれるレイシールド様の優しさが、私は好き。
私とは比べ物にならないぐらいに高貴な方で、辛い思いも苦しい思いもたくさんしてきたのに。
妹たちが嫌いなお野菜を文句を言わずに頑張って食べているという、ただそれだけのことを褒めてくださる彼の素朴さが、私は大好きだ。
レイシールド様に触れると、私の気持ちは伝わってしまう。人の心を読む力をレイシールド様は使わないけれど、距離が近づくほどに力をおさえることは難しくなってしまうらしい。
私は伝わっていいと思っているし、伝わってほしいとも思う。
ただ、大切なことは自分の口に出したい。言葉にして、自分の口から伝えたい。
恥ずかしさはあるけれど、それ以上にこうして伝えられるのは、すごく幸せなことだ。
レイシールド様は優しく頷こうとして、一瞬沈黙したあと私の名前を呼んだ。
「はい」
「……今の言葉は、その」
「レイ様が好きだと言いました」
「……あ、あぁ。ありがとう」
言葉少なく狼狽えているレイシールド様が珍しく、私は白い頬がわずかに染まっているのを驚きながら見つめる。
「私、よくないことを言いましたか?」
「いや。……突然だったので、驚いた」
「いつも好きだと思っています。でも、今すごく、好きだと思いました」
「……君は、真っすぐでとても素直だ。いつも君には、驚かされてばかりいる」
「わ、私、レイ様を驚かせていますか? 何かご迷惑を」
「迷惑ではない」
レイシールド様は姿勢を変えて、私の上に覆いかぶさる。
大きな体が私の上にあって、まるでティグルちゃんにじゃれつかれているみたいだ。
月明りが照らす暗い部屋で、レイシールド様の髪が月明りに照らされて白く輝いて見えた。
何かを促すようにじっと見据えられて、私は緊張に体を硬くする。
胸が痛いぐらいに高鳴る。抱き枕のままではいられないと思っていたはずで、自分からレイシールド様に話しかけたはずなのに、どうしても──恥ずかしい。
唇が重なる感触に、私は眉を寄せる。冷血と呼ばれて皆から恐れられているレイシールド様が与えてくれるものは、どこまでも優しい。
柔らかい感触のあと、口づけはさらに深くなる。私に呼吸の間を与えるように時々離れては、深く重なる。それは優しいだけではない。情熱的なものだ。
私はレイシールド様の寝衣を握り締めて、その感覚を受け入れる。
ぱたりと私の手が寝台に落ちるころ、何度も重ねられた唇が離れていった。
はあはあと息をしながらぼんやりしている私の唇を、無骨な指が撫でる。
「ティディス、愛している」
真摯な言葉に、私は小さく頷く。
それから、両手で自分の顔を隠した。恥ずかしさが限界を迎えて、とても顔を見せられない。
レイシールド様は私の髪を撫でて、もう一度「おやすみ、ティディス」と、優しく囁いた。
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https://www.ichijinsha.co.jp/iris/title/gakepputireizyo-reiketukotei/




