終章:血吸いの茨の防護壁
国境の草原には涼しい風が吹いている。
透き通るような青空と、ざわめく森。どこまでも続くような青々とした草原は平和そのものに見える。
けれど、少し前まではフレズレンの軍が攻めてきて、この場所は軍の駐屯地になっていた。
たくさんの軍幕が敷かれて、兵や馬たちがたくさんいて――たくさんの血が流れた。
過去には、レイシールド様がご両親たちと共にフレズレンの兵から命からがら逃げてきた場所だ。
私とレイシールド様、それからシュミット様やシャハル様、マリエルさんやラーチェさん。
クラウヴィオ様率いる騎士団の方々や、お父様と妹たち。
王宮の学者の方々。
そしてリュコスちゃんたち。
たくさんの人たちが、草原に並んでいる。
クリスティス伯爵家から王宮の研究室に移された血吸いの茨を植えるためだ。
地植えにすると力強く広がっていく血吸いの茨で国境を閉じてしまえば、木製の馬防柵が並んでいる今よりずっと、防御が硬くなる。
国境付近に住む人々も、安心して暮らすことができるようになる。
私たちが見守る中、兵士の方々によって土が掘られて、血吸いの茨――黒い茎と葉を持った、春には美しい赤い花を咲かせる薔薇が植えられる。
『てぃでぃすさま』
私のそばにいたシスちゃんが、私の名前を呼んだ。
その体をそっと撫でると、シスちゃんは茨の前へとすすんでいって、美しい白い翼をばさりと広げた。
翼が白く輝き、茨がぐんぐんとのびはじめる。
『わたしは、まりょくをあたえることができる』
茨はシスちゃんの魔力を受けて、国境を閉じるように――ぐんぐんと伸びて、大きく広がった。
『すべては、てぃでぃすさまのために』
「ありがとう、シスちゃん!」
ひらりと私の元へと戻ってくるシスちゃんを、私は撫でる。
シスちゃんは嬉しそうに、私の体に額をすりつけてくれた。
『当然じゃ。我は全ての魔生物を従える王。かつては我の父がそうであった。そして――我の下僕であるティディスに、我は祝福を与えた。お前は我らに愛される存在。だが、皆、お前の優しさが心地よく、お前のそばにいることを選んでいるのじゃな』
リュコスちゃんの声が、朗々と響く。
それは――皆の耳にも届いたらしく、そこここで溜息のような感嘆の声があがった。
マリエルさんが優しく微笑み、ラーチェさんが瞳をきらきらさせながら私を見つめている。
レイシールド様が皆の前で、私の手を優しく取った。
「ティディス」
「はい」
風にふかれる銀の髪が、冷たい湖のような瞳が、私よりもずっと大きな体や大きな手が――好きだなと思う。
レイシールド様はとても優しい人だ。
そして、立派な皇帝陛下。
でも、実は少し無理をしていて――オークション会場で見た『冷血皇帝』の姿も、皆の前の『立派な皇帝陛下』の姿も、そうあるべきだと考えて、つくりあげているもの、みたいだ。
黎明宮に帰ってきて、私と二人きりになると――『疲れた』と、一言言って、私を抱きしめてベッドでぐっすり眠っていた。
立派で繊細で、とても可愛らしい方だと思う。
たくさん、お世話になった。
レイシールド様がいらっしゃらければ、私も、私の家族も無事ではなかっただろう。
だから、私は――。
いいえ、違う。
それだけじゃない。
私はレイシールド様と一緒に居ると、安心できる。無理をせず、自然体でいることができる。
どきどきするし緊張することもあるけれど――ずっと一緒にいさせていただきたいという気持ちは、本当だ。
「……本当は、君にはじめて会った日から、言おうと考えていた」
「最初の日から?」
「あぁ。……君が俺に、微笑んでくれた時から」
それは――最初の日の朝。
レイシールド様を怒らせてしまったと思った私は、レイシールド様が怒らずに許してくださったことが嬉しくて、お仕事を続けられることが嬉しくて、笑顔を浮かべてしまったのだったわね。
「君の気持ちが知りたいと、幾度も心を見ようかと思った。……しかし、それはしていない。だから、俺には正直、自信がない」
「自信……ですか」
「俺と、結婚して欲しい」
私は目を見開いた。
侍女として、これからも俺を支えて欲しい――。
そう、言われるものだとばかり思っていた。
私も、そうしたい。侍女として、レイシールド様のお傍に居たい。
けれど――。
「私でよければ……!」
――嬉しい。
私は、レイシールド様が好き。
大好き。
その気持ちをめいっぱい込めて、私はレイシールド様に抱きついた。
大きく広がる茨が、美しい赤い薔薇を一斉に咲かせる。花弁が風に舞って、頬につるりと触れる。
祝福の拍手が茨の草原に響き渡る。
オリーブちゃんやローズマリーちゃんに抱っこされているペロネちゃんやシュゼットちゃんが、嬉しそうに手や羽をぱたぱたさせている。
リュコスちゃんとティグルちゃんが、空を見上げて遠吠えをあげる。
シスちゃんが翼を広げると、青空に虹の橋がかかった。
レイシールド様は私の手をそっと引いて、私を抱きしめる。
体に触れられると、気持ちが伝わりやすくなるのだろうか。
力を制御していても、零れた声が聞こえることがあると、いつか言っていた。
あなたが、好き。
大好き。
ぎゅっと抱きついて、そう、心で、体で、たくさん伝える。
――レイシールド様の腕に力が籠ったので、きっと伝わったのだろう。
私とレイシールド様の婚姻が決まり、黎明宮は少し変わった。
マリエルさんとラーチェさんが、是非皇妃様のお世話をしたいと言って、黎明宮付きの侍女になることになった。
シュミット様は多分マリエルさんのことが好きなんじゃないかなと私は思っているけれど、マリエルさんは罪人の娘だと言って、遠慮をしているようだった。
ラーチェさんは、シリウス様を追いかけるのをやめて「今はティディスさんが一番素敵です」と、私に熱い視線を向けてくれている。
シャハル様はあきれ果てた様子で、けれど楽しそうにラーチェさんに構っていた。
お父様はその知識と審美眼を買われて、学者として王宮に雇われている。
妹たちは、学園に入学できる年齢になるまで、侍女手伝いとして私の傍で暮らしている。
リュコスちゃんたちも内廷でのんびり暮らしていて――私も、皇妃になったけれど、結構いつも通りだった。
「レイシールド様! もうすぐかぼちゃの花が咲きますよ。かぼちゃが実ったら、スープにしましょう」
「あぁ、楽しみにしている」
「きっと美味しいですよ」
「……君よりも?」
「レイ、様……」
畑には、かぼちゃの蔓と大きな葉が広がっていて、花がぽつぽつと咲き始めている。
庭仕事をする私を眺めるのが最近のレイシールド様の趣味らしい。
花が咲いた報告をする私を背後から抱きしめて、レイシールド様は私にそっと口づけた。
私は眩暈のするような甘さに身を任せながら、目を閉じる。
――かぼちゃの実が実るころ、新しい命がうまれるかもしれない。
そんな予感を感じながら。
お付き合いくださりありがとうございました!
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評価、ブクマありがとうございます。いつもとても感謝しています!
無事に結婚して、これから始まり、という感じですが。
気が向いたらまた続きを書こうかなと思います。その時はよろしくお願いします!




