目覚めとお出かけ
びっくりするほど、ぐっすり眠ってしまった。
目覚めたときに今が何時なのか、ここがどこなのか混乱してしまうぐらいに。
うっすらと開いた瞳が焦点を結んで、ぼんやりとしていた視界がはっきりした時に、レイシールド様の胸板が視界いっぱいに広がって私は驚いて目を見開いた。
「あ、……わ……」
小さく声をあげてしまい、私はきゅっと唇を結んだ。
昨日私はレイシールド様に眠って頂くために、ここにきたのだったわね。
それなのに、ベッドのふかふかさと、レイシールド様の体温のあたたかさに負けて、先に眠ってしまったのだった。
抱きしめられたところまでは覚えている。今も、同じ姿勢で、私はレイシールド様の腕の中にいる。
規則正しく上下している胸や、心音や、体温が心地いい。
深く目を閉じてゆっくりとした呼吸を繰り返しているレイシールド様は、眠っているように見えた。
閉じた瞼からのびる睫毛が、頬に影を落としている。
正しい位置に目や口や、鼻が置かれているような、品のある整った顔立ちをしている。
苦しそうな顔は、していない。穏やかな寝顔だ。
私――何もできなかったけれど、でも、眠ることができてよかった。
カーテンの外はもう明るい。
目覚めたから、一度寮に戻って身支度を整えて、いつもの仕事に戻ろう。
ベッドから抜け出すためにそろりと起き上がろうとすると、レイシールド様の腕が私を離さないとでもいうように、思いのほか強い力で私を抱きしめた。
首筋に、ぐりぐりと顔が押し付けられる。
大きい獣に甘えられているみたいだ。
「もう少し」
「……起こしてしまいましたか? ごめんなさい」
「いや」
「私……レイシールド様が眠りにつくまでお傍にと、思っていたのに、先に寝てしまって……」
「……ずいぶん、久々に眠った。お前が傍にいてくれたら、俺は眠ることができるようだ」
「私、何もしていませんけれど」
「あたたかいな、ティディス。それに、柔らかく、頼りない」
「……は、はい」
密やかな声で、体の傍で囁かれると、なんだか落ち着かない気持ちになる。
知らず頬が上気してしまう。背中に触れられる大きくて無骨な手や、筋肉質な体は、私とはまるで違う。
レイシールド様はただ眠るために私を抱きしめているのだと思うのに、妙に意識してしまいそうになる。
「ティディス。……眠るお前を抱きしめながら、お前のことを考えていた」
「私のことを……?」
どくりと、胸の鼓動が高鳴った。
私のことを――。
「あぁ。お前の家の借金の残額は、いくらなんだ?」
「えっ」
借金のことを考えてくださっていたのね……!
確かに、眠る前に借金のお話をしたものね。すごく心配してくださったのね、きっと。
とても申し訳ない。
しゅんとする私の髪を、レイシールド様が優しく撫でる。
「言い辛いことだろうが、大切な話だ。分かるか?」
「え、ええと……それが、その、……元々は、三百万ギルスだったそうなのですが、利息というものが増えてしまって、今はいくらなのかわからないのです。月々に返済できる金額が三十万ギルスで手一杯で、借金取りの方もそれでいいと言ってくれたのですけれど」
ただし支払いができないと、家探しして金目のものを持っていくのだ。
そんなにないけれど、金目のもの。
「悪質だな」
「でも、元々はお金を借りたのが悪いので」
「まずは、その問題を解決する必要があるのだろうな」
「だ、大丈夫です……今は、お給金を前払いしていただいているので、返済できていますので……」
「ティディス。そういった者たちは、質が悪い。まともに返済をしたとしても、相手が死ぬまで搾り取ろうとしてくるものだ。……もっと早く、お前の立場を理解することができていればよかった。すまなかったな」
「レイシールド様……私、十分よくしていただいています。私の家の事情で、ご迷惑をかけられません」
レイシールド様は何かを考えるように、じっと私を見つめた。
昨日も同じように、私を見ていたけれど、結局何も言わなかったのよね。
私は戸惑いながら、その視線を見返した。
つい話をしてしまったけれど、借金のことなど我が家の恥でしかないし、話すべきではなかったかもしれない。
心配をかけてしまうだけだもの。
「……ごめんなさい。お話をできるのが、嬉しくて。誰かに詳しく、私のことを話したり、いままでしたことがなかったものですから。嬉しくて……レイシールド様の傍にいると安心して、つい、余計なことを話してしまうみたいです」
「余計なことではない」
「私はただの侍女ですから、私の家のことなど、余計なことです」
「ティディス。お前のことは俺が守る。それは、お前の家族を守ることと同義だ」
――どうしてなのかしら。
どうして、そこまで私によくしてくださるのだろう。
真剣な声や、瞳には嘘はなくて、本当にそう思っていてくださるのがわかる。
なんだか――無性に、泣きたくなってしまった。
レイシールド様は私をもう一度ぎゅっと抱きしめた。
だから多分、潤んだ瞳は見られなくてすんだ。
レイシールド様はシリウス様とシュミット様に、しばらく王宮を留守にすることを伝えた。
それからクリスティス伯爵家に行く許可を得てきてくださった。
私は寮に帰ると、身支度を整えた。出かける準備をするようにと言われたからだ。
「ティディスさん!」
「ティディス!」
まだ眠そうにしているリュコスちゃんたちを連れて寮に戻り、着替えを済ませて髪を結って部屋を出る。
寮のエントランスに降りると、ラーチェさんとマリエルさんが駆け寄ってきた。
「昨日、夜もご不在で、心配しましたのよ……!」
「ティディス、どうしたの? 何かあったの?」
「それはお出かけの準備ですわね……! ティディスさん、まさか……」
ラーチェさんがわなわなと青ざめて震えている。
「レイシールド様に昨夜無理やり襲われましたの!? 許せませんわ……! 無口でつまらない男だとばかり思っていたら、その裏の顔は獣でしたのね!? だからティディスさんは、準備をしてここを出て行くのですわね……傷つけられたばかりに……!」
「ち、ちが……」
「許せないわ……! 陛下、よい方だと見直したばかりなのに、ティディス、可哀想……怖かったわね、可哀想に……」
ラーチェさんが怒りに震え、マリエルさんが涙目で抱きしめてくれる。
凄く勘違いをされている。でも二人とも優しい。
私が不在だったことに気づいて、心配してくれていたのね。ありがたいことだ。
「私、シャハル様にいいつけます。ティディスさんを、シャハル様の侍女にしていただきますわ。私が守ってさしあげます。シャハル様、腹黒そうですけれど、いいところもありますのよ」
「シュミット様にも相談してみるわね。ティディスが傷つけられたのだとしたら、それは許せないことだもの」
「ち、ちがいます……あの、違うのです」
「違うの?」
「違う?」
怒涛の勢いで私を心配してくれる二人になんとか事情を説明すると、二人とも顔を見合わせた。
「つまり……レイシールド様は、ティディスさんのためにクリスティス伯爵家に里帰りを……?」
「結婚を申し込むということね」
「それも違います……」
「違くありませんわ。男女が同じベッドで抱き合いながら同衾したら、それはもう既成事実ですのよ」
「陛下、情熱的なのね……」
「おめでとうございます、ティディスさん。レイシールド様は無口で不愛想でつまらない男ですけれど、よくよく見たら美形ですもの。祝福いたしますわ」
「ティディスがいいのなら、私はいいと思うわ」
事情を説明したのだけれど、今度はまた違う誤解がうまれてしまった。
困り果てている私を、二人は「気を付けていってきて」と言って、送り出してくれる。
リュコスちゃんがペロネちゃんとシュゼットちゃんを背中に乗せて、私の隣を『女はやかましい』などと悪口を言いながらついてくる。
私が寮を出ると――そこにはそれはもうおおきな、白狼が鎮座していた。
女のやかましさについて不機嫌そうにしていたリュコスちゃんが『父上!』と、尻尾をぱたぱたと振った。
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