ティディス・クリスティスは皇帝陛下の寝かしつけ係
お食事とお片付けを終えた私は(レイシールド様が食器の片付けまで手伝ってくださったのでそれはもう恐縮した)レイシールド様と一緒に、寝室へ向かった。
たくさんお世話になって、たくさんよくして頂いているレイシールド様のお役に立てそうなのが嬉しい。
レイシールド様は私を傍に置いてくださって、建物とご本人を氷漬けにしても怒らない心の広い方で、裏庭に畑を作る許可もしてくださって、妹たちにチョコレートを贈ってくださったし、お食事を一緒に食べたり、早く仕事をあがらせてくださったり、ともかく、お世話になったことをあげれば枚挙に暇がないほどだ。
そんなレイシールド様が困っているのなら、私は助けたい。
眠れないというのは辛いものね。
私も、お金がなさ過ぎて明日のご飯はどうしようと悩んでしまった夜なんかは、あんまり眠れなくて辛かったもの。
私にくっついて眠るオリーブちゃんとローズマリーちゃんには癒やされたものだわ。
そのうち、ペロネちゃんやリュコスちゃんやティグルちゃんもくっついて眠るようになって、私が不安がっている場合ではないわね、家族は私が守る……!
という感じに、頭の中が切り替わっていったのだけれど。
レイシールド様のお部屋の壁には、相変わらず鹿の頭がどどんとはえている。
「レイシールド様のお部屋、鹿の首がはえていますね」
「あぁ」
「最初はびっくりしましたけれど、鹿は私も食べますし、美味しそうな立派な鹿だと思います」
『そうじゃな、鹿肉はいい』
リュコスちゃんがぱたぱた尻尾を振りながら言った。
ペロネちゃんはリュコスちゃんの背中の上で眠そうにしている。シュゼットちゃんは半分寝ている。
「そうか」
「レイシールド様は狩りも得意なのですか?」
「そうだな。……だが、別に俺の趣味で、飾ってあるわけではない」
「そうなのですか?」
自分の趣味ではないのに飾られている鹿の頭には、どんな意味があるのかしら。
「……これは、シャハルが、突然持ってきた。恐ろしい皇帝を演出するには、鹿の頭ぐらい必要だろうと言って」
「まぁ……ふふ……」
「今の話は、愉快だったのだろうか」
「はい。レイシールド様は、シュミット様にもシャハル様にも、大切にされているのだなと思って」
弟殿下たちは、レイシールド様に協力的で、きっと心配もしているのだろう。
だから、シュミット様は私にレイシールド様のことを話してくれたのだろうし。
「そうだな。……あの二人は、俺が白狼の力を得ても、変わらない」
「昔から、仲のよいご兄弟だったのですか?」
「仲が悪い、ということはなかった」
レイシールド様の返事は曖昧だったけれど、きっと弟殿下たちはレイシールド様に頼っていたのだろう。
今だってこんなに優しい方なのだから、昔からとても優しかったのだろうし。
リビングルームを通り過ぎて、寝室に入る。
私はレイシールド様を期待に満ちた瞳で見上げた。
「レイシールド様、横になってください。今、シュゼットちゃんの力で眠らせて差し上げますね」
「……もう、寝るのか?」
「まだ何かご用事がありますか?」
「酒を、飲もうかと」
「寝室で飲むのですか?」
「あぁ。……いや、今日は辞めよう」
「あっ、ごめんなさい。寝室で飲まれるのなら、お酒を持ってきますね……!」
ベッドサイドに座ったレイシールド様が、私の手を握った。
「いい。ここに、いて欲しい」
どこか懇願するような響きを帯びた声音に、私は立ち止まる。
私には――レイシールド様に何があったのか、全て分かるわけではないけれど。
眠れないぐらいに深い傷を、心に受けたのだろう。
だって、レイシールド様は優しい方だ。
そんな優しい方が、優しい少年が、幼い頃に、敵兵に襲われて多くの死を見たのだから、どんなに苦しかっただろうと思う。
それを、察してくれる大人はいなかったのだろうか。
少なくとも、レイシールド様のお父様やお母様は、そうではなかったみたいだ。
「一緒にいます。今日は、レイシールド様がお休みになるまで、一緒に」
「それでは、足りない」
「え?」
「ティディス。……お前は、シュゼットの力で俺を眠らせるつもりだろう」
「はい。シュゼットちゃんには、人を眠らせる力があるのですよ。シュゼットちゃんにかかれば、どんなに怒っている人でもぐっすり……私もぐっすり、朝までぐっすりしすぎて、オリーブちゃんとローズマリーちゃんに、お姉様が死んじゃったと泣きじゃくられたのもいい思い出です」
あのときは可愛かったわね。
興味半分でシュゼットちゃんの力を使って貰って寝かせて貰ったら、昼過ぎまでそれはもうすやすや寝てしまった。
「あ……私、その、……すごく、自分のことばかりお話してしまって……レイシールド様は、いつも私の言葉を待っていてくださるので、つい、たくさんお話ししてしまいます」
「それは、駄目なことか?」
「私……本当は、お話しするのは嫌いじゃなくて、すごく楽しいです。でも、ご迷惑ではないでしょうか」
「お前の声を、もっと聞きたい」
「……ありがとうございます」
真っ直ぐに瞳を見つめられて、密やかな声でそんな風に言われると、なんだか照れてしまう。
私は頬を染めた。
私の側でなりゆきを見守っていたリュコスちゃんたちが、寝室の入り口にあるふかふかの絨毯の上で丸くなった。
「……俺は、期待していいのだろうか」
「レイシールド様?」
「ティディス。……頼みを、聞いてくれるか」
「は、はい! もちろんです……!」
「できれば、シュゼットの力ではなく、眠りたい。お前に、隣にいてほしい」
私は目をぱちくりさせた。
一体何を言われたのかよくわからなくて。
戸惑う私の前で、レイシールド様は大きくてふかふかのベッドに横になった。
それから、自分の隣を軽く示す。
「嫌なら、このまま帰ってくれて構わない。……だが、もし……お前が、いいのなら、共に眠りたい」
「そ、それはその、ええと、その……レイシールド様は皇帝陛下で、私は侍女ですので、よくないような気がします……」
「お前は、シリウスから聞いているだろう。ここに送り込まれる侍女は、俺の嫁候補であると。だから、別に問題は無い」
「……そ、そうですけど、私はその、貧乏ですし……」
「俺が嫌いか?」
嫌いなわけがない。
こんなによくしていただいているのだから、嫌いなわけがない。
レイシールド様は私の理想の旦那様で、末永くお仕えさせていただきたいと思っているもの。
でもそれは、あくまでも主と侍女の関係で、お嫁さんになるなんて考えたこともなくて。
でも、好きか嫌いかと問われたらそれはもちろん──。
「好きです、けれど……」
「何もしない。お前の声を、傍で聞きたい。髪を撫でて欲しい。朝まで、傍に」
「……寝てしまうかも、しれません、私」
「構わない」
「……本当に、いいのでしょうか」
「あぁ。ティディス。……お前が傍にいてくれたら、俺は悪夢を見ないですむ、気がする」
あぁ──そうなのね。
レイシールド様は、悪夢を見るから、眠れないのだ。
敵兵に追いかけられた悪夢を、それを打ち倒した時の悪夢を、きっと、見ているのだろう。
私はそろそろと、ベッドにあがった。
レイシールド様の隣に座る。
「こ、高級ベッド……高級すぎて、目眩が……」
「気に入ったか?」
「そ、それはもう、緊張で体が固まるぐらいに……」
レイシールド様は、ベッドのクッションにゆったりと体を埋めている。
私とレイシールド様、二人で寝転がってもまだ広さのある、大きなベッドだ。天蓋もついている。
まるで、本物の貴族とか、お姫様になった気分だ。
「……それでは、ええと、レイシールド様。何かお話をしましょうか。何の話がいいですか?」
「そうだな……お前が、幼い頃の話がいい」
「あまり面白い話はありませんけれど……」
「お前の話なら、なんでもいい」
私は恐る恐る、レイシールド様の髪を撫でた。
気持ちよさそうに瞳を閉じるのが、人慣れしない動物がはじめて懐いてくれたみたいでなんだか嬉しかった。
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