シュミット様のお話
シュミット様直々にここまでいらっしゃるなんて、いったい何の用事かしらと私は首を傾げた。
普段シュミット様は、レイシールド様のお仕事の補佐をしている。それなので、日中は内廷ではなくて暁月宮にいらっしゃる。
今はまだ昼過ぎなので、お仕事の時間だと思うのだけれど。
レイシールド様にご用事があるのなら、ここではなくて暁月宮に行ったほうがいいと思うし。
「ティディス。話がある」
「話ですか……」
私はかぼちゃの種を植え終えたシャベルをバケツに戻しながら答えた。
土のついた手を「ちょっと待っていてくださいね」と不敬を承知で洗ってから、ぱたぱたと戻ってくる。
土まみれの手でシュミット様とお話をするのはよくないと思ったのだけれど、お待たせするのもよくなかったわよね。
どちらが正しいのかわからなかったけれど、シュミット様は待たされたことに関しては、特に怒った様子もなかった。
「本当は私一人で話に来てもよかったのだが、突然私が来たら君は怯えるだろうし、兄上にも悪いと思ってな。だから、マリエルも一緒に来てもらった。マリエルはティディスと親しいと聞いた」
「お友達です」
「お、お友達です……!」
マリエルさんがあっさりお友達と言ってくれたので、私も勢いよく答えた。
お友達、嬉しい。お友達。こんな山から降りてきたばかりのイノシシみたいな私にも、お友達ができた。嬉しい。
「裏庭のかぼちゃ畑の前でお話しするのもなんだから、お庭のガゼボに移動しましょうか。黎明宮はティディスの他には誰もいないし、内緒話に適しているもの」
「内緒の話があるのですか……」
マリエルさんが片目を瞑って、口元に指を当てて言うので、私は少しドキドキした。
内緒話。何かしら。
たくさんの植物がはえていて、割と手付かずになっている裏庭のガゼボの椅子に、私たちは座った。
お茶を用意しようとしたけれど、シュミット様に断られたので、おもてなしもできなくて、申し訳ない気持ちになる。
その上内緒話なんて──私は落ち着かない気持ちで、膝の上で丸まっているペロネちゃんを撫でた。
リュコスちゃんは番犬のようにガゼボの前に座っている。
「ティディス。兄上の話だ」
シュミット様はそう切り出した。
「兄上のこと、偽りの噂を流していたことを先に謝っておきたい」
「いえ、大丈夫です。そんなに困ったことはなかったので……」
噂を聞いていようと聞いていまいと、私は人間が苦手──って、思っていたので。
でも今は、そうでもない。だって、内廷の方々は優しいもの。レイシールド様も、マリエルさんも、ラーチェさんも。
私が知っている人たちといえば、借金取りの方々や、我が家のお金を盗んで逃げた使用人の方々ぐらいだった。
お父様も、働き始めてからずっと辛そうにしていたし。家族以外の人たちは怖いって、どこかで思い込んでいた。
「兄上は──人の心が読めるだろう。しかしそれを知っているのは、私やシャハル。今は亡き父や母ぐらいだった。兄上はそれを誰にも言わなかったんだ。今までずっと。ティディス以外には」
「ど、どうして私に、教えてくれたのでしょうか……」
「それはもちろん」
「マリエル、それは私たちの口から言うべきことではない」
「そっか、それもそうですね」
シュミット様に咎めるように言われて、マリエルさんは口を両手で押さえて黙った。
「おそらく君が、善良だったからだろう。……今までの侍女たち、それから使用人たちも皆、兄上を恐れていた。兄上が恐れられているのは今に始まったことではないのだ」
「レイシールド様は優しいのに……」
敬うことはあれど、恐れる必要はないのではないかしら。
「君に伝えるべきかどうか、悩んだ。しかし、兄上は自分では話さないだろう。もともと寡黙な方だし、弱みを見せるような人でもない。だから、私から君に伝えるべきだと考えた」
「はい……」
「君は、学園にも通うことなく、ずっとクリスティス伯爵家で暮らしていたのだったな」
「は、はい……お金がなかったので……」
「そうか。伯爵の爵位を持つものは少なくない。そのため、私たちもすべて管理しているというわけではく、クリスティス伯爵家がどのような状況にあるのか知らなかった。すまなかったな」
「いえ、その、自業自得ですので」
それはシュミット様に謝ってもらうことではないもの。
私の家が貧乏なのは、私たちのせいだ。お父様も悪いといえば悪いけれど、でも、責められないわよね。
だって、お父様が助けなければ、ペロネちゃんもリュコスちゃんも、シュゼットちゃんもきっと死んでいたもの。
「だから、だろう。君は皇家のことや、兄上の噂について詳しく知らなかったのだな」
「ええ、まぁ、それはそうです」
レイシールド様の詳しい噂を聞いたのは、内廷に来てからだ。
その前は、ただ漠然と怖い方、ということぐらいしか知らなかった。
「ティディス、兄上が恐れられていたのには理由がある。兄上は……あれは、兄上が十歳の頃だっただろうか。父と母と兄上と三人で、隣国のフレズレンとの会談に出かけた。そのころは、フレズレンとは敵対をしていなかった」
「はい。それは、お父様から聞いたことがあります」
「会談の場は、フレズレン側の国境の街だった。そこで──フレズレンの兵たちが、父と母、兄上を殺そうとしたのだ。もともとそのための会談だったのだろう。我が国の兵たちは奇襲を受けて、多くの者たちが倒れた」
「そうなのですね……」
詳しいことまでは知らないけれど、フレズレンが我が国に刃を向けた、戦争が起こるかもしれないと、お父様は言っていた。
お父様は、戦争が嫌いらしい。もちろん私も好きじゃない。それがどんなものなのか、体験して知っているというわけではないけれど。
レイシールド様はとても、怖い思いをしたのね。まだ十歳だもの。
「残された兵は両親と兄を、己を盾にして守りながら、国境越えを目指した。フレズレンの兵たちに、追われながら。追撃はしつこく、わずかばかりの兵も次々と凶刃に散っていったそうだ。そして、兄上と両親はフレズレンの兵たちに追い詰められた」
「……怖かったでしょうね、すごく」
「そうだな。泣き言一つ言わなかったが、きっと怖かっただろうと思う。刃が両親と兄に向けられ──殺される寸前に、見上げるほどに大きな、それこそ山のように巨大な白狼が現れたそうだ」
「白狼?」
『我ではないぞ』
リュコスちゃんではないらしい。リュコスちゃんは大きいけれど、そこまで巨大なわけじゃない。
でも、リュコスちゃんはレイシールド様のことを懐かしいと言っていた。
どういうことなのかしら。
「白狼はどうやら──寿命を迎えていたらしい。自分は死ぬだろうと兄上に言い、どうせ死ぬのだから、最後にお前を助けてやろうと言ったそうだ」
「白狼が……」
「あぁ。兄上は、白狼の血を受けた。白狼の力を手に入れた兄上は、フレズレンの兵たちを打ち倒した。たった一人で。……それはもう、鬼神のような強さだったそうだよ。私は見ていないが、生きながらえた両親が、そう言っていた」
「助かってよかったです。レイシールド様を助けてくれた白狼には、感謝をしないと」
「ティディスは、そう思うのだな。……しかし残念ながら、王宮の者たちも両親も、そうは思わなかったんだ。たった十歳で百以上の兵を倒した兄上の、血に染まった姿を見た両親は、兄上が魔性のものになってしまったと怯えた。表面上は、その感情を出さなかったが──よくないことに、兄上には白狼の力が譲渡されてしまった。兄上は、人の心が読めるようになっていたんだ」
「……つまり、レイシールド様は、白狼の力を受けてご両親を助けたのに、ご両親が自分に怯えていることが、わかってしまったのですね」
それはとても、悲しいことだ。
十歳なんて、まだ子供だ。レイシールド様も必死だっただろう。
それなのに──命からがら安全な王宮に戻ったら、皆が心の中ではレイシールド様に怯えているのだから。
傷つくわよね。すごく。
「あぁ。兄上はそれ以来、あまり人を寄せ付けなくなった。フレズレンとの戦に身を投じたのも、そんなことがあったからだ。兄上は……本当に強い。一人で、百の兵にも匹敵するほどに。それは、人ではない力を持っているからだ」
『父上じゃ』
リュコスちゃんがぽつりと言った。
一体何のことかしらと思ったけれど、今はリュコスちゃんと話している時間はないので、私は何も聞かなかった。
「兄上は……昔の兄上は、とても優しい人だった。何を言われても怒るようなこともなく、いつも落ち着いていて、心の広い方だった。誰に対しても、穏やかで優しかったんだ。だから、兄上が人を寄せ付けないようになってしまったのが、とても歯がゆかった」
「レイシールド様は、今も穏やかで優しい方です」
「そう思ってくれてありがとう、ティディス。エルマから聞いた。ティディスの持つ魔生物には人を眠らせる力があるのだろう。兄上は、あの時からまともに眠ることができていない。……今日は、それを伝えにきた」
「レイシールド様、眠れないのですか?」
「あぁ。眠ったふりはしているようだがな。フレズレンとの戦の最中、同行していたクラヴィオから報告を受けている。陛下は寝ない。寝ないというか、眠れないのかもしれない、とな」
「それなら、私が……」
「ティディス。あくまで私は君に、兄上の話を伝えにきただけだ。私は君に何も頼まない。君がどうしようと君の自由だ。何かを無理強いするつもりはない」
「……ありがとうございます、シュミット様」
やっぱり、ここにいる方々は、優しいわね。
立ち上がるシュミット様に従って、マリエルさんも私に大きく手を振りながら、黎明宮から去っていった。
リュコスちゃんは二人の姿が見えなくなるまでの間ずっと、落ち着かないように、ゆらゆらと体を揺らしたり、足元の土を掘り返したりしていた。
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