シュミット様の来訪
お世話係のお仕事は、つつがなく順調すぎるほどに順調である。
何がそんなに順調かといえば、レイシールド様が「自分のことは自分でなんでもできる」と白状した翌日から、私が朝お勤めに向かうと、すでに朝の身支度が終わっているようになった。
それなので、私のすることは珈琲を淹れることとお洗濯とベッドメイキングぐらいになってしまった。
私が珈琲を淹れている間、レイシールド様は昨日持ち帰ってきたらしい急ぎの書簡の残りを確認している。
その間ペロネちゃんはレイシールド様が座っているふかふかのソファに座っていて、リュコスちゃんはお部屋にあるふかふかのラグの上に寝そべっていて、シュゼットちゃんはリュコスちゃんの上で寝ている。
実家のようなくつろぎっぷりを披露しているせいで、私は恥ずかしい。
レイシールド様の黎明宮を実家扱いしている動物たちの姿に「本当にごめんなさい」と思いながら、私は珈琲を淹れて運ぶ。レイシールド様と、自分の分を。
なぜ私の分まであるのかといえば、レイシールド様に「ただ見ていられるのは落ち着かない。お前も何か飲むように」と言われてしまったからだ。
そして、レイシールド様の指示によって、黎明宮の調理場に珈琲豆だけではなくて紅茶の茶葉からジュースの瓶から、リュコスちゃんたちの干し肉やら、クッキーやらチョコレートやら何やらと、さまざまな物が用意された。
レイシールド様は朝は基本的に珈琲しか召し上がらないので、果物やらクッキーやら何かしらの食べ物は、全て私のためのものらしい。
朝から優雅に紅茶や珈琲を飲んで、朝ごはんも食べてきた後なのにお菓子も食べるとかすごく駄目だと思う。
お茶菓子は丁重にお断りして、私はカフェオレを淹れて飲むことにした。
珈琲も贅沢品だし、ミルクも贅沢品なのに。
もう、罪悪感しかない。
それでも主人の命令なので断るわけにもいかないし。
レイシールド様が珈琲を飲んでいる間は私の休憩時間なので、私もソファの対面に座ってカフェオレを飲んでまったりした。
なんていい仕事なのだろうと思いながら。
そしてレイシールド様は私が言葉を発しなくても、会話ができてしまうのでそれはもう楽だ。
あまり口数の多くないレイシールド様と、あんまり喋らない私とでは沈黙が続くのだけれど、苦痛ではなかったし、私がラーチェさんやマリエルさんについて考えていると、「ラーチェやマリエルと仲良くなったのか」とぽつりと言われたりする。
「ラーチェは従兄妹だが、あまり話したことがない」
とか。
そういえばラーチェさんはレイシールド様のことをつまらない男と言っていたな、などと思い出すと。
「年齢が離れているし、俺は率先してあの子には関わっていないからな。シャハルが、いつも面倒を見ている。世話を焼くのが好きなのだろう」
なんてことを教えてくれたりする。
言葉を話さずに生活したいなと常日頃考えていた私にとって、レイシールド様のお側にいるとそれはもう優雅で怠惰な生活を送ることができてしまうので、レイシールド様は人をダメにする皇帝陛下なのかもしれない。
お洗濯とお掃除は私の仕事だけれど、あんまり時間がかからない。
そうすると必然的に、暇な時間が増える。
レイシールド様から空き時間は散歩をしたり、庭の花を好きなようにしたり、好きな花などを植えていいという許可を頂いたので、シリウス様に必要なものリストを作って届けたりしている。
内廷の侍女は買い物に行けないので、シリウス様に必要なものをお願いして物を手に入れる。
これは国費で買うべきものかどうかをシリウス様が判断するので、妙なものは買えないのだけれど、お庭のお花とか掃除用具、新しいエプロンとか、茶葉とか珈琲とか。そういったものなら特に問題なく購入してもらえる。
それ以外にも、週に二回ほど商人の方が内廷に訪れるので、そこでは自分の物、例えば髪飾りとかお化粧道具とかを買うことができる。
私は髪飾りやお化粧道具を買ったことはない。
そもそもお金がない。
約束通りシリウス様が先払いしてくれた一ヶ月分のお給金は、そっくりそのままオリーブちゃんとローズマリーちゃんの元へ送った。
二人ともしっかり者だから、きっと上手にお金を使ってくれるだろう。
内廷の侍女のお給金は破格なので、一ヶ月分の借金取りの方々に支払う分を差っ引いても、生活できる程度は残るはずだ。
そんなある日。
私が裏庭でお洗濯を終えて、裏庭のいい感じの土を掘って内廷から届けられたかぼちゃの種を植えていると、いつものように「ティディス!」という可憐な声が響いた。
私の元へ私の名前を呼びながら駆け寄ってくるのは、ラーチェさんとマリエルさんぐらいだ。
他にも知り合いの方々は増えたけれど、黎明宮の敷地内まで入り込んでくるのはその二人しかいない。
レイシールド様の噂はまだ尾鰭を引いていて、いまだにレイシールド様が怖いと思っている侍女も多いのよね。
それなので、一日で泣きながらやめていかなかった私は「ティディスさんは強い」「レイシールド様の心を溶かした女性」「メンタル最強」などと、他の侍女の方々から尊敬の眼差しでみられたりしていた。
別にそういうわけではないし、レイシールド様と少し打ち解けられたのは、ペロネちゃんがレイシールド様を氷漬けにしたりとか、いろんなことがあったからなのだけれど、説明するのが大変なのでしていない。
レイシールド様がペロネちゃんに氷漬けにされたとかみんなに知られるのも、よくない気がするし。
「ティディス! 何してるの、ティディス!」
朗らかに高らかに弾むような声で言いながら駆け寄ってきたマリエルさんが、駆け寄ってきた勢いで私にぎゅっと抱きついた。
私はそのままの勢いで、裏庭のふかふかの草むらの上に倒れ込む。
畑に倒れ込まなくてよかった。泥だらけになるところだった。
「ティディス、今日も柔らかいわね」
「マリエルさんの方が柔らかめです……」
私の上にマリエルさんが乗っている。豊満な胸がむにゅっと潰れている。
柔らかい。お友達の胸に思いを馳せる女にならないように気をつけなければいけない。
レイシールド様が帰ってくるまでに、豊満な胸の記憶は消しておかないと。
「ティディス、大丈夫? マリエル、ティディスを押し潰すのはやめた方がいい」
低く落ち着いた声が響いて、私は慌てて起きあがろうとしたけれど、マリエルさんが乗っているので起き上がれなかった。
私たちの元に遅れて辿り着いたのは、レイシールド様によく似た銀の髪に、同じくやや鋭い瞳をしているけれど、口元に柔和な笑みを浮かべている男性──シュミット様だった。
マリエル様のご主人様で、白夜宮にお住まいになっている第二皇子である。
シュミット様はマリエルさんに手を差し伸べて立たせると、私にも手を差し伸べようとしてくれた。
私はその前に自分で起き上がると、ささっと乱れた服を直した。裏庭で蝶々を追いかけて遊んでいたリュコスちゃんとペロネちゃんが私の元へと戻ってくる。シュゼットちゃんは木の枝にとまって眠っている。
シュミット様。シュゼットちゃん。名前が似ている。
「ティディス、今日も楽しそうなことをしているわね。これは何?」
「かぼちゃです」
「兄上の宮殿の裏庭でカボチャを栽培しているのか、ティディス」
「ご、ごめんなさい、レイシールド様がいいっていうものですから……!」
シュミット様に咎められて私は慌てた。
先日、裏庭の空いたスペースを眺めながら(いい土ね、お野菜を育てたいわね)とぼんやり考えていたら、突然背後に現れたレイシールド様が「構わん」と一言言って去って行ったのである。
そんなわけで私は、喜び勇んでお野菜の種を取り寄せたというわけだ。
そして植えていた。でもやっぱりまずかったかしら。
「兄上がいいというのだから別に問題はないが、兄上の侍女でそんなことをする女は見たことがなかったから、驚いた。咎めているわけじゃないんだ、すまない」
「あ、謝る必要は……」
「シュミット様、ティディスをいじめないでくださいな」
「虐めているように見えるか?」
「見えますよ。シュミット様は偉いんですから、偉い人から怒られたらみんな怖いって思います」
「そうか。悪いな」
マリエルさんに叱られて、シュミット様は頷いた。
私は『なんじゃこの男は。レイシールドよりは弱いが、それなりに強いぞ。食い殺すか?』というリュコスちゃんの頭を、警戒しなくても大丈夫だという気持ちを込めて撫でた。
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