貧乏の理由
クリスティス伯爵家──私の家がなぜ貧乏なのかと言えば、それは全てお父様に責任がある。
私のお父様は端的に言えば学者肌の好事家である。
働くことは苦手で、人付き合いも苦手。
お祖父様の残した資産を全て食い潰したろくでなしだ。
ろくでなしといっても、浮気をしたとかお酒を沢山飲むとか派手好きとか、そんなことはない。
なんというか、収集癖があるのだ。
いわゆるコレクターというやつ。
お父様のご趣味は多岐に渡る。
他国の美術品から、自国の骨董品。古書に、古文書。珍しい動物。珍しい植物。
動物や植物を集めれば飼育費用がかかるし、人手もいる。でも、我が家にはお金がない。
お父様は集めるだけ集めて世話をしないので、動物飼育や植物飼育は私のお仕事の一つだった。
コレクションに我が家の生活費の全てを注ぎこむような有様だった。
けれど美術品も骨董品も、集めるだけ集めてあとは無関心。
お父様のそういった癖は、私には不思議なのだけれど、収集家というものは、そんなものかもしれない。
クリスティス伯爵家の書庫には沢山の本が集められていて、私はお仕事がないときはいつもそこで本を読んで、私の元にやってくる妹たちに読み聞かせていた。
お父様の趣味は集めることにのみ注がれていたので、お父様はやっぱり別に読書家というわけではなかった。
本の装丁が美しいから、文字が綺麗だから、金の装飾が良い──ともかく珍しく価値がある。
などなどの理由で集めては、書棚をいっぱいにしていた。
そんなわけで、私が生まれた頃にはクリスティス伯爵家には物は沢山あるけれどお金がない、という状態だった。
お母様は、いつも夢を見ているようなふわふわした方で、「旦那様がいいのなら、いいのではないかしら」と、いつもにこにこしていた。
お金がないことについてはあんまり気にしていないようだった。
「贅沢をしなければいいのよ、ティディス。食事が食べられるのだから、不自由はないでしょう」
そんなことをいつも言っていて、末の妹を産んで亡くなるまで、クリスティス伯爵家の財政状況について一度も心配したことがなかったのではないかしらと思う。
オリーブの実が実る頃に、一番目の妹のオリーブちゃんが生まれた。
ローズマリーの葉が生い茂る頃に、一番下の妹、ローズマリーちゃんが生まれた。
二人の妹が生まれてお母様が亡くなるまでは、私もそこまで不自由を感じていたというわけではなかった。
いつも家の中やお庭で過ごしていたし、ご飯も食べることができた。
使用人の方も何人かいたし、我が家が貧乏である──なんて、あんまり気にしていなかったように思う。
ただ、不幸というのは重なるもので。
お母様が亡くなってしばらくして、お給金の未払いに腹を立てた使用人の方々が、クリスティス家に保管されていた明らかに価値のある美術品やら骨董品を持って出奔した。
お給金を未払いにしていたお父様が全て悪いのだけれど、まぁ、泥棒である。
さらに悪いことに、実はその美術品を担保にしてお父様は借金をしていたらしい。
金貸しの方々が次から次へとやってきて、我が家から価値のあるものを根こそぎ持って行って──それでも、とても支払いきれないぐらいの借金が残っていた。
お父様はここでいよいよまずいと思ったらしく、散財をやめて働き始めた。
けれど、遅かったのだ。クリスティス伯爵家の金庫はからになっていたし、借金もある。
小さな村だけれど、一応は我が家には領地があった。
お父様は領地経営のお仕事は全て家令に任せていたらしく、元々人付き合いが苦手で働くことも苦手なせいで、頑張ってもうまくいかなかった。
生活はいっこうに楽にならなくて、クリスティス伯爵家に残されていたのは借金と疲れ果てたお父様。
それからお腹をすかせた妹たちと、珍しい植物たちと動物たちだけ。
植物や動物を捨てることはできないし、放っておくわけにもいかないし。
私は貴族学園にも通うことができないまま、使用人のいなくなってしまった家で妹たちと動物と植物とそれからお父様の面倒を見続けた。
そうしていたらいつの間にか、十八歳。
お城勤めができる年齢になっていたというわけである。
貴族学園にも通えず社交界にも顔を出せなかった貧乏な伯爵家の私を娶ってくれる、心優しい男性なんていない。
女性のできる実入のよいお仕事は、とても口に出せないものばかりだ。
借金取りの方からは、年頃になれば仕事を斡旋してやるとずっと言われていた。
妹たちは将来を不安に思い泣きながら「お姉様、もう死ぬしかないです」と言い始める始末。
私が家族を守るしかないと──なけなしのお金をかき集めて皇都に赴き、宮廷侍女の試験を受けた。
宮廷侍女──特に、皇族の方々のお世話をすることができる侍女になる資格は、貴族の爵位があることが第一条件だ。
私の家は没落寸前の貧乏ではあるけれど、一応爵位はある。
そんなわけで侍女試験を受けた私。
気合いだけは十分だったし、筆記試験はなんとかできた。
昔から娯楽といえば本を読むことと動物や植物のお世話ぐらいだったので、学園には通うことができていなかったけれど、文字を書いたり読んだりするのは得意だった。
幼い頃はまだ使用人の方々もお母様もいたので、貴族としての最低限のマナーは教えられていたし。
筆記試験を突破してほっとしたところで、面接となった。
内廷の侍女は性格も重視されるらしい。
性格が悪く問題を起こしては、とても皇族の方々のお世話係など務まらないからだろう。
そこで私は──思い切り、失敗をした。
私はお父様と同じで、人付き合いがあまり得意ではなかった。
というか、家族以外と関わることが少なかったし、家族ではない人々といえば、我が家を出奔した使用人の方々や借金取りの方々といったそれはもう信用できない人々しかいなかったのだ。
人間は、少し怖い。
そして、それはもう酷く、緊張していた。
右を見ても左を見ても、きらびやかな方々ばかり。
私は完全に臆してしまっていた。
面接官のシリウス様も、上等な衣服を着て、髪も爪さえも美しく整えられているようだった。
とても田舎から出てきた貧乏人の私がいていい場所ではないと思った途端に、足の震えが止まらなくなった。
家族を守らなくてはいけないのに、情けないことだけれど。
頑張らなくてははいけないと思うほどに、緊張は余計に強くなっていくようだった。
結局、シリウス様に何を尋ねられても、虫の鳴くような小さな声でしか返事ができなかった。
シリウス様は呆れ果てて「残念だが、それではとても、侍女として働くことはできないな。筆記試験の成績がよかったただけに、期待をしていたが」と、ため息をついた。
私は真っ青になった。
だって「お姉ちゃん、駄目だった」と言って家に戻れば、妹たちが「お姉様、やはり死ぬしかありません」「お姉様、一緒に死にましょう」と、泣きじゃくるに違いない。
お金を稼ぐ方法はある。娼館で働けばいいのだ。
けれど私が娼館に行けば、妹たちはきっととても気にして、本当に死のうとするかもしれない。
――私以外に、誰が家族を守れるというのだろう。
だから──私は、恥も外聞も投げ捨てて、その場でシリウス様に泣きついた。
「なんでもします、なんでもしますから、どんなことでもしますから、どうか働かせてください……!」
と言って。
私は必死だった。緊張なんてしている場合じゃなかった。
私にはもう、後がないのだ。
シリウス様は少し考えて「なんでもすると言ったな」と、私に確認をした。
「それでは君には、レイシールド皇帝陛下の世話係になって貰おうか」
そう、言われた。
だから私は──今、皇帝陛下の寝室で、皇帝陛下に抜き身の剣を突きつけられている、というわけである。
「お前は誰だ」
寝室に入った私は皇帝陛下に剣を突きつけられて、背中をピッタリ壁に貼り付けている。
背中を冷や汗が伝い、足から力が抜けそうになってしまう。
天蓋のある立派なベッドから一瞬のうちに飛び降りてきた皇帝陛下は、私の首すれすれに剣の切っ先を突きつけて、冷たいアイスブルーの鋭い瞳で私を睨みつけている。
前髪のやや長い青銀色の髪は硬そうに見える。どことなく、氷柱を連想させる。
見上げるほどに背が高くて、体格が良い。
黒い寝衣から覗く胸板はとても立派だ。首も腕も太いし、指も太くてゴツゴツしている。
雄々しいけれど、品のある佇まいの方である。
やはり血筋が良いというのは、それだけで纏う雰囲気が違うのだろう。
──なんて、感心している場合じゃなかった。
「は、はじめまして……! 私、ティディス・クリスティスと申します。皇帝陛下のお世話係として、今日から働くことになりました」
私は一生懸命そう口にした。
一生懸命口にしたつもりだけれど、緊張と恐怖から、頑張っても頑張っても大きな声が出なかった。
あぁ、私。
頑張ろうって思ったのに、また失敗してしまった。
駄目かもしれない。追い出されるかもしれない。
シリウス様からせっかくいただいた、お仕事なのに。
「世話係か。それなら入室するときにもう少し大きな声を出せ。俺の寝首をかこうとする侵入者かと思った。許せ」
皇帝陛下は、スッと剣を下ろしてくれた。
(許してくださった……?)
剣を向けたわりに、そんなに怒っている雰囲気も感じない。
私は嬉しくなってしまい、両手を胸の前で握りしめてにこにこした。
皇帝陛下は私から興味を失ったようにベッドサイドに座った。
私はお辞儀をすると、慌ててお仕事用のカートをひいて、皇帝陛下の元に向かった。
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