氷柱ハリネズミのペロネちゃん、白狼のリュコスちゃん
私はペロネちゃんを抱き上げて、その小さな顔を覗き込んだ。
氷柱ハリネズミのペロネちゃんは、いつもひんやりしている。このひんやりした体をだきしめると、夏の暑さが凌げてとてもいい。
「ペロネちゃん、お部屋にいたはずなのに、どうやって抜け出してきたのかしら」
「きゅぷ!」
「鍵を自分であけたの? 駄目じゃない、ペロネちゃん。魔法の力を使ったら、魔生物だと知られてしまうもの」
私は「め!」と、ペロネちゃんを叱った。
ペロネちゃんは特に悪びれもせずに、「ぷぷ」と、鳴いた。
何を隠そう私は、クリスティス家からうちの子たちを数匹持ってきている。
全員置いてきたら、オリーブちゃんとローズマリーちゃんだけではお世話が大変だろうと思ったからだ。
ただでさえ私がいなくなって家事が増えるのに、魔生物たちのお世話までは手が回らないだろう。
水色大虎のティグルちゃんや、天馬のシスちゃんは頭がよくて手がかからないので置いてきたけれど、他の子たちは甘えん坊だし、私がいないということを聞かなくなってしまう。
そんなわけで日の出寮の私の部屋にこっそり連れてきて、私が帰るまでお部屋から出てはいけないと言いつけてきた。
動物を飼ってはいけないとは言われていないもの。
ただ、怒られるかもしれないとか、取り上げられるかもしれないと思ったら少し心配で、誰にも言ってはいないけれど。
午前中のお勤めをつつがなく終わらせたら、日の出寮に戻って皆にご飯をあげるつもりだった。
でも、ペロネちゃんがここにいるということは──。
「リュコスちゃん!」
誰もいないと思っていた場所に、唐突に景色が歪むようにして白狼のリュコスちゃんが現れた。
白い艶かな毛並みの金の瞳の狼である。普通の狼よりは二回りぐらい大きい。背中に乗れるぐらいには大きい。
白狼のリュコスちゃんは、透明になることができる。透明になることもできるし、壁をすり抜けることもできる。
これはリュコスちゃんが力を施したものにも同様の効果があって、ペロネちゃんはリュコスちゃんと一緒に壁をすり抜けて私の元まで来たのだろう。
てっきりペロネちゃんが鍵をカチカチに凍らせて破壊してきたのかと思ったけれど、リュコスちゃんが一緒ならお部屋は無事みたいだ。
損害賠償責任が発生する事案かと思ってしまった。お給料天引きで。
よかった。お部屋が無事でよかった。
『おい、ティディス』
リュコスちゃんの声が頭に響く。
そう、リュコスちゃんは喋ることができるのである。とても頭がいいのだ。
ティグルちゃんも賢いけれど、ティグルちゃんは「がう」とか「がうがう」とかしか言えない。
といっても、リュコスちゃんもティグルちゃんと同じで、我が家に来た頃は私の命を狙っていた。
お話をできることを隠していたし、ご飯をあげる私の手をぱっくりいこうとしていたし、透明化の力で檻から抜け出して、不意に私の前に現れて私を追いかけたりもした。
でも賢いから、オリーブちゃんとローズマリーちゃんには手出ししなかったわね。
その点いいこだ。
「リュコスちゃん、お部屋に居なくては駄目じゃない。私がリュコスちゃんを連れ込んでいることが知られてしまったら、大問題になってしまうかもしれないのよ……?」
『我を間男のように言うな』
「間狼」
リュコスちゃんは間男ではなく間狼だ。
といっても、私に夫はいないので、間には入っていない。リュコスちゃんは狼なので私の恋愛対象でもない。
「きゅぷぷ」
リュコスちゃんが、ペロネちゃんを抱いた私に近づいてくる。
ペロネちゃんは短い手足をじたばたさせた。
『ここがお主の自由を奪っている王宮とやらか』
「リュコスちゃん、何度も説明したじゃないですか。自由を奪われたわけではなくてですね、私はお仕事に来ているのです。お金を貰うために」
『お主は、ここに閉じ込められているのであろう、ティディス』
「違います。お金を貰いに来たのです。リュコスちゃんはそういって言うことをきかないから、仕方なく連れてきてあげたんですよ。大人しくお部屋にいてください」
『我がいつでもお主を食い殺せることを、ゆめゆめ忘れるでない』
「物騒……」
リュコスちゃんは賢過ぎて性格に難がある。
ティグルちゃんはもっと素直だ。大きくて力持ちで強いけれど、もっと素直。
リュコスちゃんもティグルちゃんを見習って「うおん」「わおん」とかしか言わなくなればいいと思う。
『我はお主を救いに来てやったのだぞ、ティディス』
「救う必要ないですから。お給金を貰うために働いているのですよ、私は」
『お主はそう言って、借金取りとやらにもこめつきバッタのように頭をさげおって、情けない。気に入らない者は食い殺せばいいのだ』
「そういう生き方をしているから、危険生物扱いされて捕まっちゃったんじゃないですか、リュコスちゃんは」
ティグルちゃんは、毛皮をはぎ取るために闇オークションで売られていたところをお父様が買った。
リュコスちゃんは皇都近隣の森にふらりと現れて荷馬車を襲ったり人間を襲ったりしていたので、騎士団の方々に討伐されかけたのだ。
でも珍しい魔生物だからと、殺されずに捕まった。
捕まったリュコスちゃんは自力で牢を抜け出したらしいのだけれど、そこを魔生物狩りを生業としているハンターに捕らえられて、魔封じの檻に入れられた。
そして闇オークションへ。お父様が購入する、といういつものやつだ。
リュコスちゃんの過去については、リュコスちゃんと仲良くなった時に本人の口から教えて貰ったのである。
『我は人間など襲っておらん。我の縄張りに勝手に入ってくる荷馬車を襲って、運ばれていた食料を食ったがな。あれは我への貢ぎ物だと思ったからだ。人間は食わない。食い殺せばいいとは思うが、実際食ったりはしない。我の姿を見た愚鈍な人間たちは、悲鳴を上げてにげおった。それだけだ』
「怖いですもん、リュコスちゃん。でも、なんでまた、荷馬車の中身を、リュコスちゃんへの貢ぎ物だと思うんですか」
『我は尊い存在故な』
リュコスちゃんはいつも謎の自信に満ち溢れている。私も見習いたい。
『おい、ティディス。お主を我らは助けに来てやったのだ。ここが牢獄なのだな。ペロネ、やれ』
「えっ」
「きゅぷ!」
やるって、なにをするつもりなのかしら……!
リュコスちゃんに命令されて、ペロネちゃんは手足をじたばたさせた。
ペロネちゃんの氷柱みたいな水色のとげとげが、きらきらと輝き始める。
肌を突き刺すほどの冷気が私が掃除し終えたばかりの、一階の玄関から続く広い広いエントランスホールに充満した。
ビュオオオオっと吹きすさぶ風が、一気に床や階段や窓を凍らせていく。
それはもう、かちんこちんに。
「だ、だめ、ペロネちゃんだめ、凍らせたら駄目……!」
ペロネちゃんの力を目の当たりにしたのははじめてだ。
ペロネちゃんは甘えん坊だけれどいいこなので、私のいうことをきいてくれていた。
魔生物が家にいることが知られてしまったら、もしかしたら魔生物ハンターの方々が我が家を襲いにくるかもしれないと思って、力があることを隠して貰っていたのだ。
因みに闇オークションでは仮面を被るし、購入者の素性は皆に知られないようになっている。
だからお父様が魔生物を買いあさっていることは誰も知らない。多分。
「あわわわ……っ」
人間、どうしようもない状況に陥ると、本当に「あわわ」って言うのね。
もう、あわわ、としか言えない。
私は真っ青になって震えた。黎明宮のエントランスホールが、氷漬けになっている。
氷呪符を使用した氷魔法陣冷凍庫の中ぐらい氷漬けになっている。もうこうなれば、エントランスホールではない。巨大冷凍庫である。
「な、なんとかしなきゃ、レイシールド様がお帰りになる前に、なんとかしなきゃ……」
『なんともする必要はない。氷漬けにしたのだから、今からこの壁を、割るのだ』
「割らないで! そ、損害賠償が、一生働いても償えない額になってしまう……!」
お金がないから働きにきた先で借金を増やすなんてあってはならないことだ。
私はリュコスちゃんの胴体をぎゅっと抱きしめた。リュコスちゃんはやるとなればやる男である。狼だし、男か女か聞いたことがないのでよくわからないけれど。
声だけきくと、話し方は古めかしいのに若干の少女感があるので、実は女の子なのかもしれない。
「……解呪法」
低く、よくとおる声が聞こえた。
その声と共に、氷漬けだったエントランスがあっという間に元の状態に戻った。
私は床にぺたんと座り込んで、リュコスちゃんとついでにペロネちゃんを抱きしめながら、声のする方を絶望的な表情で見上げた。
見なくても分かる。どうしてだかわからないけれど、まだ午前中だというのに、そこには先程中天宮で会ったばかりの、レイシールド様の姿があった。
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