余計な物がない暮らしは掃除が楽
中天宮から黎明宮に戻った私は、広い広い黎明宮のお掃除をすませることにした。
まずは入り口までの長い長い石畳のアプローチを箒ではいて、落ち葉やらいつの間にか入り込んできている砂粒やらを綺麗にしていく。
広大なお庭の手入れはしなくていいと言われている。
手入れされたお庭も綺麗だと思うけれど、植えた草木や花が自由にのびのびしているお庭も元気があっていいとは思う。
けれど、あまりにもごちゃっとしているので、少し手を入れてあげたいような気もしている。
レイシールド様はあまりそのあたり、神経質ではないのかもしれないわね。
質素だし、侍女は一人だけ。
皇帝陛下というのはもっと優美で豪華絢爛な暮らしを送っているイメージがあったけれど、そうでもなさそう。
レイシールド様がどんな方なのかまだよく分からないけれど、噂のような恐ろしい方ではなさそう。
少し安心したからだろうか、クリスティス伯爵家に残してきた妹たちが心配になってくる。
今まで、離れたことなんて一度もなかったのだもの。
身の安全は――ティグルちゃんに任せてきたから、大丈夫だと思うけれど。
「ティグルちゃん、もし借金取りの方々が来て、ローズマリーちゃんとオリーブちゃんに悪いことをしようとしたら、食べてもいいわ。いえ、実際に食べたら大変なことになるから、食べるぞ! みたいなふりをしてね」
「がう」
水色の獣毛が美しい、私よりも二回りぐらい大きな体をしているティグルちゃんは、オリーブとローズマリーは俺が守る! みたいな雰囲気を出しながら、返事をしてくれた。
昔はよく私をじいいいっと見て「食べたい」みたいな雰囲気を醸し出したり、実際食べようとして追い回したりしたものだけれど、今ではよく懐いてくれていい子だ。
魔生物は人間と同じぐらいに賢いと言われている。私たちの言葉も理解してくれているみたいだ。
ティグルちゃんは私を追い回したりはしたものの、小さなオリーブちゃんやローズマリーちゃんには手出ししようとしなかった。
我が家に来た頃のティグルちゃんは、多分――だけれど。
お父様が闇オークションで高値で買ってきたばかりだったから、人間に酷いことをされて人間不信だったのだと思う。
立派な首には首輪が繋がれていたし、人に危害を加えないようにだろう、爪は抜かれていて、口輪もされていたようだし。それは人間が嫌いになるはずよね。
入り口までのアプローチの掃除を終えた私は、落ち葉や砂が溜まったちりとりと箒を持って裏庭に向かった。
裏庭には落ち葉を捨てる場所がある。煉瓦で作られた大きめのスペースで、落ち葉や砂や手入れのために切った草花や雑草なんかを入れておくことができる。
これは新しい土を作るための場所である。クリスティス伯爵家でも、お料理に使わなかった野菜の皮とか(といっても基本的にはギリギリのラインまで食べるけれど)果物の皮なんかを捨てていた。
ある程度時間が経つと、そういったものが土の中にいる微生物や虫さんなどによって分解されて、畑の肥料になるのである。
「……お庭、広いから、すごく野菜を作れそうだわ」
黎明宮のお庭で芋を育てたら多分怒られるだろうから、しないけれど。
芋はいい。大体育ってくれる。
私は箒とちりとりを片づけると、館の中へと向かった。
黎明宮はそれはそれはとても広いけれど、レイシールド様がご使用になるお部屋は限られている。
使用されない部屋の扉には鍵がかけられていて、中に入ることができない。
だから私が掃除をするのは、エントランスと大階段、水回りとお風呂、レイシールド様のお部屋とダイニングとリビングルーム。それぐらいだ。
モップと水を汲んだバケツを持ってきてせっせと床を磨きながら、私は――このお仕事は結構楽なのかもしれないと、考えていた。
「……鍵がかかっているお部屋には入れないし、そう思うと部屋数はすごく、少ないもの。鍵のかかった部屋がたくさんあって怖いって、皆は言っていたけれど……もしかしたら仕事を減らそうとしてくれているのかもしれないわね、レイシールド様」
ぶつぶつ言いながら、私は一階の床を全て磨き終えた。
黎明宮には調度品が少ない。
それこそ、全ての調度品を借金取りの方々に持って行かれてしまったクリスティス伯爵家と同じぐらいかしら、と思うぐらいに少ない。
壺とか、飾っていないし。
絵画もない。
飾り棚もなければ、花瓶もないし、何のために使うのかよく分からないオブジェなんかも置いていない。
もちろん、床はつるつるで立派な大理石でできていて、柱なんかもとても立派だし、天井も高くて広くて、古めかしいクリスティス伯爵家とは比べものにならないぐらいに立派なのだけれど。
それでも、クリスティス伯爵家で家事をしていると、いつもオリーブちゃんとローズマリーちゃんが私のあとをついてきていたし、我が家の動物たちも私のあとをついてきていた。
そう思うと、物はなくて貧しい暮らしだったけれど、賑やかだったわよね。
調度品がなくなると掃除が楽。それは私がクリスティス伯爵家にいたころに気づいた世界の真理だった。
クリスティス伯爵家が貧乏になる一端を担っていた、お父様が集めに集めた珍しい動物たち。
それは、シリウス様が私の口にした動物を「魔生物」と言っていた通り、普通の動物とは少し違う。
この国には不思議な力である法力を使用できる方々がいるけれど、それと同様にして、不思議な力――魔力を帯びた動物が存在している。
それらはとても珍しく『魔生物』と呼ばれている。
本当は捕まえることも、売買することも禁止されているのだけれど。
でも、一部の人たちが、その牙とか、毛皮とか、瞳とか、その他色々な部分をコレクションしたり、美術品として飾ったり、それから――薬になるとか、そういう理由で食べたりするから、闇オークションで取引されている。
お父様は珍しい物が好きだ。
そして、基本的にはとても優しい。
だからだろう、希少な魔生物が殺されるのが耐えられないと、闇オークションに出向いては魔生物を買い取ってきていた。
本当は、そういったところに参加するのとか、買い取ってくるのだって、悪いことなのかもしれないけれど。
そしてお父様には動物のお世話をする才能はないので、魔生物たちのお世話は私の仕事だった。
購入した以上は、責任があるし。
元いた場所にかえせばいいのだろうけれど、旅の資金だってないし、そもそもどこから来たのかなんて分からない子も多い。
森にむやみに放すわけにはいかないし。
ティグルちゃんもその中の一匹だった。
「……ん?」
風を入れる為に開きっぱなしだった入り口から、小さな何かが私にちょこちょこと駆け寄ってくる。
氷みたいな色合いのとげとげのある背中、小さな手足、小さな顔につぶらな瞳。
私の手のひらの上に乗るぐらいの大きさの、氷柱ハリネズミだ。
「ペロネちゃん!」
私は磨き上げたばかりのつるつるの床で滑って、私の方にいがぐりみたいに丸まって転がってくるペロネちゃんを両手で抱き上げた。
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