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窓際のヒーロー  作者: Aju


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24 悟郎さんの告白

 翌日、須々木山家のアパートに3人の人物が訪れたのは、まなちゃんが学校に行っている午前中だった。

 悟郎さんと夏海と胡桃である。


 悟郎さんはすでに60歳前後にしか見えなくなっていた。夏海や胡桃と一緒でなければ、浩一は決して家には迎え入れなかっただろう。

「どうもね——。このところ1回生き霊になるたびに年齢を吸い取られていく速度が上がっているようで・・・。」

 悟郎さんがそう言って頭を掻くと、浩一は

「若返るんなら、結構なことじゃないですか。」

と、ちょっとおもねるような響きをもたせて言った。

 幸江が4人分の焙じ茶を入れて、テーブルに運んできた。自分の分はない。同じテーブルには着かず、傍らの小さなスツールに座って横目でちらと浩一を見る。

 胡桃はこの様子だけで、この家庭の人間関係をほぼ推測できたように思った。


 悟郎さんは、幸江が座るのを待っていたようにして先ほどの浩一の言葉に答えた。

「そうでもありません。生き霊の成長速度より、身体の若返り速度の方が加速度的に速い。両方が、ある一点に向けて・・・、つまりあの時の年齢に向かって近づいているようなんですよ。私が数えの16歳だったあの終戦の年に・・・」

 そこで悟郎さんは、少し言葉を切って間をおいた。

「代償は、私が払ってるんです——。その年に何があったか、私の話を聞いてもらえますか——。」

 そう言って悟郎さんは話し出した。




 私が尋常小学校の5年生の時に、太平洋戦争は始まりました。当時、日本が真珠湾であげた大戦果に学校中が沸き立ったのを今でもよく覚えています。その頃の私は、日本は必ず勝つ! 自分は大きくなったら帝国の兵隊さんになるんだ! と信じて疑いませんでした。

 ところが、6年生の夏頃からどうも旗色がおかしくなってきた。高等小学校に進学してしばらくすると、だんだん学業どころではなくなってきましたね。

 校庭では芋を作るようになり、週に何日かは勤労奉仕として工場などに駆り出されました。最初は千葉の工場に駆り出されましたが、そこが空襲で焼け落ちると機械いじりが得意だった私は銚子の飛行場に整備員補佐として送られました。

 飛行場つってもね、滑走路なんか舗装もされてないもので、飛行機の整備ったって私みたいな小僧でもやれるようなことしかできないような状況だったですよ。建屋はあっても部品がないんだ。配備されてるのは戦闘機と言っても、まあ練習機ですよ。しかも連合軍の上陸作戦が始まったら特攻するという作戦のためのね——。飛行練習さえ燃料が足りなくて満足にできない。そこへ送られてくるんですね。黒磯で訓練された促成栽培の飛行兵——特攻要員がね。

 そこで会ったんですね、同郷の4年先輩の孝太郎さんに。子供の頃はよく可愛がってもらった優しい兄さんです。

 聞けば孝太郎さんは結婚しててね。実家に疎開させた嫁さんのお腹には、9ヶ月になる子供がいるって言うんです。

 その話をした時、孝太郎さんの顔が歪んでね・・・。意味、わかりましたよ。


 孝太郎さんは特攻隊員として訓練されてきて、ここに居るんです。その出撃命令は明日かもしれない。生まれてくる子の顔はまず絶対に見れないんですよ。

 生まれてくる子を守らなければならない——と言いながら、孝太郎さんの本音は、一眼で良いから生まれてくる子の顔が見たい、ということであるのは俺にも分かりましたよ。

 もうこの頃には、口には出さないけれど、日本は負けるんじゃないか、ということはみんな分かっていたと思います。長崎の方じゃ新型爆弾が落とされた、という話も聞きました。

 軍人たちは殺気立ってて、俺は何かと言ってはよく殴られましたね。そんな時は孝太郎さんがよくかばってくれて・・・、特攻隊員さんの言うこととなれば表立って逆らえるような人もいませんから、俺はやっぱり孝太郎さんに助けられていました。


 飛行場の夜間歩哨の身代わりなんかもやらされましてね。本当は軍紀違反なんですが、下っ端の兵隊が、さらに下っ端の俺たちに上官が見てない深夜の時間帯だけ代わりをやらせて自分は眠るんですよ。軍帽と上着だけ貸してね。遠目には銃に見えるような棒を担いで、蚊に刺されながら4時間くらいうろうろ歩いてるわけですよ。

 軍紀違反なんて正論吐いたら殴られますからね。どうせ、誰も来やしない。日本の本土なんです。敵はまだ上陸してませんからね。


 そんな俺の「当番」の時ですよ。兵舎の陰から隠れるようにして飛行場の外に抜け出そうとしている人影を見たのは——。

 何かがあったら、殴られるのは俺だ。俺はそっと近づいて、棒の先が銃であるようなフリをして背中から突きつけました。

 びくりとして固まった人影が孝太郎さんだと気付いたのは、その時になってでした。

「孝太郎さん・・・。何を・・・?」

 俺は小声で話しかけました。

「い・・・いや、星が見たくなってな・・・。」

 空は曇ってます。孝太郎さんの目には、必死さと懇願がありありと見えました。




 悟郎さんは、ここで声を詰まらせてしまった。目が決心をまさぐるように泳いでいる。

 そこにいる全員が、黙ったまま、ただ悟郎さんの次の言葉を待った。


「この話は・・・、まだ誰にもしたことがないんだ・・・。」

 そう言って、悟郎さんは唇を舐めた。

「俺には・・・孝太郎さんのやろうとしていることが分かりました。岐阜に疎開させた嫁さんに会いに行こうとしてるんです——。そのために、脱走しようとしているんです。

見逃してくれ——と孝太郎さんは言いたいんだ。

たしかに、知っているのは俺だけだ。今、俺さえ目をつぶれば、孝太郎さんの計画はとりあえず成功する。だけど・・・ここで見逃したら、どうなる?」

 悟郎さんの目が、ぎらぎらと光りはじめた。

「俺は・・・・黙って首を横に振りました。それが正しいと思ったからじゃない。怖ろしかったんだ———!」

 悟郎さんは口を歪めて、絞り出すような声で言った。

「俺の、その踏み出す1歩が・・・この孝太郎さんを『罪人』にしてしまうことが! 孝太郎さんが『卑怯者の非国民』として追われることが! 残された奥さんや子供が『非国民』の子として罵られ続けることが! そして、たぶん・・・いや、あとで思えば間違いなく・・・、俺自身が翌朝殴られることが・・・・・。」

 悟郎さんはじっと何かに耐えるようにして目だけを光らせていたが、少し息を整えてから、また続きを話し始めた。

「その翌々日、孝太郎さんは何事も無かったように、勇しげに振る舞い、笑顔を残して飛び立っていきました。・・・・そして・・・、二度と帰って来なかった。

その、わずか2日後だ! 玉音放送があったのは——!」

 悟郎さんは叫ぶように言った。


 顔が歪んでいる。泣いているように見えるが、目が赤く血走っているだけでそこから涙はあふれてさえいない。

 あるいは、人は本当に魂の底から哭く時には涙は出ないものなのかもしれない。


「その後は、混乱と・・・価値観の大逆転・・・。たった2日! たった2日だ! 2日間だけなら・・・・孝太郎さんは逃げ延びられたはずだ・・・。

俺が・・・俺が・・・殺したようなもんだ!」

 悟郎さんは、仁王像のように口を開け、しかしその目は阿修羅像の悲しみの面のそれのようで、涙を1粒も流さないまま哭いていた。


「俺はその後、歩いて岐阜まで来た。孝太郎さんの奥さんと子供を守らなきゃ、と思ったんだ。数え16の小僧に何が出来るか分からんかったが、それでもやらにゃならんと思った。最低でもそれはやらにゃ、死んでから孝太郎さんに会わす顔がないと思ったんだ。

俺は死に物狂いで働いたよ。働いて得た金で、なんとか奥さんと生まれた子供の生活が立つようにした。幸い、小さなオート三輪での運送の仕事が上手くいって、会社を大きくすることができた。

生まれた子は男の子で、孝一くんと名付けられた。はは・・・浩一くんと同じ音だな。もっとも、こちらの孝一くんは今は75の高齢者だがな。

奥さんを事務員兼会社相談役として雇って、孝一くんが経済の心配なく大学に行けるようにしたさ。

奥さんは、なぜここまでしてくれるのか、と何度も聞いたが、俺は、孝太郎さんにひとかたならぬ世話になったからだと答えただけだった。

この年になるまで・・・、俺はついに本当のことを言う勇気がなかった・・・。

いや、勇気がなかったのはあの時だな・・・。

同じ岐阜県に、杉原千畝という偉い外交官がいたことも知った。俺とは真逆のことをやった偉い人だ。俺は・・・どれほど事業で成功しても・・・・ずっと後悔しっぱなしの人生だった・・・。

その後悔を、人様のためになることをすることで埋め合わせようとしてきた。孝太郎さんの分まで、人様の役に立とうとしてきたんだが・・・。」


 悟郎さんは、まっすぐに浩一を見た。

「なあ、浩一くん。人生には神様の宿題があるんだと俺は思う。それをちゃんとやり終えるとね、少しばかりご褒美ももらえて、帰ってきてもいいぞ、と言われるんだろうと——。

俺のそれは、孝太郎さんの分まで人助けをすることだと思って一生懸命やってきたつもりだったが、まだ足りなかったんだろう・・・・。とうとうこの年まで、後悔したまま生き恥をさらしてしまった。

俺はね、この奇妙な生き霊としての人助けの奇跡はね・・・、神様がそんな俺のためにくれた最後のチャンスなんだと思うんだよ。

生き霊と肉体の両方が、あの時の年齢になって重なった時、俺はようやく死ぬか消えるかできるんだと思うんだよ。」

 

 その言葉を聞いた夏海は、自分でも意外なほどに動揺した。しかし、悟郎さんの表情は、いつもの穏やかな表情に戻っている。

 悟郎さんにとって、死はもはや神様のご褒美なんだろうか。


 しばしの静寂の中、誰も言葉を発しない。悟郎さんのような戦争を直に体験した世代の体験譚に、平和が当たり前の世界に生きてきた世代としては、発することのできる言葉の持ち合わせなんて無かった。


「だからな、浩一くん。俺みたいになるな———。

そちらの胡桃さんの言うところでは、虐待というのは先祖代々のごうみたいなもんだというじゃないか。だったらそれを、君の代で止めてみせろ。

浩一くんだからできる。浩一くんにしかできない。杉原千畝が彼にしかできない、彼だからできることをやったように——。

浩一くんの人生は、一見しただけだと暗い海の底から光に満ちた遠い海面を見ているだけのように感じるかもしれないが、まなちゃんにその海面の上を、光の中を飛ばせてやれ。

それは浩一くんにしかできない、浩一くんだからこそできることだ。それが浩一くんの『神様の宿題』なんじゃないか、と俺は思うんだよ。」


 悟郎さんが口を閉じた時、浩一は泣き出しそうな目をして悟郎さんの目を見ていた。そして、夏海と胡桃がもっと驚いたのは、幸江さんが声を立てずに大粒の涙をこぼして泣き出したことだった。



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