第三話 祇園巽橋
その日の面会は、京都市観光誘致組合広報部の田崎と名乗る男性だ。外国人観光客に向けての新しいPRポスター作成のため、京都の魅力あふれるカットが欲しいとの事だ。
「いや〜、やっぱり舞妓はんは欠かせへんでしょ。」
「それですけどね、うちではアポ取るのも大変なんですよ。田崎さん、行けます?」
「もちろん、それは私どもに任せて下さい。組合の力は大きいどっせ。」
田崎は自信満々にそう言って、3日後には電話をよこした。
「“箕や”っちゅう置屋にいてはる、小羽ちゃんいう舞妓はん、アポ取れましたわ。可愛らしい。ナンバーワンや言うてはりましたで。」
舞妓さんが住まう家、置屋。そこには“おかあさん”と呼ばれる女将さんが居り、稽古を付けたり、生活全ての面倒を見る保護者の役割も担っている。優しくもあり厳しくもあり、おかあさんの手腕が舞妓さんの将来を左右する訳だ。
美沙は契約に関する書類を手に、おかあさんからサインをもらうため、スーパーカブに乗って祇園へと向かう。
「12:30て言うてはったな〜。」
いつもの様に手土産を買うと、東大路を下り、八坂神社の手前、新門前通を右折し、花見小路通へ。
「えっと、祇園新橋は…あっ! 一通や。」
手痛いミスだ。逆走してはいけない。エンジンを切ってこのままバイクを押して行けば、たぶん早く着けるだろう。
しかしそう思ったのも束の間、沢山の観光客でごった返した通りは、そう容易く進めない。箕やに着いたのは12:40。10分も遅刻してしまった。
「ようこそおいでやす。あれ? 時間合うてましたかいな?」
…ああ、やってしまった。
「申し訳ございません。」
「うちらも時間おへんのや。しっかりしてもらわんと困りますのんや。」
「あ、はい。では手短に。こちらをお読み頂いて、直筆でご署名戴ければ完了です。」
おかあさんは、速読で契約事項を読み上げると、スラスラと署名した。慣れている様だ。
「ありがとうございます。あの、これを皆様で…」
「あら、手土産どすかいな。あ、あんさん、これ受け取りよし。」
おかあさんは、後で正座をしている舞妓の見習いの“仕込みさん”に指示した。
「いやぁ〜、うちら、これ大好きどすねん。おおきに!」
仕込みさんが喜んでくれた事で、美沙は胸を撫で下ろした。
「良かったどすなぁ。アンタはんもお疲れどっしゃろ? お茶、飲んで行かはる?」
そういえばかなりの距離を、スーパーカブを押して歩いた。喉がカラカラだ。
「あ、ありがとうございます!」
「わからんのかっ! 早よ帰れ言うとりますのんや!!」
またしても、おかあさんの目つきが変わった。
そうか! 京おんなだ。そこまで気が回っていなかった。美沙は慌てて外へ飛び出し、スーパーカブのエンジンをかける。
尚もおかあさんは怒鳴る。
「やかましいわ! 派手な単車で!!」
遅刻したのは自分のせいだ。仕方がない。でも、ここまで邪険にされるのは何故? 事務所に帰着した美沙の目には、涙が溢れていた。
「ごめん。ホンマ、ごめんな。」
「私も、あの辺の道ってよう知らへんかってん。そんな一通あるって…」
「そんなんちゃうんです。ちゃんとナビ使うたらよかったんです。私がアホやったんです。」
「それにしてもな〜。」
そこへまた、田崎がやって来た。
「どうしはったんですか? 箕やのおかあさん、えらい電話かけて来はりましたけど。」
「もぉ! 空気読んでぇや!!」
「あ……」
事務所の片隅には、落ち込む美沙の姿。
兎に角、日程も予定通りで変更なく、契約は成立している。その件に関しては問題はない。おかあさんが怒ったのは、美沙の遅刻が発端ではある。しかし、どうやらちょっとした思い過ごしもあった様だ。
「あのね、社長。引目鉤鼻って知ってはります?」
「やまと絵…でしたっけ?」
「ええ。平安時代から書かれてたやつで、『源氏物語絵巻』なんて言うたら、みんな聞いた事はありますやろね。西洋文化が入ってくる明治維新以前の美人ちゅうのは、色白で一重瞼の細目さんや。あと、おちょぼ口。舞妓はんの化粧もそれを意識してる感じですわ。和風美人言うたらそんな顔立ちや言う事ですな。」
「ふうん。小羽ちゃんて…そういう目で見たら、京美人やないですね。目ぇパッチリで可愛いですけどね。あ! 美沙ちゃんって…」
「でしょ? 目元やら鼻の特徴から言うたら美沙ちゃんの方が和風美人ですわ。面長でもおちょぼ口でもないけど、あれでちゃんと黒髪にしとかはったら…うん、振袖似合うと思いますで〜。」
「ちゃんと黒髪に…?」
田崎の余計な一言に、涼子はムッとした。
「田崎さん! アンタ、要らん事言いやな。人には色んな事情があるんやて。ホンマ、空気読んでぇな、もう。」
…えっ?
田崎はもう一度美沙の方に目をやると、思わず口を覆った。
撮影当日、市役所から直接箕やへ向かう田崎。美沙もスーパーカブで箕やへやって来た。
相変わらずおかあさんは美沙とスーパーカブを見て顔をしかめるが、美沙は思い切って元気良く挨拶をしてみる。
そしてそこに、涼子が軽自動車に写真機材をたっぷり積んでやって来た。
「よろしくお願いします!」
「ほな、宜しゅうに。」
置屋の前で、数カット撮影をする。美沙は自身の髪を隠す様に、グレーのキャップを被った。
「あら? お宅ら、えらい地味な格好どすなぁ。」
「あ、はい。私らは目立ったらダメなので。」
モデル撮影では主役を引き立てるため、地味な衣服を着ることをルール付けしている。それはアートクリエイション独自の拘りだ。
「何でこんな時間にしはったん?」
「光です。早朝にすると観光客が居なくて良いんですけど、この時期の早朝の光って、赤っぽくて弱いんです。あと、太陽が低うて斜めから照りつけるんで、顔に影出来やすいんです。昼間やったら背後から照ってきて、前からレフ板ていうので反射する光を当てると、柔らかくて良い感じになるんですよ。」
真昼間からの撮影を要求したのは、田崎だ。賑わう様子までをも取り入れたいという彼の意向だ。だが、観光客のマナー問題が取り沙汰される昨今においてのそれは、非常にリスクの高い仕事だ。涼子はそこを上手く誤魔化して話した。おかあさんは、目を丸くして聞いていた。
「ほな美沙ちゃん、頼むで。」
「はい!」
美沙の持つレフ板が、小羽をより美しく照らす。
「いや〜、小羽ちゃん綺麗やわぁ。」
おかあさんも、満足気に撮影を見ている。
いよいよ屈指の観光スポット、巽橋へと移動する。田崎は皆を率いて歩き出す。美沙は、撮影スペース確保のためのコーンとロープを積んで、先にスーパーカブをゆっくり走らせて移動した。
巽橋とは白川にかかる石畳の橋。周辺一帯は伝統的建造物群保存地区とされている。多くの映画やドラマのロケ地としても利用されるが、観光PRとしても最適なロケーションだ。ただ難点は、本当に観光客が多いのだ。
「ちょ、あの人ら、ついて来はるで。」
「田崎さん、上手い事あしらって下さいね。」
「あ、ああ…」
田崎が人の流れを止め、美沙はコーンとロープで仕切りを作る。そして、すまし顔の小羽が巽橋に立つ。美沙は素早くレフ板の光を当てる。
気付けば、沢山の観光客が撮影現場を取り囲んでいた。
「ちょ、ちょっと待っとくれやす! 許可取ってへん人は、写真撮影禁止どすえ!」
名勝に舞妓さんとくれば、観光客にとっても嬉しい情景。一般の撮影は禁止されているが、観光客が暴走し始めると大変だ。
涼子も撮影を続けようとするのだが、観光客達のカメラのフラッシュ光がライティングの邪魔をする。涼子は堪らず叫んだ。
「田崎さん! 言うて下さい!」
「あ、あ、すみません、皆さん。撮影禁止ですぅ!」
誰も言う事を聞かない。小羽の顔が緊張の面持ちに変わってきた。これでは良い写真が撮れない。おかあさんも思わず叫ぶ。
「田崎はん! もっと言うとくれやすな!」
「撮影禁止…です…」
「日本語なんか通じておへんやないか! どないしたらよろしいの?」
「英語で! 英語!」
「僕、喋れへんのですぅ。」
「京都言うたら国際観光都市やおへんか! 外人さん仰山来はるんやないかえ。観光誘致やったら、英語喋れへんだらあきまへんやんっ!」
「ど、ど、どうしましょ?」
観光客達の暴走が止まらない。異様な雰囲気が、繊細な美沙の心を呑み込もうとする。胸を連打されるような激しい鼓動。駄目だ。もう耐えられない!!
「No photography !」
美沙は急に走り出すと、田崎や小羽達が焦る中、近くに停めてあったスーパーカブを押して戻って来てロープの中へと入れ込み、観光客と小羽の間を遮る様に停めた。
「Get out of my way ‼︎(邪魔するな!!)」
「We can't see the feet !(足元が見えないじゃないか!)」
「It's confusing to the color of a kimono ! (着物の色と紛らわしいんだよ!)」
様々な罵声が飛び交う。怖い。怖くて仕方がない。しかし、美沙は勇気を振り絞った。
「I put this here so you can't shoot the Maiko. This is a guard. Please obey the rule !(あなた達が舞妓さんの撮影が出来ないよう、これをここに置きました。これはガードです。ルールを守ってください!)」
美沙は顔を真っ赤にして叫んだ。いつもか細い声で物静かに話す美沙が、この時ばかりは渾身の力を込めて声を上げた。
観光客達は、一気に鎮まった。そこに、1人の外国人男性が反応した。
「Super Cub ? Is this customized ?(スーパーカブ? カスタムしてるのかい?)」
「Yes. How's your impression ?(そうです。印象はどうですか?)」
すると、彼の妻らしき女性が笑顔で答えた。
「Hannari.(“はんなり”ね)」
「Hannari ? Oh ! Thank you !」
先程までとは打って変わって、場の雰囲気が明るくなった。声が届いたのだ。
外国人観光客は、スーパーカブを1枚撮影した後、カメラをバッグに仕舞い込んだ。他の人達も同じように仕舞った。
「美沙ちゃん凄い!!」
小羽は、驚きと共にようやく顔がほころび、笑顔になった。おかあさんも、涼子も、そして田崎も、みんな笑顔になった。皆静かに、そして笑顔で撮影風景を眺めた。
撮影は成功した。
「おいでやす。時間通りどすかいな?」
「はいっ!」
編集を完了した写真データを渡すため、美沙はもう一度箕やを訪れた。
ディスクをおかあさんに手渡し、持参したタブレットにサンプル画像を表示する。そこにはとても華やかな小羽の姿が映し出され、おかあさんと小羽は歓喜の声を上げた。
「美沙ちゃん…どしたな?」
「はい。」
「すんまへんどしたな。うちな、田崎はんからえろう怒られました。」
「え? 田崎さんを怒らはったんじゃなくて?」
「ええ、怒られましてんえ。『人を第一印象だけで判断すな。変な先入観は捨てよし』言わはって。うちなぁ、美沙ちゃんがあんなに一生懸命仕事してはるのん見て、恥ずかしなりましたわ。」
「先入観って…髪の毛とか眼の色ですよね? 田崎さんには『黒髪にしたら…』とか言われました。でもこれは…」
「ええ。お祖父さん? お祖母さん? 北欧の方や言うて。」
「はい。祖母です。」
「田崎はんまでそんなん言わはったんどすか。ほんまにもう…うちら、失礼どすなぁ。」
美沙は生まれつき赤い髪と薄茶色の眼を持つ。それは北欧人の血の入った母親譲りだ。しかし、多少なりとも派手に見えてしまうのは、顔立ちが父親似で和風だからかもしれない。
おかあさんは、和の雰囲気を重んじるあまりそこに気付かず、不快感を抱いてしまっていたのだ。
髪色や眼の色までもファッションとして捉え、変える事、変わる事で、自分を主張する若者が増える中、一方で人と違うなら“同じである安心感”を求めてしまう人もいる。美沙はそのどちらにも当てはまらず、他人とは違う“持って生まれた個性”を大切に守っている。
どれが正解とかはない。しっかりと自分自身を持ち続ける人は素敵だ。おかあさんはそう話し、自身を“古い人間”だと恥じ、美沙に深く頭を下げて謝罪した。
一方で美沙も、あらためて遅刻した事を謝罪した。その事実は消せないのだ。
芸妓・舞妓の世界では、座敷に遅れる事はお客様を失うのと同じ意味を持つ。時間を守るのは、それぐらい大切な事だ。
おかあさんは美沙の謝罪を快く受け止め、そんな説教をくれた。
「ほな、お茶でも飲んで行きよし。」
「え!?」
「今度はホンマえ。ほら、小羽ちゃん。お茶差し上げて。」
出されたお茶を少し飲んでみた。今まで経験のない高級茶だ。上品な味だと感じた。
「あのね、美沙ちゃん。」
「はい。」
「良かったら小羽と友達になってやってくれません?」
「えっ? 私が?」
「小羽はなぁ、『美沙ちゃんは自分にないものを仰山持ってはる』言うとりますのんえ。憧れる言うて。舞妓と会うて何したりとかは難しいけど、チャット言いますのん? そんなんだけでもしたっとくれやすな。」
予想外の展開に少し戸惑ったが、美沙にまた新しい友達が出来る事となった。おかあさんもまた“友達”の様な笑顔を見せてくれた。
「じゃあ、帰ります。ありがとうございました。」
美沙はスーパーカブに跨る。
「これ、出前持って来はるのんと同じバイク? そんな見えしまへんなぁ。カッコええし可愛いし。よう見たら、美沙ちゃんと…色も似てるわ。“はんなり”やわ。うふふ…」
小羽は、美沙のスーパーカブを羨ましげに眺め、そう言った。
美沙はその言葉が嬉しかった。そして、柔かな笑顔でエンジンをかけた。
ドドドドド…
カスタムマフラーから吐き出される音に、おかあさんは笑いながら顔を顰めた。
「やっぱりやかましいわっ!」
「べーっ!」
美沙はおかあさんに向かって舌を出して笑うと、スーパーカブで走り出す。ミラーには、ニッコリ笑って手を振るおかあさんと、新しい友達・小羽の姿が映った。
【第三話 祇園巽橋】 完
読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、「和」と「洋」が交わる瞬間をイメージして書いてみました。
次回はいよいよ“伝説”に踏み込んでいきます。