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古都×カブ物語  作者: 日多喜 瑠璃
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第二話 比叡おろし

 ある日、美沙はガレージ・KSMにやって来た。スクーターが廃車となり、市内を移動するための手段が公共交通機関となってしまった今、新しいバイクが欲しい。この店なら何かと相談に乗ってくれるだろう。そう思ったのだ。


 「けど…ウチもこんな大っきいのばっかり扱うてるさかいなぁ。注文入れたら入らん事はないけど。」

 「ナンボぐらいのがええの?」

 「んっと、込み込みで15万円までで。」

 「それぐらいの予算やったら、原チャか?」

 「あ、原チャちゃいます。125ccぐらいのが欲しいです。」

 お金がない訳ではないが、裕福な訳でもない。事故の相手である河村からの賠償額も、全損となったスクーターの時価を基に計算されてしまう。今組める予算が15万円ぐらいなのだ。


 新しいバイク…

 美沙が働くアートクリエイションでは、京都の名所、神社仏閣などを撮影現場とする事も多い。そんな時は観光客を避けて早朝が勝負となる。それゆえ美沙も自宅から直接現場へ向かう事が多くなる。

 南北を結ぶ川端、堀川、西大路や、東西を突っ切る五条、九条や北大路などの大通りでは、交通の流れも速く、法定速度が30km/hである原付では、時として怖い思いをする事も。

 美沙はそれを痛切に感じ、小型二輪免許を取得して110ccのスクーターに乗っていた。しかし、これらの新車価格は20万円を超える。この現状に、美沙は悩んでいたのだ。


 「あ、伊庭ちゃん!」

 何かを思い出したように、樫村は伊庭を呼んだ。

 「お前、カブ積んで帰って来たやろ?」

 「ああ、あの時の…」

 あの時とは、美沙が事故に遭った日だ。

 「下取りっちゅうて持って帰って来たやつっすね?」

 「おう、あれ、どや? ナンボで取ったん?」

 「5万ですわ。ちょっと年式旧いし。売値は16万ってトコでしょ。」

 「精算したん?」

 「はぁ。」

 「そうかぁ…」

 樫村は少し考えたが、何かを閃いた。

 「な! 美沙ちゃん。」

 「はい?」

 「カブ乗るか?」

 「ちょ、カッさん。それやったら予算オーバーですやん。」

 「ちゃうねん、伊庭ちゃん。個人売買にしてもらうねん。」

 「え? ウチで売らんのすか? ちゃんと整備して。」

 「個人売買や。山科のオッサンのこっちゃ。ようよう整備はしとるわ。そやから、オッサンにそう言うて3万円プラスしたってぇな。美沙ちゃんが払うんやけど、先にウチが立て替えたっちゅうことにしてやな。あとは登録と自賠責で10万円ぐらいで行けへんけ?」

 伊庭は樫村に、耳打ちで話しかける。

 「ウチの儲けあらへんやないっすか。」

 「可愛らしい女の子が困っとんねん。そもそもお前、130万もするバイク売ったんやさかい、セコイ事言うなって。」

 「いやまあ、カッさんがええんやったら、俺は別に…あぁ、また計算やり直しやぁ。」

 「すまんけどな。」


 「カブって、ミッションちゃうんですか?」

 樫村と伊庭のやり取りを聞いた美沙は、少し不安になった。

 スロットルを回すだけで走るスクーターと違い、スーパーカブにはロータリー式4速ミッションが付いている。AT限定免許を所有する美沙は、ミッションなど扱った事がない。そもそもAT限定免許でミッション付きバイクなど、乗れるのか?

 「これがな、AT限定免許でも乗れるねん。クラッチ操作要らんさかいな。」

 「clutch ?」

 「うん、クラッチ。はは…発音ええな。こっちは大型やけど、ほら、左にもレバーあるやろ。これがクラッチレバーやねん。大型はこれ握ってギヤ変えるねんな。カブはこのレバーのうて、スロットル戻してペダル踏むだけ。簡単やで。ほな伊庭ちゃん、出して来てえや。」


 伊庭が、奥の倉庫からスーパーカブを押して来た。

 「え? 何これ、可愛い〜!」

 美沙の目が輝いた。



 伊庭が引き取ってきたというスーパーカブ。それは、真っ白なボディに赤いシート、赤いスプリングのリヤサスペンション。そして濃淡ブルーのチタンサイレンサーが鮮やかなフルエキゾーストマフラーが装着された、カスタムバイクだ。

 「山科のな、大西っちゅう50過ぎのオッサンが乗っとったんや。まあバイク好きでな、嫁ハンと2人で4台持っとって、さらに大型買う言うたら『置き場ないやんか。1台売れ!』って怒られよってん。ははは。」

 「カブって、こんなんでしたっけ?」

「いや、いろいろ弄ってはるで。」

 「改造車…ですか?」

 「合法改造や。心配要らんて。あとはウチが面倒見たげるさかい。」


 こうして美沙は大西に渡すはずの8万円を樫村に預け、伊庭に連れられて左京区役所へ出向き、自身で登録を済ませた。

 翌日の夕方にはナンバープレートをスーパーカブに取り付け、自賠責保険に加入。そして保険会社の浅沼に、使用車両の変更を申し出る。

 「良いのが買えたんですね。安全運転でね!」

 浅沼は優しく話しながら手続きをしてくれた。同じ原付二種なので、簡単な手続きで済んだ。



 「これがニュートラルランプ。これが点いてるのを確認して、エンジンかけて、左足でペダル踏んだら…」

 ミッション操作の練習が始まった。

 「4速まで上げて走ってて、赤信号とかで停まったら、もう一回前踏んだらニュートラルになるさかいな、ほなまた発進からの手順で行けるで。あとは、上り坂とかで力なくなったら、後踏んだらギヤが下がるさかい。スピードは落ちるけど、力出て登りよるわ。」

 「いろんな事しやなあかんのですね。」

 「喋っとったら色々あるけど、実際にやってたら簡単やて。変速付きの自転車乗った事あるか? 原理で言うたらあんな感じや。」

 「あ! なるほどぉ。」


 美沙は、スーパーカブをしばらく事務所に置き、毎日のように休憩中や仕事終わりにミッション操作の練習をした。若い彼女の事だ。基本的な扱いに慣れるには、そう時間を要しなかった。

 以前乗っていたスクーターは、パワーもあり、イージーで快適で、それなりに楽しかった。こまめに手入れし、大切にしていた。美沙にとってそれは、良き“仕事の相棒”だったのだ。しかし、遠出してみようなどとは考えた事もなかった。

 一方、このスーパーカブは…違う。

 前オーナーがカスタマイズしていた事もあるのだろう。その姿は明るくカジュアルな雰囲気を持つ。

 また、スロットルを捻るだけのスクーターと違い、シフトチェンジの操作は走らせている実感が強く感じられた。それは最早“働くバイク”を超え、趣味としても楽しめるバイクだ。美沙の目には、そう映った。

 もちろん、大きな荷台には沢山の荷物を積む事が出来る。本来のコンセプトは働くバイクなのだから、その特徴をうまく活用すれば使い方の幅は広がるはずだ。

 心の中で、夢が大きく膨らんだ。

 慣れるほどに「遠くへ行ってみたい」「もっとたくさん走りたい」という思いが高まった。大人しく、笑顔も控えめだった美沙。そんな彼女が、明るく笑うようになった。


 そんな美沙を、側で見守ってくれている人が居た。

 美沙とスーパーカブとの出会いを、我が妹の事の様に喜んでくれる人。

 写真家・魚住涼子。

 結婚し、プライベートでは中澤を名乗るが、写真家としては旧姓の魚住を名乗っている。

 涼子と美沙は、糺の森(ただすのもり)で出会った。街撮りをしていた時だ。涼子は、どこか憂いのある美沙の表情に惹かれ、美沙をモデルとして撮影した。

 涼子は美沙と話す内、少しおぼつかない日本語のせいで、仕事にも友達にも恵まれずにいる事を知った。

 そして、美沙を助手として雇う事にしたのだ。


 涼子は、2週間後の週末に行われる講演会の準備で、撮影の仕事を入れていない。したがって助手である美沙は休みとなる。スーパーカブを納車後、待ちに待った休みなのだ。

 「美沙ちゃん、明日は何処行くん?」

 「行った事ない知らんとこ、行ってみたいです!」

 京都に居ながらにして、京都の事をまだよく知らない。

 「今度の休み、あそこに行ってみよう。」

 ようやく自宅に乗って帰った美沙は、スーパーカブを色々な角度から眺め、微笑んだ。



 朝のマンションの駐輪場。底冷えの、少し風の強い京の冬。

 ダウンジャケットに防風素材のジーンズ姿の美沙が、スーパーカブに駆け寄る。カバーを外し、ロックを外し、イグニッションをON。カスタムマフラーから、少し大きな音が響いた。


 美沙にとっての冒険の始まりだ!


 今出川通を東へ向かい、白川通へ。中央分離帯に立ち並ぶ銀杏並木。いつもの通勤ルートの途中、御蔭通(みかげどおり)との交差点に、気になる看板がある。

 『比叡山ドライブウェイ→』

 事故の一件で樫村が話していた、比叡山に宿る阿闍梨の魂。そんな比叡山とは、どんな所なのか? もちろん魂など見える訳がないし見たい訳でもない。「魂が宿る」というのは、樫村や伊庭の作り話だ。ただ比叡山と書かれた看板に従い、走ってみたかっただけだ。この御蔭通を右折して、比叡山へと続く山道を進んだ。


 「こんなとこにも、お寺?」

 法往寺。あらゆる災厄からお護り下さる“身代り不動尊。

 「神様仏様が宿る」

 あの時樫村達が言った言葉を思い出す。そしてその斜向かいには、温泉もある。修行僧達の身体を癒したのだろうか? 自宅からもそう遠くはない。

 「いつか入りに来よう…」

 そう呟き、古びた温泉の前を通り過ぎた。


 山上へ向けて加速する。初めての峠道ではミッション操作がおぼつかない。少し苛立った。

 スーパーカブが悪いのではない。自分自身が下手くそなだけだ。

 「今日は初めてのツーリングやし…」

 そう自分に言い聞かせて走る。しかし、ここで何やら異変を感じ始めた。


 ブォーーー!


 ヘルメットの中に風切り音が響く。強い向かい風が吹き始めた。またあの言葉が、ふと脳裏をよぎる。

 神様が宿るのなら、安易に踏み込んではいけないのか? 未知なる場所、その先にあるものなど何も知らない。だんだん怖くなってきた。

 「ここで転けたら…」

 さっきの“身代り不動尊”にお参りしておけば良かったのか?

 胸がドキドキする。たが、あと少しだ。あと少しで山上だ。そこまでは辿り着きたい。そして…


 「うわぁ〜!」


 眼下に広がったのは、日本一の広さを誇る湖・琵琶湖。草津から守山、遠くは三上山(近江富士)まで見渡せる。素晴らしい景色だった。


 美沙はこの景色にしばし見惚れると、滋賀県へ下るのを途中でやめ、折り返す事にした。吹き荒ぶ強風や、急な坂道の急カーブに危険を感じ、まだ自分はこのリスクの中で先へ進む事を許されていないのだと思ったからだ。

 往復1時間にも満たない冒険だが、2倍にも3倍にも長く感じた時間。白川通へ戻ると、そのままガレージ・KSMへと向かった。



 「あ〜、それはな、“比叡おろし”て言うんや。」

 「hiei-oroshi ?」

 「うん。比叡山から吹き下ろす風。今日なんか、底冷えしよるやろ? 比叡おろしって呼ばれてる乾いた強い風がな、冷気になって盆地を冷やしよるんや。」

 「え? 霊気て、やっぱり怖いですやん。」

 「あははは。その霊気ちゃうで。冷たい方の冷気。あのてっぺんに住宅街あったやろ? 普通に人が住めるとこや。」

 「な〜んやあ、もう…」


 美沙の顔がほころんだ。

 「比叡おろし、知らんかったん? そんなん京都人みんな知ってるで。俺も知ってたでぇ。」

 横で聞いていた堀田が悪戯っぽく笑い、「ほな、今日はお先に帰ります。」と言って相棒である大型バイク・ハヤブサに跨った。

 その瞬間!

 「うわっ!!」

 「ああ〜!!」

 比叡おろしが吹き荒れた。今にも倒れそうなハヤブサをみんなの力で支え、転倒は免れた。

 「ほら見ぃ! お前、いちびるさかい比叡山の山神さんが怒らはったわ!」

 …はははははは。

 …わははははは。


 そんな1日が過ぎ、今日、スーパーカブは美沙の新しい“友達”になった。


【第二話 比叡おろし】 完

読んでいただき、ありがとうございました。

スーパーカブを手に入れた美沙は、次回も素敵な出会いを経験します。

是非、読んでください。

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