はじめての接触
「う……っ、ここは……」
カミラが目を覚ました場所は、目を疑いたくなるようなものだった。
薄暗い家屋の中。そこには、鉄製の首輪を付けられた女子供が大勢いたのである。皆一様に俯いており、悲しげにすすり泣く声がカミラの鼓膜を揺らした。
彼女は昼間、当の吟遊詩人――リュートと名乗った彼に誘われるまま、都の外に出ていた。キッカケは「カミラさんに見せたいものがあるんです」というリュートの誘いだ。彼は知り合った日からずっと、カミラを元気づけようと色々な話を聞かせてくれたり、様々な場所に連れていってくれる。だから今回もそうだろうと彼女は判断した。
しかし、都の外で大柄な男たちに囲まれたかと思いきや、首裏を手刀か何かで強打されて意識を飛ばしてしまった。
そして、目を覚ました先がこの場所である。
家屋の出入り口に目を向けてみるが、そこには鍵が三つほど取り付けられていた。見るからに頑丈そうな造りだ。
幸いにも両手は拘束されていないようだが、周りですすり泣く少女たちを見ると寒気がするようだった。彼女たちの顔には殴られただろう痕跡がハッキリと残っている。鬱血した痕は非常に痛々しい。水の国に続いてまたこういう状況なのかと思えば、カミラの口からは自然とため息が零れ落ちた。
「(リュートは大丈夫かしら、さっきの男たちにひどい目に遭わされていないといいんだけど……)」
だが、そんな時。不意に施錠されていた鍵が開く音が聞こえた。
押し開かれた扉の隙間から、鮮やかな色をした夕陽が射し込む。小屋の中が薄暗いため、その光はカミラの瞳孔を特に強く刺激した。
「――ああ、もう起きてたのか」
それは、リュートだった。彼の姿を見間違えるはずがない。あろうことか、その背後にはカミラを襲った男たちの姿も見える。
しかし、彼はこれまでとは異なり人を見下すような、明らかな嘲笑をその顔に浮かべていた。装いとてそうだ、これまでは柔らかい色合いの衣服を着込んでいたが、今は黒のロングコートを羽織り、ポケットに両手を突っ込んで足で乱暴に扉を蹴り開けてみせた。そんな態度と物音に、小屋の中にいた少女たちは肩を跳ねさせて身を縮める。完全に怯えた様子で。
「リュート……あなた、いったいどうしたの……?」
「どうしたの? ハハハッ! こりゃあいい、ここまで馬鹿な女は初めてだ。この状況でまだ自分の立場を理解できてないのか?」
「立場?」
カミラにしてみれば、わけがわからなかった。いつもあんなに優しかったリュートが、今は人が変わったかのようだ。まるで頭だけを他人にすげ替えたみたいな。しかし、リュートはカミラを小馬鹿にするように鼻で笑うと、周囲の少女たちに一瞥を投げてから改めてその視線を彼女に向けた。
「馬鹿な女だねぇ、お前は騙されたんだよ。俺様は吟遊詩人なんてクッサい職業じゃなくて、奴隷商人。お前を含めてここにいる女どもは、地の国で女を欲しがる貴族の豚どもに買われるのさ」
リュートのその言葉に、周りにいた数人の少女たちからはむせび泣く声が洩れた。自分が奴隷として売られる、買われる。嫌でもその光景が想像できてしまったのだろう。そんな声を聞きながらリュートは愉快そうに高笑いを上げた。カミラはそんな彼を見据えると、怒りで身体が震えるのを感じる。
「ひどい……あなたには人の心がないの……!? 女の子を騙して、それで人を物みたいに売ろうだなんて!」
「物みたい、じゃなくて物なんだよ、商品。わかる? 女の価値なんてそのくらいだろ、男相手に黙って股開いてりゃいいんだよ」
――反吐が出る、吐き気がする。カミラはハッキリとそう思った。
だが、その一言で目が覚めた。この男は最初からそのつもりで自分に近づいてきたのだと、本性はあの優しい姿ではなく、この歪んだ認識を持つ側なのだと。
しかし、リュートは改めて馬鹿にするように鼻で笑うとさっさと小屋の外に出て行ってしまった。去り際に「大人しくしてろよ」と言い残していくことだけは忘れずに。カミラは慌ててそちらに駆け寄ったのだが、わずかに間に合わない。扉は無情にも彼女の目の前で閉ざされ、薄暗い小屋の中には施錠の音が響いた。
「(奴隷ですって……? こんなことしてる場合じゃないのに、冗談じゃないわ!)」
地の国に行けるのならば行きたいとは思うが、奴隷として行くなど冗談ではない。彼女があの国に行きたい理由は渡航許可をもらうためなのだから。奴隷として貴族に買われては、ヴェリア大陸に戻れなくなる。買われた後のことを考えるとこの場で吐いてしまいそうだった。
気を取り直して小屋の中を見回してみたが、ご丁寧に柱や壁、天井には魔法封印の文字が刻まれている。どうやら、この小屋の中にいる者の魔法を封印する仕組みのようだ。
「(どうしよう……ジュード、助けて……!)」
リュートは、ジュードが真面目に考えてくれないカミラの悩みも親身になって聞いてくれた。さすがに魔族のことは話せなかったが、どんな話でも真面目に取り合ってくれる彼の優しさにホッとしたのだ。
けれど、間違いだった。リュートは優しくなどなかった。悔やんでも悔やみきれない。
「……?」
カミラが焦燥に駆られて小屋の中を振り返ると――そこで、彼女は不思議なものを見た。
項垂れてすすり泣く少女たちのすぐ近く、そこに紅色の髪の人間が佇んでいたのだ。長い髪を持つ、とても見目の整った人間だった。元からこの中にいたのか、はたまたどこからか入ってきたのかは不明だが、カミラの方をもの言いたげにジッと見つめて、ただただ佇んでいる。不思議と、怖いとは感じなかった。
声をかけようとしたのだが、それよりも先にふらりと踵を返してしまう。行き着いた先は、小屋の隅の隅だった。そこで改めてカミラの方に身体ごと向き直り、言葉もなく彼女を手招いてみせる。
なんだろうと、疑問符を浮かべながら恐る恐る近づいて見てみると、壁の一部が腐り果てて脆くなっているのを見つけた。ここを壊せば外に出られそうだ。木板はグラグラで、少しの刺激でも取れてしまいそうだった。
早速礼を言おうとしたのだが、どこへ行ったのか、例の紅色の髪の人間は――既にどこにもいなくなっていた。少女たちの中にも姿が見えない。
「(……ここから先に外に出たのかしら、そうは見えなかったけど……とにかく、まずはここを脱出しなきゃ。都に戻って騎士団に報せれば、きっと捕まえてくれるはずだわ)」
この壁のことを教えてくれたあの人は、どこへ行ったのだろう。何度見ても、やはりその姿はどこにも確認できなかった。
しかし、今は脱出が先だと思考を切り替えると、まずは腐った壁を壊すことから始めた。考えるのは後だ。




