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メンフィスの過去と忠告


 前線基地の出入り口まで向かったジュードは、ずっと閉じっぱなしだった馬車の扉を開けてちびを外に出した。


 ちびはちぎれんばかりに尾を振りながらジュードの周りをぐるぐると何度か駆け回った後、再び馬車の中に戻り、顔面だけを外に出して腹這いになる。ジュードは持ってきた食べ物をそんな相棒の傍に置いた。


 ちびは小さい頃からジュードやグラム、ウィルにマナと暮らしてきたこともあってか、人間に対して殺意どころか敵意すら持っていない。こうしていると魔物というよりはただのデカい犬だ。



「ちびも中に入って一緒に食事できたらいいんだけどな……」

「わふぅ」



 ――だいじょうぶだよ。


 ジュードの声に応えるように、ちびからは即座にそんな返答が返る。動物や魔物は、自分が周りからどう見られるかを気にしてクヨクヨしたりはしない、ただただその瞬間を懸命に生きているだけ。ちびにとっては、こうして相棒が傍にいてくれるのが一番嬉しいことなのだ。


 ジュードはそんなちびを横目に見遣ると、骨付き肉にかぶりつく様子を見守る。ご機嫌そうにぱたぱたと揺れる尾、嬉しそうに細められる目、昔から変わらない真っ黒い毛並み。小さい頃と比較にならないほどに身はデカくなったが、甘えん坊なところも昔のままだ。


 両者互いに何を言うこともなく、そこから見える景色をただただ眺めた。太陽はすっかり沈み、代わりに月明かりが優しく地上を照らす。こうしていると、先ほどのドラゴンたちの襲撃が嘘のようだ。今はすっかり静寂が辺りを包んでいる。



 どれくらいそうしていたのか、ジュードは腰裏に据え付ける短剣を引き抜くと、柄の部分に鎮座する青い鉱石を見つめる。氷の魔力を秘めた剣パレンティア、あの剣も充分過ぎるほどの成果を出してくれた。しかし、そのパレンティアでも、現在ジュードの短剣に鎮座する鉱石ほどの魔法は発動しなかった。この石は何なんだろう――その疑問は未だに解けない。


 これは間違いなくボニート鉱山最新部で採ったサファイアだ、マナが氷の魔力を込めたのなら昼間の時と同じ魔法が発動するはず。スペランツァにもパレンティアにも、現在のマナが扱える最高クラスの魔力を込めてあるのだから。



「(アウラの街の外で使った時はとんでもない魔法が発動したんだよな……これ、本当に何なんだろう)」



 考えても答えなど出るはずもないのだが、わからないことをどうしてもあれこれ考えてしまうのは人の性と言うべきもの。ジュードは引き抜いた短剣をまじまじと眺める。


 しかし、草と土を踏み締めるような微かな音と気配を感じて、意識と思考を切り替えた。音を頼りにジュードが来た道を振り返ると、そこにはメンフィスの姿があった。やや離れた場所で立ち止まり、複雑な面持ちでこちらをジッと凝視してくる。



「メ、メンフィスさん? どうしたんですか?」

「……ん、ああ、いや。ちょっとな」



 抜き身のまま持っていた短剣を鞘に戻すと、ジュードは座り込んでいた地面から立ち上がって身体ごとそちらに向き直る。食事を終えたちびは馬車の中で身を起こし、同じようにメンフィスを見つめた。


 メンフィスはゆっくりとした足取りでそんなジュードとちびの傍まで歩み寄り、何度か交互に彼らを見遣る。その顔にも目にも「信じられない」と言わんばかりの色が乗っていた。



「……本当にお前さんに懐いているのだな」

「え? あ、ああ、そうですね。ちびとはうんと小さい頃からの付き合いなので……」

「グラムの家で初めて見た時は驚いたものだ、人と魔物の共存など……普通では考えられん」



 魔物は人を襲う、人を喰う悪い生き物だと、多くの子供たちは幼い頃に親からそう教わる。だからこそ、人と魔物の共存などあり得ないことなのだ。もし魔物と仲良くしたいと言い出す子供がいたとしても、魔物はそんなことはお構いなしに人を襲うだろうから。他でもない生きるために。


 しかし、現在のメンフィスの目に映るジュードとちびは、その常識をぶち破ってまさに共存している。長いこと火の国で魔物と戦ってきたメンフィスにとって、その光景は驚きだった。それに――



「……我が国の魔物もこのように大人しければ、多くの者の人生は大きく変わっていたのだろうな」



 火の国エンプレスは、世界の中でも特に魔物の狂暴化が進んでいる国だ。それを知らない者は、この世界では恐らくヴェリア大陸の者たちだけだろう。


 メンフィスは何かを噛み締めるように苦々しく呟くと、そっとちびに手を伸ばす。対するちびは、大きく武骨な手が近づいても警戒することなく好きなようにさせた。やがてメンフィスの手がちびの頭に触れると、心地好さそうに目を細める。


 ジュードはそんな様を眺めてから、改めてメンフィスに視線を向けた。



「……ジュード。ワシにはな、今のお前さんと同じくらいの年頃の息子がいたんだよ。あと数年もすれば、共に酒を飲めるくらいの」

「え?」

「大体八年ほど前になる。王都に魔物の大群が攻め込んできてな。ワシはその時、ちょうどこの前線基地の防衛にあたっていて都に戻れなかった」



 不意に語られたメンフィスの過去に、ジュードは瞬きも忘れたように彼の厳つい風貌を眺める。先ほど酒を楽しんでいた時は笑みに綻んでいた顔は、今は過去を懐かしむような、それでいて悲しげな色を乗せていた。



「騎士になったばかりだったが、お前のように正義感の強い子でなぁ。王都や民を守るために魔物の群れに特攻をかけて……」



 八年前と言えば、既に魔物の狂暴化が始まっていた頃だ。恐ろしいほどの勢いで魔物が狂暴化していったこの火の国では、八年前からとんでもない状態だったのだろう。世界各地の街や村々には古代文字により薄いものながら、魔物よけの結界が張られている。本来ならば魔物が中に突撃してくることさえ珍しいのだ。


 大部隊の指揮を任されるメンフィスが個人的な理由で王都に戻ることはできず、息子の訃報を聞いても、都に戻れたのはそれから二週間ほど後のこと。その間にも続報で、彼の妻も魔物の襲撃により命を落としたと聞かされた。


 魔物の大群は王都の四分の二を破壊し、メンフィスや生き残った者たちから大切な家族や仲間を奪い、多くの人間の命を喰い散らかしたのだ。



「……ジュード、これからも魔物と戦うことになるとは思うが、魔物の全てがちびのように心を開くとは限らん。己と仲間のためにも、決して迷わぬようにな」

「はい、メンフィスさん。……肝に銘じます」



 ジュードには、魔物の声が聞こえる。実際に対峙するたびに胸を抉られそうになるし、照準が狂いそうになることもある。だが、メンフィスの言う通りなのだ。可哀想だからと余計な情けをかければ、逆にジュードが命を落とすことになりかねない。


 メンフィスのその心配そうな忠告に、ジュードはしっかりと頷き返した。



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