ほのかな希望を抱いて
自宅に帰り着いたジュードたちは、久方振りになるグラムとの再会を喜んだ。
普段よりも賑やかな夕食の手料理はいつものようにマナが担当し、初めて訪れたリンファは緊張した面持ちで室内を見回していた。そんなリンファに、ウィルは家のあらゆる場所を案内し、説明していく。仲のいい兄妹のような様子を、グラムもメンフィスも微笑ましそうに見守っていた。
「では、魔族が現れたのか」
「はい、吸血鬼と……あとはとんでもなく強い男と少女でした」
「あたしたちじゃ全然歯が立たなくて……こうやって生きてるのが不思議なくらいですよ」
ウィルとマナの言葉に、グラムは顎に片手を添えて小さく唸る。彼とて、今まで魔族と戦った経験はない。そして、それはメンフィスも同じこと。
「ジュード、本当に何も覚えてはおらんのか?」
グラムからの問いかけに、グラスの水を呷っていたジュードは困ったような表情を浮かべて小さく頷く。魔族を退けたのが自分なのだと言われても、彼自身が一番信じられずにいるのだ。記憶にはまったく残っていないのだから。
「うん、……覚えてない」
「ジュードのアレがいつでも出せるモンならいいんだけどな」
これまで魔族と戦った際の彼の強さは、仲間であるウィルたちの目から見ても異常なものだった。いつも追い詰められた時にあの変化が起きるのだが、キッカケが何であるのかは定かではない。あの力のことは依然としてひとつもわかっていないのが現状である。
ジュードは自分の手の平を見つめて、複雑そうに表情を顰める。自分は覚えていないのに、仲間たちは自分が知らない自分を知っている。妙な怖さのようなものがあった。自分は確かにここにいるのに、その自分が別の何かに乗っ取られてしまうのではないかという漠然とした不安さえ湧き上がってくる。
馬鹿げている、どうかしている。ジュードは半ば強引に思考を止めた。
そんな彼が次に気になったのは、カミラのこと。ウィルたちは気づいていないようだが、彼女はアグレアスたちとの遭遇以降、あまり元気がないように見える。食べる量が半端ではない彼女にしては珍しく、食も進んでいないようだった。
* * *
夕食後、ジュードたちは家を後にして作業場の近くに集まっていた。ルルーナとリンファは、ウィルとマナの説明を興味深そうに聞いている。これから、例のものを試そうというのだ。
まずは家に在庫として置いてあったアンバーに、ルルーナに補助魔法を込めてもらう。それをリンファが愛用する短刀に装着して効果を試すつもりだ。リンファは戦い慣れているとは言え、まだ少女、それに女性。戦闘面に於いて、筋力は男性と比べて劣る部分がある。
そこを、彼らの技術とルルーナの補助魔法で補ってみるのはどうかと相談した結果、現在の状況だ。補助魔法の鉱石で筋力の上昇を確認できたら、次は無詠唱での魔法の付与に移る。これから行くのはエンプレスということもあり、今回はマナが覚えたてのランクが高い水魔法を込めることにした。
ああでもないこうでもないと言葉を交わす仲間たちを後目に、ジュードは近くの木の根元に座り込むカミラの傍らへと歩み寄った。
「カミラさん、元気ないみたいだけど大丈夫?」
すると、カミラはその場に座り込んだまま軽く面を上げてジュードを見上げた。その顔には少しばかり陰が差していて、やはり元気がなさそうだ。心配そうに表情を曇らせるジュードを見ると、カミラは目を細めて愛想笑いをひとつ。そうしてゆるりと頭を横に振ってみせた。
「……どうしたら元気になれるのかな」
「え?」
「ジュードはなんとも思わないの? あの魔族たちの話を聞いて、どうとも思わなかった?」
あの魔族たち――というのは、恐らくアグレアスとヴィネアのことだろう。決して記憶力がいいとは言えない思考をフル回転させて、ジュードはあの時の記憶を思い起こす。正直、一度に色々なことがありすぎて彼の頭では処理しきれていない部分も多い。
「ヴェリアの国王さまが魔王に喰われたのよ、魔王サタンは……もう、光の力では倒せそうにない。ヘルメスさまやエクレールさまがいても、きっと魔王には……」
今にも泣き出してしまいそうな声で絞り出すように呟くと、カミラはそのまま俯いてしまった。そんな彼女を前に、ジュードは脇に下ろした手でぐっと拳を握る。
ヘルメス、エクレール。
それは、亡きヴェリア王が残したヴェリアの第一王子と王女の名だ。つまり、ヘルメスとエクレールもまた、伝説の勇者の子孫ということになる。
けれど、魔王サタンはヴェリア王を喰らったことで光属性に対する耐性を手に入れたとヴィネアが口にしていた。カミラはそのことを悲観しているのだ。もう魔王には光の力が効きそうにない、勇者の子孫であるヘルメスやエクレールがどれだけ頑張っても、魔王にはきっと勝てないだろうと。
「吸血鬼の館で見て驚いたわ、大陸の外の人たちは戦いたくなければ戦わずに済む人がいるのね。そんなの、大陸では小さい子供やお年寄りくらいよ。足がもつれて走れなくなるだなんて、そんな人は大陸に一人もいない……本当に、外の世界は羨ましいくらい平和だったのね」
「……」
「魔法武器なんて造ってもどうにもならないわ、魔物のことが落ち着いたって後には魔族が控えてるのよ。再び伝説の勇者さまでも現れない限り、この世界はもう……」
実際にアロガンやアグレアスと遭遇しても、まだどこか魔族が現れたということを信じきれていないのかもしれないと、ジュードは頭の片隅で思う。カミラのように悲観的になるのが、きっと普通なのだろう。
しかし、魔族が現れた、勇者の子孫が殺されたというのは衝撃的でも、だからと言って全てを諦めるなんてできるわけがなかった。
「……どうにもならないかどうかは、やってみてから考えるよ。どうせ反抗しても大人しくしても死ぬなら、黙って殺されてやるなんて冗談じゃないしさ」
魔族が恐ろしい力を持っていることは、いくらジュードでも理解したつもりだ。魔族は強いから抵抗するのは無駄、だから大人しく殺されます、なんて道を選べようはずもない。そんなことをするくらいなら、全力で抗って死ぬ方がずっといい。ジュードはそういう男だ。やる前から諦めてしまうのだけは嫌だった。
カミラはジュードのその言葉に、泣くのを堪えるような複雑な表情で改めて顔を上げる。
「……本当に、なんとかできると思うの?」
「わからないよ、でもやる前から無理って諦めるよりは足掻く方がずっといいと思ってる、オレはね」
「……わかったわ。じゃあ、わたしも……今は取り敢えず頑張ってみる」
カミラはそれ以上は何も言わなかったが、少しだけ落ち着いたようだ。表情が微かに和らぐのを見て、ジュードの口からは自然と安堵が洩れた。
「(伝説の勇者さまでも現れない限り、か……勇者さまなら、こんな時どうするんだろう)」
ずっと憧れてきた伝説の勇者本人なら、この状況に対してどう動くんだろうか。考えてはみたものの、早々にやめた。いくら考えたところで、わかるはずもないのだから。




