国王への願い
「お父様! ただいま戻りましたわ!」
鉱石を無事に手に入れた一行は、オリヴィアを送り届けるのと、国王リーブルへ感謝を告げるために再び王城を訪れた。
謁見の間に足を踏み入れると、オリヴィアはジュードの傍を離れて玉座に座る国王の――父の傍へと駆け出していく。国王リーブルは帰ってきた愛娘を出迎えるように玉座から立ち上がり、彼女の後ろに見えるジュードたちを視界に捉えて表情を和らげた。
「おお、戻ったか。無事で何よりだ。目的のものは手に入ったかな?」
「はい、問題ありません。これでエンプレスに戻れます、色々とありがとうございました」
「いや、私は何もしていないよ、……ん?」
玉座の前まで歩み寄ったジュードたちは、それぞれ深く頭を下げた。国王はそんな彼らに柔和な笑みを浮かべると小さく頭を左右に揺らす。誰にも深い怪我がないことを確認して国王も安堵を洩らしはしたが、すぐに一人足りないことに気付く。目を丸くさせながら彼らに改めて視線を巡らせた。
そんな様子に気付いたウィルは、会釈程度に軽く頭を下げて説明を向ける。
「申し訳ありません。リンファは消耗がひどく、先に部屋で休ませる方がいいかと医務室に……」
「なんと……そうだったか、彼女ほどの者が……」
「陛下、また魔族が現れたんです。今後はもっと増えるかもしれません、リンファはその魔族と戦って深手を……」
どうやら、リンファは国王からの信頼が厚いらしい。だが、続くウィルの言葉に思わず息を呑み、表情を曇らせながら視線を下げた。魔族が今後も現れる――更に、信頼を寄せるリンファでも激しく消耗するほどであれば、対抗策を練るのも難しい。
だが、その隣でオリヴィアは不貞腐れたように唇を尖らせると、つんと明後日の方を向きながら口を開く。
「お父様、リンファなんて使えませんわ。わたくしの護衛だというのに……ほらっ、こんな傷を負うハメになりましたもの! 護衛が姫であるわたくしの身に傷を許すだなんて!」
「オリヴィア……」
「ここは是非とも、ジュード様のようなお強い殿方に残っていただくべきですわ。魔族が現れてもジュード様ならコテンパンに叩きのめしてくださいますもの!」
そう激昂しながら、オリヴィアは自分の片腕を国王へと突き出す。そこには、白い肌にほんのり赤らんだみみず腫れがひとつ。大きさにして二センチにも満たないほどの小さいものだが、オリヴィアにとっては傷と呼ぶべきものなのだろう。国王は眉尻を下げて困ったように笑った。
「オリヴィア、ジュードくんたちはすぐにエンプレスに戻らなければいけないのだよ」
「ええぇ……では、ジュード様みたいにお強い殿方を迎え入れてくださいな、そうすれば我が国は安泰ですもの。できればジュード様のように勇敢でお優しくて素敵な方がいいですわ」
いつものことながら繰り出される娘の駄々に、国王は困り果てたように苦笑いを零す。だが、そんな様子を見守っていたウィルは神妙な面持ちで視線を下げると、一歩足を踏み出して口を開いた。
「……陛下、厚かましい願いで恐縮なのですが、ひとつ宜しいでしょうか?」
「うん?」
「リンファを、我々に預けては頂けませんか?」
それは、突然の願いだった。ジュードたちも何も聞いていない。ジュードもマナも、そしてカミラやルルーナも驚いたような視線を彼に向けた。それは国王やオリヴィアも例外ではなく、皆一様に目を丸くさせてウィルを見つめる。
「リンファを、きみたちに?」
「はい、彼女の力は俺たちだけでなく、きっと多くの人の役に立ってくれます」
ウィルの言葉に、国王は暫し考え込むように片手を顎の辺りに添えて黙る。立ち上がっていた身を静かに玉座の上に戻して座ると小さく、低く唸るような声を洩らした。
ジュードは斜め後ろからウィルの横顔を眺めていたが、その真剣な風貌に気を引き締める。彼とは既に長い付き合いだ、どれほど真剣な気持ちで頼んでいるかは考えなくてもすぐにわかった。
「陛下、リンファさんの気功術には本当に助けられました。全員が無事に戻ってこれたのは、彼女の協力があったからだと思っています」
だからこそ、即座に助け舟を出した。それに、ジュードがリンファの気功術に助けられたのは事実である。
魔法を受け付けない特異体質を持つジュードにとって、彼女の扱う気功術は間違いなく大きな力になってくれる。オマケに負傷したジュードが戦線離脱を余儀なくされている今、その穴埋めをしてくれたのも彼女だ。前線をウィル一人で戦っていたらどうなっていたことか。
だが、我に返ったオリヴィアは不愉快そうに表情を顰めると癇癪を起こしたように声を荒げた。
「リンファなんていても役に立ちませんわ、みなさまの足を引っ張るだけですわよ!」
「役に立たないって言うなら尚更だ。そんなに彼女が憎いのなら、もう解放してやってくれ」
ウィルにとって、オリヴィアの言葉は我慢のならないものだった。リンファがどれだけの過去を経験し、そして生きてきたのか。それを仲間の中で唯一知るウィルは、どうしても彼女をこのままにはしておきたくなかった。
魔族が今後も現れる可能性を考えれば、リンファは水の国に留まった方がいいのかもしれない。そうは思うものの、感情が――心がそれを許してくれない。
間髪入れずに返ったウィルの言葉に、オリヴィアは一気に頭に血が上るような錯覚に陥る。自分の言うことに反対する声や反論は何よりも許し難いものなのだ、これまでは自分に異を唱える者など誰もいなかったのだから。
「リンファが何の役に立つと言うんですの!? 姫であるわたくしを守れず、護衛としてまったくの無能! 何を考えているかわからなくて気味が悪いではありませんか! そんなあの女のことなど――――!」
オリヴィアが捲し立てるように怒声を上げる中、不意に辺りの兵士たちがどよめいた。ジュードたちは驚いたように目を丸くさせて言葉を失う。さしものオリヴィア自身も声を失ったかの如く、二の句を継げずに呆然と佇んでいた。
それもそのはず。オリヴィアが捲し立てる最中に、ウィルが床に両手両膝をついたからだ。それは所謂、土下座というもの。
両手と両膝を床につき、ウィルは深く頭を下げた。そんな姿は体裁を気にする水の国の民から見れば、ひどくみっともなく、滑稽に映る。直接罵声を張り上げることはしないが、周囲にいる兵士たちからは馬鹿にするような微かな笑い声と、兵士同士で囁き合う声が聞こえた。
「ウィル……」
マナは兵士たちを威嚇するかの如く睨みつけ、ジュードは予想だにしないウィルの行動にただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
国王は暫し驚いたようにウィルを見つめていた。




